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2022年3月4日(金)偕楽園での陰陽を感じたあとは、華やかな梅を堪能したい。『ぷちひとり旅@偕楽園で陰と陽を感じる。』水戸ネタ、長くなりそうな予感。ま、いつものことか2022年3月4日(金)休暇を取って、水戸のぷちひとり旅。ランチのあとは偕楽園へ。『ぷちひとり旅@鮟鱇で…ameblo.jp偕楽園の梅はいまひとつ咲いていないが、のえまろは、違うものを探していた。いた!水戸の梅大使!梅は咲いていないが、花が咲いたように艶やか!マスクをしたままなのが、このご
水戸ネタ、長くなりそうな予感。ま、いつものことか2022年3月4日(金)休暇を取って、水戸のぷちひとり旅。ランチのあとは偕楽園へ。『ぷちひとり旅@鮟鱇で幸せ昼呑み♡』ブログネタが、飛び飛びですみません。水戸ネタ戻します。2022年3月4日(金)休暇を取って旅に出た。と言っても、お隣さんの茨城県。近いとは言え、ひとり旅…ameblo.jp案内所で教えてもらった、偕楽園の正式な回り方がある。駐車場の関係もあり、ほとんどの人は、東門から入園して梅林を回るけれど、この
すっかり忘れていた4月に行った水戸の旅行記1日目を書いて満足してしまってました2日目は宿泊した大洗パークホテルから車で10分ぐらいかな「かねふくめんたいパーク大洗」へ10時前なのに結構車が停まっていました館内は明太子について学べるギャラリー生産工程が見られる工場見学売店フードコーナーがありましたギャラリー・工場見学は見るのにそんなに時間はかかりません売店にはできたての明太子もありましたがほとんど冷
水戸斉昭は、どうして七男の「七郎麿」ばかりを溺愛するのか?嫡男でもないのに?これじゃあ、他の兄弟がヘソを曲げるんじゃないのか?はい、そのとおりです。司馬遼太郎は小説のなかで「斉昭は、七郎麿ばかりを溺愛するもんだから、他の兄弟はみんな不愉快だった」みたいなことをありとハッキリと書いてますし、「最後の将軍」を原作としている大河「徳川慶喜」(本木雅弘が主演のヤツ)では、菅原文太の斉昭と、跡継ぎの水戸藩主・慶篤(内野聖陽)はしょちゅう喧嘩のように言い争いをしてました。「藩主なんてくだらん!辞め
偕楽園斉昭が造らせた大名庭園が偕楽園です。広大な庭園で、梅で有名ですが、5月はすいていました。藤の花やサツキがとってもきれいでした。写真は表門です。斉昭が設計したという好文亭(こうぶんてい・復元)です。明治期に斉昭の正室、慶喜の生母、吉子女王がこちらに住んでいたそうです。慶喜は当時の大名には珍しく、正妻の子で、母親の血統が天皇家につながり、ものすご~く、高貴なわけです。慶喜が朝廷に政権を返還する大政奉還に応じたのも、こういった事情があったのかもしれません。少な
今日はお墓参り。おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行きました。水戸のあじさい寺、保和苑。龍の彫刻が立派です。様々な種類の紫陽花が咲いてました♪懐かしいな。保和苑の日本庭園。散策が気持ち良いです♪風情のある素敵なお寺です。次は祇園寺。ここは初めて来ました(^.^)昔、よく来た八幡宮。大けやきが立派!そして眺めも良い♪斉昭の涼み処だったそうで、とっても気持ち良い風を感じてきました♪神様の使いの白馬の前に美味しそうな人参。笑ボリューム満点なお昼ごはん(^-^;
