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1.イエスによるメシア宣言>「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。」(ルカ22:20)➡エレミヤ書31:31からのメシア預言を彷彿させる「新しい契約」。>見よ、その時代が来る。--主のことばーー。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。2.天の聖所における祭儀制度を示す>以上のべてきたことの要点は、私たちにはこのような大祭司がおられるということです。この方は天におられる大いなる方の御座の右に座し、人間によってではなく、主に
【中心聖句】見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる(31節)エレミヤ書30〜33章は「慰めの書」と呼ばれ、バビロン捕囚民の解放と祖国イスラエル・ユダの復興という希望のメッセージを告げています(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.60)今日の朗読は次のような構成になっています(同上)31節「新しい契約」に関する神の宣言32〜34節「新しい契約」の説明この「新しい契約בְּרִיתחֲדָשָׁה」は、エジプト脱出の際
【宇宙くんの手紙】中村咲太より貼り付けさせていただきます。<(__)>「2極化の流れ」の活かし方🐉龍神と新しい契約をする✨●——————————————————ワークショップ・各種イベント———————————————————-●✨統合ワークショップ✨新しい目醒めの磁場を生み出す「新人類」へ日程:10月28日(土)参加方法:オンライン(ライブ&録画)《専用ページ》https://christmasplanet.hp.peraich...youtu.be宇宙龍神さんのお話の続きです。
ヘブライ人への手紙(概要)(パウロがヘブライ人当てに書いた手紙とされている)(キリストについてのパウロの教理)ローマAD61頃内容キリストの高められた地位(1:1-3:6)信仰と従順によって神の休みに入る(3:7-4:13)キリストの祭司職の優越性に対する円熟した見方(4:14-7:28)新しい契約の優越性(8:1-10:31)信仰について説明され、例証される(10:32-12:3)信仰の闘いにおける忍耐(12:4-12:39)崇拝
コリント人(会衆)への第二の手紙(概要)パウロからコリント会衆とアカイアにいるクリスチャンへの手紙(奉仕の務めに関して)マケドニアAD55頃内容すべての慰めの神からの助け(1:1-2:11)新しい契約の奉仕としての資格(2:12-6:10)神への恐れのうちに神聖さを完成する(6:11-7:16)寛大さは報われる(8:1-9:15)パウロは自分の使徒職を論証する(10:1-13:14)**********************関心のある人は、
今日の箇所(へブル13:9-17)には、何が神様を喜ばせるか、神様に献げるべきいけにえについて記されています。イエスさまによる罪のきよめは完全です。それゆえ、異なった教えに惑わされてはなりません。当時の教会には「割礼」や「食物の規定」などを救いの条件として主張する人たちが居ました。しかし、それらには、霊的な力も益もありません。イエスさまの贖いによってきよめられた者は、キリストによる「新しい契約の恵み」によって、心を強くするべきなのです。旧約時代は、大贖罪日になると、大祭司が
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字(もんじ)に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。 ̄ ̄主は御霊です。そして、主の御霊がおられると
今日の箇所(へブル12:18-29)には、私たちが近づいているのは、喜びと平安の神の都なので、敬虔と恐れをもって近づく必要があるということが示されています。モーセの時代、古い契約は恐れの中で結ばれました。へブル人への手紙の著者は、シナイ山で律法を授かった時の状況を説明しています。シナイ山を「燃える火、黒雲、暗闇、嵐」などで描写し、罪人が接近できない聖い空間であったことを思い出させます。神様は、当時、シナイ山に人や獣が接近することを禁じられました。聖くないものが聖なる空間に近づけば
今日の箇所(へブル11:32-40)には、真の信仰者にとって、この世は決して相応しいものではないということが語られています。信徒とは、神様が下さるものを信じて行動する者のことです。へブル人への手紙の著者は、士師時代と王政時代に活躍した信仰の人々を紹介しています。ギデオン、バラク、サムエル、エフタ、ダビデなどは、国々との戦いに、信仰によって勝利しました。それ以外にも、信仰によって正しいことを行った人(サムエル、ダビデなど)、獅子の口を塞いだ人(ダニエル)、火の勢いを消した人(ダニ
今日の箇所(へブル9:23-28)には、イエス・キリストこそ、完全な救い主であり、万物の裁き主であられるということが示されています。地上の聖所は、天の聖所の模型に過ぎません。それゆえ、天の聖所は「それ以上に優れたいけにえ」によって、きよめられる必要があります。そのいけにえとは、イエスさまご本人です。イエスさまは、ご自分の血を捧げ物として携え、天の聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。それゆえ、罪人はもちろん、天の聖所まで完全にきよめられました。そして、贖いを完成さ
