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【10月18日】京都市北区にある敷地神社(わら天神宮)さんへ。六勝神社秋まつり限定御朱印。
おはようございます。今日はわら天神で秋季大祭が行われます。わら天神は西大路、金閣寺の手前にあり、通りに面しているので、通られた方は見ることができる神社です。わら天神、正式な名前は敷地神社です。市バスの停留所はわら天神前です。【わら天神宮】わら天神宮の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村(やましろのくにかどのぐんきぬがさむら)に降臨された北山の神で、その創建は平安建都以前と推定されています。天長八年(西暦831年)、この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として加賀国の人々が移住してきまし
わら天神宮(京都)【2】1/27は京都市内を2ヶ所紹介します。1ヶ所目は、わら天神宮(敷地神社)を参拝御朱印を頂きました。こちらには京都十六社朱印めぐりで毎年訪れていますが、御朱印を頂いたのは久しぶりです。由緒、他の御朱印等は過去記事を見てね♪①わら天神宮:通常御朱印■御朱印(書置き500円)■御朱印メニュー■鳥居■手水■拝殿■地図アクセス:市バス「わら天神前」下車後すぐまたは、嵐電
【3月9日】京都市北区にある敷地神社(わら天神宮)さんへ。
1/19、京都十六社朱印めぐりで、上(北)の方へ上の方の京都遺産アプリのスタンプすでにゲット済みなので今回は無しねしまず向かったのは、建君神社普段なら、で行くのだが、その後の距離を考えると辛いので、初めてで向かう最寄りは、停は、建君神社前というところがあるのだが、を見ていて、急に降りたため一瞬、ここはどこだという位建君神社前の交差点から離れとる他の町は知らないが、京都市内では、時々、そういう所がある建勲神社そういえば、今年初詣だ社務所は、顔馴染み
【京都】令和6年6月より新たにいただけるようになったステキな【御朱印】【わら天神宮御朱印】【六勝神社御朱印】【わら天神宮限定御朱印】【わら天神宮御朱印帳】以前お受けした【わら天神宮御朱印帳】(小さいサイズ)【六勝神社御朱印帳】【わら天神宮御朱印】【六勝神社御朱印】【六勝神社御朱印】【手水舎】【わら天神宮】【御祭神】木花開耶姫命古代より
北野天満宮エリア巡拝、2記事目です。金攫八幡宮から、ほんの数分。わら天神正式名称は、敷地神社。ご由緒古くは北山の神として、大古山背国葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇。天長八年(831年)この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国より移住し、その地で崇敬していた菅生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく、北山の神の西隣に祀って、祭神を菅生石部神の御母木花開耶姫命と定めた。応永四年(1397年)足利三代将軍義満が西園寺北山殿を山荘として造営するに方り、参拝に
4/13(土)2週連続、京都で桜巡り<4/6土>①渡月橋・嵐山②天龍寺③嵯峨野竹林から、御髪神社④常寂光寺⑤二尊院⑥清涼寺トロッコ嵯峨駅、午前中呑みJR花園駅、八百屋で立ち呑み⑦仁和寺⑧法金剛院⑨トロッコ列車へ往復乗車JR京都駅で駅そば呑み⑩夜間拝観の渉成園餃子の王将で呑み<4/7日>⑪醍醐寺⑫随心院寿司屋で昼呑み⑬勧修寺⑭八幡宮⑮山科川の桜並木⑯山科疏水⑰毘沙門堂⑱東寺の夜間ライトアップ<4/12金>和食店で夕食<4/13土>
外国人観光客が増えますと、お店なんかは英語対応しないといけないことが多いと思います。毎日そういうことを続けてると、最初は単語ならべて対応してたのが、だんだん会話になってくるようで、仕事帰りによく行く店はどこも英語がうまくなってきてます。やはり会話ですから、勉強じゃないんやなと思いました。京都の寺社巡りは続きまして、わら天神宮です。狛犬さらに鳥居手水舎舞殿これなんやろ?休憩所っぽくなってて、子供抱いた像がありました。拝殿正式名称は敷地神社だそう
