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上/豊受大神社左下/新井崎神社右下/天岩戸神社~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*印は記事改定予定(改定作業中につきリンクに飛ばないものもあります)*印は写真複数枚を差替えまたは追加予定(改定記事は起こしません)~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~5/25【宮司との事前すり合わせも兼ねて】◎葛木御歳神社「月の神と加茂の神」特別対談5/27【葛木御歳神社「丹後ツアー」ガイド(1日目)】◎「丹後ツアー」ガイド(1日目)豊受大神社皇大神社天岩戸
[與謝郡]宇良神社(浦嶋神社)■葛木御歳神社崇敬会「丹後ツアー」ガイド担当(令和七年5/27~29)~2日目(前半)~2日目がスタート!朝食もバイキング。普段は朝なんか食べんしお昼すら食べんこともあるし軽めに済ませてガイド役をまっとうせねば。この日は主に海岸沿いをドライブやね。そして「豊受大神」の真のお膝元へ。先ずは笶原神社からスタート。無名の小社なれどこのお社こそが元伊勢「吉佐宮」でしょう!…と熱く語る。この扁額がそれを確かなものともさせる。「総社
伊根の舟屋を後にして新井崎(にいざき)神社へ◎徐福・徐福は斉国に生まれ、方士として秦の始皇帝に仕えた。・司馬遷の『史記』によると、始皇帝に「東方の三神山(蓬莱・瀛州・方丈)に不老不死の霊薬がある。」と進言し、始皇帝の命により船出した。1回目は失敗、2回目(紀元前210年)は3.000人の童男童女、多くの技術者、五穀の種を乗せて出港し「平原広沢」を得て戻らなかったと記されている。・徐福は饒速日命(ニギハヤヒ)であり物部氏の祖になったという説がある
[丹後国與謝郡]新井崎神社境内から「冠島・沓島を日頃より御愛顧頂きありがとうございます。5/27(火)~29(木)まで葛木御歳神社主催「丹後ツアー」のガイド役を務めるに当たり、その資料作り、また新しい仕事に忙殺されており、本日~29(木)までブログを小休止致します。「いいね」を頂く方や、フォローさせて頂いてる方への記事は期間中も拝見させて頂きます。また復帰しました際にはどうぞよろしくお願い致します。━━天地悠久━━~かむながらのみち~[丹後国與謝郡・加佐郡]「由良川」河
徐福が上陸したとかいたとかそういった土地は日本にいくつかあるようですねいつから気になったのか徐福という人を名古屋市博物館で開かれた特別展「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」を見に行ってからだったかしらその前からだったか『ハマってる』最近ハマってる中国ドラマ【こうらん伝】始皇帝の母を題材にしたドラマ個人的にしゅうちゃんは大っ嫌いなんだけどねドラマは見ちゃうわぁでもって行きたかったこちらにも…ameblo.jp先日の旅行では徐福の降り立った地との伝承がのこる↓にも行って
加古川ー千ヶ峰ー由良ー天橋立ー籠神社ー眞名井神社ー浦嶋神社たどり着いた、新井崎の地。浦嶋伝説徐福伝説伊根の舟屋ここは、京都府。Helloagainここからの日本海。好きだなあ〜🌊ほら❤️たどり着いて、上陸したのか。。。ウフフ(๑・̑◡・̑๑)🌲由緒書き海の香りがするたたずまい。🙏晴れた日にしか、来たことない☀️※十五の夜にシリーズについては、こちらからどうぞ⬇️十五の夜にシリーズ十五の夜に|KushimaLetters~串間通信~keep-peacelov
さてさて………………【方士徐福上陸之地石碑】から同じ道を戻り、我々はこの日最後となる目的地を目指した……………『新井崎と冠島』鳥居の向こうにちょうど見えるのが【冠島】こうして、どの場所に設置するかも計算されている事に、ココロは普通に感動する今回のツアーでは、【籠神社】の「日ユ同祖論」「カゴメ唄の謎」や、【浦嶋神社】の「浦島太郎伝説」、【新井崎神社】では「徐福伝説」とココロの琴線に触れるテーマが目白押しであったそんな旅の締めくくりに、徒歩数分で到着した場所とは………………【新井崎神
