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4月19日(金)のおはなし今日から師匠とお泊りツーリングに行きますよぉまずは山梨県へ高速でばびゅーんと行きますまずは朝ごはんです🥢石川パーキングエリア八王子ラーメンうまっ😋ちっと休憩釈迦堂パーキングエリア目的地にとーちゃく韮崎市民俗資料館目指せ200城制覇スタンプラリーはじめました初スタンプ資料館ロケセットステキでしたちょろっと移動して新府城跡いいところでした次は長野県にいくよっつづく
「新府城から岩殿城、勝頼さんの悲しみの道を行くってのはどうだや?」今年も田んぼ畔草刈りや庭木の伐採などなど、もろもろ世話になる高校時代からのわが友リュウちゃんに、早春の史跡巡り接待のご案内をしたところ、「いいねぇ、いいねぇ!特に岩殿城はいいねぇ!」と狂喜(ホント)のご返事。まずは勝頼居城の新府城からだが、ここは昨年訪ねた。ここの石段はきつかったぁ。大手門跡ふきんから南東に広がる甲府盆地を望む。遠くに薄い富士が見えた。「ここをずっと向こうの山まで勝頼さんは落ちていったのか
先日3/6~8の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)の投稿を順次しています。前回のブログでは「躑躅ケ崎館」を訪城、「甲府駅」へ戻って14時50分の電車に乗り、9城目の「新府城」(山梨県韮崎市)の最寄駅「新府駅」へJR中央本線で移動しました。わずか11分で「新府駅」に着きましたが、大きい駅だと思いきや何と無人駅でした。駅下の周辺地図を見ると、駅から近くでしたが歩くと結構遠く、しかも本来の道が工事中であったので遠回りを余儀なくされ約20分近くも歩きました。駅前にあった地図↓
おはようございます。ブログをご覧くださいましてありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。韮崎市では市制施行70周年記念事業の一つとして春に美しい桃畑の中を眺めながら途中に新府城を楽しむウォーキングが企画されています。武田の里ウォークー新府桃源郷コースー日程:2024年4月6日(土)場所:韮崎市中央公園陸上競技場(スタート&ゴール地点)事前申込必要で、以下のリンクからお申し込みください。武田の里ウォーク-新府桃源郷コース-|山日YBS事業局イベン
<速報>2泊3日(3/6~8)の「春のお城めぐり」ツアーをスタートし、本日帰宅の途中です。行き先は、1日目は長野県、山梨県の2県、2日目は長野県上田市・千曲市の山城めぐりをしまして、1日目の夜は山梨県大月市に宿泊しました。天気を気にしながら起床して、3/7は「岩殿城」へ向かうべく、7時半に大月駅前から登山口近くまでバスに乗り、雪で滑りやすくなった登城路を途中ツルっと滑りながらもやっと登城できました。本来は、表側(北側)の岸壁が見える所からの登城が一番「岩殿城らしい」のでしょうが
明日から、2泊3日(3/6~8)の「春のお城めぐり」ツアーをスタートさせます。その準備として、予定表を作成し、各お城のある行政や観光協会にお願いしてパンフレットや資料を送っていただくとともに、余湖さんの山城「縄張図」を見て見所ポイントをチェックしながら予習をして備えました。行き先は、長野県、山梨県の2県ですが、伊丹から羽田までマイレージを使用して7時5分の飛行機でフライト。まずは東京駅からは、JR東日本の乗り放題切符「旅キュン早割パス」(10,000円)を使用して、長野新幹線で
