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2024/05/16GW終わって、もう10日ほどなのか。何をしていたのか、ほとんど思い出せない。前の週末は…はて、何をしていたのだろう?一昨日は、ゼミの3年生、4年生が参加してキャリアに関する講演会を開催。講師は同級生の某企業人事係長。夜は講師を囲んで三宮で懇親会。3年生とは二次会まで。おとなしいと思っていた3年生がわりと楽しそうにはしゃいでいて、ほんわか見守った。これからは、もっとリラックスしてゼミができそうである。新田次郎「劔岳点の記」。新田次郎さんは、それほど好んで読まないのだけど、
シャクルトンの南極探検、スリリングな描写。新田次郎の『八甲田山死の彷徨』は有名ですが、あれで遭難した部隊も極寒地獄の中で苦しんでいましたね。印象に残るのは遠くに見える林が、吹雪のため目の錯覚で、こちらに前進してくるように見えた時のこと。「救助隊が来たぞ!」と兵卒の一人が叫ぶのですが、やがて見間違いに気づき絶望するという場面。この時隊長はラッパを吹くよう兵卒に命じています。小説には書かれていませんが、金属製のラッパが唇に貼りついたことは想像に難くありません。
4/26(金)は60分走れました。心拍ゾーンが真っ赤でエライ事になってますが^^;走った後も膝痛なく過ごせました。安心ちゃ安心なんですが、走る前は、また痛んだら嫌だなとか走っている間は、いつまた痛まないか、と思ってハラハラします。日常でも、やっと階段を降りる時の痛みがゼロになりましたが、降りる前は怖くて筋肉がこわばります。いつスピード練を再開していいのか?来月本当にフルマラソンを走れるのか?為末大学のチャンネルをよく拝見するのですが、最近ちょうど膝痛の話が挙がって
灯台ハイキングのガイドさんが教えてくれた島が舞台の小説帰宅して早速読んだ人物設定や心理描写を潔く見事に言い切るなのにそれが時々とても切なくてこみ上げるものがあるのが不思議というか職人技だなあと感動した福江島から島を眺め見えない島を探し富江付近を通りかかったそれだけで作品をぐっと身近に感じ長文も苦にならなかった新潮文庫電子書籍663円
加藤文太郎が故郷の幼い頃から思っていた花子と結婚した。彼登山は一辺倒の生活から変わっていった。新妻花子を大事にする日常になつていく。花子が妊娠する。彼は出産の妻を心配し産婆さんを呼びにり回る。無事生まれた女の子その子をいとおしくおもう毎日が続く。そこに自分を慕っている「可愛い登山家」から厳冬期の槍ヶ岳の北鎌尾根の同行を頼まれる。妻子を思えば断りたい。一方若者が人生最後の登山にしたいとの強い思いにこたえてもやりたい思いもおきる。加藤は悩んだすえ、単独校でなく初めての二人の登山を決意する。
新田次郎の「孤高の人」を読んでみたいと思ったのは、そこに六甲山が描かれていることを知ったからだ。その六甲山にまつわることは前回書いた。読んでいくと他にも引き込まれるところがでてきたので、書き加えておこう。私が登ったことのない黒部五郎、野口五郎あたりの厳冬期の縦走の話てある。主人公の加藤は山を越え太平洋から日本海に踏破し、故郷の浜坂の海を眺めた時、日本海側の富山県の立山連峰をこへ、後立山連峰から信州に横断することを思いつく。それを厳冬期に実行すべく、好山荘の信田寅之助にそ
4月1日新年度のスタートですそして今朝自宅で「うぐいす」の初音を聴きました(エイプリルフールにあらず💦)昨日のTDSでは様々な出会いや歓びその中でもディズニーシープラザの辛夷の花を散り際とは言え見ることができとても嬉しかったです「辛夷」の花名を知る事となったのは新田次郎「白い花が好きだ」から白い花が好きだ(光文社文庫)Amazon(アマゾン)そして毎年TDSプラザの辛夷の開花を早春のインの楽しみにしています開花時期はまた別れの