堂本印象美術館で深く感動してから…また「きぬかけの路」を歩いていると雨が降ってきました(-_-)傘を持っていなかったのであせりましたが、なんとか金閣寺まで歩きました(^.^)今回は参拝するつもりはなかったので西大路通を歩くとわら天神に着きました!ここは安産の神様なので息子が生まれるとき、嫁さんや両親と一緒にお詣りしました…正式名称が敷地神社とは京都検定を受けなければ知らなかったと思います(^_^)境内には六勝(ろくしょう)神社という必勝、
1/8、向かったのが、京都十六社朱印巡りの一つ、敷地神社ここ、通称、わら天神で、敷地神社と言われると、どこって思ってしまうかもこの日、市内では、屋根や草木に、若干の積雪があって、一瞬、近くの金閣寺や、帰りに建勲神社に行けば、雪化粧姿が出来るとも思ったが、ちょっとしんどいので、諦めたここは、やはり地元では安産祈願の社として有名で、妊婦用の腹帯を頂きに来るという人が非常に多い所頂いた御朱印・・・ここは、書置きねその帰り道、こんな家がどうも、店で
敷地神社八坂神社本隆寺妙蓮寺
こんばんは。翔磁(しょうじ)です。ゴリパラ見聞録過去の放送京都府わら天神宮で安産祈願の旅にて、京都府京都市が登場。ゴリパラキッズとともに、当地を聖地巡礼✨訪れたのは、わら天神宮(敷地神社)⛩️画像1.大鳥居わら天神宮(正式名称敷地神社)は、平安時代以前に創建と推定される神社⛩️足利義満による金閣寺の造営により参拝が不便となったことから現在地へ遷座…応仁の乱などで一時荒廃したものの、大補修や改修を経て、今に至る。西大路通側の入口より大鳥居を
こんにちは京都のkojiro(小次郎)です今日(2023年8月27日)の京都市内の最高気温は35℃…この暑さはいつまで続くのでしょうね。この暑さでは小次郎の体調不良は回復しそうにありません(泣)。さて、今回の「kojiroの京散歩」は京都市北区衣笠天神森町にある「木華咲耶姫命」(このはなさくやひめ)を祀る「敷地神社」(しきちじんじゃ/わら天神)の夏の様子をお届けします。この神社の創建に関しては諸説あるようで、鹿苑寺(金閣寺)の北の山麓にあった木華咲耶姫命を祀る「
先週(7月15日)の事になりますが京都の敷地神社(わら天神宮)菅大臣神社平等寺に参拝して来ました⛩️<敷地神社(わら天神宮)>こちらは安産の神様として信仰されていて安産守りとして藁が授与されることから「わら天神」と呼ばれています🌾藁に節があれば男児、なければ女児が誕生だという言い伝えがあるそうです🤗<菅大臣神社>菅原道真公を祭神とする神社で道真公生誕の地と伝えられています⛩️「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅の地でもありま
2023/07/05京都市北区衣笠天神森町敷地神社(わら天神宮)拝殿参拝本殿〈綾杉明神〉〈大山祇神社〉〈六勝神社〉八幡神社振り返り境内御守り画像お借りしましたてくてく北野天満宮へ続く…ここまでご覧頂きありがとうございます良い良いときをーー
…「わら天神」は何のご利益で有名か?北区衣笠の「わら天神」は、正称を「敷地神社」と云々、祀られている「木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)命」は、安産・子授け・縁結びの守り神として信仰されている。古来、稲わらの籠でお供えを捧げていたが、やがて抜け落ちたわらを、安産詣の参拝者が持ち帰り、お守りとした事から、後にお守りとして授与する様になり、その珍しさから通称が広まり定着した。授与されたお守りの藁に節があれば男子、無ければ女子が生まれるとされている。
6月1日に行った神社参拝の続きです。最初に参拝したのは平野神社でした。周辺5分圏内には3つの神社があります。北野天満宮は何度か参拝し、御朱印も授かっていますので、別のところへ。末社八幡神社末社なので、とても小さな神社。御朱印はありません。そして一本道路を隔てると、敷地神社(わら天神)敷地神社は、京都市北区衣笠天神森町にある神社。旧社格は村社。わら天神の通称で知られ、安産の神として知られる。通称わら天神敷地神社では、古くから稲藁(わら)で編み込んだカゴに供物を入れて神にお供え
わら天神(敷地神社)一ノ鳥居参道二ノ鳥居手水舎舞殿本殿扁額-END-
名古屋のシンゾウですイヤ~!!大変でした。windows11パソコンの新規導入です。未だに、ホームネットワークが正常に動きませんが、女房が希望する物だけは導入が終わりました。昼頃に、機器が届き、そこから6時間、夕食も摂らず、一先ず終えました。同じ頃に、プロ野球中継が始まりましたので、柳投手の冷や水を流している顔が大写しになるばかり......早々に、風呂に入り、夕食を取りました。テレビを再度点けると、やはり負けていました。テレビを消して、就寝しました。やる気のない監督の試合など観たくない
