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体全体の関節が「あるべき場所にある」その時に始まる「呼吸」があり体の音は鎮まり色も音も形も、時間も無い場所が現われる。チャクラの働きは軽く超えている。頭頂は自動的に開いて体全体が一つの命になる。「私は無くなる」いや「私だけがある」いや「私もあなたもある」のに「私もあなたも無い」それ程の沢山の次元と共に次元の無い場所が現われている。つまり「私はあるのに私が無い」「時間はあるのに時間が無い」その世界を現わす新しい体が現われてくる。そう「自動的に」人の体が新しくなるの
35才を過ぎると体は徐々に力を失って下り坂に入ります。70才から72才の間で体は別のモードに。「老いる」から「枯れる」に。35才を過ぎたら「鍛える」は止めて「整える」に。子供の時から「整える」が出来ていれば老いても、枯れても大丈夫。まぁこれまでも「骨の位置を整える」はあったけど「頭頂が開く」が無かった。その歴史上初のことが始まっている。これ迄は姿勢が良い人でも頭頂は閉じていた。一年ほど前から「枕を外す」が始まってその為の準備は着々と進められていた。25年前に頭の上に
新しい扉はタイマー付きの自動ドアでした。それはあなたの熱意の問題では無く「時」の問題でした。「命の扉」が開くと「自他」が無くなります。自分は人の側ではなく「命そのもの」である事に気が付きます。ただ自分が「命そのままを現わす」だけで良いと分かります。「自分の正体を現わして良いんだよ」と。その働きでさえ全自動です。元々「私」が無い場所です。同時に「あなた」も無い場所です。だからこれは「献身」でもありません。バクティも無しです。この宇宙にある全ての体は「一つの命」によって働い
25年前山中湖のセミナーにご飯を作りに行った時からの繋がりで久しぶりにインド人のドクターと通訳の方に会いました。今朝は始めから事件でのりこハウスだけが停電で、大騒ぎでした。中電に電話して、何とか解決して。午前中レクチャーで午後コンサルテーション。私はひたすら台所で洗い物。全てが終わった後の家具の移動。ドクター達は来た時よりもずーっと元気になって帰って行きました。お手伝いに来てくれた人達本当にありがとうございました。私も疲れましたが、休み休み出来たのでまぁ何とか無事です。
首は後ろに移動して立ち上がり頭頂は開き背骨全体が繋がって踵を経由して指先に至る。72才の時立つ事を始めた。それまで使えていた力が使えなくなり体は急速に衰えて老いの兆候は明らかに現われていた。頭の頂が開いた後、体は力を取り戻しつつあります。視力は落ちて耳も聞こえ難くなっているけど体の中心軸は以前よりずっと強くなっている。何よりも「体の静けさ」はずーっと増した。これはこれまでの世界には無かったもの。これ迄のものと比べる事は出来ない。時の中に用意された出来事が今始まっている。
今正にその時が近づいて来ている。骨の位置移動も、未だ完成では無いけどかなり近い場所まで来ている。これ迄感じなかった場所も確かに感じている。何より「自分が頑張らなければ」が無い。起こる出来事は全て用意されていた事だからただ「そのものをそのまま現わしている」だけで良い。用意されている出来事に出会い用意されている事を失う。この体の人生は「何が起こっても大丈夫」確かに人類は新しい場所にあります。でも多くの誤解があります。それは「自分の正体について」です。今回はその「自分の正体」
心の世界では或いは神々の世界では願わなければ求めなければ与えられないと言います。新しい命の世界では体と心が自分ではなく命そのものが自分だと伝えてくれます。「何も無い」ことが満たされる条件ではなく「沢山持っている」が満たされる条件ではなく如何なる条件にも関わらず命は命として満ち満ちています。あなたは体と心の側ではなく命の中に命そのものとしてあります。「どれだけ待てるか?」「どれだけ出来るか?」は体の世界。そこにある間は他人との差に苦しめられる。そこに安心は無い。満足
深い静けさを感じる。「一つの命を現わす働き」を始める。あなたが日々普通に生活しているその場所でそれは始まる。人の体は自動的に新しくなっていつの間にか「それ」は現われている。人が苦労して、努力の末に現れるものではなく知らない間に体が整えられる。だから誰も知らなくても決意しなくても大丈夫です。いつの間にか、深いところで始まっています。
今日は私ともう1人の人が立ってもう1人が横たわって。1時間と45分。最後の15分で良く変わりました。余りに変化がうれしかったのでつい。ある人の体は来た時は重くどんよりだった体が大きく変わり軽やかになって輝いて。私の中でも今日の変化は新しいもの。娘のお芝居の公演も5月9日、10日と近付いている。稽古の合間のインスタの写真を見ると力強いものに変わっている。表現の仕方で随分迷っていたけど体が出来上がればもう何の心配も無い。今日の立つの前半は難しかったけど最後の方はあっとい
「心の解放」でも「体の解放」でも無く「命の解放」その為の「新しい体」が用意されておりそれは自動的に現われて来る。「新しい体」がどんなものか?いつ現われて来るのか?誰も知らないままに「それ」は現われて来る。あなたが知らなくても、拒んでもそれは現われて来ます。その体がどんな働きをするのかも既にそれは決まっています。あなたの意識が届かない場所にあります。だから待つしか無い。見守るしか無いのです。これ迄の静けさはいとも簡単に壊れるものでした。この「新しい静けさ」は何があ
