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上毛電気鉄道700形711編成(あにまる電車)2024年1月8日富士山下~丸山下上毛電気鉄道の渡良瀬川に架かる橋は昭和3年に設置。大胡電車庫西桐生駅駅舎、粕川橋梁及び荒砥川橋梁とともに「上毛電気鉄道関連施設群」として土木学会推奨土木遺産に認定されています(^0^)なお、車両に架かる電線が反対側にあれば良かったなぁと思ったのはナイショ(^◇^;)
もどり橋、涙橋、ためいき橋・・・橋の頭に何かを付けようとすると、ちょっと寂し気なものが似合いますね。と、そんなことを考えたのも、最近、伊予市の「こたろう博物学研究所」(通称こたろう博物館)の館長さんの案内で松山市内の橋巡りをしてきたからです。橋ブログではないので詳細は飛ばしますが、アーチ橋から吊り橋から煉瓦の橋にトラス橋・・・川があれば橋があるのは道理なのですが、こんなにたくさんの種類の橋が身近にあったとは驚きでした。(アーチ橋)(人道橋?)(石橋)(吊り橋)(煉瓦橋土木
北海道ちほく高原ふるさと銀河線の廃線跡を旅する(第2回)路線名称を4回目も変更して、最終的には”ふるさと銀河線”になった廃線跡。前回は、池田駅から出発して、推奨土木遺産である「本別川橋梁」までを辿った。今回は、その先にある本別駅跡から出発しよう。本別町のあった、本別町は十勝平野の北東部となり、地勢的には内陸となる。この町は、幹線が十字に交わる為に、交通の要衝でもあった。現在では鉄道路線こそ廃線となっているが、高速道路のジャンクションもあり車社会としては大事な町である。その町の中心
愛媛県北宇和郡津島町にある公園内に、近代設計による木製橋が架けられていた。その形状はポニートラスであり、平成2年に完成している。主部材は腐りにくいと言われているボンゴジ材を使用しており、公園内の景観に考慮した素晴らしい木製橋梁であったようだ。それが、わずか9年間使用しただけで主部材の破損により橋梁の崩壊事故が発生している。近代設計で架設された木製橋の落橋は、世界的にも報告が無いようであり、関係者にとっては衝撃的な事象であったようだ。この件に関しては、森林総合研究所から「ボンゴジ材を用いた
京都御所から二条城への道は、江戸時代の初期(1628年)に後水尾天皇が行幸の為に通られている。行幸とは、天皇が外出することであり、めったにあることでは無かった。今回は、そのルートを散策して、歴史的遺産を見て回るモデルコースを提案することにした。まずは、スタート点である京都御苑へと向かう。京都駅からなら地下鉄で丸太町駅で下車後に1番出口を出たら京都御苑(御所)となる。京都御苑は広大な敷地を持っているので、ゆくり見て回ると時間がいくらあっても足りない。御所の長大な壁を見て、その大きさを
土木学会から選奨土木遺産に選ばれた、大阪府大阪市に現役として使用されている浜中津橋。その選奨理由は、土木学会のホームページによると以下となる。「我が国初の鉄道橋に架設されたポニー型ワーレンントラス桁を当時の形をほぼ残しつつ現在も道路橋としてしている貴重な土木遺産である」そこで、わが国初の鉄道橋について調べてみた。最初に鉄道が敷設されたのは、明治5年(1872年)に新橋駅から横浜駅間であるのはあまりにも有名。もちろん、そちらに我が国初の鉄橋が架設されたと考えるのがあたりまえであろう。しか
土木学会による選奨土木遺産である、王子橋。京都府亀岡市の山中にあるが、京都と宮津を結ぶ幹線道路の橋梁であった。明治14年から、京都と宮津を結ぶ山陰街道の車道化工事がスタートした。足掛け8年の歳月をかけて全線が開通したが、その中の重要工区であった王子橋は明治17年に竣工していた。橋梁であるが、花崗岩を使用した石造りの単径間アーチ橋である。橋長は28.4mで、径間は18m、幅員は5~6m程度。馬車を通す事が目的なことを考えたら、立派な橋梁であったと思われる。この王子橋の最大の特徴は、設
