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後白河法皇は源義経らに兄頼朝追討の宣旨を与えておきながら、摂津の大物浜(だいもつはま=兵庫県尼崎市)から船出した一行の船が疾風によって転覆し、その挙兵が失敗するや、態度を一変させます。鎌倉の頼朝へ、近臣の高階泰経に使者を送らせ、「(義経らが)頼朝追討の勅許を得られなければ宮中で自殺すると脅したので、叡慮(法皇の考え)とは違ったが、難を逃れるため、勅許したのです」(『吾妻鏡』)と述べさせたのです。そうして挙兵失敗を知った後白河は直ちに義経ら追捕の院宣を出しています。
バトルフィールド2015年6月27日公開11世紀の“ノルマン・コンクウェスト”を背景にした歴史アクション。父を殺され、復讐に燃える放浪者が、農民たちを率いて軍勢に戦いを挑む姿を、モノトーンの映像の中に描く。あらすじ1066年、イングランド北部。ノルマンディー公ウィリアムは征服した同地の反乱分子を一掃すべく挙兵し、およそ10万人もの住民の命を奪った。そんな中、奴隷として数年間もとらわれていたノルマンの王子が、すっかり荒れ果ててしまったイングランド北部へと帰還する。故郷を荒らされ、ウィリアム
大河ドラマ鎌倉殿の13人で登場した、工藤茂光(狩野茂光)の子孫が、伊豆市にある狩野城跡へ初めて来訪しました。工藤茂光(狩野茂光)平安時代末期の武将。狩野氏の祖。伊豆国牧之郷を領有する伊豆半島最大の勢力を築く豪族。源頼朝が旗挙げすると、馳せ参じ石橋山の戦いに参戦。頼朝軍敗走すると、自害する。一説に肥満体のため足手まといになるのを嫌い、外孫に介錯されたとも。源頼朝の奥州藤原氏を攻め滅ぼした時に、戦功があり宮城県栗原市を流れる一迫川流域を拝領。その後、移り住み土地の名を名乗ります。
幕末高杉晋作が挙兵したとされる功山寺長府毛利家の菩提寺でもあります創建は遡ること鎌倉時代いくつもの時代の舞台となったお寺だったのですね延命の名水・・・とされている故に愛飲し、挙兵したのかも知れませんね
三嶋大社源頼朝が挙兵の日に選んだのは、源氏再興を祈願していた三嶋大社の祭礼の日でした。1180年(治承4年)8月17日の晩、頼朝は山木館を攻めさせます。加藤景廉と佐々木盛綱は、留守番として頼朝の傍らにいました。まず、佐々木定綱・経高・高綱の三人が、山木兼隆の後見役堤権守信遠を討ちます。このとき、経高の放った鏑矢が、平氏を征伐するための最初の矢でした。その後、佐々木兄弟は、山木兼隆襲撃の軍に加わります。頼朝は、「戦が始まったら火をつけるように」と命じていましたが・・・、その火がなか
大河ドラマ鎌倉殿の13人本編では登場してない加藤景廉。山木兼隆を討ち取ったのが、加藤景廉なのです。命日の8月3日、伊豆市牧之郷にある一族の墓で供養祭がありました。*1221年8月3日に没加藤景廉ゆかりの地として、伊豆市・恵那市が交流を続けています。800年前に加藤景廉が岩村に移らなければ、後に歴史に名を残す人物も誕生していません。『鎌倉殿の13人鎌倉幕府御家人加藤景廉子孫には歴史人が…』大河ドラマ鎌倉殿の13人本編では源頼朝挙兵したとき韮山の山木判官を討ち取ったのは北
上田市から東御市へ移動しました。9年ぶりに白鳥神社に来ました。木曽義仲が、この地で平家打倒をするため挙兵。白鳥神社の前を流れる千曲川にある、白鳥河原に軍勢が集結します。白鳥神社この日、白鳥神社ではイベントが開催されていました。平安時代に鎮座。源平盛衰記に、木曽義仲が白鳥河原で挙兵の記録があります。奈良時代に海野郷と称し、献上した品が正倉院御物として残ります。日本武尊が、東征の帰りに海野に滞在。伊勢で亡くなったあと、白い鳥に化身し海野に舞い降りる。御神木本殿木曽義仲挙兵の
