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たまたま、ということがありますねある日、テレビのチャンネルを変えていたら、藤竜也さんがNHKドラマ「魯山人のかまど」に出演していましたその演技力に、私は改めて震えるほどの感動を覚え、テレビ画面に釘付けになりました文化勲章を辞退した北大路魯山人さん役で、第1回から欠かさず番組を見てきました今夜は、4回シリーズの最終回でしたが、ゆったりとした展開と静寂の中にも緊張感にあふれていました2026.4.21Sometimesthingsjusthappenbychance,don’
岡潔さん岡潔(おかきよし)1901年4月19日生まれ、1978年3月1日、満76歳没。大阪府大阪市東区田島町(現・中央区)生まれの数学者。理学博士(京都帝国大学、・論文博士・1940年)。1949年、奈良女子大学教授。1954年、多変数解析関数論に関する研究で、朝日文化賞受賞。1964年4月、奈良女子大学名誉教授。1968年、奈良市名誉市民。1978年、従三位勲一等瑞宝章受賞。春宵十話随筆集/数学者が綴る人生1(光文社文庫)文庫岡潔(著)光文社(2
小林秀雄さん小林秀雄(こばやしひでお)1902年4月11日生まれ、1983年3月1日、80歳没。東京市神田区猿楽町(現・東京都千代田区猿楽町)生まれの文芸評論家、編集者、作家、美術・古美術収集鑑定家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。昭和文壇に大きな影響を与えた文芸評論家であり、日本における本格的な近代批評の創始者とみなされている。アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品
https://x.com/i/status/2040552736115368119より「上村松園邸も売られて不動産屋がぶっ潰すそうです京都市は30年前と一緒。アホのままです不動産屋と癒着したような街づくり組織作って誤魔化しているだけ。なんにも活動していないパートナーシップとは程遠い、行政に都合のいい団体とつるんでるから,今になっても,伝統的建造物群の保存も出来ない」ショックですー。https://x.com/i/status/2040605398793961846よ
その数学的功績により、文化勲章を受章した岡潔博士は、「日本への回帰」と言う本の中で「肉体は本当の人間ではない。肉体的個人というものは仏教では、小我として排斥されたものである。肉体的個人意識をのみ、自分であるとしか自覚できない人間に対して、教化する場合に、イエスは罪の子だと言われたのである。」というふうに説いておられる。人間は罪の子か、神の子かの論争も久しいものであるが、それは人間を単なる肉体的存在として見るか、肉体の奥に物質の奥に霊妙極まりなき存在がある。
田辺聖子さん田辺聖子(たなべせいこ)本名:田邉聖子1928年3月27日生まれ、2019年6月6日、91歳没。大阪府大阪市生まれの小説家、随筆家、文芸評論家。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞などの受賞歴がある。1956年、『虹』で大阪市民文芸賞を受賞し本格的な作家活動に入り、恋愛をテーマにした小説や大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組んだ。1964年、『感傷旅行』で
志賀直哉さん志賀直哉(しがなおや)1883年2月20日生まれ、1971年10月21日、満88歳没。宮城県牡鹿郡石巻町(現・石巻市住吉町)生まれ、東京府育ちの小説家。明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作:1910年、『網走まで』1912年、『大津順吉』1913年、『清兵衛と瓢箪』1917年、『城の崎にて』1917年、短編小説『赤西蠣太』1917年、『和解』19
高倉健さん高倉健(たかくらけん、英︰KenTakakura)本名:小田剛一(おだたけいち)、または小田敏政晩年は親族に剛一郎(ごういちろう)と名乗った。1931年2月16日生まれ、2014年11月10日、満83歳没。福岡県中間市出身の俳優、歌手。高倉プロモーション所属。1998年、紫綬褒章、2006年、文化功労者、2013年、文化勲章を受章。1955年、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。1956年、デビューで映画初主演。19
今日の記念日「建国記念の日」。「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを法定の趣旨として、1966年(昭和41年)に制定された国民の祝日。初代天皇である神武天皇が、紀元前660年の正月1日、新暦に直すと2月11日に即位した日とされ、かつては「紀元節」といわれていた。「文化勲章制定記念日」。文化の発展のため優れた業績を上げた人に贈られる文化勲章が1937年(昭和12年)の今日、制定されたことに由来した記念日。第1回は、物理学の本多光太郎や作家の幸田露伴ら9名が受賞した。
