ブログ記事35件
或る特攻隊員の故郷へのそして後世の日本人への心情を絵と共に認めましたこの絵は比国ダニエル・ディゾン画伯の鉛筆画を元に高次と繋がり英霊の託した深き想いを汲みながら描かせて頂きましたそして生き残る日本男児よ貴方たちにはささやかな伝言があります…神風特別攻撃隊敷島隊二番機中野磐雄
昨日の夜の事。我が家の近所に大阪国際空港(伊丹空港)があるんですが、そこでの離発着が終了となる9時を大幅にまわる10時半頃。静けさに包まれた夜の街に突然鳴り響くジェットエンジンの轟音。「ああ…サミット関係で貨物機か何かが飛んだか降りたんだなぁ…」いよいよサミット目前のここ大阪では、検問の数が増えたり、明日からは高速道路が通行止めになったで、否が応でもその開催を実感するのですが、それに加えて空港周辺住民ならではのエピソードご紹介でしたw。32型に続いて52型乙も完成。初の特攻部隊となる敷島隊
お彼岸と言う事で、両親、先祖代々の墓参りをする。神戸の私の両親の墓、から鳴門に渡り、嫁の両親の墓が新居浜にある。四ヶ所の墓参りを済ませ、前からお参りに行ってみたかった、西条の楢本神社に行く。ここは、大東亜戦争末期にフィリピンのマバラカットから、初めて特攻攻撃をかけた、敷島隊の関行男海軍中佐が祀られている。(レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。特攻による二階
神風特別攻撃隊は、大東亜戦争で大日本帝国海軍が体当たり戦法のため編制した、特別攻撃隊。略称は「神風」、「神風特攻隊」、「特攻隊」。「神風」は猪口力平が名付けた「しんぷう」が正式な読み方であるが、当時のニュース映画が誤って「かみかぜ」と読み上映したことで「かみかぜ」が定着した。1944年(昭和19年)10月5日、大西瀧治郎が第一航空艦隊司令長官に内定すると、軍需局を去る際に局員だった杉山利一に対して「向こう(第一航空艦隊)に行ったら、必ず(特攻を)やるからお前らも後から来
神風特別攻撃隊は、大東亜戦争で大日本帝国海軍が体当たり戦法のため編制した、特別攻撃隊。略称は「神風」、「神風特攻隊」、「特攻隊」。「神風」は猪口力平が名付けた「しんぷう」が正式な読み方であるが、当時のニュース映画が誤って「かみかぜ」と読み上映したことで「かみかぜ」が定着した。1944年(昭和19年)10月5日、大西瀧治郎が第一航空艦隊司令長官に内定すると、軍需局を去る際に局員だった杉山利一に対して「向こう(第一航空艦隊)に行ったら、必ず(特攻を)やるからお前らも後か
昭和19年(1944年)10月19日夕刻、フィリピン・マニラの第一航空艦隊司令長官、大西瀧治郎中将はクラークフィールドのマバラカット基地に向かう車の中でこうつぶやきました。「決死隊を作りに行くのだ」大東亜戦争はマリアナ陥落により、戦局は悪化し、この年の8月には人間爆弾「桜花」の試作が命じられていました。9月9日にはミンダナオ島ダバオが米機動部隊艦上機による大空襲を受け、12日にはセブ基地が空襲を受けました。201空零戦隊は壊滅的な損害を被り、フィリピン決戦に向けて用意されていた虎の子の零
報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう。Wikipediaからの引用ですが、最初の神風特攻隊員関行男大尉はこのように
宮崎縣護國神社を参拝したのは一週間前。雨が降ったりもしましたが、暖かな週末でした。↑↑宮崎縣護國神社の社号標。上部の欠け方に「終戦前の?」と思いましたが「縣」ではなく「県」だったので戦後建てられたものだとわかりました。**御祭神**************国家公共に尽くした人の神霊41,873柱【正殿】明治戊辰の役以降国家公共に尽くした人の神霊【相殿】公務殉職者の御霊54柱*********************御由緒**************昭和18年4月内務大臣の許可を
関行男大尉http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/seki/sekitaii.html2001年11月18日...関大尉は敷島隊の隊長として神風特別攻撃隊の先駆けとなった。初めての特攻隊の指揮官はぜひ海軍兵学校出をということに添った人選であった。関大尉の苦悩する姿が記録に残っている。●同盟通信特派員小野田政と関大尉の会話記録(「ドキュメント神風」より引用)数日間下痢に悩んでいた関は、その日の夕方、マバラカ
平成二十四年十月二十五日神風特攻敷島隊並びに愛媛県特攻戦没者追悼式典祖母加藤繁子孫大川英樹御関係者の皆様方お疲れ様でした。m(__)m
関行男大尉その親族である祖母から教わった『命の尊さと血族の誇り』そして日本のため家族のため陸・海軍勇士が懸けた若い命涙を堪え命懸けで生き抜いた家族の想い先人たちの歴史を決して忘れてはならないm(__)m●私と祖母と弟英樹