弘道館玄関に掲げられている「弘道館」の扁額の文字は斉昭が書いた文字です。玄関奥にど~んと掲げられているのは、斉昭の命で藩医の松延年(まつのべねん)に書かせたものです。素晴らしい!この「尊攘」の書を見るために、今回水戸に来ました。斉昭と幼き日の慶喜の像です。江戸城開城の後、水戸で謹慎していた慶喜がしばらく暮らしたのが、至善堂(しぜんどう)と呼ばれる部屋で、現存しています。ここで慶喜は何を思っていたのでしょう。後年、慶喜がイ
水戸城跡今回の関東幕末史跡紀行のメーンテーマの一つが水戸行きでした。関西方面で慶喜関連の史跡はいろいろあるのですが、関東方面でぜひ、現場に行きたいと願っていました。駅から城跡へ向かう途中に立つ大木です。江戸時代も目印だったことでしょう。三の丸跡には小学校があります。こちらは烈公の像です。水戸城跡ですが、城自体は平安時代末期からあり、水戸徳川家の江戸期の城の建物はほぼ戦災で消失したとのことです。跡地の見所は藩校です。水戸に来ると、目につくのは
徳川一族は、幕府の政治に一切、参加できないんです。これが、家康と秀忠が作り上げた江戸幕府の絶妙な仕組みなんです。幕府の経営は、老中以下の譜代大名と旗本たち、つまり「家来ども」がすべて行います。外様大名と同様、御三家も親藩も、大老、老中、若年寄を含む幕府の職には一切、つけません。どうして、こういう仕組みにしたかといえば、もちろん「御家騒動」を防ぐためです。将軍になる資格がある親戚がやいのやいのと政治に口出ししていれば、そのうち必ず「オレが将軍になったほうがいい」と思うようになるからです。だか
1月2日茨城と言えば水戸ですよね(* ̄∇ ̄)ノ尾張とも縁(御三家)のある城ですし、行きたかった所ですヽ( ̄▽ ̄)ノまあ、あるあるなんですが兄弟でも離れましたね( ̄▽ ̄;)嫁とダブります。しかし県内でも遠い。義実家の最寄り?は江戸崎城(今年話題になるだろう土岐氏の城)大晦日の買い物帰りに道を間違えて横は通りました(^_^;)首都圏中央連絡自動車道~常磐自動車道と乗り継いで一時間ちょっとかかります。家から犬山とかもそれぐらいかかるので、遠くないとも。水戸ICから国道50号線で市街
酒列磯前神社狛犬拝殿伝左甚五郎の葡萄斉昭公腰掛けの石阿字ヶ浦港水戸の弘道館記碑を彫った人物、大内石可。碑水戸らしい文字です。大鳥居辺りから大鳥居看板856年宝くじ祈願の亀触るのを忘れました。次第に暮れていきます。再度狛犬目力があります。近くにある旧社跡ここは平らな場所です。酒列磯前神社は、ほしいも神社や堀出神社にも近い位置にあります。
ようこそ!松戸市戸定(とじょう)歴史館を訪問しました。歴史館は撮影できませんが、庭園内の戸定邸が撮影できました。戸定邸は、明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です。建設したのは徳川昭武です。約2年の建設期間を経て、1884年4月に座敷開きが行われました。詳細は後日HP出かけませんかにまとめる予定です。良かったらお付き合いください。^^*戸定歴史館12松戸市戸定歴史館3左:徳川昭武右:徳川慶喜徳川昭武=水戸藩主・斉昭の18男。兄
大沢たかお主演の2010年作の映画です。この辺りの歴史に詳しくはないけど水戸藩が追い詰められて井伊直弼憎しとことを起こす様から捕らえられて惨殺されるまでが丁寧に描かれてました。息子にも幕末の漫画を読んで多少詳しくなったら見せてあげたい作品です。やはり、薩摩の斉彬公と水戸の斉昭公の突然死がもしなかったら歴史はどのように変わっていたのか気になるところですね。個人的には、新撰組や篤姫とか大好きです!!桜田門外ノ変400円Amazon新装版天璋院篤姫(上)(
こんばんは友海です土日で、弾丸応援ツアーしてきました福岡代表なんて、すごいね!がんばれ!せっかくなので、日本三名園の偕楽園へ。その中の好文亭に入ってみました!心惹かれたのは、襖絵部屋毎に、素晴らしい襖絵が偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。園内には約100品種・3
