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皆さんこんばんは。恒例の夜中の本紹介。「文身」岩井圭也初読の作家さん。表紙を見て何となく面白そうな匂いがしたので読んでみました。さてどうでしょうか?物語は、文学界で(最後の文士)と崇められた小説家の葬儀の場面から始まります。無頼な生き様を投影した作品たちは、読者や批評家には評判が凄いのですが、家族にしてみると身勝手な父としか感じませんでした。喪主をつとめ娘が家に帰ると、亡き父が執筆したとされる原稿が郵送で届きます。その小説のタイトルは(文身
舞台・あくわらロマンス編(2023.6.21〜2023.6.25)ではディリーキャスト制を導入していてね...1つの役を日替わりで複数人が演じていました...好きな唄い手さん(佐々木淳平さん)も参加されていたのですが...突然、先様との約束がキャンセルになり伺った回は別の方でした...『舞台観劇致しました①』なんだかんだで、結局例の舞台(あくわらロマンス編)を拝見致しました...実は、公演の期間中、全て予定が入っていました。劇場の場所が豊嶋氏(大阪の豊
『文身』岩井圭也先生。読みました。破滅的な生き方をした小説家の話。ガツンとやられた(褒めてます)物語からパッションが溢れてきて物語にグイグイ引き込まれて一気読み。緊張して読後に手汗がすごかった、、、、とにかく面白い。岩井圭也先生はまだ二冊しか読んでませんがっ、私、ハマりました。ぜし読んでみてみて。4月23日(日)は【下北落語会】です。みなさまぜしきてのすけ。会場:シモキタオープンイノベーション(東京都世田谷区北沢2-37-172階)開演:14時料金:1000円
テスト
お久しぶりです。最近よくお客さんからブログは書かないんですか?というお声を多数いただきましたので久々にこちらの方に投稿しようかと思います。と言ってもこれと言って状況は変わらず毎日忙しくさせていただいてます。最近の背中の制作途中の作品です。どれも楽しみに作品ばかりです。最近めっきり寒くなってきましたね。山口市は盆地なんで夏は暑く、冬は寒いです。私はバイクによく乗るんですが、もうバイクに乗る時はしっかり防寒してじゃないと乗れないぐらい寒くなってきました。日本の四季はどれも好きで、冬
日本の歴史(Historyofjapan)ほんとうの・この国のかたち世界は「縄文」を知ってしまった。その2ひじかたすいげつ「縄文」は世界遺産に。神武天皇の母は海神族。縄文人とも中国夏王朝の王「禹」の末裔ともいわれる。「禹」はよく日本の川にもある「大禹漠」にも見える「蛇身」であり水神の「龍」でもある「三皇五帝」の一人である。殷周革命に出てくる「女媧」も「蛇身」や「龍身」で描かれることが多い。出雲は象神と龍神を祀る。出雲はクナトノカミとサイノカ
今日もブログにお越しいただき、ありがとうございます。鍼供養の日ですね。この時期になるとこちらでは平地でも雪が降ることがあるのですが、今のところ山間だけで助かります。けれど山に雪が積もった日は朝がとても冷たいです。やはり冬です。裁縫したことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようもちろんあります。私の年齢だと和裁は浴衣くらいですが、少し上だと和裁、洋裁とも上手な方が多くいらっしゃいます。さて昨夜は岩井圭也さんという作家の作品を読みました。見出しを見
昨日は先輩宅にお呼ばれいたしまして天然のなめこをご馳走になりました^_^椎茸並みに大きいのもありました。なめこ汁最高でしたご馳走様でした^_^
前回のブログ『!浙江省紹興(東冶)付近で鋳造された鎏金獣帯鏡』から続きます。https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12633293444.html私が球磨から発信するこのブログを御覧頂きありがとうございます。お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、お亡くなりになられたすべての方々のご冥福を心からお祈り申し上げます世界中で新型コロナウィルス感染が再拡大していますがこの難局を世界中が
本日も仙台での仕事終わり^_^そしてフライヤーを知り合いの店に3件置かせてもらいにいきました。ありがとうございます😊最後の店で15年ぶりの先輩に遭遇^_^ご馳走様になりました!今度はゆっくりおつきあください。おやすみなさいませ
前回のブログ『恒星アケルナル熊本県南部以南でしか見る事が出来ない星』より続きます。https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12629277347.html私が球磨から発信するこのブログを御覧頂きありがとうございます。お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、お亡くなりになられたすべての方々のご冥福を心からお祈り申し上げますこの難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈り
