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☆敏達天皇河内磯長中尾陵(太子西山古墳)河内国石川郡大阪府南河内郡太子町大字太子(P無し、近隣停め置き不可)第30代敏達天皇の治定墓。母の石姫皇女が合葬されています。「王陵の谷」と称される敏達天皇陵・用明天皇陵・推古天皇陵・孝徳天皇陵、さらに聖徳太子御廟と王陵が密集する地。5つの陵墓がまるで梅の花びらの如くと「梅鉢御陵」とも。「二上山」と「岩橋山」との間の谷筋を縫うように走る「竹内街道」。5つの陵墓はこの街道筋付近に築かれました。「磯長谷(しながだに)」と呼ばれています。また周
朝食をビッフエでして天王寺でレンタカーを借りて、運転が大好きな娘が秋の古墳巡りを担当して呉れました。聖徳太子が建てた四天王寺に💨ここで友達と合流三人旅です何度も焼けたり壊れたり、その度に蘇りその力の粘り強さに、流石だと思いました。五重塔に登れるって⁉️嘘でしょう!頑張りましょう👊息を切らせて、途中でお年寄りの方と励まし合いながら天辺まで上って窓から天王寺の街を見渡して来ました‼️最上階の中心に有りました。心柱の天辺の所です窓が小さいので見づらいかな❓聖徳太子の古墳の有る叡福寺に
第30代敏達天皇(びだつてんのう)御陵名:河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)御父:欽明天皇御母:皇后石姫皇女陵形:前方後円所在地:大阪府南河内郡太子町大字太子敏達天皇は、572年に即位され、在位14年で亡くなられ、死後に母の石姫皇后の墓である磯長陵に葬られた。陵墓は、太子町で最初につくられた天皇陵であり、太子町で唯一の前方後
推古天皇磯長山田陵◆「二上山」慕情【~14二上山麓を辿る道(2)】前回の記事に「住吉津(すみのへのつ)」が登場しましたが…過去に「住吉津」の記事を上げていたことをすっかり忘れておりました。ひょんなことからその記事を発見したのですが…。記事はこちら↓↓↓『◆「住吉の津」~真住み吉し住吉の國~』◆「住吉の津」~真住み吉し住吉の國~住吉大社の境外末社浅澤社の畔に、「住吉のいわれとまちなみ」と題した案内板が設置されています。以前は無かったと思うの…ameblo.jp
おはようございます今日は関西に大風が直撃ですね昨日は午前中はまだ雨が降ってませんでした太陽も出ていないので暑くもなかったので午前中に少しウォーキング昨日に続いて太子町にある4つ目の天皇陵へ自宅から2キロほどだったかな敏達天皇陵の入り口に到着奥に見える未舗装の坂道を登ってゆきます坂の下には石碑がありました坂を登り切ると林の向こうに天皇陵が見えてきました昨日は日が指していなかった事もあると思いますがここは少し涼しい感じが
おはようございます夏季休暇も今日と明日の2日間で終わりですなのに台風接近で残念な天候です昨日は朝からケーキを買いに出掛けてお昼からは米寿を迎えた叔母さんのお祝いをしましたケーキの写真とかは撮り忘れてしまいました夕方になって少し気温が下がってからウォーキングで近所を歩いてきました今回は自宅からは往復で2.5キロくらいの用明天皇陵まで歩きましたすぐ横には住宅があります天皇陵の隣に住んでるってどんな感じなんでしょ
大阪府南河内郡太子町葉室にある釜戸塚[かまどづか]古墳。磯長谷古墳群の構成支群、葉室古墳群のひとつ。7世紀前半、古墳時代終末期築造。墳丘北東側より。墳丘北東側より。墳形は円墳。直径45m、現存高さ5m。墳丘は開墾時には既に破壊後であったとされ、早い段階から大きく破壊を受けていました。墳丘外表で埴輪は検出されておらず、開墾時には葺石と推測される石の散在が確認されています。墳丘周囲にはぐるりと馬蹄形の周濠が巡らされています。周濠南東側