新田次郎の「孤高の人上」を初めて読んでいる。六甲山の西の端の「高取山」の山頂で若者が老人に不世出の登山家「加藤文太郎」について話を聞かせてもらうところから始まる。老人は加藤のエピソードをこんなふうに語る。「彼は素晴らしく足の速い男だった。彼は20歳の時、6時に和田岬の寮をでて塩屋から山に入り横尾山、高取山、菊水山、再度山、摩耶山、六甲山、石の宝殿、太平山、岩原山、岩倉山、宝塚と、およそ50kmの縦走路を踏破して、その夜の11時に和田岬に歩いて帰った。全行程およそ100kmを17時間
3月5日火曜日〜その312時より13時35分まで三度寝。モンロワールリーフメモリーを摘みながら…(写真)「シリーズ創作が生きる場所作家のペンと家第二十五回新田次郎」(R5年11月2日号週刊文春)を読む。
昨夜、他人の気配のする場所で、本を読んでいたいなと氷のような形の明かりの下で開いた本がそうだったのかと本からも場所からも離れられずに閉店間際まで長居してしまった八甲田山(青森県)1902年明治35年1月23日の遭難のページを読んでいて同年同月同日に抜粋北海道に根をすえた高気圧はなぜかその移動を止めていた高気圧停滞に伴う輻射の原因による急速な温度低下は、23日頃よりその速度を早め1月25日には北海道旭川において零下41度という日本における最低気温を作ったのである氷点下41℃
#現状厳しいが諦めずに円盤化を待つ作品『アラスカ物語』同じ1977年に同じ新田次郎・原作『八甲田山』が大ヒットしたことで陰に埋もれがちですが、こちらもスケール十分!(ラストは日本で撮影されてますが…)ビデオソフトすら出てない、幻といってもいい堀川弘通監督作品。(たまにスカパー!などでかかりますが)佐藤勝の荘厳な音楽は神!神!神!(一聴瞭然!)
「見放したか」と言われても天も困る?森谷司郎監督作品、新田次郎原作、芥川也寸志音楽高倉健様、北大路欣也様、丹波哲郎様、大滝秀治様、藤岡琢也様、前田吟様、緒形拳様、三國連太郎様、加藤嘉様、浜村純様、神山繁様、小林桂樹様、森田健作様、加山雄三様、栗原小巻様、加賀まりこ様、菅井きん様、秋吉久美子様他1902年(明治35年)に青森に駐屯していた歩兵第5連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、演習に参加した210名中199名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を題材に、極限
2月15日が命日・忌日の有名人・著名人1591年(天正19年1月22日)52歳没(病死)豊臣秀長さん戦国時代の武将、豊臣秀吉の弟1857年満52歳没(?)ミハイル・グリンカさん作曲家1883年8歳薨去(?)華頂宮博厚親王殿下皇族華頂宮博経親王第一王子1959年79歳没(?)オーエン・リチャードソンさん物理学者熱電子現象の研究ノーベル物理学賞1965年満45歳没(肺癌)ナット・キング・コールさんジャズ・ピアニスト、歌手娘:ナタリー・コール19
いつも、ありがとうございます(^-^)ノ1月19日から公開中の中国映画『緑の夜』ですが、私は自分の完全な思い込みで京都での上映日程を勘違いしていまして、観に行けないことになってしまいました(>_<)緑の夜映画『緑の夜』公式サイトでもまだこれから上映のエリアもありますので、是非、皆様、観に行っていただきたいです、よろしく韓国映画の日本公開にも触れさせてください2月2日から公開が始まってますローリング・
(「僕にもトラウマがあるんですよ。ピットブルは最悪です」とビーグル犬まろさんオス9歳)今日は「八甲田山の日」だそうです。これはどういうものかというと、日露戦争が現実のものとなりそうな1902年の1月23日に、「ロシアとの来る決戦においては、陸軍も寒冷地、雪中の訓練が必要である」との考えのもとに陸軍が青森県で軍事訓練をし、その中の青森歩兵第5連隊210名が猛烈な悪天候の中、しかも装備も十分ではなかったため大雪の八甲田山中にて遭難し、結果として199名が凍死、生還した者も凍傷で足を切断し
