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前回ブログ最後で予告した「13.5m」は、次回とさせてください。テーマを『ダムさんぽ』にしてますが、実はダムにたどり着けていません。ダム近くまで行くと近くに気になる標識があり、その話を書いてます。久瀬ダム入口脇にあった標識徳山ダムから横山ダムを巡り、国道303号を南に下ってました。横山ダム訪問で気を抜いていたその時、ふと視野にダムが入り慌てました。もちろん気持ちだけで、運転は乱していません。そんな状況なのでダムの撮影はできず、Googleストリートビューの画像をお借
2024年7月27日。先週は水が干上がっていたこちらの用水路。一気に増水していました。殿様用水〜ダークサイド揖斐川夏の用水路はどこから水が来ているのか?と思うほど水量が多いのですが、なぜに先週は水を止めていたのか謎ですね。魚がたくさん干上がっていて可哀想でしたが・・・。もちろん水田用の用水路だと思うのですが、この急カーブにも何らかの意味があるでしょう。川の横・・・と言うよりもかつては川の上に建っていたであろうお屋敷も味わい深いです。こち
1級河川揖斐川にある徳山ダム下流に取水堰を見つけたので、写真を撮りました。どうも東横山発電所へ送水する取水堰のようです。※イビデン(株)という民間企業は元々は明治時代に設立した電力会社でした。1912年(明治45年)11月25日に揖斐川電力(株)として創立しました。大東亜戦争(太平洋戦争)後、社名をイビデン(株)へ変更し、電力事業から撤退しました。電力事業から撤退しましたが東横山発電所はイビデン(株)所有のまま自社用発電所として残りまし
揖斐郡揖斐川町の揖斐川右岸の県道254号を北上すると上流に「西平ダム」が見えてきます。西平ダムは、中部電力の発電用ダムで、1939年(昭和14年)に揖斐川電気化学(現イビデン)によって建設されました。完成直後に日本発送電に現物出資され、戦後の電力事業分割民営化で中部電力が事業を継承しています。《西平ダム概要》名称西平ダム(にしだいらダム)所在地岐阜県揖斐郡揖斐川町北方河川名
「道の駅星のふる里ふじはし」から国道303号を南下すると左手に久瀬ダムの下流面が見えます。専用の駐車場等がないため広い路肩に車を停めて、素早く写真を撮りました。《久瀬ダム概要》名称久瀬ダム(くぜダム)所在地岐阜県揖斐郡揖斐川町東津名汲河川名木曽川水系揖斐川目的発電型式重力式コンクリートダムゲート非常用ラジアルゲート
今年7月より、ぼちぼちとダム巡りをしているワタクシ。あのでっかい“人工水がめ”に行った時のことを書いてます。ちょっと話を引っ張り過ぎたので、そろそろクローズせねば。やっと対岸へ途中で二話も道の話に脱線していましたが、ようやく対岸への話に戻ります。話の流れからすると、(3)の続きになります。脱線編:(4)、(5)ただ、“対岸の話”ですが…結論としては“観察困難案件”ばかりなので、深堀まで至りません。ダム筐体上をテクテクテク管理事務所の建屋が小さく見える
今日のお昼ご飯は…近所の揖斐川支流の粕川堤防沿いにあるそばの駅いびがわ。大垣から揖斐川の西側の堤防を走った国道303/417に交差する手前にあります。養老鉄道揖斐駅の北側なのでそばの駅という名前になったのかな。14時すぎるとお昼食べるところが急になくなるんだよな田舎は…😅堤防道路に平行してお店があります。なのでバイクを見ながらご飯が食べれます。そばを注文して更に天ぷらやおにぎりをチョイスして会計、蕎麦を待つパターンです♪しばし天ぷらとバイク!を楽しんで……からの、やってきました。か
