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梅雨明けと共に南風が炎帝を連れてきた。南風と言えば、攝津幸彦の〈南国に死して御恩のみなみかぜ〉と彼の忌日・南風忌を思い出す。今年は彼の十三回忌。一昨年の大南風忌・没後十年の集い、『攝津幸彦選集』、『豈』攝津幸彦特集号刊行に続き、細君の攝津資子による評伝『幸彦幻景』(スタジオエッヂ)が先ごろ上梓された。俳壇では難解派と敬遠されもしたが、死してなお人を惹きつける魅力とは何なのだろう。例えば、〈露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな〉という攝津の代表作がある。そこには、客観写生の下、言葉の既成的意味やイメ
船燃えるスペインに着く水蜜桃坪内稔典前回取り上げた「朝の岸」に次ぐ第二句集。1ページに一句、わずかに四十四句が収録されている。その中で掲句が私のいちばん好きな句。中原中也研究でも有名な詩人佐々木幹郎氏の長めの解説というか「異文」も掲載されている。鬼百合がしんしんとゆく明日の空坪内稔典飯噴いてあなたこなたで倒れる犀昼過ぎの印鑑ひとつ甘かりきのちの句集に収録のこんな句も登場している。この「春の家」は1976年刊で、限定50部の自筆本も
関西学院大俳句会の機関誌「あばんせ」2号、3号のコピーがある。たしか1968年、攝津幸彦と伊丹啓子が中心になって俳句会を結成、発行したもの。その前年頃から、攝津は坪内稔典を中心に活動する「京都学生俳句会」をたびたび訪ねてきていた。私はその「京都学生俳句会」に所属、攝津とは俳句より映画の話でおおいに盛り上がった。攝津は元々関学映画研究会にいたはずで、私も京都学生映研?みたいなところのメンバーだった。秋出水「カルメン故郷に帰る」頃攝津幸彦この句は木下恵介監督、高
事務所のアサガオがやっと一輪咲いた。ベランダに今年はちょっとだけ種を蒔いてしばらくほっておいた。芽が出て、はじめて一生懸命水をあげた。例年より少し遅いのだがこうやって咲いた。花芽がそこそこあるので引き続き咲いていくだろう。やっと咲いて、とても嬉しいのだ。チンドン屋しずかに狂ふ大夏野攝津幸彦倫理学日永一日足洗ふチンドン屋が激しく狂って踊っているのならとても普通。しかしこの場合、「しずかに狂ふ」のだ。そのことをあれこれ想像するが決め手はない。大夏
ジャノメクンショウギク。蛇の目勲章菊と書く。見た目、人の顔のように見える。この花は日が当たると開き、夜や日が当たらないと閉じる。親しみを覚える花だ。ビーフカリーは最も淋しい朱夏である攝津幸彦白桃へみな抜き手切る夜の沖攝津らしい難解な句の登場である。前にも書いたが、言葉通りに読んで自分の中で妄想をしたらいいのだ。夏になると私はカレーを食べる機会が増える。最近はいろんなタイプのカレーがあるので今日はどのタイプをと選ぶのが楽しい。最近多いのは大阪の
幕末に外国からやっててきた花らしい。その当時は誤ってサフランと呼ばれていたそうだ。ところがホンモノのサフランがやってきてこの花はサフランモドキ。百年以上前の話だけど面白い。最近、ときどき見かける。ココロザシヲハタシタ夏至の六時告ぐ攝津幸彦鹿として愛夫(うつくしつま)は啼きにけり「四五一句」からひいた。普通に解釈していてはなんのことか判らない。私も戸惑うばかりだ。自分の心の中で、志を果たしたと思う瞬間があった。ちょうど夏至の日の六時であった。
トウツクバネウツギに止まったアゲハチョウ。この黄色と黒のアゲハが出てくると夏。私のイメージである。餡パンのへそ歪なる銀座かな攝津幸彦旬の手を振りあふ都バス運転手最後の句集「四五一句」からひいた。デビュー当時の「難解さ」から「剽軽さ」へ転じつつあったと私は考えている。彼は書斎で俳句を書いていると語っていた。たとえばつげ義春の「ねじ式」を読みながらあるいは好きな映画監督の鈴木清順のシナリオを読みながらあるいはまた、遠く大陸やアジアを夢想しながら俳句
近所に少し田んぼがあって今朝、田植えが終わっているのに気づいた。このか細い苗が秋には黄金色に実るのを想像し、平和であるべきことを真剣に望む。蝉時雨もはや戦前かも知れぬ攝津幸彦お国の忌兵たりしもの減りにけり攝津が亡くなって4半世紀以上になる。その頃、彼はこの国の平和を真面目に心配していたに違いない。いま、こうやって、これらの句を挙げることはピントはずれかなあ?ロシアとウクライナの戦争が始まって急に人々は国を守るということを言い出した。少し違う気
見事なダリアだ。連休にユニバーサル園芸で鉢植えを買ってきた。それが咲いたのだが花がとても大きくて、豪華である。ダリアってこんなに素晴らしい花とは。初めて知った。感心しているのだ。南浦和のダリヤを仮りのあはれとす攝津幸彦ダリヤ焼く明日も水野鉄工所冒頭の写真と俳句を関連付けない。このブログはそういう方針でやってきた。ところが写真のダリアを見てこの2句をとっさに思い出し今回はその方針をやめることにした。ダリアといえば、この2句なのだ、私には。豪
