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「三輪山」◆三輪山祭祀にみる神話と歴史の循環体系【2】イレギュラーな記事が入り1日飛びましたが…【1】からの続きです。『◆【1】三輪山祭祀にみる神話と歴史の循環体系』「三輪山」◆三輪山祭祀にみる神話と歴史の循環体系【1】新しい企画物ではなく、「大美和」第150号の寄稿をピックアップしたものです。あまりに深い内容であるため…ameblo.jpちなみに…3回程度で記事を終えるとしておりましたが、到底ムリそうな感じ。【前編】としていたのを【1】へとこっそりと変えております
「三輪山」◆三輪山祭祀にみる神話と歴史の循環体系【1】新しい企画物ではなく、「大美和」第150号の寄稿をピックアップしたものです。あまりに深い内容であるため、そちらでは収まり切らないと考え独立させました。第150号という記念すべきものであったのに、特段何も無い?いやいや…ドえらいテーマの論稿をぶっ込んでこられました。おそらく3回程度に渡る記事になろうかと思います。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~著作権等に配慮してぼかしを入れています。◎歴史から神話へ、祭祀の本源
初日は崎の湯の立ち寄り湯から始めて牟婁の湯の立ち寄り湯、白良浜と歩き、お昼は予定していた「くろしおマルシェ」が何故かお休みだったので「喜楽」で熊野路丼を食べました。くろしおマルシェの熊野牛のビフテキ丼を楽しみにしていたのに…😢喜楽さんの熊野路丼も美味しかったですよ!山海の幸が盛られた丼にとろろと卵をかけていただきます。お刺身が新鮮で歯応えがあり、付け合わせの金山寺味噌や梅を入れて味変したりもできて、和歌山を感じられました〜😋喜楽さんではウツボや太刀魚が食べられるようでしたが、「時価」で
かつて斉明天皇や中大兄皇子、有間皇子、持統天皇、文武天皇が訪れた牟婁温湯または紀温湯にあたると思われるのが白浜温泉にある崎の湯です。崎の湯を見下ろす台地には斉明天皇行幸時の行宮跡とされる「行幸芝」の碑が建っています。私が宿泊するSHIRAHAMAKEYTERRACEHOTELSEAMOREのほぼ敷地内。坂を降りる途中には崎の湯の源泉でもある行幸源泉があります。崎の湯は白浜町が管理する公衆浴場になっています。料金は500円。入口にある100円のコインロッカーに貴重品
読み終わりました。先日読み終わった(といってももう10月末でしたか、、、)「小説壬申の乱(星空の帝王)」:著樋口茂子が天智天皇の皇子、大友皇子を主人公に描いていたのが、女性である樋口茂子であったのに対してこの「額田女王(ぬかたのおおきみ)」:井上靖著では、井上靖という男性が女性の額田女王の目を通して描かれているのが面白い。作者は男性なのに、よく、妃たちの間にいる額田の気持ちの綾がわかってるなあ、、、と感心したり。この小説では、ほとんど真ん中くらいにやっと大
愛媛県の歴史研究家が『非時香菓ーー斉明天皇・天智天皇伝説ーー』という小説を書きました。斉明天皇についての新しい視点に立つ歴史小説です。というのも、愛媛県には斉明天皇に関する伝承が数多く残っているそうです。本業が忙しい中、未完に終わることなく書き上げたものです。『古事記』や『日本書紀』に第11代垂仁天皇が田道間守(たじまもり)を常世国に遣わして、「非時香菓」(ときじくのかくのこのみ)を求めさせ、10年もの歳月をかけて持ち帰りましたが、その間に天皇は崩御したという話が出てきます。その「非時香菓
壬申の乱を読んでいた時にいただいたコメントでリコメンドいただいた額田女王(新潮文庫)額田女王(新潮文庫)文庫井上靖(著)を購入して今、読んでいる。とりあえず、壬申の乱」を紹介、本をくれた母にお礼にこの本を、、、と思っているのだが、なんせ、私。母と違って読むのが遅い。ということで、皇極斉明天皇について明日香を訪ねたYouTubeを発信している梅前佐紀子氏の著作皇極斉明天皇についてのフィクション物語皓月〈1〉―皇極・斉明天皇物語〈第1部〉