9月も、下旬になり、暑さも随分落ち着いてきましたねシルバーウィーク、大江川はそこそこ賑わってました🚙10月の駐車場利用について🚙4日(日)10日(土)17日(土)18日(日)は、貸切となっております。ご迷惑をおかけしますが、ご理解の程、よろしくお願いいたします。10月3日(土)と11日(日)は、駐車場のご利用はいただけますが、別団体様も使用されているため、場内でトラブル等がないよう気を付けてご利用ください。
今年7月より、ぼちぼちとダム巡りをしているワタクシ。今回、あのでっかい“人工水がめ”に行ってきました。水がめの向こうに見える“白い橋”に視線を奪われてます。白い橋へ行ってしまう前回(4)の終わりで、ダム湖の奥に白い橋があるのを見てしまいました。ズームしてみるとあれは「斜張橋」という型でしょうか。あれってやっぱり、国道の橋でしょうか。地図を見ると、やはり国道の橋のようです。『徳之山八徳橋』というそうです。というわけで…やっぱ脱線やなぁ
今年7月より、ぼちぼちとダム巡りをしているワタクシ。今回、あのでっかい“人工水がめ”に行ってきました。筐体上でよもやの寄り道をしつつ、対岸へ歩を進めます。気になる道路に心奪われ(3)にて、“あちら側(対岸)”へさんぽ…のハズだったのですが、来た方向のある風景に心を惹かれてまして。「洪水吐きゲート」の先、ダムの管理事務所建物奥の風景を見ています。白い矢印(2箇所)の指し示す先。蒲鉾ロードと、水中に没する道路。道路ネタにどうしても心を奪われるワタクシ。まず
神奈川から箱根越え、新東名、伊勢湾岸道を通って揖斐川沿いに来ました。天気は曇り空。ブルーグレーのボディー色のような空と川面。少し遅いお昼を食べます。地元の寿司店に入ったらお勧めランチがありました(^^)おすすめ握り6貫。どれも美味しかったです。ちょっとしたサラダと、フグなどの揚げ物。茶碗蒸し。揚げ物が新鮮で美味しかったです。ちっちゃい味付け揚げ
一宮に行った帰り道久々に昼間の国道1号線を利用したら、結構工事が進んでましたね長島側の付け根長良川の中間付近先っぽは青いパーツが付いてました長良川と揖斐川の橋が新しくなっても、木曽川の橋が変わらなかったらあまり意味はないのですが、いつになったら工事を始めるんでしょうか?木曽川の向こうは愛知県だから進まないのかなぁ国道1号桑名東部拡幅|事業紹介|国土交通省中部地方整備局北勢国道事務所「国道1号桑名東部拡幅」国土交通省中部地方整備局北勢国道事務所www.cbr.mli
2024年7月11日。かつては鮎も遡上して来ていた揖斐川町の小川。オオカナダモの花〜ダークサイド揖斐川ちょうどオオカナダモ(アナカリス)が花を咲かせていました。今では珍しくなった水門もありました。こちらはコンガイモだと思われます。日淡をやっていた頃は、ここに魚獲りに来たこともありました。かつては魚の宝庫でもあったのですが、今は面影が薄ら残るのみで、魚影はかなり薄かったです。光陰矢の如し。にほんブログ村↑宣伝のため是非
今年7月より、ぼちぼちとダム巡りをしているワタクシ。今回、あのでっかい“人工水がめ”に行ってきました。ダムの巨大さに撮影で苦心しつつ、次のステップへ進みます。さんぽ前勉強(1)で、とりあえずダム全景撮影は保留します。あと考えられる手立てはドローン撮影ぐらいで、もっとも無断で実行しようものなら、捕まって“パンダ柄公用車”に押し込まれるかも?というわけで、筐体の上をさんぽすることにします。その前に、少し勉強をしておこう。まずは絶対コレ!今時の奴らは、“♪す
2024年7月11日。揖斐川町某所で帯状疱疹と思われるウサギを発見しました。複数いるようです。帯状疱疹が続出した!?幼稚園〜ダークサイド揖斐川にほんブログ村↑宣伝のため是非ともクリックをお願いします!!
