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※2025年10月18日訪問※島の海岸沿いを歩いていると【巌流島】の標柱と船をモチーフにした【文学碑】が設置されていました✨標柱には『武蔵・小次郎決闘の地慶長十七年四月十三日(一六一二年)』と書かれています✨標柱の隣には石造りの【文学碑】が舟をイメージした碑には、画家・古舘充臣氏が描いた武蔵・小次郎の姿と、村上元三作『佐々木小次郎』の一節が刻まれています✨『白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。この後も、絶えず兎禰(とね)の眼に浮かんで消えることのないであろう小次郎の生きて
(旧)文月十四日遊郭の跡の広場に「何もない庭」の詩文が似合いすぎてる雲端大阪メトロの旅四つ橋線編かつての江戸三大遊郭のひとつ新町遊郭その跡地の北の端が「新町北公園」となっている。そこに明治から昭和にかけて活躍した百田宗治の文学碑が建つ。詩文は代表作「何もない庭」百田宗治と聞いて真っ先に浮かぶのは童謡「どこかで春が」だと思う。この歌は作者が百田と知らずともご存知の方が多いと思う。また百
『芥川龍之介』芥川龍之介は明治25年3月1日に京橋区入船町に生まれました当時入船町(現中央区明石町)は外国人居留地であったので日本人でこの地に居を構えたのはたった3軒だけ…ameblo.jp
こんにちは!静岡の三島からちえこです。梅雨の季節を迎えました水辺の紫陽花がいきいきと迎えてくれています。三島の街を歩くときれいなせせらぎを見かけ、これからの季節は豊かな湧水に涼を感じながら散策を楽しめます。三島駅南口から5分ほど歩くと、楽寿園正門前に位置する“湧水と森と溶岩のある公園”「白滝公園」こちらをご紹介します。市立図書館やあひる図書館、ジンジャーブックスが近く、涼を求めてひとやすみする人、ベンチで読書をする人もいます。夏場は水遊びをする子どもたちで賑わう公園で
雄島にある神社は重要文化財なのWEB大湊神社(top_page)越前、三国町安島の雄島に鎮座する「大湊神社」と坂井市三国町・あわら市北潟周辺の神社サイトechizen-oshima.com三保大明神とも号せられ航海・漁業の守護神安置された伊邪奈岐命の欅1本彫の坐像建物と共に県の重要文化財鳥居の先に東尋坊タワーが『東尋坊』越前海岸を巡って東尋坊へhttp://www.mikuni.org/conten
今回は沼津旅行の記事を一回お休みして、ゴールデンウイークのちょっとしたお出かけについて書きます。混雑が予想される連休中はどこにも行くつもりはなかったけれど、5月5日に晴れて適度な気温だったので急に思い立ち、スーパーに買い物に行くついでに電車に乗り矢切まで足を伸ばした。北総線の矢切駅のホームの発車メロディーは細川たかしさんの「矢切の渡し」である。改札を出ると渡し船が展示されている。矢切の渡しは都内で唯一の渡し船として江戸川を挟んで千葉県の矢切と対岸の柴又を結んでいる
私の通う近所の秋津図書館でも晴れた日は、扉を開放してあり外のベンチで図書館から借りた本を読んだり出来ました。そこには、山桜が、本当に美しかったですいのちの初夜はハンセン病患者である北條民雄が療養所(全生園)に入所してから書いた短編書籍です20歳から23歳の短き生涯の生きた証です最初の一夜というタイトルでしたが(北條民雄は)川端康成の希望により「いのちの初夜」となる艶っぽいタイトルですが、まったく別物ですいのちの初夜、借りて愛読させてもらいましたらい病を宣
先日埼玉県深谷市に行ったとき、うろちょろしていて、北川千代文学碑を見ました。郷里が深谷に近いので、何となくうろ覚えの感じでしたが、ここにあるのかと思い懐かしい感じがしました。(大崎バックグランド)に戻る。なおアルバムや映像等は【北川千代文学碑埼玉県深谷市】を参照願います。大崎バックグランドメニュー歴史家庭菜園大崎検定
広全寺(岩手県一戸町)での墓参の帰り「三浦先生のお墓は?」と品の良い年配のご夫婦に聞かれた。三浦先生とは一戸町名誉町民芥川賞作家三浦哲郎のことである。(後で考えると、私は坊主頭なので、もしかしたら寺の関係者に間違えられた。)中学生の頃、「忍ぶ川」の石碑の序幕式があった。主人公の「志乃」というお店は今でも町内にあり「忍ぶ川」という飲み屋もその昔あった。親戚に志乃のモデルだったと言うおばさんがたくさんいた。「ユタと不思議な仲間たち」はNHKのドラマで、隣接する金田一温泉(二戸市)が舞台であ
