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放生院(橋寺)とは推古12年(604年)に聖徳太子の発願により建立されたと伝わっています。道登により架橋された宇治橋を叡尊が弘安9年(1286年)に復興させ、完成に合わせて宇治川の中洲(塔の島)に浮島十三重石塔を造立しました。その際に寺で放生会を行ったことから、院号は放生院となりました。また後宇多天皇より寺領300石を下賜されて宇治橋の管理を命じられたため、それ以降は「橋寺」と呼称されるようになり現在に至ります。参拝情報●鎮座地〒611-0021京都府宇治市宇治東内1
宇治川東岸の放生(ホウジョウ)院である。山号は雨宝山。正称は放生院常光寺、通称・橋寺と呼ばれる。聖徳太子の命で秦河勝が推古12年に創建したと伝わる。42年後の大化2年に宇治橋が奈良の僧・道登(一説に道昭)によって架けられて以降、宇治橋の守り寺となった。架橋の経緯は境内の「宇治橋断碑」により明らか。断碑とは、切れ切れになった石碑の意で、長く地中に埋没していた石碑の上3分の1が寛政3年に発見され、その後、「帝王編年記」に記された碑文の全文に基づいて
今日、11月22日は「いい夫婦の日」天気も良かったので嫁さんとチャリンコで宇治川へ(^.^)JR宇治駅の駐輪場にチャリンコを預けてから塔の島をゆっくり歩き…恵心院と橋寺放生院を初めて訪れ…平等院表参道のカフェで鉄弦はコーヒー嫁さんは抹茶パフェ(^-^)本当は「いい夫婦の日」のことは忘れていたけど嫁さんにパフェを勧めておいて良かったですσ(^_^;)
…「放生院」は、大化2年に架けられた橋を管理する寺となり「橋寺」と呼ばれるが、その橋は何か?「宇治橋」である。「放生院(橋寺)」に残るわが国最古と云われる石碑の断片(宇治橋断碑)に、宇治橋を架けた理由や願文が刻まれている。宇治川の流れの速さを記し、架橋で人畜を救ったとある。又、宇治橋は軍事及び交通の要衝地にあり、「瀬田の唐橋」「山崎橋」と共に「日本三古橋」と云われる。上流側に出ている「三の間」は、秀吉が茶湯のために水を汲み上
名古屋のシンゾウですベットで寝ることにしました。ダニの襲来を受けているようで、肌に赤い斑点ができ、痒くてたまりません。ダニ除けスプレーを噴霧したり、ダニ除けシートを敷き易くするためにベットで寝ることにしました。布団の上げ下ろしが面倒なこともありますが。老人になると、肌が、ぼろぼろと剥離し易くなり、ダニに襲われるリスクが高まるそうです。ベットサイドの備品を購入に行ってきましたので、ブログの更新が遅れました。本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
●以下の文章は、既に古代文化研究所の方にテーマ「京都ぶらり旅」の中に書いている。このままでは、なかなか書く余裕が無い。それで、途中だが、古代文化研究所第2室の方へ、テーマ「京都ぶらり旅:第二部」として移動することとした。○2022年10月30日に、京都宇治の平等院へお参りした。その後、宇治川を渡って、対岸の宇治神社へ参拝した。前回、宇治神社境内にあった喜撰法師の歌碑にあった、わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり和歌について述べた。○宇治神社から宇治橋の方へ下って行くと、
○2022年10月30日に、京都宇治の平等院へお参りした。その後、宇治川を渡って、対岸の宇治神社へ参拝した。前回、宇治神社境内にあった喜撰法師の歌碑にあった、わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり和歌について述べた。○宇治神社から宇治橋の方へ下って行くと、宇治橋の東詰に出る。その手前に『橋寺(放生院)』が存在する。宇治で『橋寺(放生院)』は、知られた存在である。インターネット検索すると、次のページがヒットした。橋寺(放生院)推古12年(604)に創建されたと
