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とあるサプライズの為に計画を立てていた。その為、京都で一泊することにした。お宿はどこにしようかと探していたら(夫)リーガロイヤルホテル泊まりたい?(私)泊まりたーいそう、私は知っていたのだ。リーガロイヤルホテル京都には新選組の史跡があることを!新選組不動堂村屯所跡宿泊しなくとも行きたいところだったから渡りに船ですわ早朝に一人で散策に出た夫からこんなところもあったけどーさらにこんなところもなぬ!?行きたい、行かな!案内して下さい!という訳で連れて行ってもらえ
昨年の秋も深まった頃のことになりますが、所用の為板橋の慰霊碑に行ってきました。永倉新八が建立に尽力したことは有名ですね。そして正面の近藤勇の諱「昌宜」が、「宜昌」になっていることもところで、この碑の両面には建立当時までに亡くなっていた隊士の名前が刻まれています。現在はかなり風化されて読みにくくなっておりますが以前にも書いたことがあるように、その中には「芳賀宜動」の名前もあります。新選組隊士ではないけれど、永倉が新選組と袂を分かった後共に「靖共隊」を作
昨日、仲間内でお祝い事があり、南品川の「焼肉おもに」へ行ってきました権先生が経営なさっているお店で、先月早々にリニューアル。その開店お祝いも兼ねての食事会となりました今回はこまめも同伴。久しぶりの都内で、パン好きの彼女とパン屋さんを廻り一応、母の名前の書かれる「新選組史跡」を(無理矢理?)見学させました新選組品川屯所・釜屋跡の碑昨日は時間がなくて利用しませんでしたが向かい側の品川寺では、寺カフェも始めたようですよ。釜屋跡から徒歩5分程で、「焼肉おもに」に到着。
新選組史跡未曾有の危機…!?京都の壬生に新選組の屯所として八木邸と共に現存している前川邸(旧前川邸)の隣でマンション開発が計画されているようで、周辺住民は景観を損なうとして開発取り消しを求めているという。これについては新選組ファンとしても大反対であり、あの周辺に近代的なビルやマンションなんかを建造するのはよしてもらいたい。ただでさえ、京都、特に市街地は、近代的な建造物が溢れ、かつての都の古き面影や雰囲気というものは希薄で、新選組や歴史好きにとっては物足りなさや物悲しさ、残念さが常に付き纏って
先日から本の宣伝多々、申し訳ありませんけど、本当に出来上がりが楽しみなんですもん本の装丁・デザインは、「出版舎風狂童子」の代表取締役・杉﨑忠博さまが行って下さいました。で、表紙に使ったのが、江戸名所図会の「品川驛」。いくつかの「提案」をして下さった過程で「新選組」「権東品」「汐海珠里」に共通するご縁がある、「釜屋」が描かれたこの絵を、使用することを決めて下さいました実はこの「品川驛」に書かれる店、「釜屋」であると認められていたのではなかったのです
沖田総司と試衛館次は久しぶりに、都内の新選組史跡巡りです。六本木ヒルズのすく近く、桜田神社です。白河阿部家の下級藩士の息子に生まれた沖田総司は、藩の下屋敷があったこの辺りで、育ったのだとか。後年、日野の方へ行きますけどね。昨今、御朱印ブームだとかでこちらの沖田朱印帳が大人気なのだそうです。もはや、しっかり本日の分は売り切れていました。石の鳥居には藩主の名前が刻まれていました。時代物の狛犬があり、総司も眺めていたかもしれません。麻布専弥寺です。こち
さて旅の6日目この日はツレとは別行動。ツレはひとりで海上自衛隊基地?などの見学に。そして私はといえば、舞鶴のお友達Mちゃん、福知山から車で会いにきてくれたSちゃんと、まずはホテルで再会Sちゃんの「新選組仕様車」で、赤れんがパークへ。舞鶴市には、1901年(明治34年)の旧海軍舞鶴鎮守府の開庁以降、明治期から大正期にかけて建設された赤れんが建造物が、数多く残っています。なかでも北吸地区の赤れんが倉庫群は、全12棟のうち8棟が国の重要文化財に指