今日の箇所(へブル9:11-22)には、完全な罪の赦しの恵みが与えられるには、イエス・キリストが血を流して死ぬ必要があったことが示されています。イエスさまは、既に実現した素晴らしい事柄の大祭司です。「既に実現した素晴らしい事柄」とは、完全な罪の赦しと永遠の安息を指します。これは、イエスさまが「ご自分の血」によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたことを信じる者に与えられます。永遠の御霊によってご自分のからだを傷のない捧げ物として献げられたイエスさまの血は、動物
今日の箇所(へブル9:1-10)には、イエスさまによる新しい契約が有効となった今、古い初めの契約の意義は大きく変革されたということが示されています。モーセがシナイ山で受けた古い初めの契約は、新しい契約が立てられるための準備に過ぎませんでした。へブル人への手紙の著者はまず、初めの契約の下で設けられた幕屋の構造と礼拝の規定について説明しています。幕屋は、燭台と机と臨在のパンが置かれている「聖所」と、契約の箱がある「至聖所」に分かれていました。契約の箱の中には、マナの入った金の壺とアロン
今日の箇所(へブル8:1-13)には、イエスさまは、新しい契約の大祭司であることが示されています。天にある「まことの幕屋」の大祭司であられるイエスさまは、レビ族の祭司より優れた方です。地上の聖所は、モーセが神の命令によって設営したもので、常に神様に任命されたレビ族の大祭司が何か献げる物を持って入らなければなりませんでした。しかし、まことの聖所は異なります。地上の聖所は、天にあるこのまことの聖所の「写しと影」に過ぎません。イエスさまは、天にあるまことの聖所で仕えておられ、レビ族
エレミヤ書31:31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。「新約」とは何か、きちんとした理解を持っているでしょうか。↓↓↓本当の本当に、新しい契約を受けていますか?|よちよちクリスチャンはじめに聖書は、私たちに新しい契約、すなわち「新約」を提示しています。この契約を受けたかどうかは、どうやって確認できるのでしょうか。ご一緒に聖書から学んでみましょう。新しい契約と聖霊新しい契約を受けることと、聖霊を受けることは、同一
主を愛する者たちよ、悪を憎め。詩篇97:10あなたがたは神と富とに仕えることはできない。マタイ6:24ルカ22:14~20マタイ7:24~29(通読箇所)(ローズンゲン『日々の聖句』7/28;金)――――α&ω――――聖書が啓示している神、天の神、【主】、「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)。この方を愛する者、この方の御思いが成ることを願う者は、悪、この方と対立、対抗して、自分の善悪の判断をこの方の
神々の神、主は語りかけ、日の出るところから日の沈むところまで、地に呼びかける。詩篇50:1神の国は目に見える形で来るのではありません。「見よ、ここだ」とか、「あそこだ」とか言えるものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。ルカ17:20~21Ⅰペトロ4:7~11創世記37:1~36(通読箇所)(ローズンゲン『日々の聖句』6/17;土)――――α&ω――――聖書が神の国というとき、見える神の国、
わたしたちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。ヨハネ1:16(1/15の週の聖句)あなたが贖(あがな)われた私の唇と私の魂は喜び、あなたをほめたたえます。詩篇71:23(ド)喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたたちがあずかれるようにしてくださった御父に、感謝するように。コロサイ書1:11~12申命記5:1~7(8~21)創世記7:1~16(通読箇所)(ローズン
ノアは主の前に恵みを得た。創世記6:8人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。ルカ18:8エレミヤ書30:8~11aイザヤ書32:1~20(通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句12/20;火)――――☆――――ノアは彼の世代の人々の中にあって、神の御思いを求め、神と思いを一つにして、神とともに生きた人だったのですね。それで、神である【主】の前に恵みを得たのだそうです。イエスは言われます。「わたしが地上に戻って
主よ、あなたは私を調べ、私を知っておられる。あなたは私の座るのも立つのも知り、遠くから私の思いを理解される。詩篇139:1~2私たちは神の中に生き、動き、存在している。使徒17:28ヨハネ19:17~22イザヤ書28:14~22(通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句12/16;金)――――☆――――聖書が啓示している神、天の神、【主】、「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、私たちを造られ
