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宗教に傾倒する御方は、日本では少数派かもしれませんが、世界では、半数以上の御方が、何がしかの宗教を信仰なさっています。宗教に求めることは、神の護りであったり、人生の学びや生きがいであったり、でしょうが、本当の、魂の繋がりや、神の護りは、宗教を超えたところにあります。例えば、自分は仏教徒だから、キリスト教はどうもとか、思われている方もいるでしょうし、世界には、宗教間の対立が、世界平和を脅かした歴史もあります。良く考えると分かると思いますが、自分自身には過去
宗教は、神仏の教えと思われている方が、多いと思いますが、それは、正解でもあり間違いでもあります。宗教には、必ず経典や教えがあり、それは、神仏の言葉や意識を伝える者が、文書などに表したもの。ですから、元は同じ神仏の教えなのに、伝える者によって、解釈が、大きく変わってしまうことが多くあります。悲しいことに、宗派の対立や、時には争い事(戦争)になった歴史があります。神道でも、教派神道は教祖様がいて、教えが存在し、法的にも宗教とされていますが、神社参りを基
「御七ヵ条」「神国の人に生まれ常に信心なき事」恐るべし恐るべし天地自然に満ちわたる天照大御神のご神徳のなかで、生かされて生きているのが私たち人間です。自分の力で生きていると勘違いしがちな人の多い今日ですが、わが生命の本源を見失わない人間でありたいものです。「腹を立て物を苦にする事」恐るべし恐るべし腹を立てて冷静さを失い、物を苦にしてマイナス思考に陥ることがどれほど罪深いことでしょうか。自他ともに深く傷つけてしまう要因であるこの条項が、他に先がけて掲げられている意味の重さを肝に
(12月5日)久屋大通公園の近くです。久屋大通公園(またまた遅がけで暗い💦)武家屋敷の趣です。教派神道實行教の神社です。金の社額が映えます。ご祭神はアメノミナカヌシノカミタカミムスビノカミカミムスビノカミ(造化の三神ですね)神道には「神社神道」と「教派神道」があり(最近知りました💦)教祖・教典は「神社神道」にはないけれど「教派神道」にはどちらもあるそうです。神ながらの道末永きことをありがとうございました⛩️🙏
支会はさておき『信用名鑑』の記事には「又曩(さ)キニ神宮官長ヨリ大教正ニ補セラル、」とある。先というのが何時かは分からないが、明治四十一年の一月三日新年の広告(朝日)では権大教正となっており、同年九月三日の広告(朝日)では晴れて大教正を称している。これに任命した「神宮官長」というのは伊勢神宮と紛らわしいが、御嶽教の神宮暠寿(たかとし)であろう。明治三十八年から大正十年まで御嶽教「管長」を務めた。同じ内容が『大日本之実業』(明治四十一年、大成会編輯局編、大成会)にもあるが、ここでは四十年十一
秩父曼荼羅小屋では、信仰文化を中心に様々な伝統文化などの資料や書籍を未来に相続するために宇宙図書館「虚空之蔵」を併設しております。各地の社寺や信仰の現場から譲り受けたり、古本屋から購入、復刻版、新刊を問わず収蔵に努めております。先日もある復刻版を入手したのですが、その関係もあって、研究者や神事業界の大御所達が対談する動画を拝見することになりました。対談の内容から神神分離、神仏分離から教派神道などの実践者の示す内容は各々主張と根拠があるわけですが、かなり相互に影響を受け
心霊スポットの白高大神と多くの人が認識している場は実は瀧川神社と言います。ただ、白高大神の扁額が掛かった鳥居が入り口にあるからややこしいんですけど。ただ、神理教が戦後に、この地にやって来る前は、中井シゲノさんの大叔母さんが、この辺りでオダイとしての活動をされてもいたようですね。それ以前には、この山自体が滝寺と呼ばれていたようでもあります。色々な宗教が入ってきますが、そこにいらっしゃる神様には変わりはないのです。多少色々なご神霊が入れ替わりしているようですけどね。で