とても風の強い日だった。事務所の隣のビルに植えられているモッコクモドキ。こんな花を咲かすとは知らなかった。この木は海岸などに無造作に植えてある。染料の原料になるらしい。雨風の日にこんな花を見つけると幸運な気がする。春日傘大和にいくつ女坂攝津幸彦詰襟の君が草矢の的となる攝津幸彦については何度も書いているし著名な評論家が解説をしてくれているからいまさら感なのだが今回は私自身の勉強もふくめ「もいちど攝津幸彦」を読んでみたい。私は俳句を書くことができ
いつもの散歩道の蓮池。一昨日(11月28日)の様子。春から夏、緑に埋まりピンクの花を咲かせる池。まさに「破れ蓮」である。枯れ蓮よ飛べ飛べあひる昼の月松山たかし12月である。これまで私の興味のある俳人の作品を読んであーだこーだと言ってきた。それはそれとしてもうひとつ新しいスタイルを加える。俳句作品だけでなく、俳句の本を読んでいきたい。中身は変わらないんだけど著者の意見も聞いてみようと思うわけ。(気まぐれで、思いが途中で変わるかも)12月は坪内稔典編「
サルビアが咲きかけている。夏から秋にかけて咲くというからちょっと遅いのかな。今日はとりあえず?青空が見える。時々、雲に覆われるが、暑い。多湿。裏切りの少女隠して晴れる海阿部完市言葉のごと少女は雨を降らせており昨日の続きで言うなら摂津幸彦も馬場善樹も阿部完市が好きだったように思う。好きと言うのが安直なら強く関心を持っていた・・・。句集「絵本の空」には少女の句がいくつかある。上の二句の「裏切り」「隠して」「ごと」「雨を降らせ」の言葉にその頃、おおいに反
時々晴れ間が見える今日。印象としては曇り空。垣根越しにこの赤い花を見つける。花?実?いつも可愛いなあと思ながら通り過ごしてしまう。花の名はウキツリボク(浮釣木)。年中咲いているらしい。夕焼け助奏の風鳴る近親婚の村摂津幸彦潮焼け漁夫の歯がない民家兼バス停「現代語俳句の会」機関誌「俳句思考」からひいた。昭和43年10月の発行である。この二句は「アバンセ」2号にも掲載されている。摂津氏がたぶん、関学大3年生の頃である。同じ誌面に私のドラマ
朝、とても晴れていたのに今日もまた、雨が降り出した。朝の光の中でよその家のミカンを垣根越しに。未完の蜜柑である。花器に蒔く吠えそなキリンの九月その他攝津幸彦木の盆に水盛る原告席のややひだり坂道曲がれば坂道朝の粘り母ほどで馬場善樹ここに1968年11月発行「あばんせ」3号がある。関西学院大学俳句研究会の記念祭特集号である。ここに立命館大、関大、龍谷大の学生の俳句が並んでいて馬場善樹の作品も登場している。上の三句、ストレートには理解で
今日も朝からたいへんな雨。事務所へ向かう道筋で見つけた露草。雨の中で気になった花だ。いま、お昼をまわったところ。大阪はやや晴れ間が出てきたが日本各地で水害があるようだ。好色や西日の隅に桃ぬるむ馬場善樹桃よりも染めて情あり桜紙どこか色っぽい俳句である。学生時代、馬場善樹と私は映画の沼みたいなところに浸かっていた。当時、映画は「犯罪、セックス、暴力」であった。週に3日か4日はそういう映画論で二人で飲んだ。のちにそこへ攝津幸彦が加わることがあった。攝津
まぎれて星と出船入り船絹ずれぬ馬場善樹白日へ手は絞め合ひぬあねいもうと内縁や桃食むもろきまま一年馬場善樹はちょうど10年前、平成23年(2011年)6月23日道半ばのまま亡くなった。私と彼との出会いは2019年12月刊の「船団」123号に「あらるげ物語」として少し書いた。「あらるげ」を卒業後彼は坪内稔典氏の「日時計」などで俳句を書いた。さらに居を東京に移し、攝津幸彦氏の「豈」の立ち上げに参加。しかし、数年後、大阪に戻り再び私と接点を持つよう
包丁に集まるをみな倒立すダリヤ焼く明日も水野鉄工所淋しさを許せばからだに当たる鯛攝津幸彦句集「鳥屋」からひいた。言葉の働きは伝達あるいはコミュニケーション機能ばかりではない。これらの句をはじめ攝津幸彦は「伝達」を拒否することから俳句を始めたのではないか。言葉が合理的であることにいささかの反発、あるいはそれの拒否が彼の作品には漂う。音の響き、リズム、カタチみたいなものが人を揺さぶるそんな企てがあったのではないか。だから彼の句を解釈しようとするのではなく理
昨日、散歩で見つけた木。見れば見るほど彫刻のように思えて。気になってきたのだ。意味ありげな、意味ありげで意味がある。現代アート?いまもこの写真を見てあれこれ想像を膨らませている次第。蓮華草亡父は雨戸を背負ふらん攝津幸彦平和なる薄荷の自分嗅ぎにけり永遠に中止となりぬ鴎かな攝津幸彦の「與野情話」からひいた。彼とは若いころ何かと因縁があった。その話は別の機会にということで。これらの句を読んでいると「意味ありげで意味がある」と思うのである。彫像のよう