武田信玄新田次郎著戦国最強の実力を持っても、生まれた場所は京にも遠く、上杉、今川、北条にも囲まれ体調もかんばしくなかった不運な漢強くて頭がいいだけではダメなのだそう、天下人は天が決めるのであるこの小説の続き武田勝頼もあるので読みたいと思ったが、もう山岡荘八著徳川家康全28巻を読み始めてしまったので手遅れ読むとしたら約5カ月後かな・・・
武田勝頼新田次郎著小説徳川家康で設楽ヶ原の合戦、通称「長篠の戦い」が始まる前に読み途中だが、ちょいと寄り道して小説武田勝頼を読んだもっとも謎が多い長篠の戦い三段撃ちの前に騎馬隊がただ単純に突っ込んで行ったというが、合戦はそんな簡単ではない天才信長の策略、裏切り愚将凡将ではなかったが、あまりにも偉大な父を持ったため親類達の支持も得られず立場の弱かった勝頼圧倒的権力者がいての最強の騎馬隊武田家滅亡間際には雪崩のごとく離反してゆく
にほんブログ村年齢はただの数字、、、。ブログ訪問ありがとうございます。夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。年齢はただの数字。60歳になると「老後は、、、」って言うけれど老後、老後って?誰が60歳で老後って決めたのよ?思わず納得してしまいました。誰もが歳をとるのです。いつからでも始めようと思えば始められるのです。今日がいちばん若いって言って笑っていた見ず知らずの女性。憧れです。冒険
八甲田山『八甲田山』(はっこうださん)は、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を原作とする日本映画。橋本プロダクション・東宝映画・シナノ企画の製作で1977年に公開された。1902年(明治35年)青森に駐屯していた歩兵第5連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、演習に参加した210名中199名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を題材に、極限状態での組織と人間のあり方を問いかけた作品である。配給収入は25億900万円で、1977年の日本映画第1位を記録した。高倉健、北大路欣也主
※長篠・設楽原合戦図屏風と案内板…原本は、公財)犬山白帝文庫所蔵です設楽原古戦場に行きました!パート3️⃣①設楽原の戦い〜はじめに僕は、故新田次郎さんの小説「武田信玄」「武田勝頼」を、中学生の頃図書館で読んで、戦国大名武田家が大好きになりました⚔️今、思い返してみると、よくあんな分厚い小説読んでたなと思います。歴史漫画も今はたくさんありますが、当時は「信長」(池上遼一さん)「花の慶次」(原哲夫さん)なども出ておらず、その頃
意外に遅かった人たち…‼学問も習い事も、学び始めるには、そして大成するには何でも早い方が良いと言われます。例えば、言語にしても、絶対音感にしても3歳までが勝負と聞きます。それより以降になると習得が鈍くなるようです。それは、運動神経にも当てはまります。日本卓球界を代表した、福原愛さんも、石川佳純さんも卓球台より背が低い頃よりラケットを毎日のように降ってきました。テレビでたまに彼女たちの小さい頃の映像を見ますが、無心でボールを打ち返し、失敗すれば泣きじゃくる姿は、当に早期教育、英才教育の証明
8月に黄蓮華升麻(キレンゲショウマ)を見に一ノ森〜剣山に行ったその時のはこれです↘『黄蓮華升麻を見に剣山へ行ってみると#今日のひとことブログ』天気が良さげなのは今日弥生🐶ちゃんがボッチで留守番しなくて良いのも今日帰省する車が増えそうなのはちょっと不安そしたらやっぱり今日だよ!5:20出発🚗石鎚山の…ameblo.jp新田次郎さんの名前がある碑あたりからバッタ🦗が現れはじめたバッタ嫌いのニちゃんに無理を言って一ノ森のピークまで行った!❋一ノ森1,879mなのにね