2024年7月11日。ここは揖斐川町の商店街。商店街の入り口付近に高価な壺が飾ってあるほどの強靭な自民党信者の町。激震!揖斐川町の政党支持に異変が!?〜ダークサイド揖斐川この頃、店を失ってを尚、自民党を支持するこの町に異変が起こっておりました。参政党のポスター。そして参政党の登り。ここまで酷い仕打ちを受けながら自民党を支持する町民は、もしかしてロボトミー手術でも受けたのか?と思っておりましたが、やっと気が付いた町民も出てきたようでした。
いつもの海岸散歩・・・近くにある漁港内が、とんでもないことになっています。先日来の豪雨で、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)から、大量の漂着ゴミ(流木や灌木など)で埋め尽くされています。漁船のスクリューに、流木が絡まったりしないのかな?少しでも漂着ゴミを取り除いているようですが・・・増える一方です。
8月23日の投稿より、「橋」ネタが連続してます。お構いなく今回も「橋」ですが、一旦区切ることを先に伝えておきます。“どんどん”と河童とお城まずは1枚の画像より。なんだか、西洋の城塔と見誤りそうな構造物。「な~んだ?」なんて書きそうなところですが書いてるけど、最初に「橋」って出してるしね見てのとおり「橋」で、主塔がかわいいデザインになっています。下を流れる川が『揖斐川』で、橋の名前が『どんどん橋』というそうです。『どんどん橋』ネーミングの
四日市駅のホームで待っていると6分の接続で、8時10分発の伊勢鉄道を通ってきた快速みえ号が到着して、転換クロスシートの気動車で扉の横の向かい合わせの席が空いていました。https://ameblo.jp/yoichi101/entry-12495894921.html『快速みえ16号鳥羽発名古屋行き』近鉄鳥羽駅から跨線橋を渡ってJR鳥羽駅に行くと、のどかなローカル駅の雰囲気で、長いホームに2両編成の14時06分発の名古屋行きが停車していて、1両の半分が指…ameblo.jpエンジン
福井は勝山の友達から返信がありました土日のニュースは、勝山も連呼されてましたねとご自宅も、八助さんも大丈夫だったそうです本当に良かった4年前にも線状降水帯で河川の決壊があり大工事してたそうです今回、工事が終わっての事なので幸い被害がなかったらしいですよかったぁでも、多くの河川があるので他の河川の被害はありましたよね我が街の近くに伊勢湾台風で大被害にあった長島の輪中があります更に昔薩摩藩士の治水工事の話は語り継がれています揖斐川、長良川、木曽川があり決壊すれば大
■XL125Rステム増し締め・防錆・おでかけとか管理人のもとにやってきてしまった空冷単気筒125㏄級オフロードトレール系バイク「XL125R(JD04)」ツーリングに出かけたりしながら、ちまちまお手入れを実施中である。本内容は管理人が行った活動の記録だったりする。各名称等は管理人が使用しているもので正式なものではないかも。こんな記録を参考にせず、正しい情報を入手して、正しく活動されたい。万一、参考にしてしまう場合には自己責任で。■ステムまわりが緩いので増し締め
平成24年(2012)イビデン株式会社は創立100周年を迎え、東横山発電所付近でも記念植樹が行われている(写真)。その翌年には再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)を利用した電力会社への売電も再開させている。その基準を満たすため、東杉原第三隧道も改修された。上部水槽の側までは管理用道路があり、近くまで車で行くことができるが、入口には「立入禁止」と書かれた柵がある。仕方ないので、その場からレンズを伸ばし、写真に収めるに留める。その上部水槽を揖斐川対岸の国道303号から写
揖斐川電気株式会社は、大正14年(1925)広瀬発電所(出力5,200kW)、昭和10年(1935)川上発電所(同2,950kW)、昭和15年(1940)西平発電所(同11,200kW)と次々に水力発電所を建造し電源開発を進めていくが、西平発電所を誕生させた年に、電気化学工業を経営の主体とするため社名を揖斐川電気工業株式会社に変更している。(写真/揖斐川を下り、東杉原第一沈砂池へとやって来る)戦争が長引く中、電力管理法が施行され、日本国内における発電・送電施設は、ことごとく国家の特殊会
