ブログ記事1件
....温雅な詩情と高邁な文明批評と透徹した現実観照の三面が備わる多くの優れた創作を出した他江戸文学の研究、外国文学の移植に業績を上げ、わが国近代文学史上に独自の巨歩を印した...はっきりと申し上げますが、別に批難ではなくこのような「祝詞」から永井荷風をイメージするのは、、、アタシには無理だ。有り体に言えば、破滅派とまでは言わないものの無頼文士のひとり。エリートとも言うべき父親が決めた嫁はさっさと叩き出し、後妻は芸妓上がり(その後は芸妓、賤婦、酌婦、私娼を誰彼なしに渡り歩く)学
永井荷風が大正6年から死の直前まで書きつけていた日記「断腸亭日乗」。その”断腸亭”という呼称のもとになった場所が新宿区余丁町にあります。この場所には永井荷風旧居跡という看板があり、「当時腸を病みがちだった荷風は、玄関に続く六畳間を「断腸亭」と命名。庭先には断腸花の別名を持つ秋海棠を植えた。大正6年から書き始めた日記は「断腸亭日乗」と名付けた」と。今ではマンションになっていて在りし日の姿の名残りは壊滅状態ですが。「断腸亭日乗」は戦時中の日付のものをいつか読んでみた