120×40×60の天板と脚だけの机を2つ。ちゃんとした道具も無く、しかも1人で。脚を立ててその上に天板を乗せて上から長いビスを。最も簡単な方法で。かなり疲れました。帰り道「足を引きずっている」と言われたから相当疲れた様です。お昼ご飯を食べたのが夕方で。未だお腹が空いていない。チョット乱れています。明日は生光さん。明日も3時間立ってみます。
現在は進んだ医療もお薬も凄腕のセラピストもいるから問題の解決は簡単に出来る場合が多い。私の「立つ」は未だ分からないこと証明されていないことだらけだからまぁ気長に。この体は「ただ立っているだけ」で一緒にいる人は「ただ横たわっているだけ」でまぁ世の中に認められていないと言うハンデはありますが順調に次々と変化はあるので待ちましょう。まぁ昔で言えば「探検隊」か「研究者」此処で言う未知の大地は人の体の中にある。今まで空を見上げていた人達が何もない所から大地を見ている。人の側からで
昨夜起こったこと。「骨の位置移動」と「呼吸の解放」と「命の解放」と。人の意識や技術で動かせる部分もありますが今回は「時の働き」によって「自動的に」心配しなくても全ての体に始まっているのでご心配なく。それは夜「寝ている間に」初めはこの事を伝えようとしましたが「意識化」すると上手くいかない。「頭頂の解放」と「上昇」がもう始まっている。この「骨の位置移動」を感じている人もいる。今は感じなくてもやがて感じる様になると思います。もちろん感じなくても確実に変わります。何年もかかる事
今日も1人だったので直ぐに立ち始めて。3時間立ちました。終わった後一歩を踏み出す時抵抗無くスーッと。6年前は大変だったのを思い出す。まぁ3時間位では大したことが無いのかも知れませんが続けてみます。
又一段と静けさが増しています。この体の変化も全ての体の変化も「予定通り」です。この体はと言えば「自分の正体を現わしている」だけでそれが何か聞かれれば答えるけど「自分の正体を知りたい」と願う人ならその答えを見出せるでしょう。体の違いや心の違いなど何の障害でも無い。今回明らかになるのはあなたの求めているものでは無く「存在そのもの」が現われて来る。「満足」でも無く「歓喜」でも無い。骨の位置がやっと「あるべき場所にある」に。誰にも気付かれない内にそれは。想像さえ出来ない程の
昨日までと、今日と周りの環境は変わっていないのに何故これ程までに静かなのか?
昨夜はうれしくて❗️でもいつの間にか寝落ちして。今朝少し確かめたら「音が出ない❗️」「体が整えば、それは現われる‼️」その「整える」が人の意思では無く「自動的に」これが今回の変化の最も重要なポイント。静かに微笑んでいる。今日は富塚のカフェの日。7時くらいのバスに乗って向かいます。お料理教室に来ている人達がお手伝いに来ているので私は洗い物とお掃除を。やはり段々と弱っていると感じる。途中お休みを入れないと続けられない。まぁ休み休み。
今夜は一体どうしたと言うんだろう?横たわった後「激しい位置移動」がずーっと。今までの全部が、一度に来た様な。今夜はこれまでの全部が変わりそうです。ゴリゴリと音がする場所が二ヶ所。前に出ていた鳩尾が後ろに移動。バリバリとゴリゴリが消えた。個の体は個の体にあらず。今夜は最後まで行くぞ‼️
月一でもう4年くらい。沢山の骨の位置の矛盾を抱えていた人ですが確実に少なくなっています。でも未だ変化の余地のある場所も。それでも「ここはこれだけ変わった」と優しい言葉がありました。「此処が未だ解決してないぞ💢」と言われても文句は言えないけど優しい人です。「例え治らなくても、あなたには道を感じるから」と言ってくれる人です。まぁ私が「問題を解決できる」と言ったのが間違いですが。私が何故、今の方法なのかと言えばただ立っているだけで個々の体への直接のアプローチをしないのは今始まっ
「静けさ」が又一段と増した。もはや説明は不可能な領域。「そのもの」がそのまま現われている。人の体が新しくなる。そのスイッチは既にONになっている。静かに「現われる」が始まっている。誰にも何も求めない。既に現われているから。僅かな捻れが現われて消えて。
今日は2人横たわって、私ともう1人が立って。私の腕はビシッビシッと動いて。最後の5分くらいで鎮まって。一緒に過ごす人達との距離感も随分変わった。鳩尾はまるで後ろにピシッと貼り付いている様な感じで。首の骨はまるで吊し上げられる様にスーッと。脚の中にまるで道が開く様に何かが繋がっていく。まぁ何にしてもうれしい時間でした。帰り道の電車の中でもそれはそのまま。時の働きは、この星の上にある全ての体に変化をもたらす。表立ってやれば必ず拒否される様な事でもこの働きは誰も知らない内にアッ
昨夜はやはり背骨全体の「後少しだけ後ろに」がありここが動くと足首から先がその位置を変える。今朝ベッドから降りた時の驚き‼️右足首に強い違和感。それは数分で消えたけど???背骨の移動は、前よりずーっと少ないけど少しの気持ち悪さを伴いながら。他のやり方だと直ぐに治してくれるのにこのやり方だと、何年もかかる。「やる意味があるのだろうか?」と。私が立ち始めてから6年目だから未だ未だこのやり方は深まっていくでしょう。やはり同じことを何十年も続けてみなければ本当のところは分からない
今日は月2回の藤枝の日。駅から歩いて5分のかいらハウスの2階6畳の部屋に3人立って、2人横たわって。凄く大きな変化の後の時間。どんな風になるのだろう?