両橋は、京都府福知山市にあるコンクリート橋であり、土木学会による選奨土木遺産に指定されている。読み方は、「りょうはし」と呼ぶのが正式名称。感覚的には「りょうばし」だが、濁音をつけると橋梁が濁水で流されることを嫌って「ばし」を「はし」と命名するとかしないとか。まあ、土木の仕事をしている人からの受け売りですけど。両橋は、福知山市といいつつ、兵庫県境にほど近い山間部にある橋梁である。昭和13年に、山陰街道の整備の一環として造られている。これが、意外と行きにくかった。理由は、どこにも住所が書か
鳥取県江府町の河川際にひっそりと佇む、中部電力「江尾発電所本館跡」。土木学会から2007年に選奨土木遺産として評されている。その推奨理由は、現存する数少ない石造り発電所であって、その装飾的な外観を留めているからである。なかなかマニアックな土木遺産であるが、どうしても見ておきたかったのだ。場所は、日野川の右岸であり、JR伯備線の江尾駅の先となる。付近にはあまり建造物が無いので、すぐにわかる。駐車場は、敷地内に停められるが、そこでは撮影の邪魔になるので、付近の道路は広いのでそちらに。ちなみ
岡山県岡山市の中心部付近に架設されている「京橋(きょうばし)」。西暦2000年に、土木学会から選奨土木遺産として称されている。推奨理由であるが、鋼管柱橋脚を有する唯一かつ最古級の大型鋼I桁橋と表されている。ということで、現地を見に行くことにした。京橋と言えば、関西人としては大阪市内の繁華街である「きょうばし」か、阪神高速神戸線でいつも渋滞している「きょうばし」のいずれかになる。もちろん、現地はそこではなくて、岡山市だ。岡山城からは車で5分程度のところになる。駐車場は、京橋に直交
岡山県の備前市三石にある土木遺産。それは、三石煉瓦拱渠群(みついしれんがこうきょぐん)だ。鉄道線路を通すために築堤を設ける場合に、その下に元々あった河川や道路を分断させない為に、アーチ形状の橋梁を設けて、その機能維持を図る方法がある。それを、拱渠(こうきょ)と呼んでいる。その煉瓦拱渠は、JR山陰本線の線路下を横断している。備前と言えば備前焼が有名だが、ここらは煉瓦で有名である。その地元の煉瓦を使用した橋梁が点在している。アーチ橋そのものは、全国各地に現存しているが、現在も現役で使用されて
土木学会選奨土木遺産である、「平木橋」。平木橋は兵庫県加古川市にある、農業用水用の1径間のアーチ橋であった。用水の送水ルートとして大正4年に完成させているが、数年の使用しかされていない。橋自体の問題ではなくて、送水先の溜池に問題があったようだ。その後は、人知れず余生を送っており、朽ちていくのを待つばかりであったが、突然脚光を浴びだしたのが2000年だった。土木学会の調査で、その歴史的背景や、構造物の美しさから土木遺産に認定されたのだった。場所は、東播磨道の横にある前ノ池の中にあ
幻の鉄道遺産と呼ばれている広浜鉄道今福線は、広島県の三段峡から島根県の浜田を結ぶ路線(未成線)であった。幻と言われる所以は、長期にわたって工事を続けたが、結局使われることなく廃止となった未成線だからである。それも、一度も使われていないのに、新線と旧線があるという、摩訶不思議な路線でもある。また、平成20年には、土木学会から「今福線コンクリートアーチ橋群」として選奨土木遺産に認定されている、由緒正しい歴史的建造物である。その様な素晴らしき歴史遺産を見逃す事はもったいない。特にこの手の遺産群
帝釈峡は、旧道の廃隧道の宝庫であった。出雲旅行をメインとする、とある連休にゆっくりと廃隧道を巡り歩く1日旅行をしてきた。隧道巡りって、すぐ終わるんじゃないの?って疑問があるようだが、実際は地図帳や古い図面なんかを調べながら歩くだけでも時間がかかるし、車を駐車する場所を見つけるのにも一苦労する。結構めんどくさい、地味な旅行なんである。では、1本目は現在の帝釈峡トンネルの横にある旧トンネル。写真の右側にポッカリと口をあけているのがわかる。三坂第二隧道。こちらは、いまだに側道のイメ
三重県にあるナローゲージは、四日市あすなろう鉄道と、その路線からさほど離れていない場所にある三岐鉄道北勢線がある。では、三岐鉄道でもナローゲージが目的か。それは、ちゃいますわ。目的は、土木学会推奨土木遺産である「北勢線のねじり橋とめがね橋」を見に行くことである。よって、ここでのナローゲージは土木遺産を撮影する上でのアクセントだろうか。さて、北勢線のねじり橋とめがね橋は、三重県みなべ市員弁町下笠田にある。三笠橋北の交差点からすぐだ。現地の道路は狭くて駐車スペースがないので、護国神社に停めさて
