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2026年10月4日(日)「オールドスタイルカー&オートバイミーティングinさいくう平安の杜」インスタで見つけてインスタで応募して・・・参加費も何も要らない気軽なイベントでした~手前に愛車セリカ、向こうにポルシェ912、後ろを走る近鉄(特急)これは普通電車チェリー・クーペリヤクォーターが特徴ですハコスカHT(多分本物のR)少なくともエンジンはS20で、リヤウィンドゥには熱線がありませんでしたシビックRS330セドリック4HT
39代目の斎宮です。済子内親王とも表記されます。醍醐天皇17皇女です。母親は女御の源和子です。同母兄弟姉妹に常明親王、式明親王、有明親王、韶子内親王などがいます。異母兄弟姉妹はたくさんいますので。。。中宮藤原穏子との間に朱雀天皇、村上天皇、保明親王、康子内親王などがいて、更衣の源周子との間に勤子内親王、雅子内親王、源高明、源兼子、盛明親王などがいて、同じく更衣の藤原淑姫との間に兼明親王、源自明などがいます。同じく更衣の源昇の娘との間に重明親王がいます。まだほかにもいるけどここ
2024年の「紫炎」の上演後、一旦会の活動を休止しております。ずっと心残りだったことにここでチャレンジしようと思い昨年準備をし、今年から始める予定でしたが、思いがけなく女子神職会の書記のお役目を仰せつかり、任期の2年間は保留することに。しかしなんとなく流れが掴めたので、1年遅れで来年から始めることにしました会を休止するにあたり、朱砂という名前のせいなのかよく中国から電話がかかってくる問い合わせ用の携帯を解約しました。susanokai.info@gmail.comは、継続しており
何だかいつもの体調不良じゃない。頭とお腹が気持ちわるい。食欲は普通なのだが。時々寒気。熱測っても36.8しかない。おばあちゃんの面会ついでに斎宮駅裏をウォーキングしてきた。とても久しぶりだ。調べてみたら6月ぶりのようだ・・・。夏、暑さで運動サボり気味の結果、血圧が10近く上がってしまった。140台。いつきのみや地域交流センターからスタート。斎宮歴史博物館まで行ってぐるっと。祓川は行かなかった。斎宮歴史博物館の道沿いのイチョウ。黄色くなってた。
【天人地とは?】天と地を結ぶこと、陰陽調和、一元の世界を実現させるのが天と地の間の「人」なのではないか?あれは良い、これは悪い、と善悪を付けていくのが本来の人間の在り方ではないのではないかな?何故か子どもの頃から惹かれていた斎宮を初めて訪れたのは一昨年の暮れに夫と娘と。「また来たい!」と思っていたら、こんなに早くまた来れることに。しかも最高の仲間達と最高の形、私の陽ではなく陰の役割で。斎宮の森を歩いていたら涙が溢れてきた。ここで日本だけではなく、世界の調和の為に陰で祈り続けていた皇女
斎宮「いつきのみや観月会」で私が作舞した創作舞「月の舞」を披露しましたいつきのみや歴史体験館の春の講座の受講生3人と共に。そして皇學館大学雅楽部が「越天楽」を奏でてくれました。大勢の皆様にお越しいただいて、いつになく緊張してました。今秋の観月を堪能しました。#いつきのみや観月会#斎宮#明和町#日本文化
36代目斎宮です。父親は本康親王。母親は不明。兄弟姉妹に廉子女王、雅望王がいます。仁明天皇の孫です。従兄弟の宇多天皇が即位するときに斎宮に卜定されました。そして9年斎宮を務めた後は消息不明です。あくまで個人的な意見ですが、やはり斎宮という特殊な環境の経験者というのはほとんどが碌に記録されることなく、皇族の位というべき品位(ほんい、例えば一品、二品とかですね、例えば源氏物語の朱雀院(源氏の兄)の娘女三宮は二品宮と呼ばれる。二品の位を賜った内親王って意味です。古くは奈良時代の元明天皇の娘
「祟り」と斎宮を結びつけると見えてくるもの古代日本では、強大な神の力は、守護にもなれば、祟りにもなると考えられていました。特に天皇家にとって天照大御神は、単なる一柱の神ではなく、皇祖神として極めて重要な存在です。だからこそ、神を粗末に扱わない。神との関係を絶やさない。最高位の血統から女性を選び、神に仕えさせる。という仕組みが作られた。これを「祟りを抑える」という言葉で表現するなら、斎宮制度には確かに神の怒りを避け、神との関係を安定させるという古代的な宗教観を読み取ることができます。ただ