さてさて………………【浦嶋神社】を出発した我々は、この日最後となる目的地に到着した………………【新井崎神社(にいざきじんじゃ)】京都府与謝郡伊根町新井「京都の自然二百選」に選ばれている場所のようだ。東方に不老不死の霊薬があるとして、中国・秦の始皇帝の命を受け日本にやって来たと全国各地に伝わる『徐福伝説』が、この【新井崎神社】にもあるという社伝によると…………『今から2200年前(弥生時代の初期)』中国の秦の始皇帝の命を受け、方士徐福が綿密な計画のもとに数ヶ年の歳月を費やし、不老不死
GW後半、5月3日からの2泊3日(の予定)の丹後半島へのドライブ旅行の記録をぼちぼち書いてます…(^^;;(今回はこの記事の続きです↓)『丹後半島の旅③近畿最北端の灯台へ【追記あり】』GW後半、5月3日からの2泊3日(の予定)の丹後半島へのドライブ旅行の記録をぼちぼち書いてます…(^^;;(この記事の続きです↓)『丹後半島の旅②鳴き砂の浜へ…ameblo.jp旅行2日目、5月4日土曜日(その3)ーー丹後半島最北端の地「経ヶ岬(きょうがみさき)」をあとにし、丹後半島の東側の付け根にある「天
今日はリトリートの日♡参加してくれたメンバーもお一人は前日に決まりこの三人は必然だと感じました初めましてのお二人は出会ってすぐから普通に話してたしもう一人が途中合流し初めましてや思ってたら昔からの知り合いで"わぁーっ✨(๑°ㅁ°๑)✨わァ久しぶり〜"と盛り上がり何やら楽しい予感満々始めに天橋立の松並木の中にある電動キックボードに乗って"天橋立神社⛩に参拝"私も先日そうやったけど乗るまではドキドキ💓乗れるか怖かったでも多賀さんが丁寧に教えてくれて練習してくれるから練習
日本の伝統工芸・水引を使い、アクセサリーを製作しています。主に玉結び(あわじ玉)という一本の水引を丸く結ぶ技法の物を一つ一つ手作りし、アクセサリーに使っています。流行りのパーツも取り入れワクワクして頂けるよう心を込めてお作りいたします。自身で学んだ事を活かし、各種・SNSの初心者向け講座や、名刺・ショップカードのデザイン&印刷も始めました。ご提供中のメニュー✼•┈┈┈┈•✼•┈┈┈┈•✼•┈┈┈┈•✼今日は、前々から気になっていた伊
丹後国與謝郡新井崎神社◆徐福(方士が見た理想郷)~14(丹後半島編)これまでの太平洋側の徐福伝承から一転、日本海側へと舞台を移します。多くはないものの、日本海側にもみられるようです。既にいやと言うほど書いてきましたが、京都府与謝郡伊根町の伝承。そう!あの神社の伝承!あの愛して止まない神社の伝承です!~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事*~1…始皇帝を欺く!*~2…神薬を求め出航!*~3…九州の徐福伝承*~4…四国の徐福
(天橋立神社の一の鳥居から「阿蘇海」を)大した読者数を持たず、また読者数をあまり増やさないようにしているため、「ご報告」などというのは甚だおこがましく恐縮しますが…自身の置かれた状況から、敬神活動を最小限に減らし今後は不定期の記事UPと致します。…5年前のこと。自身の集大成として還暦を迎える10年後までに目標を立てこのブログを始めました。◎1万社の神社紹介記事を上げる◎大和国内のすべての神社に参り紹介記事を上げる◎日本古代の広い分野の記事を上げることで勉強を重ね、自身
《新井崎神社からのメッセージ》この岬、全てを見てきた岬なり生き死にの狭間で漂うものたち蠢く魂が集まり、新たなものと成りて生まれし荒ぶるものたちが揉まれに揉まれ、落ち着きをはらい悟り開くものへと変わる良きも悪きも見聞きしこの地は成り立っている今は無きものたちが創り上げたものが残り新たなものを足していかん汝、降りるる時天使の羽を携えてその羽をここに落とさんその地より、光の輪が広がりて新たなる時空の世界を作るだろうそうして全ては繰り返し生まれながら忘却するこれぞ宇