大仏鉄道の遺構を訪ねてのサイクリング。いままで見た遺構はどれもこれも素晴らしかった。次の遺構は、「赤橋」である。この橋は、現役で使われているみたいである。いままでの橋台と異なり、偶角部のみ切り石を使い、その他はレンガ造である、複合型橋台である。素晴らしき意匠である。そういえば、かつてこのような造りは見たことがない気がする。また、ここも他の橋台と一緒で、一切のほころびも無い。そして、橋げたはどんな構造でしょうか。な、なんと、切り石を橋げたにしている!?目の錯覚か?そして
大仏鉄道の遺構を自転車で回っている。ここまでは、アスファルト舗装なので順調であった。しかし、以降はグチョグチョの土の道に変化していく。観音寺橋台を過ぎると、観音寺小橋台となる。残念ながら雑草とフェンスで全貌が見えない。なんとなく、アバットとパラペットが見える。道はいよいよヤバくなってくる。熊スズをチンチン鳴らしながら自転車を押して進む。どちらかといえば、猪の方がいそうである。鹿背山橋台に到着。大変緑が濃い場所である。それにしても見事ですねえ。
大井川橋静岡県島田市金谷町にあるトラス橋であり、2003年に推奨土木遺産として土木学会に登録されている。登録理由は、土木学会によると「橋長1026.4m、17径間のトラス橋で、上下部工ともに当初の優れた姿をよく残し、戦前では同形式として最大級の道路橋」である。竣工年は昭和3年。それが、現役で重交通を支えているとは驚きである。その大井川橋に出会ったのは、大井川鐡道で蒸気機関車に乗った帰りである。下路式のプラットトラス構造。鉄骨だけを組み合わせた機能美が美しい。対岸で一
福井県三国町には、土木学会推奨土木遺産がある。その名称は、「三国港エッセル堤」と呼ばれている。竣工年は、明治15年。土木遺産としての推奨理由は、土木学会HPにこう記してある。『設計エッセル、施工デ・レーケによる粗朶沈床工の防波堤で、水制とともに導流機能も果たした明治初期を代表する港湾施設である。』港湾施設については、よくわからないが三国駅の”ねじりまんぽ”から目と鼻の先である。せっかくなので、行ってみることにする。エッセルさんと、デ・レーケさんだ。見たこと無いけど、なかなか
福井県唯一の”ねじりまんぽ”は、越前三国駅にあった。大正2年に国鉄三国線に建設された橋梁である。ここにも、わざわざ遠方より”ねじりまんぽ”見たさにやってきたのだ。近くに東尋坊という福井県随一の観光スポットがあるが、そちらにはまったく興味がないのだ。よって、せっかく来たのにと思われるかもしれんが、寄らないのだ。では、さっそく探そう。えちぜん鉄道の終着駅である三国駅。なんともいえん、ローカルな場所である。駅舎がいい感じだ。グーグルマップでは、この近辺を示している。しか
旧北陸本線の遺構を追う、敦賀から米原間の最大の構造物は、柳ヶ瀬隧道である。ここも、小刃根トンネルと同じく、土木学会推奨土木遺産である。なんといっても、明治17年の完成当時、日本最長である。すべての、長大トンネルは、ここからスタートしたのではないだろうか。北陸道と並走するようなイメージの廃線跡。廃線跡といっても、完全に県道にリニューアルされているが。単線軌道を県道に転化させた隧道である。もちろん、車1台が走るのがやっとである。すれ違いは絶対にできない。また、1kmを超えるトンネルである
旧北陸本線の敦賀から今庄間で最も長いのが山中隧道である。さすがに、こんだけ長いと信号機付きやろうなと思いながら進む。そして、この探索も突然に、終わりがやってきた。なんじゃこれ!通行止めじゃん。トンネルが危険なの状態なので点検しているみたいである。坑門だけでも拝見させていだたこう。というか、信号無いぞ。延長1170mで離合場所無し。おそろしや。なんか、音がしているぞ。望遠&デジタルズームオン!たしかに、トンネル内の点検中だ。高所作業車を使用して、打