宇宙の背後にある「そのもの」「そのもの」がそのまま人の体に現われる。意識の世界はそれは色になり音になり、形になる。そして時間になる。今自動的に起こっている全ての体の変化はその全てを超えたもの。「一つの命がそのまま」見えないし体の感覚では捉えることの出来ないものが「自動的にそのまま現われて来る」これは選択では無く「定め」です。何はともあれ始まっています。他人に聞かなくて大丈夫です。勝手にそれは現われて来ます。最高に譲歩しても沈黙の内に一緒の時間を過ごすくらいです。
「新しい体」はそれぞれの体に直接届けられます。「知らないうちに知らないこと」が起こる為不安になるかも知れません。でも大丈夫です。今起こっている体の変化は自分1人では「訳の分からない違和感」かも知れませんが他の人達と情報を共有することで自分1人に起こっているのでは無いこと。そしてその先に「何が待っているのか?」を知ることが出来ます。今日も少し立ってみました。ただただ驚くばかりです。新しい変化の感覚があり「これでは教えることは出来ない」と深く深く驚きながら❗️他の体と一
横たわった時、自然に始まった背骨の移動。一部では無く、上から下まで全部の移動。意識もしていないのに。新しい変化の規模の大きさと深さを感じる。ある時は沢山の矛盾を抱えながら瞑想に夢中になりある時は「呼吸と体を取り戻そう」と取り組んでいた日々を思う。今は「目指す」のでも無ければ「取り組む」のでも無く変わっていく様を見ているだけ。今はただただ信じられないことが自動的に進んでいる。体の促しに沿って体が自動的に動いて「新しい体になる」この時この体は「立つ」や「横たわる」をしてい
今日は2人来る予定でしたがもう1人、間も無く90才というお婆ちゃんが。以前良く通って来てくれた人です。本当に久しぶりで、軽く小さくなって。1時間半、ピクリとも動かないで。自分で横たわって自分で立ち上がりました。2階のあるお家で一人暮らしをしていると。一人暮らしの作業と緊張感が「動ける体」を保っています。さて立っている時の感じですが又一段と「無意識」でいられる様になって。この辺の説明は出来ないけど又一段と深くなった様に感じる。5年ほど前は、未だ来た人にも立ってもらおうとし
年と共に味覚が変わって、味付けが変わる。40代の体と70代の体では違う味付けになる。レシピ通りに作ると「???」になる。「下手」なのでは無く、体の変化が問題。その時、体に合わせるのでは無く「体を整える」方向に向かう。今までと同じなのに「美味しく無い」と感じたらそれはそれは一つの促し。体は自動的に修正の方向に向かう。本人が自覚していなくてもそうなる。ご飯を作る人のことを悪くいう人がいるけど大きな間違い。ある人が「最近飯が不味い」と言ったそう。ほとんど味が分からなくなる。
富塚で1人と向き合いました。初めの内は目が開けられずずっと閉じたまま。その間に相手の両腕がブンブン動いた様です。最後はその体に「何かが入って来る様な感じ」だったと言って。それは未だ初期の段階だけど、あった様です。前回終わった時未だ手首が痛かった様でしたが今回は痛みは無くなっていると。首は未だこの体も違和感ありまくりだからその人の首も未だ途中の様です。「頭頂が開いている」のは大きい。全ての骨の位置移動は「自動的に」来月の予約も入れて帰りました。決して簡単では無いけど時間
上神増終わりました。何だか凄い久しぶりな感じで。私は今日5時起きだったので少し眠い。まぁそれでも1時間半立ちました。これから富塚に戻って1人と向き合います。風が強い。