2026年7月25日(sat)プロローグ私は以前、糸魚川市と東京都に本社を構える、大正12年(1923)10月20日創業の黒部川電力株式会社が日本最古の現役電力会社であると本編に投稿したが、それは誤りだったようだ。それより10年以上前に電力会社を興し、今なお現役で電力供給しているイビデン株式会社(本社/大垣市)がその座に当たることが、東横山発電所の取材で判明したので訂正させていただく。もしかすると、私が知らないだけで、戦時下の発電設備の出資を免れ、継続している電力会社が他にもあるのかもし
皆さん、おはようございます。昨日の続きです。大垣駅のホームに入りました。暫くすると、豊橋からの快速がホームに入ってきました。折り返し、豊橋行きの快速になる電車です。いつもは、大垣駅で満席になることが多いのですが、今回は、満席の一歩手前の乗車率です。電車は、大垣駅を発車しました。最初に、揖斐川の鉄橋を渡ります。次に、長良川を渡ります。その後、岐阜駅に到着します。車内から岐阜駅前を見渡しました。駅の北側に黄金の織田信長公像がみえます。車窓からは大
今回は、紀伊本線の特急南紀号走破に行ってきました。●旅行日時:令和8年7月休日●主な切符:JR東海&17私鉄乗り鉄☆たびきっぷ9,200円●路線行程国土地理院ウェブサイトを基に加工①名古屋駅→特急南紀号(HC85系)普通車指定席→紀伊勝浦駅停車中の車内から見える名古屋駅の高層ビルです。名古屋駅出発前の特急南紀号特急南紀号はハイブリッド方式の鉄道車両です。JR東海のホームページでは、「ハイブリッド方式の鉄道車両として国内初の最高速度120km/hを実現した特急車両」と紹介して
国土交通省や林野庁が制定した「森と湖に親しむ旬間」。この時期には多くのダムで見学会が催される。私はそれを、ダムマイスターさんのブログで教えていただいた。本日訪れる国土交通省横山ダムは、併設するダム式の中部電力横山発電所の見学会が抽選となっていて、それに当選することができた(画像)。紹介してくれたダムマイスターさんは落選したというから、倍率はそれなりにあったようだ。実は、それだけではなく、以前から気になっていたイビデン株式会社東横山発電所を訪れることができる。私にとっては一粒で二度美味し
2024年5月18日。本日のメインイベントとなる廃村八草村。八草偲想廃村八草村〜ダークサイド揖斐川八草村は八草川沿いにあった集落です。そんなわけで、まずは八草川を渡ります。思いっきりのジャングルを進みますよ。割と新目の土嚢とカラーコーンの足場が落ちていました。八草村の跡地の中心地の丘に来ましたよ。ここには村の記録が書かれた石碑が建てられています。前回来た時には村の出身者と思われるおじさんが草刈りをされ
「七里の渡し(間遠の渡し、県史跡)」です。慶長6年(1601)家康は、江戸と京を結ぶ「東海道宿駅制」を設置しましたが、第41番の「宮宿」から第42番「桑名宿」までの「7里(約28Km)」は、舟で渡ったことから、この渡し場は、「七里の渡し」と呼ばれました。桑名市内には、いたる処、こういう「東海道表示」が見られます。7里の航路は、時代や天候、潮の状態により変化しましたが、おおむね、3~4時間程度だったようです。「七里の渡し」の渡し場は、北は揖斐川、東は桑名城の北西
「六華苑」前から見た木曽三川です。手前から順に、揖斐川、長良川。中洲を挟んで、木曽川です。1本でも大河ですが、3本揃うと、海のようです。中世から「木曽三川の中下流域」は、洪水の度に、大きな被害を受けました。人的被害も多く見られました。たまりかねた幕府は、宝暦3年(1753)に、薩摩藩に「お手伝い普請(木曽三川の治水工事)」を命じました。薩摩藩は、家老:平田靱負(ゆきえ)を総奉行とし、約1000名の藩士を派遣し、工事に着工しました。「宝暦治水」と呼ば