甲府城を後にして勝頼最後の居城の新府城に向かいました因みに新府の由来は新しい府中から来てるとか新府駅に到着ここから新府城韮崎市民族資料館韮崎駅まで徒歩で回ります新府城到着。新府城は織田・徳川軍に攻められ入城から68日で勝頼自ら火を放った悲運のお城と言われてますほんで一番見たかったのは武田の丸馬出と三日月堀いや~諏訪原城以来の武田馬出南大手門の馬出。丸いな東三の丸跡。草で見えへんなこの先もこんな感じで草ぼーぼーで見えへんとこあります新府城大手に到着。この先は枡形虎口ほんでこ
新府駅です。富士山が良くみえます。写真右側が韮崎方面です。上りホームへの駅入口付近。下りホームへの駅入口付近。下りホーム駅入口付近にある名所案内です。新府城があります。小淵沢方面を撮影。韮崎方面を撮影。韮崎寄りのホーム先端に来ましたが、かつてのスイッチバック跡地があります。矢印がスイッチバック跡地です。小淵沢方面を撮影。韮崎方面を撮影。再度、小淵沢方面を撮影。あずさが疾走していきました。
獅子吼城を後にし、車をしばし走らせ、新府城へ向かいます。途中、こんな風景が。最近、稲刈りの後こういう干し方みてないなあ。そうこうしてるうちに、新府城に到着。駐車場は、道路を隔てた向かい側にありました。この道路、車が結構スピード出してるので、渡る時要注意です。この神社の階段を登ると、本丸に行けるようなのですが、それじゃつまらんので、左側にある登城口から、いざ参らん!こんな感じの道です。歩いていくと、ところどころに看板が。こちらは、帯曲輪。細長い曲輪なんで、「帯」というんでしょ
明智秀満(65)「晴豊公記」『今日、明智人数しなのへちりちりとこし候なり。今度大事の陣の由申す。人数各いかにもしほしほたるていにて、せうしなるよし京はらへの言いなり。』天正10年(1582年)3月4日、明智隊は京都に向けて進軍した。しかし目の肥えた京の人々には何だか「ちりぢりばらばら」で統制が取れていない軍勢のように見えた。参加の兵士も何やらしょんぼりした感じで、こんな大切な戦なのに、このような有様で大丈夫かと、京童にも笑われたという。「兼見卿記」『
織田信長亡き後、徳川家康は武田の遺領・甲斐・信濃・上野の反乱を鎮圧するため出陣(天正壬午の乱)。そして、小田原の北条氏直と戦うことに(若御子対陣)。家康は、武田勝頼が築いた新府城に布陣。戦いは7月から10月まで続いたが、上野国を北条氏が、甲斐国・信濃国を徳川氏がそれぞれ領有することで和睦している。新府城跡の藤武神社は、藤井庄と武田庄を見下す所に鎮座することから藤武という名称なのだとか。藤武神社は、甲州征伐で焼失してしまっていたが、若御子対陣で新府城を本陣とした家康は、戦後、藤武神社を再
7月22日(土)は日本城郭史学会の2023年度第1回城郭史セミナーがありました。テーマは「新府城の最新の発掘調査から」です。今回は韮崎市教育委員会の閏間俊明氏を講師に招きました。新府城発掘調査と閏間俊明氏最初に新府城の概要について話しました。新府城は七里岩の台地上に築城されました。古代、七里岩の北西にある八ヶ岳が大規模な山崩れが起こり、土砂が南東に流れて七里岩の地形が形成されます。七里岩の台地の西側を釜無川、東側を塩川が流れていています。現在でも甲州街道(国道20号線)と中央本
おはようございます、たけちです。令和5年6月10日土曜日みなさん、いかがお過ごしになりますか?今日は曇りですが、関東も梅雨入りしましたね。最近、簡単に線状降水帯ができ、大雨降るし、日本は、世界は、大丈夫なのでしょうかとはいえ、天気で一喜一憂、クサクサしても仕方ありません。今日という日を楽しく過ごしていきましょうさて、今日は山梨県のもうひとつの続100名城新府城について紹介というよりも考察します。『めざせ!さいたま④(暮れなずむ新府城とほうとうナイト)』おはようござ
長篠役陣没将士分骨之碑新府城は、1581年(天正9年)に武田勝頼が織田・徳川軍の侵攻に対抗するために築いた城。その城跡には、1575年(天正3年)の長篠・設楽原の戦いの戦没者が葬られている信玄塚から武田将士の英霊が分骨されています。新府城跡☆☆☆☆☆