その日には、多くの国民が主に連なり、わたしの民となる。ゼカリヤ書2:15(新改訳では、2:11)ヨハネは記す:私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立っていた。黙示録7:9ホセア書14:2~10イザヤ書26:1~6(通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句12/14;水)――――☆――――紀元前、イエスが生まれる530年ほど前、天の神、【主】はゼカリヤを通
わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、あなたがたの子孫とあなたがたの名も、いつまでも続く――主の仰せ。イザヤ書66:22東から西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に宴会の席に着く。マタイ8:11Ⅰテサロニケ4:13~18イザヤ書4:1~23(通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句12/10;土)――――☆――――聖書が啓示している神、天の神、【主】、「『わたしはある(I
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。イザヤ書53:4あなたがたが、気力を失い、弱り果ててしまわないように、罪人たちの多くの反抗を忍ばれた方のことを、よく考えなさい。ヘブル書12:3ルカ22:66~71イザヤ書12:1~6(通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句12/9;金)――――☆――――イエスは、この、イエス生誕の700年ほど前に
身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの救いが近づいているからだ。ルカ21:28(12/4の週の聖句)牧者が、自分の羊が群れから散らされているときに、その羊を探すように、わたしは自分の羊を探す。エゼキエル書34:12イエスは言う:わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。ヨハネ10:11ヤコブ書5:7~8(9~11)詩篇44(通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句12/4;Ⅰ日曜)――――☆――――
「裁き人」の書で、名前を聞いたサムソンの父マノアにみ使いは「一体どうしてわたしの名について尋ねたりするのか。それは驚嘆すべきものであるのに」。(裁き人13:18)と述べています。聖書中には多くのみ使いが神から遣わされて人間に現れますが、名前を挙げられているのはミカエルとガブリエルだけです。ミカエルとガブリエルの名前が挙げられているのは「ものみの塔」が説明するようにみ使いが無人格な存在ではないことを示すためかもしれません。しかしマノアに告げたように、その名は驚嘆すべきも
イスラエル人は契約の民としての長い歴史を持っています。しかしイエスによって律法契約は新しい契約に取って代わられることになります。イスラエル人はもはや契約の民ではなくなるのです。イスラエル人にとってそれを受け入れるのは簡単なことではなかったに違いありません。彼らはイエスに「わたしいたちの父はアブラハムです」と、血統上の誇りを持っていることを言い表しています。その誇りと傲慢さ故にイエスをメシアとして認めることができず殺してしまったのですから。ペテロはペンテコステの日、
ダニエルの七十週は聖書全巻を貫く壮大な神のプロジェクトが告げられたものと言えると思います。そこで、先回の続きである最後の一週の残りの半週が関係してくるのです。メシアは、「大いなる者のために一週のあいだ契約の効力を保たねばならない」と述べられているので、文字通り、キリスト帰天後の三年半で終わったと言えるのでしょうか。契約は「新しい契約」ですから、それが保たれなければならないのは、聖なる者たちを集めるのが終了するまでと言えるのではないでしょうか。そうであれば、初期クリ
エホバの証人がメシアの到来の時期を知らせるものとして捉えているダニエルの七十週の預言があります。それはダニエルがエレミヤの70年を知って、民の許しとみ名のための行動を懇願する祈りを捧げている、まさにその祈りの最中に神のもとからひとりの天使が遣わされて告げたものです。ですから、それはエレミヤの70年に関連して、さらにそれをはるかに超える重要な内容であることを伝えるものであると考えることができます。エレミヤの70年は神殿の再建にあった訳ですが、ダニエルの70週はさらに重要な
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせる
今日の箇所(第二コリント3:1-11)には、「義の務め」である福音宣教がいかに栄光に満ちた素晴らしいものであるかということが示されています。紀元1世紀の地中海沿岸地域では、「推薦状」(紹介状)制度が普及していました。それで、偽教師たちは、自分を認めてもらうために、自ら推薦状を持ってやって来ました。パウロは、自分に対しても推薦状を求める一部のコリントの信徒たちに対し、自分の使徒職にはそのような推薦状は必要ないことを強調します。それは、パウロが伝えた福音を聞いて変えられて行くコリントの