近頃は、野菜を仕入れるために「道の駅かつらぎ」に行く事が多く、行きは高速を使って、帰りは下道を通ってこの「葛城」を拠点に奈良を探索して帰ることにしています。本当に野菜仕入れた後の計画は何もないままに行く事もあります。しかし、昨年頃から国道166号線が実は「最古の官道」コロナ禍で遠く色々と行動範囲も狭められ、遠出ができなかったので、お野菜を買ってはゆっくり自分なりに楽しみを見つけた中での「最古の官道」と巡り合いました。太子町は奈良と大阪県境にあります。先週は「叡福寺」
昨日のハイキングは、二上山博物館に立ち寄るためにこの駅から出発。香芝駅から二上山方面に向かう途中に二上山博物館はある。この博物館は、サヌカイトというガラス質でナイフ形石器を多数展示していることで有名だ。私の関心はナイフ形石器の作り方ではなく、その使われ方、つまり「引き使い」なのか「押し使い」なのかという点であった。学芸員に何度も説明してやっと私の趣旨を理解して貰って、案内して貰ったのがこの石器を使っている模型。見るからに「引き使い」。そこで学芸員に聞いて見た。これは明らかに「引き」になっ
雨の合間を縫って、今日はなんとかウォーキングが出来ました。昨日までの大雨の影響を避けるために、山越えコースは避けて、街中を歩く、「河内飛鳥コース」のその2にしました。これも、近鉄あみまクラブのてくてくマップのコース。まあ、主に街中を歩くので、旧な雨でも雨やどり出来るのでは?とも思いました。スタートは、前回のゴールの近鉄南大阪線の上ノ太子駅。北口からスタートです。北口は、ちょっと寂れた感じ。でも、北口にはこんな石碑が。ここも竹内街道のようです。そのうち、大阪から奈良までの竹内街
太子町には4基の天皇陵と聖徳太子の御廟があり(※クリックで大きくなります)このような位置関係で並んでいますちょっと歪だけど梅花になぞらえて梅鉢御陵と称されています第30代敏達天皇(左下)第31代用明天皇(中央)第33代推古天皇(右下)聖徳太子(左上)第36代孝徳天皇(右上)孝徳天皇だけ時代が100年ほどあとだけど第32代崇峻天皇を含めて4天皇はすべて第29代欽明天皇の子聖徳太子は用明天皇第二皇子今日ご紹介するのは
昨日訪れました大阪府南河内郡太子町探訪記第2弾をお送りしたいと思いますその前にこの辺りのことを簡単にご説明しておきたいと思います…古事記にはふたつの『飛鳥』が登場します!履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波(大阪市)から大和の石上神宮(天理市)に向かう途中で2泊した土地を、難波から近い方を『近つ飛鳥』(大阪府南河内郡)、遠い方を『遠つ飛鳥』(奈良県明日香村)と名付けましたこの辺りの『近つ飛鳥』地域は、渡来人が多く住む、文化の先進地域で古代国家形成の過程において重要な
にほんブログ村モイ!(^-^)/本日の「まちなか古墳」はコレ↓畑に露出した長持形石棺!?安心して下さい(^-^)コンクリート製ですよ(見つけた時はホンマもんか!?と思いました)。用水路のフタっぽかったです。っうことで今回見て行くのは、古墳だらけの大阪の太子町で唯一の前方後円墳、敏達天皇陵古墳(太子西山古墳)であります。地図で見ると、前方後円墳に見えますが、航空写真で見ると・・山ですな。行っても山っぽかったです。天皇陵へと続く道です↓
相島の古代遺跡探索積石塚群など講演歴史の会/福岡毎日新聞島の北東の長井浜に約500メートルにわたり、石で積んだ古墳が254基並ぶ積石塚群は、古墳時代中期から後期に造られた西日本最大級の古墳で2001年に...「文化遺産の宝庫天理大学周辺」(PDF)天理大学西山古墳.天理大学.天理市杣之内町に所在し、墳丘の最下段は前方後方形、2段目から上が前方後円形となる特.異な形状をしています。全長181mを測り、...熊本県独り旅(装飾古墳一斉公開)馬塚古墳Yahoo