「歳様戦死」のあとの幕末記事は「弁天台場降伏の日」と「五稜郭開城の日」だけにしようと思っていたのに…なんかやっぱり箱館から戻ってきて、毎日書いてしまいましたじゃないと、ちゃんと繋がらないような気がして。。。それももう一昨日で終了です。「150年前の本日」は、もう書くことはないのかな。もしかしたら、時に「15×年前の本日」は。。。って書くかもしれないけれどちょうど「150年前のその日」におきた出来事を書いていこう、と思ったのは、今から6年8ヶ月ほど前の事。
昨日の続きです講師は、日本史家・葛城明彦氏プリンターの調子が悪く、レジュメ配布がかなり遅れたトラブルもありましたが、満席の中で講演が始まりました。内容的には流山での出頭から板橋で斬首されるまでの経緯とその斬首場所や胴体の埋められた場所などについて。メインのお話は、やはり勇さんが処刑された場所。古地図や証言、また登記簿等をすり合わせ、一時期は寿徳寺が管理していたという場所を突きとめたという事。それが、ここです※講座終了後、一緒に行っていた歴友さん撮影
こんにちは。先日、何ヶ月ぶりかで、夫が丸一日お休みを取れました。「どっか行きたいとこ、ある?」と、聞かれたので、以前より行ってみたかった馬籠宿へ。馬籠は、名古屋からだと車で一時間半くらい。でも、電車だと三時間以上かかるので、自分では行けなかったんですよね。ついでにどっか立ち寄れる寺社はないかなーと調べたところ、その名も「龍馬神社」を発見。なんで岐阜に?とは思ったものの、これは行かねば「末女」じょないよねっ。訪ねてみたところ、ちょっとびっくりするくらい小規模でした。あれかなー龍馬の
先日、かなり久しぶり…もう5、6年ぶりぐらいになるかなぁ…新選組史跡巡り的(⁇)な感じで、近藤勇終焉の地である板橋に行ってきました。日頃の運動不足解消のための散歩ってのが、一番の目的だったわけですがwこのblogで何度もこの地を紹介してますが、改めて…板橋新選組史跡の最新の絵を掲載します!まずは何と言っても処刑された近藤勇を埋葬したと伝わる板橋駅前にある近藤勇墓所(寿徳寺境外墓地)。大正時代まで生き延びた新選組2番組長・永倉新八が資金集めなどに奔走し新選組慰霊碑をこの地に建立した。その慰霊
昨日のブログに訂正ありです。興奮していたので、夜にはすっかり疲れてしまって内容に誤りがありました。母娘で新選組史跡に来れる日が来るなんて嬉しいと、まるで初めて母娘で来たかのように書いていますが、様々な新選組史跡に家族で数え切れないくらい行っています。勿論、池田屋も過去に行っています。だから正しくは、娘が新選組に興味を持つようになって、母娘で史跡に来ることができて嬉しいですね。新選組も知らず、興味もなく、強制的に連れて行かれてちょっと気の毒だと思うこともありましたが、よく付き合ってくれた
二日前が娘の誕生日でしたが、主人の仕事の都合で、本日お祝いすることに。特別に行きたい店も無いと言うので当初の予定通り、京都三条の池田屋跡にある「旅籠茶屋池田屋はなの舞」でお祝いしました。チェーン居酒屋ですが、隊士に因んだメニューがあり、コスプレ衣装に着替えて池田屋での戦闘を再現した場所で撮影オーケー等、新選組ファンでなくてもSNS女子には楽しい場所知れません。店員がだんだらの隊服姿で、新選組ファンはかなり興奮します。「薄桜鬼」や「ピースメーカー」とのコラボメニュー、隊士やその他キャラ
【北総新選組本営】黄金週間中の流山新選組史跡観光接遇について4/28→13〜17時※演武は15時以降4/29・30→11〜17時5/03→13〜16時※5/04→11〜18時5/05→12〜17時・刀剣展示※5/06→11〜17時※は武士体験休止日武士体験は5月6日で終了!この機会に是非!閻魔堂にてお待ちしております。ランキングの応援もいつもありがとうございます♪にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ
今週末の流山新選組史跡観光接遇派出の予定です。●4月21日13時〜●4月22日12時〜※今週末は要員研修がありますので、武士体験は休止となります。※武士体験は5月6日で終了とさせて頂きます。羽織・袴で新選組を体感できる機会ですので、どうぞみなさまのご利用をお待ち申し上げております。ランキングの応援もいつもありがとうございます♪にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ
「バトンリレー」なるものがあるそうで先日、ブロ友ちゃんより、ご指名を受けました幕末記事と、先に書きたかった記事があったので、少し猶予をお願いしていたのですが、やっとそのお役目が果たせますバトンリレー・ルール★「#2017年お気に入りフォト」と、ハッシュタグをつける★お気に入りフォトを3枚載せる★バトンを渡す人は、3人指名する★渡された人は、スルーしても構わないという事だそうですでは昨年の記事より「お気に入りの3枚」昨年は本当にいろんな
大晦日でございます。皆さまは、どのようにお過ごしでしょうかさて、今年の締めくくりの記事は、来年3月11日(日)開催の山南忌でございます(※写真は旧前川邸HPよりお借りしております)旧前川邸で切腹した新選組総長・山南敬助を偲んで、第12回山南忌を開催致します。10:00~光縁寺で墓参→旧前川邸で受付→仏間(山南敬助切腹の間/写真)で焼香13:00~壬生寺会館で記念行事→16:00頃終了予定*光縁寺、壬生寺には問い合わせをしないで下さい。
大和宇陀、松山地区奈良にも新選組史跡があるとお聞きし、奈良県宇陀市松山地区を訪問しました。公共交通で宇陀に行くには、近鉄榛原(はいばら)駅からバスで15分ほどです。松山は江戸初期は織田家による城下町で、その後、天領となりました。大和は漢方薬の原料になる薬草の栽培に適していたことから、松山の街道筋には多くの薬種問屋があり、たいそうにぎわいました。現在でも江戸期からの多くの町家が残り、町並みが伝統的建造物保存地区に指定されています。さて、慶応2年12月、ここ宇陀松山に新選組隊士
綾瀬(五兵衛新田)、続きでございます続いて向かったのは、「綾瀬稲荷神社」綾瀬稲荷神社の御鎮座は、江戸時代の初め、村人が浄財を出し合い、伏見稲荷より、御分霊を勧請申し上げて西向きに祀宇をし、慶長119年(1614)正月吉日に御鎮座されました。日本史上では、豊臣氏と徳川氏とが争った「大坂冬の陣」の起こった年にあたります。江戸時代は『稲荷神社』と称し、明治7年に『五兵衛神社』、昭和42年に『綾瀬稲荷神社』と改称し、400年の長きに亘り、地域の氏神様として、崇敬されておりま
「綾瀬・流山」のレポの続きです五兵衛新橋綾瀬には「五兵衛新田」の名を残す場所はないのですがふたつの橋の名に「五兵衛」というのが付けられています。この「五兵衛新橋」は、昭和61年に従来の「五兵衛橋」の南に掛けられたそうです。(のち程、「五兵衛橋」にも行きます)ん?ちらりと覗く、大きなお宅は…金子家金子家文書の案内板この金子家文書は、昭和50年に発見されたものです。案内板には慶応4年3月13日から4月1日までの20間と書かれていますが、この時
昨夜の続きですいきなりすみませんこの「大きさ」を見て頂こうかと…あ、初めにお断りしておきますが、この綾瀬・流山は、すべてスマホ写真実は前夜にツレにデジカメを準備してもらっていたのですが何故かどうしても起動しない。。。なので仕方なくスマホに。電池が気になるところですが、以前上野方面に行った時に懲りているので(この時はRちゃんに携帯用のモバイルバッテリーをお借りしました)ちゃんと持ち歩きしてるもんね「いや、そんな自慢するより、ちゃんと自分でデジカ
今月は旧暦とはなりますが、勇さんの150回忌にあたりますね。いろいろなイベントがあるようです。9日流山「長流寺」近藤勇忌15日ジャポニスムアカデミー近藤勇の首級の埋葬地について(詳細はこちら☆)23日板橋駅前寿徳寺境外墓地近藤勇150回忌と隊士慰霊祭実は、「1度流山にも行かなくては」と、ずっと思っていたのですがなかなか辛いものがあって出かけられずにいました。が、昨年3月。京都のTちゃんが上京して流山に行きたいという事からSちゃん、R