こんばんは今朝は7時に自然に目が覚めました。昨晩は疲れて寝たのが23時頃だったかな。。それから1度も目が覚めることなく、気付くと7時やった〜っ!うれしい〜朝まで爆睡は1ヶ月ぶりです介護生活中は、リビング当番の時は夜中の2回のトイレでは絶対起きちゃうし、2階で寝ていても落ち着かないし、朝は6時に起きなきゃいけないし。お年寄りの面倒を見ている人は同じようなことをしているんだと思うけど、今までの自分の生活とはギャップがありすぎて、なかなか辛い昨晩はそれから解放されて快適に眠れま
おはようございます、たけちです。令和5年6月4日日曜日、みなさん、いかがお過ごしですか?たけちは、今日は休日出勤します休日に働くのは憂鬱ですが、おまんまのため、頑張りますさて、今日はめざせ!さいたま第4話目です。『めざせ!さいたま③(えっちらおっちら要害山城)』おはようございます、たけちです。令和5年5月最後の日曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?晴れるのは今日までということで、たけちは、涼しいうちにラン…ameblo.jpえっちらおっちら登った要害山城を
2023年4月8日(土)高島城のバス停を降りた所から~お濠沿いの桜が見事でもう今年の桜花見満足だわ昨日の雨風の憂鬱なんて吹き飛びましたホントめちゃくちゃ綺麗お濠沿いだけでなく公園内の庭園も良い感じですよマジ癒される・・・続日本100名城№130高島城天守入場料金310円スタンプ受付左に設置御城印もありましたのんびり見学して上諏訪駅へ友達お勧めのスイーツ屋さんなとりさんちのたまごや工房上諏訪駅店を覗
今年の大河ドラマに関するネットの記事で甲斐の国にはローマ人がいる、とか阿部信玄はジブリの世界にいるとかいろいろ言われていますねぇ。そんな中でヤフコメで、あれは要害城なんじゃないかというのがありました。要害城なら山の中だし、富士山は見えるしだって。ではそれを確かめに行かねば。天気図を見れば日本はすっかり高気圧に覆われているし、こんな日はよく山が見えるんですよねぇ。いざ出発。原村を超えてた頃、右手には南アルプス左手には八ヶ岳目の前には富士山がドーン。山好きにはたまらないねぇ。スマホでは
今回も、甲府駅前の「城のホテル」に滞在です。夜は甲府駅ビルでほうとう(ベタな甲府観光。)今回は、甲府で2泊。甲府盆地で桜と桃の花をめぐる…という以上のプランは決めてありませんでした。天気予報を見ながらプランを考え、とりあえずレンタカーを借りることに。朝、雨が上がって、部屋から富士山。でも結局、今回の旅行中で富士山を見たのはこの時だけでした。(甲府盆地からだと、ちょっと曇ると富士山は隠れてしまうのね…)8時から車を借り、釜無川沿いの国道を通って、甲府盆地の北西へと向かい
何の縁なのか?朝イチで下のムスメと山梨へ2日連続で行くことに。9:30には山梨の初狩PAにいました。ノンストップで1時間ちょっとでここまで来れるのね。もろもろの用事を済ませて、せっかく韮崎まで来たので…武田家滅亡の道を歩いてみようかと新府城跡にやってきました。前は通ったことあるけど、ちゃんと車を停めて歩くのは初めて。新府城って知ってますか?武田家滅亡のカウントダウンのお城で、武田信玄の四男であり、武田家を継いだ武田勝頼が1582年に築城しました。なんと…築城してから68日
黄緑色の森若葉色と若葉色の苔こちらはオーソドックスひとつだけ見つめて雲と山霧のような山の雲新緑みたに