京都の吉田山には吉田神社だけでなく、もう一つ注目すべき神社があります。それが宗忠神社です。ここは黒住教の教祖を祀る神社です。教派神道とは、従来の神道から派生したある種の新興宗教みたいなものです。黒住教も神道の世界観を共有しながら、独自の信仰のあり方をもっている人たちの集まりといえます。彼らは神様を拝み、何かの願いを叶えてもらうこともするのでしょうが、それよりも、この世界をより良くするために神様から与えられた仕事を遂行する人達です。それは彼らの熱心な信仰生活に表れています。ある意味、
明治二十四年に木島と佐藤は相次いで雑誌を発行し始めた。ほぼ同時だが先鞭は木島で、『幹枝学第壱号』、発行所「大日本帝国幹枝学協会」、発行兼編輯人東京府平民木島文六、印刷人岩手県平民高瀬寅昌、住所はいずれも猿屋町十七番地、つまり木島の本拠である。四月二日発行とある。佐藤は少し遅れて『活機観通真理之友第壱号』を出した。発行所「五行教会」、編輯兼発行者萩原律次郎、印刷人北沢久次郎で発行日は五月二十六日である。萩原律次郎は即ち前出の萩原真海である。内容については後日に譲るとして、ここ
教派神道【7】御嶽教御嶽山信仰を中心とする近世の講社組織の発展的形態と考えられる。下山応助(しもやまおうすけ)が維新後、御嶽信仰を結集する必要を感じて組織したのが始まり。明治15年(1882年)に神道本局から特立。現在所在地奈良県奈良市。『え?木曽の御嶽山の近くじゃないの?』と思った私であった。御祭神は国常立尊・大己貴命・少彦名命の三柱を奉斎主神として「御嶽大神」と木曽御嶽山の開闢大道彦たる覚明・普寛の二霊神を崇敬神として「開闢霊神」奉る。また天神地祇、八百万の神々を
教派神道【6】出雲大社教(いずもおおやしろきょう)千家尊福(せんげたかとみ/1845~1918年)によって組織された教団。出雲大社国造の家に生まれた尊福が維新後、神道教化の必要を感じて組織。明治6年(1873年)出雲大社教敬神講として発足。明治15年(1882年)に出雲大社教として神道本局から特立。出雲大社への信仰と表裏一体の関係にある。【関連記事】『国家神道【2】国民教化策と教部省』国家神道【2】国民教化策と教部省明治政府の大きな課題として、欧米列強から日
教派神道【5】神道大教(神道)神道大教は、昭和15年(1940年)以前には「神道本局」正式には神道という教派名だった。その成立は神道事務局と深いかかわりを持ち、組織としては一応別だったが、神道各教会の事務局的性格を引き継いだ。神道修成派教祖は新田邦光(じったくにてる/1829~1902)四国阿波の武士の子に生まれ、幕末には尊王運動に加わった。維新後、宗教活動に専念し、明治6年(1873年)に修成講社を創立。明治9年(1876年)には神道修成派として神道事務局から
教派神道【4】天理教教祖は中山みき(1796~1887年)突然、神憑りを経験し、宗教者としての道を歩むようになった。初め神道本局に所属し、一派独立は十三派の中で最も遅く明治41年(1908年)であった。教主は真柱(しんばしら)と称し、みきの孫の中山眞之亮(しんのすけ)が初代真柱となり、以降、代々襲職している。今日では、天理教は神道の一派ではなく諸教に分類され、創唱宗教であることを強調している。以前は高校野球で天理教校学園高等学校が活躍していたなぁと思いだし、
教派神道【2】教派神道十三派の類型化以前、記事にしましたが、当時、手元にあった神社検定2級用テキストでは詳しく載ってなかった教派神道について、1級用テキストではもう少し詳しい事がわかりましたので、教派神道シリーズとして投稿していきたいと思います。【関連記事】『教派神道』教派神道明治政府は神官の教導職としての強化活動が「国家の宗祀」の祭祀者としての本務から逸脱しているという観点から、教導職から撤退させ、神道の教えを人々に説…ameblo.jp教派神道と神社神道近
教派神道明治政府は神官の教導職としての強化活動が「国家の宗祀」の祭祀者としての本務から逸脱しているという観点から、教導職から撤退させ、神道の教えを人々に説いたり葬儀の執行を禁止し、政府は神道を他の宗教と別格にし、政治と宗教の分離を目指されたということでした。しかし、これと意見を異にした人達がいました。出雲大社宮司の千家尊福(せんげたかとみ)は、先の祭神論争で大国主神も幽世を主宰すると日本書紀に記載があるので祀るべきと提唱した方ですから、勅裁での決着で伊勢派の勝利には従うしかなか