2026年2月11日今日は何の日か建国記念の日建国をしのび、国を愛する心を養う国民の祝日。1966(昭和41)年から国民の祝日になった。この日はかつて「紀元節」という祝日だったが、戦後になってこの祝日は廃止された。1951(昭和26)年頃から復活の動きが見られ、1957(昭和32)年以降9回の議案提出・廃案を経て、1966(昭和41)年に、日附は政令で定めるものとして国民の祝日に追加された。建国記念の日の日附については内閣の建国記念日審議会でも揉
2月11日は、グレゴリオ暦で年始から42日目にあたり、年末まであと323日(閏年では324日)ある。====2月11日の記念日===【建国記念の日(NationalFoundationDay)】"建国をしのび、国を愛する心を養う"国民の祝日。1966(昭和41)年から国民の祝日になった。この日はかつて「紀元節」という祝日だったが、戦後になってこの祝日は廃止された。1951(昭和26)年頃から復活の動きが見られ、1957(昭和32)年以降9回の議案提出・廃案を経て、1966(昭和41
2月11日の出来事紀元前660年(神武天皇元年1月1日)初代天皇・神武天皇が即位。(『日本書紀』による。2月11日はグレゴリオ暦での日付)55年ローマ皇帝ネロが義弟ブリタンニクスを暗殺。1806年小ピットの死をうけてウィリアム・グレンヴィルがイギリス首相に就任。1843年ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『十字軍のロンバルディア人』がミラノで初演。1869年(明治2年1月1日)三浦半島に日本初の洋式灯台である観音埼灯台が完成する。1873年ス
【建国記念の日】1967年(昭和42年)から実施されている国民の祝日。この日はかつて紀元節として奉祝されてきたが、戦後は廃止されていた。建国の日ではなく、あくまでも建国を記念する日としたのも紀元節のイメージを抑えるためとされる。【文化勲章制定記念日】1937年(昭和12年)2月11日、文化の発展に優れた業績を上げた人に贈る文化勲章が制定された。栄典授与は11月3日「文化の日」に行われる。東京製旗日本国旗家庭用セット135601セット楽天市場神棚大神宮
俳優アン・ソンギさん「金冠文化勲章」を受章…葬儀に多くの著名人が弔問俳優アン・ソンギさん「金冠文化勲章」を受章…葬儀に多くの著名人が弔問-Kstyle国民的俳優のアン・ソンギさんが、「金冠文化勲章」を受章した。韓国の文化体育観光部は昨日(5日)、アン・ソンギさんに金冠文化勲章を追贈すると発表。文化勲章は文化芸術の発展と国民の文化享受に貢献した功績…-韓流・韓国芸能ニュースはKstylekstyle.comアップ多過ぎて追いつかないのでゆっくり更新します写真=NewsenD
今日の修善寺温泉は晴れ。今朝もかなり冷え込み、日中も7℃くらいの予報です。1月も終わりとなりましたが、まだまだ寒さは続きます。そんな寒い日はやはり「温泉」「新井旅館登録有形文化財天平大浴堂」文化財のお風呂でゆっくりと日本の温泉を感じて下さい。この「天平大浴堂」は、昭和6年から3年かけて昭和9年に完成しています。その時の新聞記事がこちら。昭和9年8月1日東京日々新聞静岡版「湯の伊豆に新名物古典を誇る『天平風呂』相原翁苦心の建
日本に「和」を根付かせたものは聖徳太子が制定した「十七条憲法」でした。以下、文化勲章受賞者でもある中村元訳の「十七条憲法」第一条お互いの心が和らいで協力する事が貴いのであって無闇に反抗することないようにせよ。それが根本的な態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれの党派心があり大局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わずあるいは近隣の人々と争いを起こす
湯川秀樹さん湯川秀樹(ゆかわひでき)1907年1月23日生まれ、1981年9月8日、満74歳没。東京府東京市麻布区(現:東京都港区)生まれ、京都府京都市出身の理論物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。学位は理学博士。父方祖父:浅井篤(田辺藩儒学者)母方祖父:小川駒橘(官吏、実業家)父:小川琢治(地質学者・京大名誉教授)母:小雪(和歌山県、小川駒橘の娘)姉:香代子妙子兄:
むちゃくちゃ寒い中.行ってきました今年.初めの病院年初めの割には.待合室の席があいていたので空いていたと思います。待合室でふと壁をみたら院長である主治医の名前で文化勲章の賞状が飾られていました。この病院が.開業されて6年4か月。最初からあったと思うんだけど気がつかなかったー。開業前の市立病院勤務から私はずっと変わらず今の先生なのでかれこれ9年8か月のお付き合い。知り合ってから少しして「有名な先生らしいよ」と風の噂で聞きました。治療方針もしっかりしてて優しく。たまたま飛び込んだ膠原病内科で今の先
国民的俳優のアン・ソンギさんが、「金冠文化勲章」を受章した。アン・ソンギさんは昨日午前9時ごろ、ソウル龍山(ヨンサン)区にある順天郷(スンチョンヒャン)大学病院の集中治療室で、家族に見守られる中、死去した。享年74歳。