「社会サンカク」を知っていますか?高市早苗新総理の誕生で、「四角四面」な男性中心社会に、新たな風が吹き込んでいます。「社会参画」とは、単に社会の活動に参加するだけでなく、より良い社会の形成に向けて、企画・計画の段階から主体的に関わり、意見を出し合い、責任を分かち合うことです。具体的には、地域活動や政策立案、環境保全、子育て支援など、様々な分野で自分の能力や意見を活かして関わっていくことです。11月25日は「OLの日」。どちらかというと、オフィス・レディーに対するイメージは事務仕事や
来月の白浜温泉の旅のために本を探していますがなかなか良さそうなものが見つかりません。古代の斉明天皇や持統天皇の行幸、有間皇子に関するものがあればいいのですが、そうそううまくはいきませんね。白浜温泉が舞台の小説となると何故か殺人事件系ミステリーばかり😅西村京太郎さんの『悲運の皇子と若き天才の死』を見つけ、まさに白浜温泉と有間皇子に関連しているかと期待をこめて読みましたが…作者が何をテーマにして書いたのかさっぱりわからない😩強いて言えば第二次世界大戦の日本軍と東條英機の愚行について
2022年復旧が終わった奈良の牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)の石の八角造形は異様です。陵の主は飛鳥時代の女帝、斉明天皇の可能性が高いといいます。斉明天皇は天智天皇の母親で、天智天皇は中大兄皇子のことで、乙巳の変(昔は大化の改新と学校で教えていました)と呼ばれる当時の権力者蘇我入鹿を倒した首謀者の一人です。MAPで眺めていたら、またまたあることに気が付きました。牽牛子塚古墳の東に吉備姫王墓があり、その東に鬼の雪隠があり、その東に亀石があり、その東に酒舟石があり、定規を置くと一直
25.11/09sun.10:21-15:45藤原宮跡から別所町を南西に、春日神社の森集落を南に東に折れて天香久山に向かう山麓を左回りに、天岩戸神社拝殿本殿?天照大御神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天岩窟(あまのいわや)または天岩戸(あまのいわと)と言われる巨石がご神体とのこと…聖徳太子御遺跡二十八霊場第十三番の日向寺(にっこうじ)に立ち寄り損ねてひたすら南に、大官大寺跡平城遷都で寺籍を大安寺に移す明治中期まで、金堂跡と塔跡が残り礎石も…明治22年、橿
2回目の明日香村訪問不思議な巨石たち当時の人たちどんな技術を持って加工していたのか謎ですとにかくデカい11m×8m×4.7mの長方体をしていて、天面には約1.5m×1.5m四方の穴が2つ開いています古墳の中におさめる石槨と言われていますが、作業途中に亀裂が入り未完成のまま放置されたようです亀裂から水が漏れるのも確認できます天面の穴、キレイにカットされてますね削ってる跡ですねこれが益田岩舟ですこちらも不思議な石酒船岩舟綺麗に削られてますが、何に使われていたかは謎です両
☆酒船石大和国高市郡奈良県高市郡明日香村岡字酒舟(「奈良県立万葉文化館」P利用)「酒船石」と「亀形石造物」・「小判形石造物」及び砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて「酒船石遺跡」呼ばれています。「酒船石」がその遺跡とは関連が無く別個のものであると、川上邦彦氏等は見ていますが。小高い丘上に座しています。花崗岩製で大きさは長さ5.5m幅2.3m厚さ1m。主軸はほぼ東西を向いているとのこと。写真のように岩面に円と直線を組み合わせた不思議な模様が彫られています。円形窪を直線溝で樹系図状
☆亀形石造物(酒船石遺跡)大和国高市郡奈良県高市郡明日香村岡字酒船(「奈良県立万葉文化館」P利用)*入場料(文化財保存協力金)300円(石舞台古墳とセットで700円)◎明日香村観光ポータルサイト亀形石造物|明日香村観光ポータルサイト|旅する明日香ネット亀形石造物。明日香村で開催される情報をお届けします。今日開催されているイベントはもちろん、週末の「どこ行こう」に役立つ情報が満載!定番イベントから季節の旬なおでかけ情報。。asukamura.com酒船石と「亀形石