『出張の合間の神社巡り(熊野神社)~東京トリー~』『出張の合間の神社巡り(諏方神社)~西日暮里憩いの地~』『出張の合間の神社巡り(師岡熊野神社)~片目の鯉といのちの池~』『出張の合間の神社巡り(星川杉山…ameblo.jp『ホツマツタヱのつまみ食い⑥『満引の神』』ホツマツタヱの、ある兄弟の話。その兄弟とは、兄『サクラギ』と弟『ウツキネ』。兄サクラギは釣りが得意。弟ウツキネは狩りが得意。ある日、兄の提案で二人は釣針と弓矢…ameblo.jp↑からのつづき。さて、導き(満ち引き)の神
(新宮市の「徐福公園」)◆徐福(方士が見た理想郷)~2思わぬ反響を頂いた第1回目の記事。徐福という人物の知名度、関心度がどの程度あるのか、探り探り上げた記事ですが、これは予想外でした。それから既に1ヶ月以上経ち、また当ブログの読者も多少入れ替わっています。前回のような反響は期待せず、また一からのつもりで続きを書き上げていこうと思います。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~前回反響を頂いた背景には、「徐福が秦の始皇帝を欺いた」と記したから、ということもあると思っています。秦
先日籠神社へお参りに行った後で、籠神社の、海の奥宮と言われている冠島、沓島(くつじま)が目の前にある新崎神社に行ってきました。秦の始皇帝から不老不死の薬が日本にあるから探しに行くように❗と、命じられた、徐福が、たどり着いた所が、冠島、沓島の、真ん前の岬(今の、伊根の新崎)です。徐福は、医薬や天文や占い漁業や農耕を人々に教えたので、大変ありがたい存在になり人々は、彼の死後に産土神として新崎神社に祭りました。私は今までで6回新崎岬に行っています。お師匠様が、
伊根の舟屋8:21出発(ホテル&リゾーツ京都宮津)道の駅「舟屋の里伊根」展望台からの眺望(9:15~9:30)隠岐の島・屋那の松原の舟屋群は住宅とは離れた建物だが、こちらは住宅と同一の建物(ガレージ?)。日本海側は干満の差が少ない(最大で30cm)という事が、太平洋側の海近くで育った私には不思議な感覚だった。この景色を見てから、新井崎神社まで4キロ弱。車窓からは「新井の千枚田」も見られた。新井崎(にいざき)神社祭神は秦の始皇帝の侍臣徐
新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「沓島」。中央が「冠島」。◆丹後の原像【50.「丹後史料叢書」~「丹後風土記殘缺」13】今回より「凡海郷」を。テンション、ダダ上がり↑↑↑すみません…一人で盛り上がっております…。私にとって丹後と言えば「冠島」「沓島」なのです。二島が含まれるのが「凡海郷」。この二島で「凡海郷」の9割くらいのイメージ。二島を拝するために何度も何度も遥々と丹後を訪れているようなもの。二島を目にすると「丹後に帰って来た~!」と。まさしく「丹後の原像」と
ブログにお越しいただき、ありがとうございます✾縁と円を結ぶ水引アクセサリー✾K-iori(ケー・イオリ)深田佳代です。今日は午前中にキラキラ☆たんごのミーティングを終えてtsunagu〜つなぐ〜の、ゆかちゃんと伊根町へ。目的は《新井崎神社》辿り着くと、鳥居の中に軽トラが停まってたので「どういうこと!?」って言ってたら地元の方々が、神社の掃除をされてました。本殿は、絶賛お掃除中だったので💦こちらの神社の狛犬さん、なんだかオジサンっぽいめっちゃオジサンす、すみま
丹後半島の東側京都府与謝郡伊根町は伊根地区で伊根湾沿い立ち並ぶ船の収納庫の上に住居を備えた伊根の舟屋はこの地区独特の伝統的建造物である。重要伝統的建造物群保存地区として選定されているために国内外にも知られている。その北の海沿いに2,200余年の昔、徐福が秦の始皇帝の命をうけ、不老不死の薬草を探す航海に出て、やがて新井崎に漂着した地にある新井崎神社徐福を氏神として祀り、海上安全と漁業の神として信仰を集めている。黒一色の奇岩が神社を取りまき神社から真東に見える徐
秦の始皇帝に仕えていた方士に徐福(じょふく)という人物がいたの。もともとは始皇帝に滅ぼされた斉国の皇太子だったのだけど、医薬・天文学・占星術・祈祷呪術に通じた優秀な学者でもあったから見込まれて仕えることになったそう。で、その徐福さんはある日始皇帝に『海中に三神山があります。そこに仙人がおり不老不死の薬を練っています。身をきよめ童男童女と共にこれを求めに行きます。』というような上書をし、童男童女3000人と五穀の種子と百工を連れて、桃源郷の日本へ不老不死の仙薬