昨夜の続きです亀山御坊本徳寺内探索(笑)外から見たところ。左側の唐破風が、渡り廊下です。ここを通って、真ん中が大広間、奥が庫裏となっています。大広間上段の間大広間には上段の間と上々段の間があります。かなりの格式の高さですね。天井絵信徒総代であり、元鹿島建設会長・故鹿島守之助氏の十七回忌の際、天井画の破損が著しい事などを聞いたご息女・石川ヨシ子さんがその作成を引き受け、ご寄進されたとの事です。本当に綺麗なんです英賀本徳寺御堂鬼瓦英賀(あが)は、兵庫県姫路市飾磨区
新選組西本願寺屯所ということで、「亀山御坊本徳寺」に移動その前に「お腹空いたねぇ」姫路城と好古園でかなり時間をとった為「時間がかからず簡単に待たずに食べられるもの」という事で、姫路駅まで戻る道にあったお蕎麦屋さんへ。えきそばまねきセルフサービスの、小さなお店です。白いお蕎麦?初めて食べましたHPを見ると「黄色いそばに和風だし」と書かれていました。あっさり系で、美味しかったです「姫路駅」から電車で「亀山」へSちゃんに案内してもらいながら、歩きます
ジャーンいきなり失礼しました昨夜の続き、です上のクジラのような写真、個人宅です芸能関係の方が所有なさっているようです。(あさくら先生のヒントだとN・Rさんでしょうか)えっと、別に芸能人のお宅拝見ーではなくここは「大河内家屋敷跡」。もうちょっとわかりやすく言いますと廿騎組屋敷近藤邸跡です慶応3年に、火附盗賊改大河内兵三郎さんのお屋敷を借受け秋までには移転していました。翌年には退去しましたので、短い間だけでしたけれどね。皆さんで「ほ~」と眺めた後またまた歩
今日は良いお天気でしたが、風の強い一日でした。GW突入ですね私はカレンダー通りの、2日と6日は仕事ですけどでも連休中もお仕事の方もいらっしゃいますものね。お疲れ様です。皆様はいかがお過ごしでしょうか。さて、岡山旅、続きですやってきたのは…田上寺(でんじょうじ)といっても、廃寺?すっごい山道を上って行きました車を止めて…「お、うり坊(子猪)!」と、Sさまのお声私は姿を確認できなかったのですが車から降りたツレがカメラ片手に追いかけようとし…「親がいたら危ない
年度末の本日、結婚記念日でした結婚した年は土曜日でしたが今のように週休二日はまだ定着していず、皆に「この忙しい時に!」と言われたのも、もう遥か昔の思い出ですねさて、昨夜の続きです大國魂神社まで引き返し、今度は反対方面へ。すぐ近くに観光協会があったのでそこでパンフレット等を頂き、再び歩きます目的地松本楼跡いやいや、何だかわからないってそうですよねでは道路反対側から…ここの駐車場になっているところ、ですもうちょっと引いてみると…ちょうど黒い車の先っぽの
えっと…かなり間が空いてしまいましたすみません、「多摩巡り」の続きです(前回の記事はこちら☆)大國魂神社大鳥居を抜けて、右に「HOTEL松本屋1725」を見ながら、西方面へと向かいますふと横を見ると、こんな案内碑が「ん?神戸(こうべ)??」いやいやいや、「ごうど」と読むようです。神戸(ごうど)は、現在の宮西町二丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった宿場の一部です。この集落は番場宿に属しており、幕末の地誌「新編武蔵風土記稿」には「番場宿」の小名
三連休初日の本日の横浜の朝は雨諸事情により、こまめが泊まりに来るはずだったのが中止涙雨か?(笑)でもお昼過ぎには止んでその後は陽も射してきました。明日からは、お天気になりそうですさて、昨夜の続きです随神門(ずいじんもん)平成23年に「大國魂神社御鎮座壱千九百年事業」として改築されました。門は高さ8.5m幅25m門扉は高さ4.5m幅4.7mという大きさくらやみ祭での、お神輿や大太鼓の出入りをスムーズにする為のものだそうです。ん?烏のうちわ??すもも祭(7