久佐賀義孝と樋口一葉の関わりがなければ明治時代の占術家に関心を持つことはなかったかもしれないが、当時の世相を伺う上での参考にならぬでもないので、とりあえず木島大照斎、佐藤観元、久佐賀義孝三者の関係を調べてみた。この三人のみが占術を標榜していたわけでは勿論ないが、この小窓からでも当時の占術の受容や、社会あるいは神道との関りの一端を覗き見る事が出来るかもしれない。ただ、この三人については互いの非難合戦ばかりが目立ち、他の流儀については特に言及することは無く、従って明治社会での位置づけが今一つ掴めて
佐藤はこうして占卜を始めたものの、もとより無学なため全てを子分格の医者松原融に丸投げした。占断の実際は不明だが、それぞれ根拠となる書物を秘蔵しており、重要なもの、あるいは高度なものは限られた人間にのみ公開していたらしい。佐藤は木島の秘術書を詐って入手し、自分は無筆のため松原に筆写させた。松原もまたその横領を企み、人を使って持ち出させ、気づいた佐藤や仲介に入った木島の妻さらには警察も巻き込む騒ぎになり、詳細はさっぱり不明だが最後は金で解決したのであろう。ただ東京には居づらくなったのか、翌二十
『佐藤観元之来歴』には幸徳秋水の序文が付いている。署名は秋水幸徳伝であるが、当時幸徳伝次郎が南波の食客だか書生だかであった縁による。文章はさすがだが大して内容は無い。一冊の前半は佐藤安五郎(観元)の履歴に費やされ、その中に関係人物の一として久佐賀も登場する。情報元は佐藤の師であった木島大照斎であることは明らかであるが、佐藤側から聞き書きしたようには見えないので、佐藤の悪行とされる行為については留意が必要であろう。佐藤はそもそも豊後の産で、天保十三年(1848年)生れとあるから、南波の書
ほかに久佐賀の著書として、国会図書館のデジタルコレクションからダウンロードできるものは、『自然の享福一名二十世紀之吉凶学』の上巻(明治三十五年)である。下巻が出たかどうかは分からないが、目次には含まれている。著者名は長井平之助で、本文初めに久佐賀顕州著述、零屈学人編述とある。国会図書館にあるのはこの二点だが、木村氏によると他に『人間哲学』『人類に対する季節学的研究』というものがあるらしい。先に挙げた名鑑には『人間哲学』がもっとも世に行われるとある。長井平之助については分からない。ただ、明
御嶽教に私の超能力、霊能力について相談してきた。https://youtu.be/rvLcxbdPmMQ御嶽教に私の超能力、霊能力について相談してきた。宗教団体に相談シリーズについて備忘録。未来の超能力や霊能力が芽生えて不安に思ってる君へ。私の超能力の動画https://youtu.be/dWkNNApqGdY外国の方を私の超能力で救ってみた。https://youtu.be/2xyVv7tXV10貴方の病や心の苦しみが救われる波動共鳴具販売ラクマhtt...youtu.b
1ヶ月ほど前…皆様のインスタを見ていた時に素敵な御朱印に一目惚れ「これは是非行かなくては‼︎」と行ってみたら…まさかの驚きがありましたね(笑)引きが強いというか…神様が導いているのか…そんな真田が52回目で紹介したのは桜神宮(さくらじんぐう)こちらは東京都世田谷区にある神社です世田谷のお伊勢さんなんですよ!なので参拝方法も二拝・四拍手・一拝ですアクセス○東急田園都市線『桜新町駅』北口2分御祭神今回はお写真で(笑)番組中にはお名前だけご紹介いたしましたが入り口の看板
記念すべき50回目本当に皆さまいつもありがとうございますそして!これからも宜しくお願い致します‼︎50回目で真田が紹介したのは四本木稲荷神社(よもとぎいなりじんじゃ)こちらは東京都北区にある神社です四本木…今は『よもとぎ』と呼ばれる事が多いですが昔の人は樹木を数える時『よんほん』ではなく『しほん』と言っていたので四本木稲荷神社(しほんぎいなりじんじゃ)の方が正しい…とも言われていますアクセス○都営地下鉄三田線『新板橋駅』徒歩12分○都営地下鉄三田線『西巣鴨駅』徒歩で1
