ブログ記事1,381件
ルアンパバーンではタイミングが合わず見逃してしまった、朝の托鉢。「次こそは!」と、ヴィエンチャンで再チャレンジ。ネットで調べてもなかなか情報が出てこなかったので、ホテルのフロントで事前に聞き込み調査。どうやら托鉢は特定のスポットだけでなく、どのお寺でも普通に行われているとのこと。翌朝、気合を入れて朝5時に起床!まだ真っ暗な中、近くのお寺へと向かいます。お寺に到着したものの、ルアンパバーンのような賑わいは一切なし。待っている人は誰もいないし、観光客用の
功徳を得るために托鉢(たくはつ)をする人もいれば、他人の心をつかむためにする人もいます。鉢の中身は同じでも、その意図は異なります。功徳とは、手放す心から生まれるものであり、比較する心から生まれるものではありません。今日の托鉢では、慈しみ(慈悲)の心も一緒に添えることを忘れないでください。
ある老女はもち米とゆで卵しか持っていませんでしたが、敬意と謙虚な心で托鉢(たくはつ)をしました。一方で、ある富裕な女性はより多くのものを与えましたが、その心は誇示、競争、そして軽蔑に満ちていました。忘れないでください。徳(功徳)は価格や量で決まるのではなく、与える瞬間の『意図』で決まるのです。他人に勝つために善行を行うことは、この世で名声を得るかもしれませんが、自分の心の中にある煩悩に敗北しているのです。
2026.2.3(火)☀️ぱちっ!!と目が覚めたまだ6時前ふと思い出した托鉢は6時頃から今なら間に合うホテルからすぐそこささっと着替えたそうそう、朝は寒いんだったウルトラライトダウンを羽織ったうん、外に出たらこれでちょうど良い既にC国の大団体さんがずらーっと椅子に座りならんでいるその間のひと席に私の席は割り当てられた(笑)お供物を50キープで買ってタスキのような物をお姉さんが掛けてくれた急いでiPhoneをセッティング僧侶の皆さんがみえた先ずはカオニャオ餅米から
【動画はこちら】私達はなぜ、こんなにも疲れているのでしょうか。私達は、何かを持てば安心できると思い、失うことを恐れて生きています。けれど本当に、手放したら不幸になるのでしょうか。現存する最古の経典(きょうてん)の一つである『スッタニパータ』に説かれる言葉は、激しい命令でも、慰めの甘い言葉でもありません。そこには、持たないことで自由になる道が語られています。執着が苦しみを生み、手放すことで心は静まる。今日は、お釈迦(しゃか)様の言葉を通して、「離れることで得られる安らぎ」に耳を
2月の行事・2日(月):午前8時~市内托鉢・8日(日):午前7時~ZENかふぇ・10日(火):午前8時半~おかげさま清掃・15日(日):涅槃会(お釈迦様のご命日)・26日(木):午前8時半~おかげさま清掃※今月のZENかふぇは、第2日曜日です!
WordPressでブログ書いてます☆彡↓↓リンク先↓↓寒行托鉢religiousmendicancyinwinterausterities(2026.01.30)寒行托鉢-religiousmendicancyinwinterausterities(2026.01.30)1月30日、毎年この日は。。。(雨天だと1月31に)寒行托鉢religiousmendica…mshira1973.wordpress.com白川君の独り言βno
おはようございます🌞一昨日は何もしたくない病気に取り憑かれましてボンヤリ1日を過ごしましたたまにはソンナ事も有ってもいい(≧∇≦)bと思いましたたまたま夜のご近所界隈を歩いて居りますと或るお宅の玄関先に入られました興味深くちょっと様子を見させて貰いましたら、、、托鉢修行の姿どのお宅でもは行かれません
何年か前にブログに載せた話なんですけど、ふと頭に浮かんだのでご紹介です。牛を49頭飼っている牧場主がいます。その牧場主は50頭したいと思っています。牛を1頭を飼って畑を耕す農家の友達がいます。49頭の牧場主は50頭にするために、友達の牛を手に入れるために友達の農家に嘘をついて手に入れようとします。その嘘を聞いた友達は49頭の牧場主の友達が救われるならと1頭しかいない牛を友達に譲ってしまいます。49頭の友達は目標の50頭になりました。さて皆さん、0頭になった農夫と50頭になった牧場主、
お坊さんになる前に徒然草を読んでは出家に憧れ、雨月物語巻頭の「白峯」を読んでは行脚僧を志した。だから本当にお坊さんになれて、四国八十八か所を托鉢行脚し、四国の札所である白峯寺を参拝中に、以前のご住職のご好意で境内の茶所に一夜の宿を与えて頂いた時は本当に嬉しかった。ほう、お若いのに雨月を読んでるの?崇徳上皇が西行に向かって「円位!円位!」と法名を呼び掛け、その後に「相模!相模!」と大天狗を呼びつけるところが素晴らしかろう?と仰って下さったものだ。久しぶりに雨月物語をぱらぱ