【11.28役情最前線】💥「国民蜂起」の時代到来?中国人は「いつ挙兵するのか」💥ドキュメンタリー映画『四億人の覚醒』が台湾で席巻💥中国で3歳児が同時に5種類の病原体に感染神韻作品購読:https://sypa.us/3ZCesRz今の時代は真実と正義をより必要としています香港は中国共産党に抑圧されながらもその専制体制に絶えず抵抗してきました当チャンネルの柱番組「役情最前線」は広東語で「戦役における最前線の情報」を意味します国際社会の“虎の口”である香港から日本の皆様にいち...ww
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。今回は和田合戦前夜。義時は、将来の謀反を防ごうと、有力御家人で武闘派の和田義盛を滅ぼそうと画策します。挑発に乗った義盛は挙兵の準備をします。親族や実朝はこぞって義時に反対。実朝は義時と義盛を呼び出して、和睦させます。今回の義時は、うそつきで腹黒なだけでなく、いかにもマヌケ。振り上げた拳の下ろしようがなく、人の好い義盛に「鎌倉のために一緒にやろう」と熱弁されて、うなずくしかありませんでした😓。それにしても、実朝の邸宅にやって来た義盛が実
コロナ禍で中止していた、三島市にある伊豆國一之宮三嶋大社の祭りが3年振りに開催されます。開催期間は、8月15〜17日。前夜(14日)22時頃の三嶋大社前。三嶋大祭り(大社の祭り)の詳細は、下記ブログを参照して下さい。↓2019.8.19三嶋大祭り動画2019.8.18三嶋大祭り伝統芸能の日2019.8.17三嶋大祭り源頼朝公旗挙げ行列2019.8.05三嶋大祭り2017.8.20三嶋大祭り流鏑馬動画2017.8.19三嶋大祭り動画2017.8.18三
1392年李成桂(後の太祖)が李氏朝鮮を建国。(新暦4月19日)1689年松尾芭蕉が弟子の曾良とともに、深川六間堀の芭蕉庵を出て『おくのほそ道』の旅に出発。(新暦5月16日)1837年飢饉救済の蜂起(大塩平八郎の乱)に失敗した大塩平八郎が自害。(新暦5月1日)1864年天狗党の乱。水戸藩の尊攘派・藤田小四郎が天狗党を結成し筑波山で挙兵。(新暦5月2日)1969年フジテレビの人気ドラマ『男はつらいよ』が終了。
【小林さん】【現在の活動のルーツとなった青年部時代の写真。前から2列目の右から3人目が小林さん】上田市上丸子の小林秀男さん(82)は、丸子地域の有志でつくる「木曽義仲信州丸子会」の会長として、平安末期の武将義仲と地域の歴史を生かしたまちづくりに取り組んでいる。小林さんは旧丸子町時代の平成16年、昭和43年に丸子で行われた「木曽義仲挙兵武者行列」の復活を提案したという。そして翌17年秋、各種団体や行政の協働により、36年ぶりに武者行列が実現した。「43年の武者
今が旬🚉https://ameblo.jp/ahonahojohan/entry-12727787731.html『【鎌倉殿の13人】”岡崎四郎義実”』頼朝の石橋山挙兵に参戦した坂東武士、岡崎四郎義実。もう初っ端から我が地元に近い、伊勢原市の鎌倉武士が登場するなんて嬉しかったですね。/#かまコメ岡崎義実…ameblo.jp
阿野全成は源頼朝の異母弟。常盤御前が産んだ子で源義経の同母兄。平治の乱後、醍醐寺に入って出家。荒々しい振舞いから悪禅師と呼ばれていたそうです。1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると密かに醍醐寺を抜け出して駆け付けますが、石橋山の戦いには間に合いませんでした。ただ、佐々木定綱・盛綱・高綱の兄弟と出会い、相模国の渋谷重国に匿われていたのだと伝えられています。醍醐寺☆☆☆☆☆2022年の大河ドラマ
