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5月・1日(金):午前8時~市内托鉢・14日(木):午前8時半~おかげさま清掃・24日(日):午前7時~ZENかふぇ・29日(金):午前8時半~おかげさま清掃※今月のZENかふぇは、第四日曜日となります!
『ちょこっと雑学』[[死人沢と面剥沢(宮城県)の由来は?]]死人沢は、宮城県加美町にある河川で、その西側に面剥沢が位置しています。江花高士山地内、小松沢の奥にある小さな沢が「死人沢」。その西南下方丘の蔭の小さな沢が「面剥沢」と呼ばれています。昔、久保屋敷という屋敷に怠け者で性悪く、貧困で人の交際もなく、淋しく暮す農家がいました。ある年の秋、一人の僧(ろくぶ)が托鉢して村を廻り、日が暮れて、一夜の宿をそのよからぬ家に求めたのです。その後、村人は憎が村から出て行った姿を見たものがいない
今朝、近くの禅の修行寺円福寺に行ってきました。年に二回だけ一般の人も入れる「万人講」最近知ったのですがここ、中原鄧州がいたお寺だったんです中原鄧州の画「托鉢」シリーズがすごく好きで掛け軸とか見れるのかなーとか思っていきましたが無かった・・・orzので、代わりにグッズを購入して満足しましたwストラップをゲットしましたこんなにかわいい絵なのに描いた本人、全くかわいくないw
【タイの田舎でマイペースながらも奮闘する、オイスカという環境NGOにいるタイねこの徒然話です。ご訪問、ありがとうございます😊】さて、タンブン当日…。5時起き〜!のび〜!でもお手伝いのみんなは2時くらいからお料理してたよ。タイねこはさすがに無理だった。7時には近所中の人が次々と基地に訪れる。何するかっていうと…並んで托鉢です。基地に設けられた托鉢場所。並んだ托鉢の鉢に家から持ち寄ったご飯を順々に入れていく。2階では食事の盛り付けが早くも始まっている。お坊さんも揃った。4つのお寺
以前書いたこちらの記事↓『他人を救う前に、まずは自分に寄り添うことを』日記講座で使うオリジナルの4冊目の日記帳ができました私の心を具現化したもの。かわいいかわいい♡ここから3ヶ月間は過去とじっくり向き合う時…ameblo.jpこの記事書いた後にお釈迦様の托鉢の話を思い出したんです弟子たちと托鉢の修行に出たお釈迦様ただお金持ちの所ではなく貧しい人の所へ行くと言ったんですよねなぜかと言うと貧しい人たちは自分たちが貧しい故に施す方ではなく施される側だと思い込んでいるから
noteより有難う・そしておめでとう🌎🪐✨️✨️🔗|soave🪩❇️(未来からの情報💫)昨日お仲間さんですね初めて【チップ】機能を使って頂けました🤗有難う御座います🤗これはストーリー的には表面上クリエイターに【応援】や有難うの気持ちを込めてのやり取りとなり双方にて現実的にはお金💰️(エネルギー)の交流となりますね💡soaveの本垢の方か❓️amebloの方の【本来のお布施・托鉢】か…note.comいつも有難う御座いますこちらのnoteの方にもスキ♥️を押して頂き
4月の行事・1日(水):午前8時~市内托鉢・10日(金):午前8時半~おかげさま清掃・19日(日):午前7時~ZENかふぇ・27日(月):午前8時半~おかげさま清掃・29日(水):午後2時~檀徒総会※今月のZENかふぇは、第3日曜日です。
【逆なんです!】仏教の中には『托鉢』という行があります。笠をかぶったお坊さんが手に鉢をもって家々を回りお布施を頂くという行です。お釈迦様には托鉢に向かう弟子たちにこう言ったんです。『お金持ちの家だはなく貧しい人たちの家を回って托鉢をしてきなさい』普通お布施をいただくんですからお金持ちのところに行くのが常識ですよね?しかしお釈迦さまの思いは別のところにありました。貧しい人がなぜ貧しいのか。それは自分のためにしかお金を使わないからでありその人たちに与え