他県からお遍路に四国へとやってくる人は後を絶ちません村人から100円を恵まれて意味が分からないと言うお遍路さんかつて昭和30年以降にバスツアーとして団体旅行ブームがありお遍路ツアーもバス会社の企画として隆盛を極めたのです今でも「公認先達」と言う人がいて本来ならそういう人にレクチャーを受けながら修行の作法や意義を学んだのです今は個人でにわか遍路がほとんどで予備知識もなくスマホ片手に「道」を探すのです集団で托鉢の真似事をする「へんどこじき」が時々出現
18日(日)中学の集まりのまえに、同級生と大倉山へ坂をのぼる!この研究所の本館として建てられた大倉山記念館いまはこの研究所、図書館になっているみたい今度、時間がある時に来て中に入ってみます恥ずかしいので大きな声ではいえないけれど、遠い昔、ここの教室で外国人に英語を習ってましたまた少しのぼって、梅林へまだ早かった!途中の広場から丹沢の山並みが見えました坂を降りて歓成院へぐるぐる回します隈研吾さん建築の客殿たくさん歩いてから中学の集まりへ今回は4人欠席の11人参加でし
島根の作家[画題]行(第9回日展)[作者](故)小豆澤禮(元日展会友、元島根日本画協会理事長)[サイズ]P150号[ジャンル]日本画[画材]岩絵具/斐伊川和紙片面パネル貼り
今日は本当にワクワクした一日でした。朝ドトールへ行き、後ろの方が小銭を落としたので拾って渡してあげました。「後ろに一円が落ちてます。」と、教えました。コーヒーを飲んでお店を出て少し歩くと、何かが光って見えました。拾うと一円玉でした。これを見ていたので、「うわー、ラッキー✌️」と、拾いました。正直、キャッシュレスの時代お金を拾う事がそもそも珍しい事に思っておりました。その後、一緒にいた子供に「ラッキーな一円だから、あげるね」と、言ってわたしました。その後、電車の乗り場で
みなさま、こんにちは!恋愛コンサル占い師の綾華史織です。はじめましての方はコチラスピ界でよく聞く「お金は先に出す」これってどういうこと?って思ったこと、ないですか?私は、ずーーーーっと思ってました(笑)🤣そんな疑問は「お釈迦様の托鉢」のお話でよく分かるようになります。そもそも「托鉢(たくはつ)」って何?僧侶が修行の一環として鉢(はち)を持ち、町や民家を巡って、米や金銭(布施)の施しを受けて回ること。
おはようございますおっさんです早起きして托鉢を見に行く通り沿いのゲストハウスや商店の前でお供えセット(100バーツ)を準備してくれているので購入すれば地元の人に交じって体験できる作法は店の方が教えてくれる初めて体験するタイ人も多いらしい見学後朝食へジョーク(お粥)カオピアック(麺)カイガタ(目玉焼き・ソーセージ)どれも美味しく頂けたルーイ県のラン
一休さん第239話やんちゃ姫が安国寺に来てまたもや、やんちゃする中哲斉さんと一休さんは、托鉢に出れ、一安心するがそこに現れた、露姫さま「わらわも仲間に入るぞよ」と袈裟姿で登場!しかし、よく露姫さまのサイズに合った袈裟が安国寺にあったね。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
先日、聖護院さんの山伏姿の僧侶らが、京都市内を巡ってほら貝響かせ練り歩く寒中托鉢修行がございました。京都の風物詩となっていますね。今年も弊社中庭に町内のお預かりしている大日如来さんのところにお参りに来てくださいました。1年間の家内安全と無病息災、町内安全を祈願していただきました。その後、順番に各ご家庭を回られます。令和8年2026年「寒中托鉢修行」聖護院ホームページ今年も静かに手を合わせて拝ませていただきました。写真修正・修
肩リハビリ&買出し珍しい山伏さんが肩リハビリ&買出し前回↑2025-12-25後何回かで終わりですが今年もよろしくお願いします。で始まりこの2週間で私気が付いた事が首の回るのってどの位迄なのですか聞きました私頭肩まで回すと痛いのです先生曰く肩に顎が載る位迄私は斜め前までは痛く無いのですが真横に向くと痛いです首回りが凄く凝って居るよ背筋胸筋解そうって普段何気に猫背になって居ると思うから背筋を正して腕回し等話し乍ら施術して貰って来ました帰りは何時
2026/01/08早朝、商店街にいくとタイのお坊さんたちとすれ違う托鉢するときは裸足がデフォらしい今日の朝、砂浜への道を歩いていてそのことをふと思い出して真似てみた裸足で道路を歩くのははじめての試みだまだまわりは薄暗く奇異に思う人もいないのがラッキー1キロほど歩いたアスファルトの凸凹で足が痛いお坊さんたちはこんな感じで毎日托鉢をしているのだとわかったぼくもほぼ毎日のように海岸沿いの雑木林を1キロほど歩く木の実や小枝が足の裏を刺激して痛いなのでそろりそろりと歩いているその
TIMEaftertimeWar(17war)今宵も始まりの場所浅き夢見し得体の知れぬ何かがあるそれは昼夜逆転のまるで托鉢(たくはつ)帰り際自分自身に問うような姿勢そんな思いについて〜少年少女〜真夜中ユキはコンノを起こしヴェノムに内緒で夜の喫茶店で話を。(ユキ)「私近々アンタを殺す」コンノ「そうか」の一言。(まぁーたそんなこと言ってらぁ)心中で「じゃあいつでもかかってこいよ」こんな場所でドンぱち出来ないだろ?まぁ、かかって来いよ。じゃあまた。どう