山梨県北杜市にある身曾岐神社に御挨拶させていただきました。金光教、天理教、御嶽教などと並ぶ神道十三派のひとつ禊教(みそぎ教)管長の坂田安儀が1985年に創建した神社とのことです。後で調べて分かったことですが・・・身曾岐神社は、その後、別の宗教法人に所有が移っています。そして禊教自体も、いくつかに分裂しているのですが、僕が呼ばれた理由が、行ったらすぐに分かりました。ニノ鳥居をくぐった瞬間に「あっ〜」と感じます。伊勢の下宮の世界を感じます。
日本の伝統の宗教・神道(1)出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html日本人は「無宗教」であるなどといいますが、とんでもない話で、日本人ほど伝統的な宗教を守っている民族は他にないくらいなのです。ただ、その伝統的な宗教というのは「生活習慣」となってしまっ...nyabecch.blogspot.com日本の伝統の宗教・神道(1)-日本思想nyabecch.blog47.fc2.com
出雲大社(いずもたいしゃ・いづもおおやしろ)といえば、神楽殿(かぐらでん)が知られています。巨大なしめ縄は出雲のイメージにもなっているようですね。しかしこちらは、出雲大社ではなく出雲大社教(いづもおおやしろきょう)の施設だといいます。神光満殿(しんこうまんでん)の額がかかるここは、かつて風調館(ふうちょうかん)とよばれていたようです。出雲の祭祀は天照大神の子・天穂日命(ほひ)によってはじめられたといいます。その子孫が、やがて国造(くに
日本人は、僕も含めて宗教に傾倒している方は少ないと思います。表現が悪いかもしれませんが、宗教に感心が薄いのは、日本人の特徴かもしれません。神道は宗教ではないと言いますが、それは教祖様がいないから。(教祖様がおいでの教派神道もありますが)日本人に宗教を質問すると「仏教徒」と答える方が多いでしょうが、結婚式は教会や神社でという方が多いですよね^_^世界の歴史をみると、宗教に関心が高いがゆえに・・・それを利用した争いごとが多くあったことは悲しい事実です・・・世界の2大宗教はキリ
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです神倉神社の神橋手前の左側に出雲大社新宮教会があります⛩️出雲大社新宮教会『境内由緒書』『Wikipedia(出雲大社教の項)』より祭神(主祭神)大国主大神(副祀神)倉稲魂大神、天御柱大神、国御柱大神合祀社三柱稲荷神社、祖霊社造営時期は確認できず。所属する出雲大社教は明治時代に創設された教派神道(神道十三派)の1つで、明治15年(1882年)、出雲国造家第80代当主・出雲大社大宮司の千家尊福師(爵位は男爵、埼玉・静岡・東京の知事
写真が40枚ぐらいあったのと、一記事にすると煩雑になりそうだったので二回に分けます。二回に分けたところで煩雑やろ!と言われそうですけど、そこは負けといてください。ずっと気になってたんですが、なかなか機会に恵まれずでしたが、お盆にお寺行っても忙しいやろうしってことで、今回行ってきました。予想通りの雰囲気です。パラダイスも期待できそうです。右側の池に弁財天かと思ったら、御嶽山龍王大神。鮮やかな橋は、和合の橋。橋渡って右に大岩権現とな。三十六童子がぐるりと護ってる感じ。手水舎なんか
禊教研究の第一人者である萩原稔先生の井上正鐵研究会年報、第23号を送っていただきました。私が注目した記事は一、西日本豪雨により岡山県にある「岩崎神社」の鳥居と石垣が被災したこと。岩崎神社は井上正鐵の直門である伊藤祐像の門人・赤木安太郎が禊教を受容し、神宮奉賛会岡山県本部小串支部として講社と岩崎神社を設置したものという。農地解放までは生活困窮者のための「講社田」も保持していたという。一、「一九会」は中野身曽岐教会の後継団体とみなされてきたこと一、井上正鐵が京都・清