ビフォーお正月の富士山です。沼津市戸田の御浜越しの富士山です。雪と青のバランスが絶妙です。アフターの今は、伊豆の国市韮山から見た富士山です。裾野まで真っ白です。御殿場や小山町ではかなりの積雪だったと聞きました。宝永山の火口も真っ白です。韮山:鎌倉殿が挙兵した場所です。鎌倉殿と政子殿もこの富士山を見ていたんでしょうね。富士が真っ白に染まっていくのを見ながら挙兵を考えていたんでしょうね。おぉ。「大河ドラマ館→」町おこしには必要かも。大河ドラ
『鎌倉殿の13人』~後追いコラムその16第5話兄との約束『鏡』治承4年8月24日条に北条宗時最期の場面がある。宗時が石橋山で敗れた頼朝の元を離れた目的は不明だが、工藤茂光と一緒だったのはドラマと同じ。宗時たちは、頼朝が身を隠した土肥椙山巌窟から、山を越えて伊豆桑原・平井郷そして冷川(ひえかわ)辺りに来た時、伊東祐親の軍勢に囲まれた。合戦の末、宗時は紀久重(きのひさしげ)が放った矢で射殺された。工藤茂光も合戦で怪我を負い、逃げるのを諦め、自害した。『鏡』にはその場所が早河辺とある
山木兼隆の五輪塔(伊豆の国市:香山寺)山木兼隆は、1179年(治承3年)、罪人として伊豆国山木郷に流されていた人物。しかし、懇意にしていた平時忠が伊豆国の知行国守になると目代(代官)に任命されます。山木兼隆の上司平時忠は、平清盛の継室時子の弟。妹の滋子(建春門院)は後白河法皇の寵妃。「平家にあらずんば人にあらず」と言い放った人物です。1180年(治承4年)8月17日、源頼朝は平家の目代として権勢を持っていた山木兼隆を襲撃します。平家の連絡網を遮断するという目的があったようです。
鎌倉殿の13人も、ストーリーが進んできて、いよいよ挙兵と言うところまで来ています。頼朝が、以仁王の令旨を得て、さっそく在地の侍たちに集まるように号令をかけますが…ドラマの中でも会ったように、人数が思ったより集まりません。それもそのはず、頼朝の居た伊豆国は全国的に見て「小国」扱いであります。清盛がそれを考えて配流したのだとすれば、まさに「正解」であります。太閤検地の少し前の石高で、伊豆国は69000石余。7万石としても兵力としては300×7=2100人しか集まり
宗賢院藤沢市大庭にある宗賢院は、1505年(永正2年)の創建と伝えられる曹洞宗の寺院。1180年(治承4年)、源頼朝の挙兵に敵対した大庭景親の居館はこの辺りにあったと考えられています。宗賢院には景親の茶釜が伝えられています。大庭氏は鎌倉権五郎景政を祖とするといわれ、平安時代末には大庭氏が景政の開発した大庭御厨の経営を行っていたといわれています。稲荷神社宗賢院の近くには景政の馬つなぎの場所だったという「台谷(だいやと)稲荷の森」があって稲荷神社が祀られています。☆☆☆☆☆大
湯河原駅前広場に武将の銅像があります。これまであまり気を留めてませんでしたが、「鎌倉殿の13人」第4回から登場した土肥実平の銅像でした。土肥実平は土肥郷(湯河原・真鶴)を領する豪族で源頼朝の挙兵に加わっています。湯河原駅辺りに土肥氏館がありました。「鎌倉の13人」第4回では源頼朝が挙兵をいぶかる土肥実平を『今まで黙っていたが、実は一番頼りにしているのはお前じゃ。力を貸してくれ』と丸め込むシーンがありました。純朴な坂東武者を阿南健治が演じてます。湯河原駅から湯河原温泉街に
源頼朝の挙兵を支えた武将の多くは桓武平氏でした。北条氏の出自は定かではありませんが、北条時政・北条宗時・北条義時は平直方を祖とする桓武平氏とされています。中村一族の土肥実平・土屋宗遠・中村景平、三浦一族の三浦義澄・三浦義村・岡崎義実・和田義盛、頼朝に鎌倉入りを進言した千葉常胤、二万騎を率いて参じたという上総広常、秩父一族の畠山重忠・江戸重長・河越重頼は、平良文を祖とする桓武平氏。☆☆☆☆☆平清盛が京都で武家政権を築いたことや、源頼朝が鎌倉に幕府を開いたことから、関西は平
