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左から横山リエ、横尾忠則、田辺茂一TV(日本映画専門チャンネル)で面白い映画をやっていて見入ってしまった。映画「新宿泥棒日記」(1969年大島渚監督1時間37分)だった。新宿の紀伊國屋書店で万引きした青年(横尾忠則)を女子店員(横山リエ)が見とがめて、社長(田辺茂一。本人出演)に突き出すという始まり。青年が万引きした本の大半が、そのころの文学かぶれした学生が必ず持っていた本なのには笑った。私の本棚にも大半が収納されていた。映画の方は、その後「セックスとは何か?」がテーマのようで、
渡辺文雄(本人)、小松方正(本人)、戸浦六宏(本人)、佐藤慶(本人)、山崎唯(本人)らが集まり。性的充足についての議論する。正直だが結論のない話が続く。*****ウメ子(横山リエ)は田辺茂一の著書「夜の市長」から、「他人に見せ、鑑賞させることも悪くない味である。こぶ巻きというのがあった…」と音読する。*****次の土曜日。ともに和服の戸浦六宏と女性(若林美宏)が絡み合うのを離れて見る鳥男(横尾忠則)とウメ子。彼は研究所から持ち出した「張り型」をちらりとウメ子に見せ、走って逃げる彼女を「や
渡辺文雄と佐藤慶が尻からげでウメ子を追うあたりから別の映画になってくる…。合間に唐十郎の状況劇場の芝居が挟まれ、「べろべろべ、べろべろべ、子どもさん、ここはアリババ謎の街」と唐が歌う。最後は状況劇場の舞台と新宿騒乱事件。*****一九六八年夏の土曜日。午後五時半。紀伊國屋書店で万引きした学生(横尾忠則)が若い女(横山リエ)に手首を掴まれて社長室に連れていかれる。田辺茂一社長(本人)は店員だと言う女に見覚えはなかったが、「まあいいや」。女が警察に突き出されるまでの万引きの限界は三回だと言うと
えっえ~?リドリー・スコットの新作超大作なんだけど85ちゃいなのにwww元気ねえナポレオン役がホアキン・フェニックスおっふ。リバー・フェニックスの弟も大きくなったねえ(ほろり「ブレードランナー」「白い嵐」「ブラックレイン」リドリースコットは好きだけどナポレオン、うーんうーんそういやさあここ数日「せかぱ」ってのが話題なんでしょ「片親ぱん」より旬短そう(ブフォよくそんな事考えるな、世間を驚かせた片親ぱん瞬殺されて笑ったわ、悪口にも程があるもんねえその
ひとつ前の当ブログで、60年代末から70年代初頭の若松プロにおける青春群像を描いた『止められるか、俺たちを』(2018白石和彌監督)の中で、タモト清嵐さんが扮した「秋山道男」さんについて書きました。秋山道男さんは19歳で若松プロに参加、低予算のピンク映画を量産していた若松プロですから、在籍している若者たちは何でもやらされていて、秋山さんも脚本、助監督だけでなく俳優としても作品に関わっています。「オバケ」という愛称も、初めて出演した『性遊戯』(1969足立正生監督)に「オバケ」という役で出て
これは僕みたいな凡人が、到底理解できる映画ではなかった。【新宿泥棒日記】公開は1969年。当時は自由だったんだな。規制もなければ監視もないし、世の中の目もない。こんな時代が本当にあったんだな。今の日本にこんな実験色の強い、ぶっ飛んだような映画を作れる監督は居るのか。意味不明で理解不能。言い換えると難解。良く言うとユニーク。でも鑑賞後の余韻は悪くはなかった。これは僕は映画館という、孤高の聖域でしか観れない。家では絶対に観れないと思う。他の映画で例えるなら、カルト色の無いホドロフスキー映
今日も大島渚監督のポスターです。大島渚は1960年代後半からATG映画との提携で映画制作を始めました。1967年ATG配給の「忍者武芸帳」は白土三平原作漫画の映画化ですがアニメではなく静止画のモンタージュです。「無理心中日本の夏」も1967年公開でこちらは松竹配給の映画です。1968年「帰って来たヨッパライ」は加藤和彦や北山修、はしだのりひこ等の「ザ・フォーク・クルセダーズ」による大ヒットシングルからの映画化です。日本人と韓国人の間にある民族問題が描かれています。「絞死刑」も1968年
今週続けたATGの映画ポスターも今日が最後です。早稲田松竹のATG映画上映も今日までです。今回は大島渚監督作品中心です。1969年「新宿泥棒日記」です。大島渚監督、横尾忠則主演、ポスターデザインも横尾忠則です。唐十郎や状況劇場の面々も出演しています。1967年「忍者武芸帳」大島渚監督白土三平の漫画が原作です。1968年「絞死刑」大島渚監督1969年「少年」大島渚監督のロードムービーです。1970年「東京戦争戦後秘話」1971年「儀式」共に大島渚監督作品1972年「夏の妹」大島渚監
1968:Artintheturbulentage(英語のタイトル)開催場所は千葉市美術館。2014年末の2か月間、「赤瀬川原平の芸術原論展」を開催したあの美術館。きょういった三井記念美術館。当該ビル7階美術館フロアの通路で見かけたこのポスター。関連企画がすごい。シュウゾウ・ガリバー(美術家・芸術家)のおはなしとパーフォーマンス(終了)堀浩哉氏の1968年ー前衛の終焉ー美共闘、廃墟からの出発(終了)サイケのHAMANO、サイケとその後の世界を語るby浜野安宏(ラ
自分にとって大島渚監督の『新宿泥棒日記』(1969)は、様々な本に書かれている60年代後半の新宿(1968年)の映像ドキュメンタリーとして興味が尽きない作品です。唐十郎が率いる状況劇場の花園神社赤テント、当時の紀伊国屋新宿店模様(最近まであった2階のレコード・ショップや階段に貼られてるポスターなども無く、CASHERが「お勘定所」)、新宿東口駅前風景や、東口駅交番襲撃の映像等は、ずっと音だけで聴いてきた演奏家の動く映像を初めて観た時の感動に近いものを覚えます。敬愛する横尾忠則が主演であること
伝説の怪優、大久保鷹さんとご一緒して。何度か唐組を見に行っており、映画「新宿泥棒日記」も観ていた私にとって、大久保鷹さんと競演できるということは、寝耳に水でした。稽古数日間は私のことを認知もされていない、という時間が流れ(たような気がし)ましたが、演出山崎哲さんのアドバイスで、ある行動を(今は明かせないのですが)とったときに、大久保鷹さんが「森永君、演歌だねえ」と非常に喜んで下さったようで、声を掛けて頂き、そこで少し認められた、殻が破れた気がして非常に嬉しかったです。そんな大久保さんも、私
こちら佐世保コーチングオーガナイゼーションB面です(A面はコチラ)。映画でも音楽でも小説でも、優れた芸術性や娯楽性をもち末長く後世に残る作品には必ず“時代”の雰囲気が色濃く反映されているのではないかと思う2016年の今日この頃。2016年という年もあと数十年後には一つの時代として映画や音楽や小説を介して振り返られる日がくるのでしょうか。というのも、かれこれ30数年生きてきて好きな“時代”はありますか?と聞かれたら、真っ