文化勲章は拒否しながらノーベル文学賞とレジオン・ドヌールは受け取る。核実験に反対した舌の根も乾かぬうちに「フランスは良い核政策」と語る姿勢に、思想ではなく都合が先行する二重基準が露わになる。2016-04-10彼は身過ぎゆえに文化勲章は拒否した。それは彼の勝手だが、そのくせ94年にはノーベル文学賞を貰いにストックホルムにまで出かけていっている。文化勲章とどう違うのか。彼は「あれは国でなくスウェーデンの一般の人々からもらった」と平然と答えた。それは真っ赤な嘘だ。ノーベル賞の式典はカー
女優キム・ジミさんが死去…享年85歳女優キム・ジミさんが死去した。享年85歳。・1957年にデビューし、60・70年代の韓国映画界で活躍。・これまで700余りの作品に出演し、2016年には文化勲章を受賞した。
仁科芳雄さん仁科芳雄(にしなよしお)1890年12月6日生まれ、1951年1月10日、満60歳没。岡山県浅口郡里庄町浜中生まれの物理学者。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。主な業績:サイクロトロンの建設。クライン=仁科の公式1937年、理化学研究所(駒込)にわが国第1号(世界で第2号)のサイクロトロンを建設して、原子核・素粒子研究の基礎を築いたばかりでなく、放射性同位元素(ラジ
土井晩翠さん土井晩翠(どいばんすい)本名:土井林吉(つちいりんきち、どいりんきち)1871年12月5日生まれ、1952年10月19日、満80歳没。仙台県仙台北鍛治町(現在の宮城県仙台市青葉区木町通)生まれの詩人、英文学者。男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村と並んで「藤晩時代」と称された。また、瀧廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られ、校歌・寮歌なども多く作詞した。戦陣訓の文校正でも知られる。英文学者としては、ホメロス、カーライル
鎌倉に行こうと文化の日は国立の美術館とか無料で入れる!神奈川県立近代美術館に行ってさらに付近を散策鶴岡八幡宮の参拝とか考えていたけど当日になって止めた電車で2時間は辛い帰りも2時間は辛い結果、歩いて30分の葛飾に行った・・私は遊びに行くのだって怠惰だ町中華で旨チャーハンいただいて京成線で上野へトーハクだって無料だ鎌倉も上野も見どころ多いのは変わらない・・なんて穴稲荷権現様
永井荷風さん永井荷風(ながいかふう)本名:永井壯吉(ながいそうきち)1879年12月3日生まれ、1959年4月30日、満79歳没。東京市小石川区金富町(現在の文京区春日)生まれの小説家、随筆家、日記作家、翻訳家。号に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭(だんちょうてい)ほか。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。1908年8月(29歳)、『あめりか物語』を博文館より刊行。あめりか物語(岩波文庫緑42-6)文庫永井荷風(著)岩波書店(2002/
今日は、日本美術院理事長、東京藝術大学の学長も務めた日本画の大家、平山郁夫画伯の命日・十七回忌にあたります。平山画伯は1930年に現在の広島県尾道市で生まれました。終戦直前に勤労動員されていた広島市内で原爆投下の被害に遭った平山氏ですが、戦後は旧制忠海中学に転校すると、当時から絵画に才能を発揮していた彼は、卒業後祖母の兄の勧めで東京藝術大学に進学。卒業後同大の助手を務めていた頃に、原爆の後遺症により白血球の減少で一時は生命の危険に晒されましたが、その中で描いた三蔵
▼千玄室さんのお別れ会が開かれる元特攻隊員・千玄室さん最後のメッセージ「今を大事に。今があってこそ明日がある」2025年8月、102歳で亡くなった千玄室さん。お別れ会には親族や親交のあった人たちが参列しました。(京都府西脇隆俊知事)「会うたびに背中を思い切りたたかれて『がんばってや』と言われたのが非常に印象に残っています。ご冥福をお祈りする気持ちで献花させていただきました」(文化庁都倉俊一長官)「日本を代表する外交官・文化人として、日本文化を世界に発
岡田武松邸跡訪問記【2】保存樹木岡田武松博士生誕150年①保存樹木②岡田武松博士生誕150年③児童文庫跡我孫子市近隣センターふさの風岡田武松邸跡2025.11.24(月)撮影①保存樹木こちらが、岡田武松邸跡地の保存樹木となります。説明板には、“クスノキやケヤキを当センターのシンボルツリーとして保存している”と記載されております。樹齢はよくわかりませんが、岡田武松博士御存命中に植樹されていると仮定しますと、昭和31(1956)年以前ということになります。
岡田武松邸跡訪問記【1】説明板門扉モミジの路地①岡田武松邸跡説明板②旧岡田邸門扉③モミジの路地我孫子市近隣センターふさの風岡田武松邸跡2025.11.24(月)撮影①岡田武松邸跡説明板今回は我孫子市近隣センターふさの風を訪問しました。旧岡田邸敷地ということで、気象学者の岡田武松博士を偲んで保存された樹木や、博士の事歴などが展示されております。4回ぐらいに分けて紹介します。こちらが、岡田武松邸跡説明板となります。バス停留所🚏🚌があります。少し離れた位置からの