新井崎神社(にいざきじんじゃ)丹後国與謝郡京都府与謝郡伊根町新井(P有)■旧社格村社■祭神事代主命宇迦之御魂神徐福丹後半島のもっとも東側、断崖絶壁の海の際に鎮座する社。◎創建は10世紀頃とされていますが詳細は不明。当社の注目すべき点は徐福上陸伝承地の一つであることと、「冠島・沓島」がもっとも近く見えること。◎境内から岩場を下っていくと経文磐と徐福上陸伝承碑があります。もし本当に上陸したとするなら、船を停めるようなスペースはなく上陸というよりは難破し漂着といったところでし
2020年11月28日は伊根ぶらり旅、浦嶋神社に続いて新井崎神社に行ってきました(*´꒳`*)徐福が上陸したゆかりの地だそうで、御祭神は徐福。「史記」に、不老不死の薬を求めて日本を目指したとあり、各地に徐福が上陸したとされる場所があります。赤土が雨でぬかるみ、結構、滑りました(>_<)徐福を匿ったとされる経文岩コンクリートの壁は、太平洋戦争の時の遺構だそうです…上陸した場所は折り畳み傘がひっくり返る程の強風で、これ以上の撮影は断念(⌒-⌒;)
◆丹後の原像【18.「徐福」の余福】ま…ダジャレですけど。いろいろ悩んだ上、このテーマについて。「徐福」(ジョフク、シューフー)の上陸地とされるところをいくつか巡っていますが、いずれも村人にとても慕われていたという伝承が残ります。大陸から多くのものを伝えたように思います。「徐福」が残した「余福」は、あまりにも偉大だったと。丹後にもはっきりとした伝承地があります。まず「徐福」について簡単に。日本での読みは「ジョフク」、中国での読みは「シューフー」。正確な名は「徐市」(ジョフ
特に目的を持たずにドライブに伊根町の方へ向かいました。道を間違いながら進んだ先にあったのは広大な風景でした。田んぼの先に日本海がある、広大で美しい風景でした。そしてそこを曲がった先にあったのが新井崎神社です。こんな場所に神社があるのは知りませんでした。日本海に向いて建てられていて見晴らしがいい場所でした。2時間サスペンスに出てきそうな場所もありました。思い付きで出かけ、道を間違
浦島太郎伝説の浦嶋神社を後にして、国道178号を一気に北上して日本海に面した丹後半島の最北端(京丹後市)に位置する「経ヶ岬灯台」へと向かう。ここも是非見たいと思う必見の場所である。もともと「灯台!」が好きで、旅の途中に「灯台があれば必ず寄るのが、自分の「旅のちっこいコンセプト」である。ナビの案内するままに広い駐車場に到着した。ここに来るまでの海岸線沿いは高い位置にあり、見える景色も又、和歌山の枯れ木灘とは違っていて素晴らしい!ここからエグイ登坂の遊歩道を400m程行く。山歩きの時のいつもの
続いて徐福を祀る新井崎神社を参詣致しました。彌榮
京都府与謝野郡伊根町にある新井崎神社は、事代主命、宇迦之御魂命、徐福をお祀りする神社です。丹後半島の北東に位置し、若狭湾の玄関口に当たる場所にあります。天橋立の北側にある感じです。伊根町と言えば、舟屋で有名ですが、そこから更に北へ進んだ位置にあります。丹後半島には天女伝説のある元伊勢の籠神社や浦嶋伝説の宇良神社、そして徐福伝説の伝わるこの新井崎神社。様々な伝説のある土地柄だということが分かります。また、日本海に面し、それらが日本海を経由しての伝説や伝承につながることもかつての交易の活
丹後半島を更に奥へそこには神話と伝承が数多く残る地とは思えない大自然が広がってました新井崎神社ですここは秦の始皇帝の命により不老長寿の薬を求めて徐福が上陸した地と言い伝えられてます断崖絶壁を削り取ったような地に社は建てられてます中央に見えるのが徐福が上陸したと言われてるハコ岩です上に展望台が作られてますね^^;ホントにここに上陸したかは定かではないけど徐福が渡来したとされる時期が丹後半島の文化の黎明期(弥生時代)と重なるそうなので、太古の時に想いをはせてみるのもいい