「大化改新」論(三―三)――「狂心の渠」と「前期難波宮」について――一,「専守防衛」に向けた方針①国内軍事力増強のための方針ⅰ国内兵力の戦闘地・防衛地への迅速な終結と派兵ⅱ国内にある武器の最大限の活用これについては、(三―二)で論述した。ここでは、次の②、③について論ずる・②物理的な防衛体制の整備方針ⅰ九州にある「都」を守るための防衛施設の整備ⅱ「都」が破られた時の,二次的防衛設備の整備③交戦となった際の「戦略」の
牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)/別名「あさがお塚古墳」.......................................〈特徴〉・八角墳・巨大な凝灰岩をくり抜いて2つの墓室を造った・横口式(よこぐちしき)石槨(せっかく)・夾紵棺(きょうちょかん)の破片、七宝亀甲形飾金具、ガラス玉、歯牙が出土.......................................飛鳥駅で借りた電動自転車に乗って自然豊かな住宅・田畑地を約5~10分くらい
今回は、明日香村でガチャをやってきました。場所は石舞台古墳の近くの売店にて。一回三百円。全十種類。今回なんと、現金が使えないガチャでした。なかなか珍しいですね。なので、PayPayを使ってやってみました。ちなみに、僕がPayPayを使うのは人生初です。いざ、一回転。出てきたのは、「牽牛子塚古墳」でした。八角形を成す墳丘です。ここに、皇極天皇(重祚した後の斉明天皇)が眠っていると言われています。これは個人的にかなり当たりですね。嬉しい限りです。皆さんも石舞台古墳へ行かれた
「閑話休題」(八二)一、令和七年十月二一日(火)~二四日(金)にかけて、「東京古田会」が主催した『古田先生の「九州王朝」説の痕跡を巡る旅』に参加させて頂いた。小生は、「東京古田会」の非会員ではありましたが、参加したい旨の連絡をしたところ、快く受け入れて頂けました。希望した最大の理由は、「筑前大島や対馬」が旅程の中にあったためでした。二、これまで「机上独学」を旨として、他の研究者に交わることもなく、また古代史関係の遺跡・遺構を巡ることなく、一人自らの思いのままに
レモン彗星☄️🍋が前回接近したのはなんと奈良に都があった飛鳥時代🌇(゚д゚)“天智と天武”のあたりらしくエモすぎます✨✨
先日のテレビ番組からマイブームとなっている皇極斉明天皇と明日香の土地。そして、先週、面会に行った母からもらった本がなんと!!!小説壬申の乱〜星空の帝王〜樋口茂子(著)皇極斉明天皇のお子様たちのお話ですよ。なんとタイムリーな!!と、少しずつ読み進めております。しかし、昨日母のところに面会に行って、こないだの本、壬申の乱、おもしろいね!!と報告したところ、そうでしょ〜?一晩で読んでしまって、もう一度読んだわよ、といや、それテレビゲー
西暦655年、いったん退位していた女帝・皇極天皇は、再び皇位について斉明天皇となった。斉明天皇は62歳と、当時にしては高齢であったが、朝鮮半島の諸国と使者を交換し、唐にも使者を遣わしたほか、蝦夷や粛慎(みしはせ)※注釈1といった北方の平定にも力を入れた。そんな中、西暦660年、朝鮮半島の百済(くだら)が、唐と新羅(しらぎ)の侵攻を受けて滅亡すると、抵抗を続ける百済の遺臣たちは、大和朝廷に援軍を要請してきた。斉明天皇を補佐していた皇太子の中大兄皇子(なかのおおえのおう
「九州王朝衰亡と日本国成立」論(四)――「持統天皇」の破格の報償の持つ意味――黒澤正延持統四年十月の条に,唐に捕囚の身となり三〇年ぶりに帰国した大伴部博麻に対し,詔が下されたとの記述がある。その中味たるや一軍丁(兵士)に賜うには,前後に例を見ないほどの破格なものであった。その中で最も目を引くのが,「水田四町賜う。其の水田は曾孫に及至せ。三族の課役を免して,其の功を顕さむ。」との記述で
奈文研藤原京跡資料館に展示の持統天皇像◆「真の持統女帝」顕彰~反骨と苦悩の生涯~(32)持統天皇は51歳となりました。現在の私よりまだまだ若いとはいえ当時のこの歳は現在に換算すると…70歳くらい?にはなるのでしょうか?大先輩やんか(笑)私自身はここ数年で一気に身体の衰えが出始めましたが、彼女もそうだったりするのかな…。持統天皇の終息とともに間もなくこのシリーズも終息を迎えますが、いつまでも何らかの形で彼女の「素顔」を追い続けられたらいいなと思うのです…。~*~