雨宝山放生院(橋寺)③真言律宗令和4年7月5日参拝御朱印『地蔵菩薩』真言律宗ぼさつの寺めぐり橋寺放生院本堂橋寺放生院①『地蔵尊』橋寺放生院②『不動尊』御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
名古屋のシンゾウですいよいよ10月も終わりです。まだまだ、いい加減に勉強していますので、11月からは真剣に対峙しなければなりません。ブログへの掲載情報量を減らし、勉強時間に充てなければなりません。《覚えちゃお!》コーナーは、新作は本日限りとし、11月からはこれまでの内で重要なものをピックアップして掲載します。掲載問題は、《お寺問題です》《神社問題です》小論文対策問題が沢山残っていますので、それらを中心に、当分の間、掲載します。《チョット漢字力》は中止します。11月の後半には難漢字問題を多
【食育クイズ:Vol.1080】「京都府」の「寺院と橋」おさらいクイズ!「橋寺」と呼ばれる「京都、放生院」にちなんだ「橋」の名は?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1079】「京都府」の「最澄1200年大遠忌」おさらいクイズ!最澄作の「薬師如来像」や「不滅の法灯」がある延暦寺の総本堂とは?↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「天台宗」の「宗祖」である「伝教
宇治巡りの記事です✨宇治川を眺めながら向かったのは、宇治橋と関わりの深いこちらの寺院です『雨寶山放生院常光寺』通称:橋寺真言律宗寺院ご本尊地蔵菩薩立像創建推古天皇12年(604)開基聖徳太子寺伝によりますと推古天皇12年(604)、聖徳太子の命を受けた秦河勝が宇治橋を架けた際に放生院も開創されたといいます。もう一つの説として、元興寺の僧の道登によって大化2年(646)に宇治橋が架けられた際に、宇治橋の管理のために創建されたとも伝わります。鎌倉時代後期の弘安4年(1
2020年9月28日の宇治・石清水八幡宮・淀城跡の歴史散策の続き。「宇治上神社」をお参りした後は、京阪宇治駅に戻りました。宇治上神社のレポ『宇治上神社~京都府宇治市の神社』2020年9月28日の宇治・石清水八幡宮・淀城跡の歴史散策の続き。「宇治神社」をお参りした後は、「宇治上神社」に向かいました。宇治神社のレポ『宇治神社…ameblo.jp「宇治上神社」から奥の方に歩いて行くと、石碑がありました。その手前には、由緒書きがあって…
昨日から新潮講座主催『関裕二』先生の奈良ツアーに参加しています(^^)今日は昨日巡ったコースを簡単にダイジェストでご紹介いたします✨詳しい内容は後日しっかりと描かせていただきますね☆昨日1日目のツアーは13時からでしたので、家を早めに出発して午前中に宇治を散策しました奈良は寒いと聞いておりましたが、昨日はお天気に恵まれ暑いくらいでした。☆橋寺放生院☆宇治神社☆宇治上神社宇治から奈良へ移動し新潮講座『関裕二先生と歩く奈良ツアー』に参加☆興福寺☆若草山若草山は山頂まで登りま
名古屋のシンゾウです勉強は進んでいますか。私、やれどもやれども達成感がありません。「京ことば」、「ならわし」、「地名」、「通名」等々京都人で無い私には、とても苦手な箇所です。京都を大局的に捉えられていないことが、不安感に繋がり、達成感も得られないのでしょう。「木を見て森を見ていない」感じです。その不安感、未達成感を乗り越えるには、京都に寄り添うしかありません。常に頭に京都を置いておくことでしょうか。日々是精進!!こんなつまらないことを思いながら、一日が過ぎていきます。――――
「宇治橋」と深く関わってきたことから「橋寺」の名で親しまれる「放生院」(ほうじょういん)へ宇治を探策中見逃しそうな石段を登り開かれた境内それはそれは小じんまりしっとり一人で小ぶりの仏像を観賞本堂は閉ざされ静寂な高台の空間参拝者はボクだけ「放生院」を独り占めこの後「伏見」地区へ疾走NOJOURNEYNOLIFE2014_10_19いいね外しています