中津市から国道212号線を車を走らせます。かなりの山の中に入ってきましたよ。この辺りは”耶馬渓”と呼ばれる方面なんです。ある川沿いの駐車場に車を止めます。ここから5分ほど歩きます。正面にトンネルが見えてきましたよ。ここは、“青の洞門”です。大正8年に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になった、禅海和尚が掘った洞門です。これが青の洞門?現在の道路トンネルですね。このトンネルの入り口のすぐそばに、手彫りで掘ったような洞窟があります。これ
仏の智慧(ちえ)は海のごとく広大にして、仏の心は大慈悲なり。仏は姿なくして妙(たえ)なる姿を示し、身をもって教えを説かれました。人に生まるるは難く、いまある生命は有難く、世に仏あるは難く、仏の教えを聞くは有難い❕共に学んで行きましょう勇気ある行動が....ある男が墓場の近くに住んでいた。ある夜、墓場の中から、しきりに自分を呼ぶ声がするので、恐れ震え上がっていた夜が明けてから、彼がそのことを友に話すと、友の中で勇気のある者が、次の夜にも呼ぶ声がしたら、その声をたずねて、その
~托鉢(たくはつ)~お釈迦さまの説明。「貧しい人たちというのは、今まで自分が貧しいと思って他人に対して施しをしてこなかった人たちである。その故に貧しさという苦界に沈んでいった。私たちが喜捨をいただきに行くのは、その貧しい人を貧しさという苦界の中から救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回ってきなさい」この教えの深さはすごいと思います。「回るのはお金持ちの家ではないですか?」という弟子たちの質問に対するお釈迦さまの答えです。成功者の本を読むと「まず与えること」「分かち合うこと」
2026年度版渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放レポーター:泉真帆司会と記録:鹿取未放183土を食う蚯蚓(みみず)の思いかろからず行(ぎよう)乞(こつ)をするおもいなるらめ(レポート)作者はミミズが土を食べて生きていることへ思いを寄
人は、人に恵むようになったときに初めて救われる昔、お釈迦さまが、これから托鉢にでかけようとするお坊さんに、こんなことをいいました。「貧しい人のところを回りなさい」と。そのお坊さんは、インドのスラムのようなところを回って歩きました。そうすると、自分たちもろくに食べられないような人たちが、ちょっとずつごはんを恵んでくれるんです。ひとりがスプーン一杯ぐらい。それで、何ヶ所も回ると、やっとお茶碗一杯ぐらいのごはんになる。お釈迦さまは、なぜ貧しいところを回りなさいといったのか。「貧しい人は、もらうこと
なんでもおを付ける京都といわれますねおを付けたら丁寧だと思ってるのか京都とねうん思ってる大阪みたいなお乞食さんみたいなおさかにおをつけたら大阪になるね大阪も結構古いし日本は仏教やからだけど和歌山とか奈良とかならイメージ湧くんだけどね大阪やと托鉢坊主のイメージが付かんのですアーメンでもないしねおるとしたらちょい悪坊主のイメージですか山でも蹴散らされそうな
国民の大多数が敬虔な仏教徒であるラオス、街には由緒ある寺院が数多く見られます。これは国内で最も美しいとされているワット・シェーントーンです。大乗仏教の僧侶の生活は厳しい修業の中で営まれます。朝4時に起床、5時半から列を作って托鉢に出かけます。僧侶たちの生活はこの托鉢で賄われています。これを街のもっと貧しい人たちと分けあうのです。若い僧侶は昼間は自分たちの家を作るための労働もします。どの村にも小さなお寺があり、同じように僧侶たちは村人の寄進を受けています。山岳地帯であるラオ
【逆手の法則】仏教のなかには、「托鉢(たくはつ)」という行があるそうです。笠をかぶったお坊さんが、手に鉢をもって家々を回り、お布施を頂くという行です。お釈迦さまは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言ったそうです。「お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って托鉢をしてきなさい」普通、お布施をいただくというのですから、お金持ちのところに行くのが常識と思いますが、お釈迦さまの思いは別のところにあったようです。『貧しい人がなぜ貧しいのか?』それは、自