嵯峨嵐山にあります創建は不詳も1669年に社殿の遷宮があったとの棟札が現存1848年の大火で古記録焼失伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女「斎宮(斎王)」が有栖川で禊を行う前に潔斎した野宮の旧跡※斎宮:天武天皇期に制度化主祭神:アマテラスオオミカミムクノキの御神木と拝殿さざれ石
33代目の斎宮です。清和天皇の皇女、母親は右中弁藤原良近娘です。同母兄弟に貞平親王がいます。父帝は二条后と呼ばれた藤原高子や高子の実兄の藤原基経(臣下で初の関白になった人)の娘の佳珠子以外身分低い更衣の位の妃としか子供がいなかったようで。。。女御と呼ばれる更衣より身分高い妃は10人以上いたようですが。。彼女たちとはあまり子宝には恵まれてなかったみたいですね。。まあこればかりはどうにもならんことですが。。。(失礼)母の身分は更衣と、あまり身分高い方ではなかったので???選ばれやすかったの
秋風が野山を静かに駆け抜けるころ、かぐや姫は月を見てはさめざめと泣くようになった。老夫婦がわけを問いただすと、彼女はおおよそ次のようなことを打ち明けた。わたしは、実は月の都の者なのです。罪を得てこの人間世界にやって参りました。こちらで言う島流しのようなものでございます。どんな罪かと申しますと、未来を映す鏡を覗いてしまった罪なのです。この鏡は、月帝様の斎宮(いつきのみや)に祭られてあるもので、月帝様以外は決して覗くことは許されておりません。わたしは月帝様の姪に当たりま
伊勢志摩方面へ向かう近鉄特急の中で私が一番特別感を感じられるのはやはり50000系「しまかぜ」になりますが23000系IL02のミジュマルライナーも素晴らしく、デラックスシート車以外は座席のモケット等もミジュマル仕様になっているので乗車出来たら大ラッキーです。23000系にはシーサイドカフェと呼ばれるスペースがありますがIL02ではそこをミジュマルの展示スペースにしており、いつでも見ることが出来ます。(2025.9.14漕代〜斎宮間にて撮影)斎宮付近を走る23000系IL02です。ここ
31代目斎宮です。文徳天皇第一皇女です。母親は藤原是雄(藤原北家の流れをくむ。大納言藤原真楯のひ孫)の娘列子です。同母妹に賀茂斎院となった慧子(あきらけいこ)内親王がいます。父帝が即位したのに伴い、斎宮も代替わりとなるのが慣例だったので、彼女もその一人として卜定となりました。それからしばらくは野宮で精進潔斎、伊勢にやってきて、斎宮の務めを7年した後は父帝が崩御されたので、これまた慣例に従い(身内の不幸故)退下となりました。それから40年ひっそりと生きて亡くなりました。32代目の斎
名古屋線系統で活躍する1259系は一時期全面ラッピングと車内装飾を施した編成が3編成もおり、主に伊勢志摩ローカルの運用に入っていたため鳥羽・賢島方面へ行った時はほぼ確実に撮影することが出来ましたが現在は2編成に減ったためやや寂しさを感じており、3編成いた頃が懐かしいです。現在も活躍している1259系のラッピング車は2編成共に「とばしまメモリー」で、白色ベースの「なみの章」と青系グラデーションの「うみの章」があります。(2025.3.26漕代〜斎宮間にて撮影)伊勢志摩ローカルの運用に入る
名古屋線系統で活躍する1201系はRC02が三十三銀行の全面ラッピング車になっており、ポムポムプリンの可愛らしいデザインが特徴ですが主に伊勢志摩ローカルの運用に入るため名古屋方面へ顔を出すことは少なく、烏森や八田など都市部の高架区間で撮影するのは楽ではありません。メインになる伊勢志摩ローカルは2両単独なので編成全体の撮影には都合が良いですが何度も狙っていると物足りないって感じることもあり、たまには5200系列やL/C車と組んだ6両編成で急行運用に入っている姿を見てみたいです。(2025.3.