今一番食べたい肉料理は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう娘も私もダイエット中で、肉どころか他のものも少なめ。娘はお腹が空きすぎて、食べる夢ばかり見て寝れないと言っています。重症ですね?昨日他の方が薄切りでなく、塊の牛肉を使ったシチューみたいな肉じゃがをブログにアップしておられました。あれ、作ってみたいな。ずいぶん昔の話になりますが、西国三十三所の御朱印を集めていた事がありました。妹と一緒に近場から回っていたのですが、その御朱印帳を久しぶりに開いてみました
すごい久しぶりのぼさつの寺めぐりの御朱印。約1年ぶりです。今回のリブログは…、この方本堂方面へ向かいます。八体仏あったんですけど、写真撮り忘れました😅宇治橋断碑。建屋に覆われてまして、拝観料300円で拝観時期も決められてます。現存する日本最古の石碑の一部なんだそうです。本堂。かなり横幅のある珍しい形の本堂ですね。ピンポン。今回は通称寺とぼさつの寺の御朱印をお願いしました。御朱印を待ってる間、引き戸を開けて下さいました。遠目でしたが、本尊の地蔵菩薩などに手を合わさせ
今回のリブログは…、この方三室戸寺から橋寺放生院へ。宇治の中心地は駐車場代が高めなので、源氏物語ミュージアムの駐車場に駐めました。比較的安いです。駐車場はあったんですけど…、檀信徒用らしいので…。ミュージアムの駐車場から、ふら~っと5分くらい歩いたら到着。山門では何か工事されてました。正式には雨宝山常光寺なんですが、一般的には放生院とか、橋寺と呼ばれています。放生院というのは、この寺を中興した叡尊が大放生会を営んだから。橋寺というのは、この近くにある宇治橋を管理していたから
京都府宇治市宇治にある橋寺(放生院)さんにも行かせて頂きました。橋寺(放生院)さんはぼさつの寺めぐり寺院です。挿絵入り御朱印を授与して頂けます。頂いた御朱印です。ぼさつの寺めぐり御朱印です。
9/30のご朱印巡りは久しぶりに宇治へ行きました。まずは何度か訪れたけど、ハードルが高くご朱印が頂けなかった橋寺(放生院)です。最近、ぼさつの寺に加入したようなので、ご朱印も頂きやすくなっていると期待して行きましたが、予想通り簡単に頂けました。(* ̄▽ ̄)■由緒604年、聖徳太子の発願により秦河勝が建立。後宇多天皇より宇治橋の管理を任されたことから、宇治橋の守り寺と呼ばれた。■住所京都府宇治
8/27この日は京都の宇治を中心にお不動様巡りまずは、久しぶりに『平等院』へ平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。(wiki引用)あまり写真は撮らずサクッと観音様はサーファー
宇治橋近くにある橋寺放生院に行きました。橋寺放生院【はしでらほうじょういん】推古12年(604)に創建されたと伝えられ、宇治橋と深く関わってきたことから、橋寺の名で親しまれている。本堂の前にある宇治橋断碑は、大化2年(646)に宇治橋を架けた由来を彫ったもので、日本三古碑のひとつといわれている。また境内は、四季折々の花に彩られ、とくに9月中旬から10月上旬に楽しめる酔芙蓉は美しい花をさかせる。山門山門を抜けるといきなり階段が…本堂本堂は寛永8年(1631年)の火災後に再建され
【京都】京都府宇治市宇治東内にある放生院のステキな【御朱印】真言律宗「ぼさつの寺めぐり」第4弾平成29年5月3日より新たに7ヶ寺増えています生駒宝山寺(追加)生駒長福寺宇治橋寺放生院鎌倉極楽寺横浜称名寺光明寺福島県いわき市四倉町狐塚字八合480246-32-2785長福寺福島県いわき市小川町下小川字上の台1200246-83-0199との事初めてになる場所はいわき市の
京都宇治市の橋寺放生院に行って来ました。初めての参拝です。切金細工がとても綺麗な鎌倉時代作の地蔵菩薩がご本尊です。ぼさつの寺めぐりの御朱印橋寺の御朱印浮島の十三重塔もこちらの所管のようですね。