水戸東照宮を後に…茨城県水戸市弘道館鹿島神社⛩水戸藩の藩校である弘道館に創建され、鹿島神宮より御分霊を勧請したと伝えられる。現在も水戸城三の丸の弘道館の跡に鎮座御朱印弘道館公園内にある鳥居手水舎手水舎裏の年季がある井戸封印してあります。なんだか気になりますが、江戸時代の古井戸みたいです。御祭神武道の神様武甕槌神(たけみかづちのかみ)御神徳勝利祈願・旅行安全・武芸上達・事業成功・出世開稲荷社交通安全の幟が立っております。鈴梅(斉昭公お手植え)アクセ
日本三大庭園に行ったことがありませんでした😅実は石川の兼六園の横を掠めて、蔵元に行ったという愚かな、いや、時間がなかったのでしょうがなかったのだが・・😢⤵️⤵️というのが最大の接近遭遇水戸と言えばやっぱりこの3人組であるが(ダチョウ倶楽部ではありません)まあまあ、それはそれとして偕楽園ですhttps://www.city.mito.lg.jp/bloom-mito/tw/spot_a3.html表門ではなくてこちらの御成門からのほうが陰→陽という製作者である徳川斉昭公の意図が分
次は、弘道館鹿島神宮へ参拝。1857年(安政4年)に水戸藩の藩校である弘道館の神殿として創祀され、常陸一の宮である鹿島神宮から天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命の分霊を勧請して祀っているそうです。社殿は伊勢神宮より特別に譲渡された「唯一神明造り」で水戸市の指定有形文化財です。御朱印をお願いした際、大変丁寧に説明していただきました。要石歌碑。水戸藩第九代藩主徳川斉昭公の直筆とか…斉昭公は偕楽園も創設した水戸では水戸黄門に並び、重要人物。御朱印もいただけました。
皆様こんばんは今日は、千波湖花火大会です花火大会を予算の関係で削減するなか水戸市頑張って「7000発」おみごとです1867年(慶応3年)に9代藩主斉昭の七男である15代将軍徳川慶喜によって大政奉還となりましたが、水戸藩では、藩内抗争が終息しないうちに明治維新を迎えることになりました。1871年(明治4年)、廃藩置県により水戸藩は水戸県になり弘道館に県庁が置かれました。さらに同年、県の統合により茨城県ができ、水戸は県庁所在地になりました。1888年(明治21年)の「市制町村制」の公
(水戸)斉昭は藩主となって以来、相当思い切った藩政の改革を行なっているが、その改革の方針は大体において『新論』の思想と同一であると言ってよい。皇室の尊厳を維持するための種々の努力、国防のための大砲の鋳造、武備の振起、仏教の抑圧、農民の愛護など、すべてそうである。が、これらの思想を政治的に実現するに当たっては、学者的な会沢よりもむしろ若い東湖の方が有能であり、また実際に活躍したのである。(弘道館の)弘道とは道を弘めることにほかならぬが、その道は「天地之大経」であって生民の須臾も離るべからぎるもの
常磐神社境内で開催された「第5回月の祭八十八夜〜初音〜」オープニングセレモニーにてご挨拶。ステージイベントやグルメも盛りだくさん。春分の日から88日目の八十八夜に新茶を飲むと、その年健康でいられると言われております。茨城3銘茶の1つである城里町の古内茶、その母木に光圀公が〝初音〝と命名。清音寺境内に唯一現存する母木から新芽を採取し、6年前から再生事業が進行中で、現在は城里町にある国指定文化財の古民家「島家住宅」敷地内で約2000株に増えてきました。あと数年、復活が待たれる初音のお茶