28代目の斎宮です。淳和天皇の皇女です。母親は高志内親王(桓武天皇皇女)兄弟姉妹は恒世親王(中務卿宮)、貞子内親王などがいます。両親とも皇族という高貴な生まれではありますが、母親には幼くして死別したからかわかりませんが、やはり有力な後見人がいないと斎宮に選ばれやすい環境になるのでしょうか?(あくまで個人の意見です)やがて慣例により伊勢斎宮に卜定されて精進潔斎をしてから伊勢に赴きます。しばらくは斎宮の務めを果たしてたけど、そのあとは病になって退下して60年近く生き抜き、76歳くらいで亡くな
伊勢エリアでは大阪・名古屋両線の5200系列が見られ、4両単独での運用もありますが大半は大阪・名古屋方にロングシート車を2両連結した6両編成で、その2両がバリエーション豊富なので狙う楽しみがあります。5200系列はVX01〜VX06が大阪線、VX07〜VX13が名古屋線に所属していますが以前はVX02とVX03も名古屋線所属だったので大阪線では狙いにくく、来たら「今日は運が良い」って思う程でした。(2025.12.13漕代〜斎宮間にて撮影)五十鈴川行きの阪伊間急行に充当される5200系
第25代斎宮です。桓武天皇第5皇女です。母親は女御の中臣丸豊子。中臣(藤原)鎌足の一族の子孫だと思います。先代の朝原内親王(第1皇女)の異母妹です。異母姉が退下するのに合わせて斎宮に卜定したのです。そして野宮(平安京郊外にある今の嵯峨野の野宮神社あたり)で精進潔斎したのちに伊勢にやってきます。やがて父帝が崩御したのに伴い斎宮を退下。都に戻ってしばらくして亡くなります。26代目斎宮は大原内親王です。彼女は平城天皇の第三皇女として生まれます。母は女官上がりの伊勢継子という人です
いつきのみや歴史体験館の「花の舞」オープン講座でした。遠くは香川県から、そして今年の斎王さまもご参加下さいました。10月からの連続講座の参加申込が増えたため、午後6時の部に加えて午後7時の部も開講することに筝曲「さくらさくら」で舞いましょう。申込はいつきのみや歴史体験館へ。0596ー52ー3690ランチは、いつき茶屋で「斎麺(さいめん)」を(^_^)/#花の舞講座#斎宮#明和町#いつきのみや歴史体験館
いつきのみや歴史体験館の後期講座「花の舞」のオープン講座が明日の日曜日に行われます。午前10時と午後1時から。当日参加OKとのこと。お琴の「さくらさくら」で、手に桜花を持って舞います。講座は1時間ほど、お時間のある方、お友達を誘ってお越し下さい。午後にまだ余裕があるそうです。#いつきのみや歴史体験館#花の舞#斎宮#舞踊
22代斎宮です。光仁天皇と井上内親王(皇后)の皇女として誕生。弟に他戸親王がいます。天皇と皇后の娘という高貴な身分でありながらなんで斎宮になったかというと、このとき父帝や父の姉の難波内親王を呪詛したという罪で母后と弟が相次いで廃后、廃太子となって宇智郡(今の奈良県五條市)の某廃邸に幽閉されたのち自害したとも暗殺されたともいわれてるからです。そのために彼女は斎宮という位に就任、そして母と弟の死によってあわただしく退下したんだともいわれてます。まあこの事件も実は裏があって、自分が即位したくて
第19代&20代斎宮です。あまり詳しくは載ってないので、簡単に紹介となります。ご了承願います。県女王は高丘王の娘といわれてます。天智天皇のひ孫?父は川島皇子の息子といわれてます。従四位下左大舎人頭まで務めた人です。そのくらいしか分かりません。生没年もいつどんないきさつで斎宮になったか、退下後もどんな人生歩んだかもわかりません。ただ聖武天皇の御代の終わりごろに数年務めてただけだと思われます。小宅女王は天武天皇のひ孫で、祖父は舎人親王(曾祖母は新田部皇女)で、父は三原王と呼ばれる人です
17代目斎宮です。文武天皇の皇女という説もありますが、藤原氏により排斥され、5年たって斎宮の地位を退下しました。それ以外詳しいことは何もわかってません。18代目の斎宮は井上内親王です。以前当ブログで紹介しましたので詳しく知りたい方、興味のある方、ご一読いただけたら幸いです。『井上内親王』第49代光仁天皇の皇后です。「いのえ」、もしくは「いがみ」と読みます。父親は45代聖武天皇。母親は夫人(誰かの奥方って意味じゃなく、当時の律令制の側室の位の…ameblo.jp