前回のブログ『第一回国勢調査から・・うちの宮原家の事がまた少しだけ解りました』より続きます。https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12627410882.html私が球磨から発信するこのブログを御覧頂きありがとうございます。お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、お亡くなりになられたすべての方々のご冥福を心からお祈り申し上げます感染した方々の早期回復を心からお祈り申し上げます
南無仏太子像(上半身部:奈良国立博物館)教科書日本史では、仏教は百済から西暦538年に伝えられたとされています。小学生だったころ、「仏教伝来ゴミ屋さん」の語呂合わせで覚えたものでした。調べると538年説は、奈良時代中葉の天平十九年(747)までに成立していたことが分かっている『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』に「戊午十二月度來百濟國聖明王時太子像并灌佛之器一具及説佛起書卷一筐度」とあることに依っています。百済の聖明王のとき太子像と仏具一式、経典などが渡来したというのです。「
漢代の石像にある「扶桑樹」(日本財団図書館)今回は本稿にあっては余談に属します。《倭人の肖像》に付随する周辺情報であって、倭人と倭国、倭王権の考察に直接結びつくものではありません。「文身國」は倭人の黥・文身の習俗と関連しますが、「扶桑國」となるとやや希薄です。ともあれ、「扶桑國」についてです。『梁書』は「扶桑を実在の地として記事を載せるのは初めてである」と自慢しています。その根拠は、「普通中有道人稱自彼而至其言元本尤悉故扞録焉」――梁の初代皇帝蕭衍(武帝)の普通年
黥をした兵士(復元埴輪:八幡塚古墳)黥を顔(額や目の周り)に入れることを刑罰の一つに組み込んだのは、黥を蔑みの対象に貶めたことになります。それは倭人世界の支配階級から黥の習俗を取り上げ、華夏の風習に倣わせるのがねらいでした。文身を禁じなかったのは、被支配階級の習俗だったことに依っています。ヤマト王統の中核(王族、貴族、上級吏僚、宗教関係者)が黥・文身の世界から離れたのは、中華思想を具現する過程での出来事だったことを物語ります。政治が代々の習俗・習慣を意図的に改変するのは、決して難
古代エジプトのアイシャドウ『書紀』における「黥」の初出は、第17代イザホワケ(履中)元年夏四月条、阿曇野連浜子の目の周りに黥を施したので「阿曇目」(アヅミメ)と呼ぶようになったという逸話です。それは目黥が刑罰となった経緯で、もっと前、倭人のごく通常の習俗だったときは「クメ」(久米/来目)、「トメ」(利目/斗米)と呼ばれていたようです。目の周りに色を入れて強調する身体装飾(化粧)は、現在でもアイシャドウとして広く行われています。有名なのは古代エジプトのファラオですが、これは黥ではな
ウコクの女王紀元5世紀の後半から6世紀の初頭にかけてのころ、倭国の王統は「自分たちはもう蛮夷の族ではない」と考えるようになった――というのは、『宋書』倭王武の上表文からの推測です。そんなのはお前の勝手な推測に過ぎない、と言われればそれ切りですが、まんざら論拠がないわけではありません。それは倭人が倭人たる文身断髪、なかんずく文身の習俗です。「魏志倭人伝」が強調しているように、3世紀の倭人の男子は大小尊卑の差なく、「黥面文身」を施していたとされています。「黥面」は顔に入墨を入れること
馬祖天后(TAIPEInavi)確認のために書いておくと、「太伯の後」とは華夏周王統・姫氏の子孫のことです。周王朝の初代武王(姫発、伝説上の在位期間は紀元前1046~前1043年)の3代前(曾祖父)を古公亶父(ここうたんぽ)といい、その長男が太伯とされています。余談ながら古公亶父は「太公」とも呼ばれ、釣りをしていた呂尚を腹心の軍師に望んだことから、釣師を「太公望」と呼ぶようになりました。また「太公」は華夏では曽祖父のことだそうですから、「太伯」は大伯父(祖父の兄弟)の一般的な呼
●会稽郡の海外に東鯷人がいる。分かれて二十余国を作っている。また、夷洲(いしゅう)と澶洲(せんしゅう)がある。こう言い伝えられている。秦の始皇帝は方士の徐福を派遣し、子供の男女数千人を率いて海に入り、蓬莱神仙を求めさせたが出来なかった。徐福は罪に問われるのを恐れ、敢えて帰らず、ついにこの島に止まった。代々受け継がれて数万戸がある。その人民が時おり会稽の市にやってくる。会稽東冶県の人で、海に入り、風に流されて澶洲に着いた者がいるが、所在地はあまりにも遠く、往来することはできない。※この記述は「会