4月から新たな展示を開始いたしました企画展第一章「KATANA―創造―」より一振りずつご紹介いたします本日は9代齊昭作【太刀銘葵紋くずし】(たちめいあおいもんくずし)をご紹介します空気さえも切れてしまいそうな切先のこちらは水戸の御用刀工であった勝村徳勝、正勝親子が齊昭の相槌を務め齊昭自らが鍛えた太刀です「八雲肌」がよく表れた一振り、是非じっくりとご覧くださいoyama
春の水戸ぶらり旅のお話しも最終話「偕楽園」の“陰陽の世界”開園当時は…表門(正門)から入るのが一般的だそうでそのため“陰陽の世界”が楽しめるように斉昭公が設計したとか「好文亭」表門は…主に松材が使われているので黒(松煙色)に見えることから“黒門”とも呼ばれるそう表門~一の木戸をくぐった左手には…孟宗竹林が見えてくるここは…斉昭公が弓の材料に使うために京都の「男山」から移植したという竹林があり“陰”の世界竹林の近く…この辺りは古くから湧水が多く地形の高
去年の大河も終わったところで、「一橋慶喜とは何か?」っていう話を、もういっぺん、しようかな、と。御三卿というのは、八代将軍吉宗が、「自分の子孫で永久に将軍位を独占させたい」と考えて作った、いわば「新御三家」です。が、御三家とは決定的な性質の違いがあります。御三家は、家康の息子の下から三人が、城と領地を貰って分家したものです。「いざというとき将軍の跡継ぎを出す資格を持つ」という以外は、他の大名と同じです。領国経営の仕事があり、地元振興、産業育成などに心を砕いているわけです。水戸は江戸定府ですが
こんにちはスピリチュアルメッセンジャーの江利です今日も茨城県の記事の続きです村松の虚空蔵様のすぐとなりに村松大神宮が有ります。村松大神宮茨城県那珂郡東海村村松1番水戸藩より崇敬されていた神社です。境内に義公や烈公という方々がおすわりになった石とかなんとかイロイロあったので…いろいろ調べたら、水戸の光圀は義公、烈公は斉昭の事をいうそうです。諡号というものだそうです御祭神天照大神天手力男神萬幡豊秋津姫神アマテラスなので〜横切りの千木と偶数の鰹木建物の作りは神明です。晴嵐神社
jvはまり役とは何でしょう?辞書によると、役者のキャラクターやイメージに合致している。または役者にとって演じやすい役柄を意味する語。最近稲垣吾郎は何を演じてもはまり役との評価を受ける。そうかなあと疑問符がついていた。でも、吾郎ちゃん演じると受け手側がはまり役と感じるということですね。ベートーベンのキャラクターが吾郎ちゃんに合致しているということは、演じるまではなかったと思う。もしショパンを演じてたらはまり役と納得するだろう。モーツァルト然りです。でもルイスを演じる吾郎さんが素晴らしすぎ
無限大∞に愛の器を拡げ続け*あなたの愛の器も拡げてゆく*再生のルナマスターのひとり弥勒へのいざない人*舞花*です♡お越しくださりありがとうございます(*^^*)先日の日曜日友達夫婦から誘っていただき巡拝に行って参りましたまずは岩手県八幡平市にある桜松神社さま(櫻松)こちらの神社さまには瀬織津姫さまが祀られておりますいくつもの鳥居をくぐってお迎えしていただけるメッセージを友達の息子さんが私に教えてくれますその度に恒例の撮影会になる。笑真ん中の松がねじれて伸
☆6月24日☆水戸城♪の瓦城主瓦にいろいろ書ける〜っていうことで他愛ないことを書いてきました♪さすがに岡田准一♪とかは無理…絵がうまかったらなぁ…と思います…(残念)せっかくなので〜水戸城♪のスタンプ場所でもある弘道館♪に立ち寄りました…畳の葵の紋が好きだったり(徳川家康は好きではないが)光圀様とか斉昭様とかは好きかも…まだまだ歴史に疎いですが…春の梅の時期とか素敵なところです☆(偕楽園も)大手門の復元が待ち遠しい〜です☆