伊勢神宮と麻(5)(斎宮の不思議partⅡ)乙巳の変と、斎宮の角度目次/////●斎宮の主神司(かみつかさ)●三十三度の傾きを信奉する一族●馬との不思議な繋がり///////////////[斎宮の主神司(かみつかさ)]斎宮博物館を訪れて疑問に思ったことがまだありました。斎宮内の人の構成図を見てでした。祭祀の役職の構成は、このようなものでした。祀りごとのトップの役職、主神司(かみつかさ)を中臣氏が行い、その下に、総務的な役職の宮司(みや
第15代斎宮です。前代はなぜか多紀皇女がもう一度斎宮に再就任してすぐに退下して志貴皇子と結婚したと思います。そのあとに選ばれたのが、智努女王です。どうも彼女も諸説あって、父親が長屋王(高市皇子と御名部皇女の長男。曽祖父は天武天皇)、母親は正妻の吉備内親王(元明天皇と草壁皇子の娘、伯母に元正天皇)の説もあるかと思ったら。。。兄弟は膳夫王、葛木王、鉤取王がいます。ひょっとしたら長屋王の娘じゃなく側室の一人だったともいわれてますし(この辺が公式記録は詳しくは載せてくれなかったので、よくわ
ダウ第12代目の斎宮です。天智天皇皇女。母親は身分低い女官(采女)の忍海氏(今の奈良県御所市や葛城市)の豪族の娘色夫古娘(しこぶこのいらつめ)。当時の大和朝廷の後宮は地方豪族から見目麗しい娘を采女(女官)として召し出すという慣習があったので、彼女もその一人として宮殿に入り、天智天皇の側室の一人となります。同母兄姉は天武天皇の妃大江皇女、川島皇子(多紀皇女の記事で紹介しましたが、大津皇子の変で持統天皇に密告した裏切り者として若くして病死)、異母兄弟姉妹はたくさんいます。持統天皇(天
10代目の斎宮です。以前彼女の事はこのブログで書いたと思ったので、詳しく知りたい方は↓を見てください。『大伯皇女』飛鳥時代の皇族です。大来皇女とも書きます。父親は40代天武天皇、母親は大田皇女。38代天智天皇の長女です。叔母に持統天皇、同母弟に大津皇子がいました。異母兄…ameblo.jp彼女から斎宮の制度は整い、彼女が初代といっても過言ではないですね。大伯皇女の次は異母妹にあたる多紀(託基)皇女が斎宮に就任します。この二人の父帝にあたる天武天皇には代々の天皇と同じ
8代目斎宮です。30代敏達天皇の娘、母親は息長氏の広姫皇后です。兄に押坂彦人大兄皇子がいます。叔母で先代の磐隈皇女が異母兄弟の茨木皇子に凌辱されるという不祥事があったので、その代わりに就任したのです。しかし彼女もまじめに斎宮の仕事してたのに、またしても凌辱されるという不祥事に見舞われます。相手は池辺皇子といって、彼女の叔父にあたる人のようですが。。。かれもまた斎宮に一目ぼれしてたまらず犯したということでしょうか???二代続けて斎宮が犯されるという不祥事にさすがの天皇も大臣だった蘇我稲目や
伊勢志摩ローカルで主に活躍する1440系は3編成のみの少数派ながら既にVW37とVW38が車体更新を終えており、更にVW38は1A系と同じ青系塗装に変更されているので新型車両に生まれ変わった感じもしますが両編成を見比べてみるとVW37はパンタグラフがシングルアームに交換されているため異彩を放っており、青系塗装に変更されたらVW38以上に新型車両に近くなる気がします。一方VW38は車体更新前に機器更新を受けて制御装置がハイブリッドSiCになっており、パンタグラフが下枠交差形のままであることを除く
三代目の斎宮です。12代景行天皇の皇女です。母親は水歯郎媛。同母兄弟姉妹はいなくて、異母兄弟姉妹はたくさんいたようですね。一番有名なのが日本武尊(やまとたけるのみこと)ですね。双子の兄小碓命と対照的でかなり乱暴者だったらしいですね。父帝の命令で九州の熊襲とかを討ち果たして駿河の国(今の静岡県焼津あたり)で賊が放った火事に遭った時も持ってた草薙剣で事なきを得たといわれてますし。ちなみに草薙剣は今の熱田神宮に奉納されてますけどね。今度は常陸国にいた蝦夷たちを討ち果たしたりとにかく活躍するのです。亡