1575年(天正3年)の長篠の戦いで織田信長と徳川家康の連合軍に大敗した武田勝頼は、領国立て直しのため、甲府の躑躅ヶ崎館からの移転を計画。1581年(天正9年)、韮崎に新府城を築いて居城としました。しかし、その翌年、織田・徳川連合軍による甲州征伐が開始され、勝頼は新府城に火を放って逃亡することになります。未完の城だったといわれていますが、武田家の甲州流築城技術の集大成の城郭だったようです。新府城跡☆☆☆☆☆
山の雲が煙のように見えてなんだか不思議な空間にいる感じです。のどなか里山の景色都会ではなかなか見れないステキな感じ秋の頃はきっと柿とかこのあたりになるんだろうね。干し柿って渋柿でつくるけど干し柿は干すと甘くなるんだよね。ゆっくりとした空の風は雲を運んでだんだん目の前の景色
新府城址の山頂は現在発掘調査中のようでブルーのシートとワイヤーが張られていました。発掘調査中の面積は山頂の広場の1割にも満たない面積のようなのであまり、新府城址の見学や藤武神社の参拝には影響もないので訪れたら新府城址の山頂の敷地に入れなかったということは今のところないと思うので安心して訪れてみても良いと思います。最近は発掘調査などでそういう場所に入れない場合は行政
案内標識があってそれでは、新府城跡に向かってゆきましょう。途中細い沢があって夜は、タヌキやイノシシなどの動物達の水飲み場なのでしょうね。新府城への山頂に登る真っすぐな急な階段です。山頂には神社があるようで山頂からは何が見えるのかなんとなく楽しみです。参道の乙女坂だそうです。乙女坂ということは男坂というもっと急な道があるのかもしれませんね。昔はあったとか
韮崎民族資料館からの富士山です新府城模型この山々はなんと言う山なんかなぁ〜⁉️
令和4年/2022も、残すところ僅か。西国・九州行レポをしばし中断、今年のお城巡りを回顧しました。今年は天守に登るというのでなく、お堀端を巡ることが多かったなぁ。●紀伊和歌山城城の東側の堀から天守を望む。堀が広い、城郭が広大、さすが御三家の城。西の丸と二の丸を結ぶ御橋廊下。その向こうに天守、ムム逆光だぁ!水堀に映す姿もなかなかの御橋廊下。以前来たときには、天守閣に登って、紀ノ川と和歌山湾を眺めて下城、全く気付かずだった。天守から乾櫓へつなぐ長い白壁の姿が和歌山城の強い
菅平高原スキー&山梨・東海エリア続名城登城ドライブその22日間の菅平高原スキーを楽しんだ後、山梨県の続名城の城盗りの向いました。宿泊先の「ホテルルートイン韮崎」から見た夕焼けの富士は絶景でした。菅平高原スキーの投稿は、下記でご覧ください。城跡巡りのドライブと時間つぶし趣味-4ページ目ameblo.jp▼ホテルルートイン韮崎▼バイキング朝食で準備OK!▼ホテルから見る夕方の富士次の日、ホテルから4㎞程、県道
今日は恒例の朝マックもなんかいつもと味が違うような気がしたけど気のせいかなぁそして城攻めは山梨へ向かうので、また下って行くからまた同じ山道を行かなあかんのかと思ったけど別のルートやった程なく新府城にやって来ました🏯気づいたところに小さなチェーン交換スペースみたいなとこあったけど、駐車場はちゃんと少し戻ったとこにあったからUターンして駐車場から歩くと、くねくねした道で路側帯も小さいからかなり危ないなんとか登城口に来たけど、その奥も怪しげでさっきのとこ以上に見栄えするとこも無さそうなのと、
今回は、現在の山梨県韮崎(にらさき)市にあった城、新府(しんぷ)城です。新府城は、正式には新府中韮崎城といい、甲斐国の新しい府中(政治の中心)という意味を持っています。新府城跡は現在国の史跡に指定されていて、新府駅から徒歩7~8分くらいで行くことができます。2017年(平成29年)には、続日本100名城の1つ(127番)に選定されています。新府駅。JR東日本の中央本線が乗り入れています。無人駅で簡素な設備しかありませんが、簡易Suica改札機が設置されています。本当に、ここに甲斐国