源頼朝による源氏再興・挙兵当日。*いよいよ挙兵だ、三嶋大社例祭。毎年8月15.16.17は、三嶋大祭り。大社の祭りです。伊東祐親は、大庭景親に頼朝が挙兵する事を知らせた。山内が、頼朝挙兵に加勢を求められた事を伝える。大庭から、日にち、場所を聞かれるも答えられない…*何時、何処で、これ重要だよね。場所さえ分かれば守りを固められるのに。北条館では、軍議が開かれ…出陣できる人数が少ない…*大丈夫かなぁ…佐々木の息子四兄弟(定綱、経高、盛綱、高綱)が到着。遅いと言われる…後に武
鎌倉幕府の御家人として頼朝く信頼された武将でしたが義経とはことごとく対立し歌舞伎では悪役となっています。頼朝が挙兵に失敗して今の湯河原の巫鳥の窟に隠れているのを見つけますが景時は殺さずに救いました景時は人情にも熱い人だとも言われています頼朝の死後頼家から出された弾劾状に釈明せずに一宮館に引き下がります頼朝や義経ばかりが目立つ歴史ですが御家人たちの姿を覗くと歴史がもっともっと楽しくなります♪
『鎌倉殿の13人』~後追いコラムその14第4話矢のゆくえ山木攻めはまさにドタバタ第4話で源平合戦が始まった。頼朝軍は初戦の山木館襲撃に成功し、伊豆目代山木兼隆(木原勝利)、その後見である堤信遠(吉見一豊)を討ち取った(第5話)。挙兵までのドタバタが描かれていたが、実際はもっとドタバタしていた。卜筮で挙兵は8月17日寅卯の刻(午前5時ごろ)と決まった。計画は朝駆けの奇襲攻撃だった。「?」。三島社の祭礼で浮かれ、楽しんでいる人々の中を颯爽と山木攻めに向かう頼朝軍の映像
源頼朝の挙兵に参じて活躍した佐々木四兄弟は、近江源氏の佐々木秀義の子たち。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、佐々木秀義までが参陣して驚きましたが・・・秀義は、1159年(平治元年)の平治の乱で源義朝に従い、平清盛に敗れると奥州へ逃れようとしますが・・・相模国高座郡渋谷庄を本拠としていた渋谷重国に引き止められ、以後20年に亘って、秀義父子は重国に庇護されていたのだと伝えられています。(※四男高綱は幼少だったことから、父秀義とは行動を共にせず、叔母に育てられていたといわれています。)嫡男:
鎌倉殿の13人第4回は、挙兵の日は決まるのか…踏み出せば二度と戻れない御籤で挙兵の日を決める。*これで決めるんだ。真剣な顔の頼朝。挙兵は、17日!17日は、三嶋明神の祭り。守りが、手薄で好都合。*祭りで酒飲んで騒いで酔っているからね。標的は、山木判官。火矢を放ち、平家討伐の合図とする。*北条館から、一番近いからね。伊東祐親だと兵力に差が有りすぎ。伊豆國目代山木判官目代後見役堤信遠義時が、堤も討伐するように進言。※二度も侮辱したこと、後悔させてやる。時政は、
上田市は1月31日、令和4年度当初予算案などを発表。1日付け掲載分に続き、一般会計での主な事業は次の通り。▽市庁舎改修・改築事業。5月中の供用開始を目指す南庁舎改修では・教育委員会などの移転(5月連休明けの中旬)や什器など6826万円余。・既存庁舎改修・解体改修は外構工事費などに4億720万円。▽空き家情報バンク転入転居リフォーム費用補助金に300万円。空き家情報バンクにより転入・転居した場合に引越やリフォームに補助を拡充。▽スマートシティ化推
信長はレームダック化した室町幕府の閉塞感を破るように馳さんは多選の弊害に名乗りをあげ秀吉が信長の考えを補佐しようと自民党はお膝元だから刺客の山田さんで盛ったが家康が民意を得て挙兵したように大票田を知り尽くした山野さんが参戦してヒートアップしました。