山本有三文学碑ですか。栃木市太平山の謙信平の片隅に。山本有三の名作「路傍の石」の一節ですかね。
先週末、野菊の墓文学碑から野菊のこみちを歩きました。名産の矢切ねぎが広がります。葉物野菜畑の向こうにスカイツリー。スカイライナーが通りすぎていきました。都心から20キロ圏内の広々とした景観、未来に継承していけますように。
両国を少し散歩。ここを散歩の間は雨が弱くなってくれて散策しやすかった。勝海舟生誕の地芥川龍之介生育の地芥川龍之介の文学碑吉良邸跡首洗いの井戸を目の前にしたときは動揺したけれど(哀しくなってしまう)お稲荷さまには新しい油揚げがお供えされていてここがとても大切にされているのを感じて落ち着けました案内には彼の優秀さや領地での慕われぶりも書かれていて芝居や物語でのイメージとは違う姿を知りました和菓子屋さん見つけてたのに寄るの忘れた🥲
前回のブログ記事で、いつも行く川が禁漁になったと記載しましたが・・・本日漁協のホームページを見たら、今年から10月31日まで釣りが出来る事になっていた!!諦めていたがチャンスが到来。腰の調子も良くなってきたしアマゴ(できればサツキ)の顔をが見たいです。でもメッキも始まっているし(爆アップする写真が無かったので昔の写真ですがUPします。忠さんと亡くなった後輩Kと、Nabeと私開高健さんの文学碑【河は眠らない】の前で撮影した写真です。
「大田洋子文学碑」碑前祭~広島文学資料保全の会2024.8.22024年8月2日。中央公園がサッカースタジアムができたので、大田洋子文学碑が移転された。碑前祭が行われました。主催は、広島文学資料保全の会。事務局長の池田さん。彼は詩人。会長の土屋時子さん。サッカースタジアムの西側。サッカースタジアムに用事があったら、ちょっと覗いてみてください。
伊豆市の文化財(教区委員会発行)に載っている、文学碑のうち、自分で見てきたものを載せてみます。松尾芭蕉句碑加殿(妙国寺)梅が香にのっと日の出る山路かな渡辺恭子句碑昭和の森会館内夢のはじめも夢のおは里も花吹雪恭子井上靖文学碑湯ケ島宿(旧井上邸跡)しろばんば井上靖その頃、といっても大正四、五年のことで、今から四十数年前のことだが、夕方になると、決まって村の子供たちは口々に、”しろばんば、しろばんば”
文学碑川端康成湯ケ島国有林内(水生地)伊豆の踊り子道がつづら折りになっていて、いよいよ天城峠に近づいたと思ふころ雨脚が杉の密林を白く染めながらすざましい早さで麓から私を追ってきた川端康成(伊豆市教育委員会発行伊豆市の文化財より)国道R414を南に向かい、天城トンネルの数百メートル手前に、左にそれる旧道があり旧天城隧道を通って河津にでられます。舗装してなくて走りにくいですが、1kmくらい入った左側に碑があります。
Yahooニュースより転載。原爆を告発した作家・大田洋子の文学碑が移設その場所の理由8/3(土)7:15配信移設された大田洋子の文学碑に献花する高校生たち=広島市中区で2024年8月2日午前10時40分、宇城昇撮影碑が立つ場所は、そこであるべき理由があった。自らの被爆体験から原爆を告発し続けた作家、大田洋子(1903~63年)の文学碑がサッカースタジアム「ピースウイング広島」(広島市中区)の建設に伴い近くに移設され、文学愛好者や被爆者、高校生らが集まって2日に碑前祭を開いた。人
前回(2016年)に来た時は矢切の渡しに乗って、少し川沿いをぶらぶらして、柴又に戻りました。が、今回は違うルート。目的地は「野菊の墓」の文学碑を観に行くこと。歩いて20分くらい。畑のきわに菖蒲。山本亭で絵はみたけど、生花が見れたのは嬉しい出来事。目的地までの途中にもに「野菊の墓」に関する碑があちこちにあります。「民さんは野菊のような人だ」なんともステキなセリフです。橋の絵も「野菊の墓」がモチーフに。「野菊の墓」の本を読み、松田聖子初主演の映画も見たばかりなので、切なさが鮮明に残
書写山[圓教寺]しょしゃざん[えんぎょうじ]摩尼殿(本殿)大講堂阿弥陀如来座像[椎名麟三]文学碑鐘楼映画やドラマのロケ地でも有名ですラストサムライや本能寺ホテルその他にも多くの映画ドラマがあります
女川港のある女川町は石巻市ではないっつーのに、わかってない人がいるし、Facebookもわかってなかった。高村光太郎の原稿を碑にしてある。高村光太郎文学碑にて。高村光太郎は1931年に三陸沿岸を巡る旅で女川を訪れ、数々の詩歌などを残したらしい。高村光太郎(たかむらこうたろう、1883年〈明治16年〉3月13日-1956年〈昭和31年〉4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。死没地は我が東京都中野区。