旧北陸本線の敦賀から今庄間の間に、杉津駅があった。かつて大正天皇が行幸列車で通過する時に、その絶景に見ほれて発車を遅らせたという話もあるらしい。現在は、北陸自動車道の敷地となっていて遺構は何も残っていない。ここは、廃線跡を転用した県道から、杉津パーキングエリア内に立ち入る。すごい景色ですねえ。景色を堪能したあとは、トイレを借りよう。たまたまいたトイレ掃除のおばあちゃんに聞いてみる。「ここのどこらへんに、杉津駅はあったのでしょうか?」「昔のことだからわからんねえ」さて、
葉原隋道を抜けると、次は3本目となる鮒ヶ谷隋道である。けっこう短いですね。反対側が見えるわ。扁額が新しいと、あきらかに読めるが、あまり趣がないですねえ。たとえ、読めなくても古いほうがいいんだけど。トンネル内部は同じくレンガアーチである。今庄側からも撮影する。鮒ヶ谷(ふながや)隋道敦賀市阿曽延長64m明治28年竣工さ~て。まだまだ続くぞ。横に走っているのは、北陸道だ。4本目である、曽路地谷隋道に到着。ここは、延長が401mあるが、照明も
バス専用道の最終であった、城戸駅をすぎたらトンネル区間となる。そこで、車で再出発して次を目指す。残念ながらそのトンネルの出口はわからなかった。その次のトンネルは坂巻トンネルである。そこの出口を国道を3往復目でやっと発見した。細い道を左に折れてすこしである。どこにも駐車スペースがないので、橋梁の下に無理やり入れる。写真16側道を上っていくと、出入り口があった。写真16坂巻トンネルを覗いてみる。かろうじて、反対の入り口の光が見える。見事な直線である。コンクリートもまだま
賀名生地区を過ぎると、梅の美しい場所に遭遇した。大日川という場所である。大日川バス停があるはずだが、見つからなかった。写真12第七丹生川橋梁が国道168号線を超える。その先は、トンネルである。写真13この橋梁もハイピアで立派である。桁は、二主版桁でプレストレストコンクリート橋と思われる。写真13これから先は、しばらくよくわからない区間が続く。どうも、トンネルがメインになっているみたいである。そして、バス専用道路の終着点である、城戸に到着する。五條
生子トンネルの出口はよくわからなかった。国道の拡幅部に停車して、周囲を観察していると、橋梁がみえた。細い道を歩いていくと、第一丹生川橋梁であった。見事なアーチ橋梁である。地図⑨橋面だが、さすがに単線がベースなので狭い。地図⑨次は、長大橋の下に第四丹生川橋梁が見えた。ずいぶんと渓谷が深いものだ。写真⑩親房トンネルを抜け、第六丹生橋梁(橋長62m)を過ぎると賀名生(あのう)地区に入る。写真11賀名生トンネルトンネル内部は、通常のコンクリートであ
五條を出発した五新線であるが、廃線後にバス専用道路として復活したみたいである。そこで、そのバス専用道路をたどってみることにした。国道168号線を走って、廃線跡を探す。他の方のブログを参考にして探すと、結構簡単に見つかる。「私有地につき一般通行禁止」とある。やっぱ、バスしか通れんみたいだ。写真⑥写真を撮影したいが、バスが来たらじゃまなので車を広いところに駐車する。国道168号線を渡る橋は撤去されているが、そこから五條側には少し橋梁が残されていた。写真⑥国道からバス
五新線は、五條市の有名ポイントの一つである、新町通りを横断する。その横断部分から吉野川までは、アーチ橋から2主版桁に変わる。写真⑤二主版桁は、下から見ればわかる。桁が2つあるでしょ。写真⑤アーチ橋と二主版桁を一緒に見たら違いがよくわかる。が、何故橋種が変わったのか。景観の問題か、施工時期がずれたのかだが、どちらも戦前のものと思うのだが。写真⑤これから先は、吉野川を横断だ。対岸に橋脚がかろうじて見える。これから、対岸までの吉野川橋梁は、下部工まで完成さ
奈良県五條市に選奨土木遺産である五新線がある。ずっと昔から行きたかった、廃線跡だ。せっかく、奈良旅行に来たので、休日を利用して探検してみよう。五新線(ごしんせん)は、奈良県五條市にある国鉄五条駅と、和歌山県新宮市を結ぶ計画だった、国鉄の未成線である。最初の探検のスタートは、JR五條駅とする。車をどこに止めようかと悩んでいたら、魅力的な場所を発見。明治維新発祥の地とある。ふらふらと、寄ってしまう。これが、一人旅の魅力である。天狗党が立て籠もった、長屋門だった。