慌ただしいお正月が嵐のように過ぎ、今日から「普段の生活」お天気も良く、そんなに寒くもないので、今年初めの京都歩きです(まあ、実際は歩きじゃなくて自転車ですけどね)京都と高野山を結ぶ東高野道(ひがしこうやみち)を走り、八幡市の達磨堂円福寺へバイパスからちょっとしか離れていないのに、静かですここは1783年創建の、臨済宗最初の専門道場で、今も多くの雲水が修行中です円福寺は我が家からはかなり遠いのですが、時々托鉢の雲水
逆なんです仏教のなかには,「托鉢」という行があります。笠をかぶったお坊さんが、手に鉢をもって家々を回りお布施を頂くという行です。お釈迦さまは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言ったんです。「お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って托鉢をしてきなさい」普通、お布施をいただくんですから、お金持ちのところに行くのが常識ですよね?しかし、お釈迦さまの思いは別のところにありました。貧しい人がなぜ貧しいのか。それは、自分のためにしかお金を使わないからであり
前回のブログにも書きましたが毎年恒例の伊勢参りに行ってきました。➡今年定年退職した夫、旅行欲⁈がとまりません(笑)まずは①二見興玉神社で禊今年も風が強く、波も荒く絶好の?禊日和(笑)寒いけど1年の穢れを祓ってもらえた気分です。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧続きまして②外宮こちらでは参道に人慣れした神鶏がおりました。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧続いて③内宮
良寛さんの名言「自惚れることも卑下することもない上もなければ下もない」良寛さんは、江戸時代後期の越後国が生んだ、特異な魅力を持つ僧侶である。歌人、書家としても知られ、その生き方は飾り気がなく、自然体そのものであったと言えるだろう。子どもたちと手毬つきに興じ、托鉢で得たわずかな食料を分け与える。そんな逸話の数々が、彼の飾らない人となりを今に伝える。良寛さんの言葉「自惚れることも卑下することもない上もなければ下もない」。この短い言葉には、彼の人生観、世界観が凝縮され
京都大原にある「三千院」の僧侶たちが、地域を回って新年の家内安全などを願う年末恒例の「托鉢寒行」(たくはつかんぎょう)が行われました。「托鉢寒行」は、京都市左京区大原にある「三千院」の僧侶たちが、年末の、この時期に修行のひとつとして行っています。21日は雨が降る中、門主を先頭に僧侶と地域の人たちあわせておよそ40人がほら貝を鳴らしながら寺を出発し、地域の商店や住宅を回りました。そして訪れた先では、家内安全や商売繁盛を願ってお経を唱え、「1年ありがとうございました」とあいさつして、
京都新聞で学ぶシリーズ暖かい雨の中で行われる年の瀬の行―三千院「托鉢寒行」京都市左京区大原で三千院「托鉢寒行」暖かい雨の中、僧侶らが山里巡る2025年12月21日16:00雨の中、三千院門前の店先で読経する僧侶たち(21日午前9時10分、京都市左京区大原)京都市左京区大原で12月21日、三千院の歳末行事「托鉢(たくはつ)寒行」が行われた。降りしきる雨の中、僧侶たちはほら貝や鈴の音を響かせて洛北の山里を巡り、年の瀬の到来を告げた。続き読む→京都新聞記事の要点まとめ(京都新聞)
南座、まねき祇園歌舞練場で芸妓さんの京舞を拝見しました。本日は、東寺の終い弘法で、仏手柑の飴が珍しく、能登への托鉢にご協力しました。年の暮れ、皆様、無病息災をお祈りします🙏
先日、オーストラリア歌謡の「WaltzingMatilda」という曲のことを教えてくれた方があって、「Matilda」の意味が日本語訳では「頭陀袋」となっていますとのことなので調べてみると、これは僧侶の持ち物である頭陀袋のことではなく、ざっくりと物が入る袋のことを指しており、それを日本語訳では頭陀袋と訳していることが分かった。では実際に僧侶が持つ頭陀袋のことを英語で何と呼ぶかと言えば、大東出版社の「日英仏教辞典」によると、そのまま「Thezudabag」となっている。ちなみに以前、私
おっさんとは奥様のことを言わはる地域もあるのですが皆さん奥様のことを敬いましょう師走とは師が走るから師走と言いますが師とは先生お師匠だったりね昔はお坊さん和尚が先生お師匠さんであったりして教えを説いてあちこちまわってはりましたが師が走るというのはお坊さん和尚が走るからというのがありますお坊さん和尚を詰めておっさんと京都奈良ではいいますだからおっさんは坊主頭だからツルピカ頭でありそりゃしゃあないおじゅっさんともいうそうですがさすが京都やのぶちにいが言っていた京都のはずれやからねこっちは