みなさまこんにちは❤❤❤おげんきでおすごしですか。ところで先日の朝霧裕&奥野裕介ふたたびおうちコンサート(これね↓)これの中でだっこ「本が発売になったのですけど、、、、わたしが書いたんじゃないんですけど、、、モデルさんをしたんですけどえーと、、、これはyoutubeなので言っていいのか??(-▽ー)YouTubeが言った瞬間バーンと消える???」奥野殿「いや消えないでしょ、えー、だっこさんが、大変な格好で、その本に出ているようです、服を着
私が発した言葉は、私の文身。この分身は、ようしゃなく人を傷付けるこの文身は、幸せを運んでくる私は、たくさん人を傷付けて来た私も、たくさん傷付いた私は、たくさん人を勇気づけた私も、たくさん勇気づけていただいたたった一言違うだけで意味が変わるどんな文身を発するかは生まれてからの習慣これを変えるのは、時間がかかるし根気がいる私は、両親に感謝します。先輩に恵まれました。言葉に厳しかった。20歳の頃から、10歳以上歳が上の先輩に可愛がっていただいたもちろん、私の言
こんばんはドラクエウォークエンジョイ勢です僕の最近の趣味はSUUMOで億ションをみて妄想に耽ることですDOOMO何ならこの際ドラクエウォークしながら実際の家も見て回ろうかなとも考えてますさ僕のしょーもない趣味の話はこの辺で今日はちょっと時間が出来たので久々更新す昨日と今日の画像だけですがさらっと行きます虎の毛筆風タトゥーいよいよ完成見えました!薔薇と蝶の楽園的タトゥーこちらももう少しで完成す鳥の足のタトゥ
こんばんはNOMUSICNOLIFEじゃない人です僕の人生そんなに音楽は必要ないですむしろNOMUSICで大丈夫なんですでも・・・そんなしょっぱい僕でも毎年この時期になるとこの曲を思い出します・・・と言うか震災の情景を思い出しますもう最近じゃこの曲知らんって人も増えてるそうで・・・悲しいなーと思わずには居れないですこんだけNOMUSICNOLIFEやって言うとる人が多いんやからペラペラのオナニーバンドの音楽なんかより、こういう曲を聴いてほしいなーとペラペラの僕は切
こんばんは孤独死は嫌だです今日はちょっと遅くなったので、写真だけサクッと行きます!夫婦鯉のタトゥー!無事フィニッシュです!イニシャルのポイントタトゥー超絶久々に来てくれました!あざす!持ち込みデザインのアレンジタトゥー良い感じに仕上がりそうな雰囲気しかないす!花魁のタトゥースタート!こっからの進化をお楽しみに!世界旅行から帰ってきてのNEWタトゥー!またいつでもお遊びに来てください!んでもって
こんばんは目指せアルピニストです盛りましたでも山が僕を呼んでいますきっとそんな気がする多分呼んで・・・る?気がするって事で!!たまには仕事離れて山!!登ってきます21-23まで!!阿蘇山に!!やたらタトゥーイベント参加しますアピールしとる中僕は山登りますアピールします!!一緒に行きたい方はお気軽にご一報を!!↑wwwあタトゥー・刺青についての質問もOKですwさ最近更
明けましておめでとうございます!本年もよろしくお願いします!僕を!!僕をよろしく!!むしろ僕だけをよろしくしてください!!いやーまともにブログ書くの超が1万個くらいつく・・・いち・・・まんこ・・・くらい・・・www僕は変わらず元気いっぱいおっ○いですそして今年も正月気分は0です皆さまお正月ポイ事何かしましたか?初売り?初詣?初日の出?そんな僕から皆様に質問元旦と元日の違いって知ってますか?僕はねー
興味がわいてくることが、あちらこちらに飛びまくっている今日この頃…。ふと、ウィキペディア【蝦夷】をクリックして読んでいたら、おおお…(゜_゜)と思う内容があったので、抜き出してメモしておこうと思う。【蝦夷】出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7↓↓↓(引用開始)↓↓↓蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在
私のブログに訪れてくださり、ありがとうございます。10月29日の記事を修正し、再掲しました。前回の続きです。沖縄で、文身に対する禁止令が出され、取り締り対象となったのは1899年の事である。(南島針突紀行P11参照)今から、丁度120年前なのですね。その日を最後に、身体に刺青を施したおばぁは既に、お亡くなりになられていますね。当時の年齢を17歳と仮定し計算すると(令和元年現在で)137歳です。良くも悪くも、誰かの感覚が、風習(文化)を消したのですね。でも
私のブログに訪れてくださり、ありがとうございます。10月26日の記事を修正し、再掲しました。まずはじめに、日本は敗退してしまいましたがラグビーワールドカップ準決勝(イングランド対ニュージーランド)は10月26日17時、キックオフです!GMOさんの無料画像より、お借りしました。同大会を通して、多くの選手のタトゥーを目にしました。日本で、刺青は反社会勢力と繋がるタブーな文化とされています。日本チームで活躍された選手は、公の場に出る際、長袖の着用を指導されたり、また、他国の選