お出かけblogゆっくりボチボチと更新中桜島とお花巡り②鹿児島市林芙美子文学碑・古里公園(5月18日)駐車場から桜島を望む雄大な景色に圧倒される林芙美子文学碑とりあえず見た事ないので行ってみまーすわぁ〜素敵ここから見る景色、好きになっちゃいました溶岩と松🪨🌲幼き日のフミ子の像フミ子も雄大な桜島を眺めて過ごしたのかな奥に行くと海が見える〜遥か遠くには開聞岳が見えて景色は最高誰かが置いた松ぼっくりが良き溶岩と松の木の共存生命の力強さを感じられたこの後、駐車場に戻
豊浦町礼文華にある文学碑公園。北海道道608号線大岸礼文停車場線に面しています。公園の目の前は噴火湾の砂浜です。
昨日、作家の檀一雄文学碑を真っ先に訪れていた。この生垣の道の先、およそ500m先に作家の檀一雄の文学碑がある。檀一雄-Wikipediaja.m.wikipedia.org檀一雄のWikipediaである。実は、ハイジャン男の父は、檀一雄の母の高岩とみと親類ということで親交があり、懇意にしていた。ハイジャン男も一度だけ、父が能古島に居住していた檀一雄を訪ねた際に同行したことがあった。穏やかに語る檀一雄の柔和な印象が忘れられない。その後、檀一雄に肺がんが見つかり、九州大学医学部附
【23年9月3日探索・24年4月27日公開】現在地はこの辺国道400号線としては旧旧道になる、回顧トンネルの旧道は車が入れないようになっていたが時折歩行者がいるのか、それほど荒れてもいなかった。先の方に何か石碑があるが・・・立松和平氏の文学碑だった。その先、遠くには国道400号線旧道が見える位置まで来たんだが、その手前側が怪しい事になっているのが見て取れた。この橋近辺だけ廃オーラがすごいことになっていた。親柱を確認したが、銘板などは
昨日姫路城の北東部のお堀周辺を散策しました。その理由ですがこのお堀の近くに顕彰活動を行っている昭和の文豪・翻訳家の阿部知二氏が住んでいた家がここ数日で取り壊される情報がありその前の姿を残していこうという事で数人で訪問してきました。いつもですと姫路文学館側から見る姫路城ですがまたすこし角度を変えて眺める姫路城も素敵な姿でした。お城の桜はまだ満開ではなかったですがこのお堀の桜だけはほとんど満開でした。この桜の古木の一部に阿部知二氏の父であった元姫路中学校(現姫路西高)の理科の教師であった阿部良
Tetsu龍でございます。さて、今年初めての遠征は、懐かしいやら、寂しいやら、嬉しいやら色々ありまして、只今鋭意編集中です。その中で、遠征中に投稿したのが夜中の城址探し!最初に行った時からそうなんですけど、三島は食べるものが美味しい。だもんで、つい一杯呑みに行ってしまいます。13年前も、呑んだ勢いで城址碑を探しに!今回はリベンジマッチと最初から決めていました。本陣跡も回収。更に、司馬遼太郎の文学碑も回収三島ってええ街やなー。
亀井勝一郎文学碑です函館市宝来町の電停から青柳町へ上がる坂をアサリ坂というがそのアサリ坂を上って右にある亀井勝一郎は函館が生んだ優れた文学者で戦後は芸術院会員となり昭和四十一年東京で死んだがこの碑は同四十四年にこの一角を小公園としてそこに日高産の見事な光太郎石をすえそれに「人生邂逅(かいこう)し開眼し瞑目(めいもく)す」という亀井の自筆を彫ったものである市や商工会議所が有志に呼びかけて建てたものだが刻む語句については彼の著作中から「天には満月地には微笑み」「
G君を仰向け.跨り騎乗。抜かずの3発。それも連続。次回は4発に挑戦するぞ~とG君意気込んでる。
天気が良かったので、1度見たかった「岡本かの子文学碑」に行ってみました。青空に映える白い彫刻。碑のタイトルは「誇り」。作者はご子息・岡本太郎さん。wiki見たら、岡本かの子さんは昭和14年に亡くなられています。85年前か…かなり前ですね。二子新地駅に地図がありました。初めて二子新地駅で降りたのですが、多摩川も大山街道もあって、大変楽しく歩けました。写真も沢山撮れて良かったです。
いつもブログの閲覧、いいねをありがとうございます。娘の課題で文学碑のレポート提出があり、雨の中、付き合わされました。資料はネットで調べればわかるのですが、行った証拠として写真添付が必要とのこと。東京新聞WEB版よりそして、スシローX原神コラボCPがあるというので、スシローに連れていかれ、コラボ食を食わされました(笑)。※ついているカードにシリアルNO.があり、アイテムがもらえるんだとか。昼食作る手間は省けたけど、今月は先日のライブにも行ったし、ちょっと使い