先日バスの中で観光客の方がわら天神にお詣りすると話していたのを思い出してわら天神さんにお詣りです京都で一番有名な安産祈願の神社ご祭神の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は天照大神の孫と結ばれ一夜にして子供を授かったとかで3人の子を次々と出産したという日本の神話から安産・子授け・縁結びにご利益があるといわれています境内摂社の六勝神社には開運必勝・試験合格商売繁盛のご利益あるそうです朝早めのお詣りだったので参拝客も少なくゆっくりとお詣りでしました境内は綺麗に掃除されていて
北野天満宮前のバス停から101系統の市バスに乗車してわら天神前まで行ってみましたわら天神宮さんです(敷地神社)京都で安産祈願といえばまず思いつくのは「わら天神宮」。正式名称は「敷地神社(しきちじんじゃ)」といい、戌の日ともなれば京都のみならず、全国から妊婦さんがお参りに訪れる神社なのです。安産守の授与品としてわらを授かることから「わら天神宮」と呼ばれるのですが、そのわらは男女の性別を占ってくれるのだとか!?(お借りしました)
…節があるかないかで占う事から「わら天神」と呼ばれるが、同社は何の神か?北区衣笠にある「わら天神」は、正称は「敷地神社」と云々、「安産の神」として古くから知られており、授与された「護符」のわらに節があれば男児、節がなければ女児が生まれるとの伝承がある。
北区衣笠天神森町にあるわら天神宮へ初詣しました西大路通りに面して大鳥居があり扁額は『わら天神宮』ですがナビや地図には『敷地神社』とありますもともとは山背国葛野郡衣笠村に降臨された北山の神でした天長八年(831)北山に氷室が設けられ、その夫役の人々が加賀国より移住し、崇敬してきた菅生石部神の分霊を勧請し、北山の神の西隣に祀りました(祭神は菅生石部神の御母の木花開耶姫命)応永四年(1397)足利義満が金閣寺を造営して、二社の参拝に不便となったので、二社を合祀して現
わら天神の正称は「敷地神社」である。北区衣笠に所在し、大北山の産土神(ウブズナガミ)であった。天長5年、この地に大雨が降って災害をもたらした為、淳和天皇が勅使を派遣して止雨を祈願させた。と伝える『類聚国史(ルイジュウコクシ)』の記載がある。参詣者に安産のお守りとして「稲わら」を授け、そのわらに節があれば男子、なければ女子に恵まれるとされ、この事が「わら天神」の由来となった。摂社として六勝神社があり、その名に因んで勝負事の神としての信仰もあ
***わら天神***1980年頃『わら天神行き』の市バスがあることに気がついてました。《面白い名前の神社♪》と思いつつ40年が過ぎたのね。平野神社の近くということもあって(300m/歩いて5分)今回初めてお詣りが叶います。きっとこれも何かのご縁なのでしょうね(^o^)わら天神は正式には『敷地(しきち)神社』と言います。天神という名前だけど、ご祭神は菅原道真さまではなく『木花開耶姫命(コノハナサクヤビメノミコト)』。このことも、そしてサクヤ『ヒメ』でなく、サクヤ『ビメ』と読むことも
さてさて…………【平野神社】から【花山天皇陵】に向かう途中で西側に見えた鳥居へとココロは向かった………ココロが持っていたガイドブックの地図の通りに鎮座していたその目的地は…………③【わら天神敷地神社(しきちじんじゃ)】京都府京都市北区衣笠天神森町10【手水舎】そもそもは、北山の神として山背国葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇が、その北山の地に祀られていた天長8年(831年)に、その地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇敬していた【菅生石部神社(敷地天神)】の神を
わら天神は鹿苑寺(金閣寺)の南東にあり、正式社名は敷地神社である。祭神は木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)命を祭神とする。大北山村の産土神(ウブズナガミ)であり、北山神・北山天神と呼ばれた時期もあった。農耕を守護する天神信仰の社であった歴史が窺がえる。創建の時期は分らないが、天長5年に淳和天皇が勅使を派遣して止雨を祈願した記録が残り、神威が崇敬されていたのが分る。古くは、大北山の麓に在ったが、足利義満が造営した北山殿(後の金閣寺)の敷