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大相撲初場所で、またも白鵬が途中休場となり、峠を越えた落日の残影を思わせる。優勝回数は43回を数え、2番目の大鵬の32回を上回る。その第2位優勝回数を誇る大鵬は、昭和を代表する大横綱であった(写真=2013年1月に死去後に発行された大鵬追悼ポスター)。南樺太北部の敷香(しすか)生まれの大鵬強すぎるほど強く、また人気も高く、「巨人、大鵬、卵焼き」と子どもの好きなものベストスリーの2番目に挙げられたほどだ。全盛期の大鵬は、おそらく全盛期の白鵬と対戦しても、互角の勝負となった
二月七日は、「北方領土の日」である。この日が近づくと関連報道が多くなる。私のようなものには、「北方領土」の真実の経緯は分からない。ただ、当時樺太に住んでいた方の話を伺ったことはある。とても壮絶な内容であった。その方は、終戦当時小学四年生だったそうだ。両親兄弟九人家族で、樺太の敷香(しすか)で穏やかに暮らしていた。そんな折、世情が乱れ大東亜戦争が開戦となる。それでも幸いと言えるのであろうか。お父さまには終戦間際まで召集はかからなかった。それで
今日は日本がポツダム宣言受諾し、連合国に無条件降伏した73年目の日。この戦争で、日本は完膚なきまでに敗れた。ほどほどのところで降伏していれば、概数300万人超という犠牲者を少なく留められただろう。特に昭和20年になってからの死者は、おそらくその3分の2を占めていた。旧満州で、広島・長崎・沖縄・東京大空襲などで、そして南樺太で、戦争末期に亡くなった民間人は多い。貧弱な軍しかなかった満州・南樺太を侵略したソ連赤軍特に、ポツダム宣言受諾後の戦争の終わった後に、ソ連赤軍によって攻撃・