★第三十七代斉明天皇は第三十五代皇極天皇の重祚、飛鳥時代の女性天皇です。御父は敏達天皇の孫にあたる茅渟王(ちぬのおおきみ)、御母は欽明天皇の孫にあたる吉備姫王(きびのひめみこ)。また天智天皇、天武天皇は皇子です。推古天皇二年(594年)生。御名は宝皇女(たからのひめみこ)。用明天皇の孫にあたる高向王と結婚した後に、舒明天皇の皇后となり、葛城皇子(中大兄皇子:天智天皇)、間人皇女(孝徳天皇皇后)、大海人皇子(天武天皇)が誕生しました。在位、皇極天皇、皇極天皇元年(642年)から皇極天皇
8月24日が命日・忌日の有名人・著名人661年67歳崩御(?)皇極天皇(斉明天皇)陛下日本の第35・37代天皇舒明天皇の皇后1858年73歳没(?)鷹見泉石さん蘭学者、下総国古河藩家老⇒『鷹見泉石(1785年8月3日生~1858年8月24日没、蘭学者、下総国古河藩家老)』1888年66歳没(貧血症)ルドルフ・クラウジウスさん物理学者エントロピーの概念の導入1945年満57歳没(自決)田中静壱さん日本陸軍大将終戦時の叛乱(宮城事件)を鎮圧1956年満5
シリーズ、皇極・斉明天皇の生涯を追え!の⑨最終回まで視聴完結!!応えありました!!!>>>>>前のブログから絶対に斉明天皇を研究深掘りした人がいるはず、とネット検索して探してきたのが、この方。梅前佐紀子さん。すでに皇極斉明天皇をモデルにして歴史小説を上梓されているとのことですが、このYouTubeでは、歴史小説に書いたフィクションを懺悔しつつ、皇極斉明天皇の明日香における実際の足跡を自転車で時系列にも忠実に追った動画というすばらしいものを発見できました!いやーイ
絶対に斉明天皇を研究深掘りした人がいるはず、とネット検索して探してきたのが、この方。梅前佐紀子さん。すでに皇極斉明天皇をモデルにして歴史小説を上梓されているとのことですが、このYouTubeでは、歴史小説に書いたフィクションを懺悔しつつ、皇極斉明天皇の明日香における実際の足跡を自転車で時系列にも忠実に追った動画というすばらしいものを発見できました!いやーインターネットは便利です!!!私、40年以上前に南河内の下宿に東京から遊びに来た友人、に小型自動二輪免許を取り立てでしたが
「閑話休題」(八十)一、「九州倭国通信」№二一八に接する機会があった。冒頭、木村寧海氏の「朝倉橘広庭宮の比定地」と題する論考が載っていた。そこに、非常に興味深い記述があった。二、「志波台地には宮に関連する宮原、宮下、政所、落中(洛中?)と言った地名があり、天皇が玉座した宮の中枢部は麻底良山を北西に望む落中地区の志波小学校付近が想定される」というものである。三、これまで「志波台地」に足を踏み入れたこともなく、地理に不案内な小生にとって、この記事から具体的なイメージを
私は40年以上前(昭和時代)、に南大阪付近で遺跡の発掘のバイトをしたり、友人が遊びに来た時に案内して明日香村などを訪れたりしたりしていて、将来、住むのは奈良県で明日香が良いなあ、、、、なんて漠然と考えていたくらい、なのですが。。。。。結局東京に暮らしてん10年。で、いろいろ、まだまだ発掘が続けられていて、新たな知見が発見されていたのだなあ、、、と感慨深く、視聴させていただいたのが、この番組。「番組シリーズ古墳の時代(2)八角墳に眠る女帝〜斉明天皇の“石の
七月二十四日です。木曜日。【皇極天皇(斉明天皇)。】六六一年の今日、皇極天皇(斉明天皇)が崩御されました。歴史上に二人しかいない重祚したことのある女性天皇の一人ですね。五九四年に誕生。敏達天皇の曾孫、押坂彦人大兄皇子の孫。茅渟王と吉備姫王の子として誕生しました。舒明天皇の皇后となり、中大兄皇子、間人親王、大海人皇子を産みました。六四一年に舒明天皇が崩御されると、翌年に「皇極天皇」として即位しました。飛鳥板蓋宮に居ました。写真は、飛鳥板蓋宮。大化の改新が始まった頃より孝徳天皇へ譲位