https://gs-yamada.amebaownd.comやまだ行政書士事務所宮城県仙台市にある高齢者福祉を専門にした行政書士事務所のサイトです。gs-yamada.amebaownd.com孤高の人・新田次郎。伝記的な小説。時代が古くて読みづらいのだ。登山物だから借りたが全くのめり込むことが出来ない。
久しぶりに独りの夜、ふと、以前、新聞に紹介されていた渋谷のお一人様バー🍸にでも行ってみようかと思ったが、気分が盛り上がらず🙄そうだ、読書月間スタート!秋の夜長の読書としよう!と本屋に立ち寄る。文庫本の棚の背表紙にぐるぐると目をやり👀、いくつか手に取ったが、結局『検事の本懐』等、過去読んだ読後感の良かった柚月裕子さんの本に決め購入した。今回の主人公は、定年退職した警察官である。それにしても小説家って、スゴイなぁと思う。僕なんか、高校生が主人公の青春モノを書けと言われても、高校
新田次郎の名作「孤高の人」主人公は加藤文太郎。登山能力を養うために毎日、石を詰めたザックを背負い六甲山を駆け巡った。冬山で荒天に遭遇し遭難寸前でも、体力が残る内に雪洞を掘り天候回復で生還する術を身に付けた。いつも単独行。だから孤高の人と称される。その彼に憧れる吉田富久との出会い。いつも単独行の加藤は吉田に請われ厳冬の槍ヶ岳、北鎌尾根へ吉田と登攀した。そして滑落。加藤単独ならば生還出来たであろう。吉田が最初に力尽き、加藤は下山を諦めた。そして、遭難死。今、日本は危機に遭遇してい
ちょっと古いけど('80刊)新田次郎の小笠原始末記を読んだ。徳川300年は長期安定政権であった。それは、失われた20年にも似た管理社会だった。始末記は、職を失なった浪人の姿を温かい目で見つつ9つの小品に活写している。その一つ大岡越前の官僚としての苦労を扱った事例には驚いた次第である。引揚げ者:https://ameblo.jp/daddy3/entry-12762790840.html
亡くなった父の蔵書にあったのでふと読んでみた。史実に基づいて書かれた小説だが、こんな事実があったとは驚いた。日露戦争前に、厳寒地での戦いに備えて、青森の別の部隊が、明治35年1月に八甲田山を両側から登る訓練を行う。無謀ともいえるこの行軍で、片方の部隊では、199名が亡くなる。小説なので細かいやりとりはどこまで本当なのかは分からないけれど、指揮系統の混乱(大尉が最初指揮を任されていたのに、途中から少佐が根拠もなく指示を変えてしまう)や装備などの準備不足が主な原因のようだ。装備なん
金精軒、富士山レーダードーム館。。書家・デザイン書道家の粟津紅花です。富士吉田にできた金精軒に朝食と水信玄餅をいただきに行きました🚗仕事、そして隙間時間は作品書きをしている私を、お友達がこんな時間も必要と連れ出してくれました😊富士山🗻と絵になります🥰金精軒は台ヶ原、韮崎店に行ったことはあったのですが、今回は4月にオープンした姉妹店富士吉田金精軒「富士茶庵(ふじさあん)」に行きました。朝食です♪豚汁のおにとん御膳にしました😊🍙は2種類選べます。大きい‼️
今月にF井さんと富士山周辺を自転車で巡るライドを目論んでいるのですが、それまでにいくらか予備知識と気分を上げて置きたいとか・・・読書ネタにしたのが、新田次郎氏です。富士山が登場する小説ってググると真っ先にヒットするのが、「強力伝」伝説の強力(山で荷物を運びあげる職人さん)を描いた本です。次に手に取ったのが、「芙蓉の人」明治28年に正確な天気予報の為には、高所での観測が必要と考えた野中到が、冬期の登頂などの経験を元に、自費を捻出して富士山山頂に測候所を建設して、そこに越冬しながら観測をしよう