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先日来、一番、二番、三番のある歌曲の中で「三番」が特にいわくつきである曲を二つ話題にしましたね。『浜辺の歌』三番についてのわたしの想い|MTFのAkemiのblogイタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き”「蛍の光」の三番を歌わせたのは誰だろう?”|MTFのAkemiのblogイタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好きそれで思い出したのですが、往年の少女歌手・川田正子が歌ったことで有名な『里の秋』という曲にも、その三番のできた由来について特別なエピソードがあるので、そ
里の秋これらの童謡の碑が岬町の街道の田んぼを見渡す一角にある。ここは、「みかんの花咲く丘」で有名な童謡作曲家、海沼実の妻の実家跡である。作詞者の斉藤信夫は、成東町の出身である。
9月5日🌼ヨルガオ=夕暮れの思い出🏡言葉の風景文学にみる秋の表現※カラマツの落ち葉の雨がちかちかと降る/モーツァルト荘=三浦哲郎※稲の絨毯が燃え上がる様に輝き/石の来歴=奥泉光※稲を刈った後の切株がタワシを並べた様に/越前竹人形=水上勉※黄葉しかけた樹々が細密画の様に/ワルシャワの燕たち=五木寛之※菌シトネのような落ち葉の上にすわる/山椒大夫=森鴎外※秋の終わりの黄色く乾燥
5月28日🌼ヤマブキ=ずっと待っていました🏡言葉の風景梅雨つゆ梅雨バイウは元々黴雨バイウでした。雨の多い時期には黴が発生しやすい事から黴雨と呼ばれたそうですが5月末~6月末にかけて梅の熟す時期でもあり同音であった梅の文字になったそうです。中国から来た言葉で平安時代には既に常用されそれが江戸時代になってツユと呼ばれるようになりました。ツユの呼び方の由来は諸説あるようです☔露からの連想☔黴により物が損なわれる
我が家の雛人形▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう数十年前・・・いまはお内裏様だけ・・・ひな祭りの歌といえば今はほとんど「うれしいひなまつり」ですが…この歌に郷愁を感じることはありません。私がこどもの頃歌っていたのはコレ≪ひなまつりの歌≫この歌は知らない…と思ったのですが…キューピーさんも…で、思い出しました≪おひなまつり≫
📎リュウノウギク(竜脳菊ーキク科キク属)寒露=次候「菊花開」新暦10月13日頃きくのはなひらく野菊の花が綺麗に咲いて菊祭等が各地で開催されます旬の一句✏長塚節タカシはらはらと松葉吹きこぼす狭庭サニワには皆白菊の花咲きにけり📎ハキダメギク(キク科コゴメギク属)旬の花✏菊秋の代表的な花、菊。菊花賞レースでも馴染みがあります。元来、菊の野生種は無く1500年前チョウセ
「また靖国神社の話か」と、食傷気味な読者もいらっしゃるかもしれませんが、靖国神社問題をこれからもしっかりフォローしていきたいわたしの手許には、同神社関連の資料は結構集まっていますから、折りに触れて、ブログ読者のみなさんにもご紹介を続けたいと思います。今日取り上げるのは、六年前の『別冊正論22号――大解剖「靖國神社」』大解剖「靖國神社」あなたは泣かずに読み切れますか?―平和を祈り、家族を思い合う清らな空間―(別冊正論22)|産経新聞社別冊正論編集部|本|通販|Amaz
歌のキーが合わない、もうちょっとウクレレが練習したい方に「C調」」「G調」もご用意しております(笑)「C調」👉←クリック「G調」👉←クリックYouTubeで練習♪ゆっくりVer.(86BPM)👉←クリックふつうの速さVer.(96BPM)👉←クリック曲の詳しい説明は↓こちらのサイトでどうぞ♪http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00kainuma.htm#satonoakiウクレレ教室T
おはようございます🎺昨日のこと、高齢者施設で〝ふと、中庭を見ると👀〟大きな白いトランペットがぶら下がってる、近寄って写メすると、大きな白いトランペットの先には、ややピンク色に染まったというラッパであった!ご存知、「キダチチョウセンアサガオ(木立朝鮮朝顔)」である、原産地はブラジル🇧🇷であり、英名の〝Angelstrumpetエンジェルトランペット〟という別名がある「天使のトランペット🎺」という意味だそうだ!日本でも〝エンジェルトランペット〟と呼ばれて人気のある花だ、いつもうつむき
みなさまこんにちは、オペラ歌手の斎藤信夫さんのコンサートを新所沢のパスタ・デルフィーノで開催致します。6月3日(土)17:30~20:00...みなさまのお越しをお待ちしております。お問い合わせは04-2923-6618
所用もあって、いすみ市(千葉県)へ行った、私の生誕の地であるのだが、実はここは“童謡の里”でもあるのだ!昭和の童謡をリードしてきた作曲家「海沼実」は、岬町岩熊で数多くの童謡を作曲してきたのだ、その代表的な作品が斎藤信夫とのコンビによる「里の秋」と「蛙の笛」であるという!その歌碑が建立されている、この場所は海沼実の妻である須磨子の実家跡地なのだそうだ、「里の秋」は太平洋戦争直後の昭和20年12月24日に、「蛙の笛」は翌年の21年8月18日に、その頃は、JOAKと言っていた
一昨日のことで恐縮だが、「栗きんとん」を味わったせいか、それとも澄み切った秋空を仰ぎ見たせいか「し~ずか~な~、し~ずか~な」と「里の秋」の1節を口ずさんだ。同時に、随分前に、わたらせ渓谷鉄道の車窓から見た風景を思い出した。周囲の木々が色付き始めた中、農家の庭先にある柿の木には実が鈴なりになっていた。まさに「里の秋」だなと思ったものだ。そう言えば、上尾と東京の往復の毎日が続くばかりで、長らく田園風景や山の風景を見ていないな。さて、その「里の秋」。私が大好きな童謡の一つだが、何とももの悲