この間、伊豆にある河津桜を見に行ってきた。その時のお話❁⃘*.゚河津桜というのは、早咲きの桜らしい。そこは観光地で、多くの人で賑わっていて、気温もあたたかい。河津桜の花びらに近づくと、甘くていい香りがする。「春なんだな〜」と思いながら、露店の並ぶ道を歩きビールを飲むか飲まないかで悩んでいた。そうして歩いていると道の脇に托鉢(たくはつ)をしている僧侶がいた。托鉢とは、僧侶が修行の一つとして家々を回り、食べ物やお金の布施を受け取ることだ。その人は、ただそこに立ちながら、ずっと
「いつも読んでくださっている」方も、「はじめまして」の方も、「おひさしぶり」の方も、こんにちは~!!!好きなこと、楽しいこと、やりたいことをやり切って、111歳でピンピンコロリを目指しているMayumiです。今日もこのブログに遊びにいらしてくださって、ありがとうございます2025年冬至から毎日更新にチャレンジ中。今日で63日目♪✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚今日
元記事【速報】高市総理「成長のスイッチを押して、押して、押して、押して、押しまくってまいります」施政方針演説で意欲強調(テレビ朝日系(ANN))-Yahoo!ニュース高市総理大臣は特別国会で施政方針演説を行い、「成長のスイッチを押して、押して、押して、押して、押しまくってまいります」と述べ政策実行への意欲を強調しました。高市総理は演説の冒頭で衆議院選挙の結果news.yahoo.co.jp具体的にはどうしたいんだろうか?政府に経済を成長させる力がないのは、歴史的に明白
ルアンパバーンではタイミングが合わず見逃してしまった、朝の托鉢。「次こそは!」と、ヴィエンチャンで再チャレンジ。ネットで調べてもなかなか情報が出てこなかったので、ホテルのフロントで事前に聞き込み調査。どうやら托鉢は特定のスポットだけでなく、どのお寺でも普通に行われているとのこと。翌朝、気合を入れて朝5時に起床!まだ真っ暗な中、近くのお寺へと向かいます。お寺に到着したものの、ルアンパバーンのような賑わいは一切なし。待っている人は誰もいないし、観光客用の
功徳を得るために托鉢(たくはつ)をする人もいれば、他人の心をつかむためにする人もいます。鉢の中身は同じでも、その意図は異なります。功徳とは、手放す心から生まれるものであり、比較する心から生まれるものではありません。今日の托鉢では、慈しみ(慈悲)の心も一緒に添えることを忘れないでください。
ある老女はもち米とゆで卵しか持っていませんでしたが、敬意と謙虚な心で托鉢(たくはつ)をしました。一方で、ある富裕な女性はより多くのものを与えましたが、その心は誇示、競争、そして軽蔑に満ちていました。忘れないでください。徳(功徳)は価格や量で決まるのではなく、与える瞬間の『意図』で決まるのです。他人に勝つために善行を行うことは、この世で名声を得るかもしれませんが、自分の心の中にある煩悩に敗北しているのです。
2026.2.3(火)☀️ぱちっ!!と目が覚めたまだ6時前ふと思い出した托鉢は6時頃から今なら間に合うホテルからすぐそこささっと着替えたそうそう、朝は寒いんだったウルトラライトダウンを羽織ったうん、外に出たらこれでちょうど良い既にC国の大団体さんがずらーっと椅子に座りならんでいるその間のひと席に私の席は割り当てられた(笑)お供物を50キープで買ってタスキのような物をお姉さんが掛けてくれた急いでiPhoneをセッティング僧侶の皆さんがみえた先ずはカオニャオ餅米から
【動画はこちら】私達はなぜ、こんなにも疲れているのでしょうか。私達は、何かを持てば安心できると思い、失うことを恐れて生きています。けれど本当に、手放したら不幸になるのでしょうか。現存する最古の経典(きょうてん)の一つである『スッタニパータ』に説かれる言葉は、激しい命令でも、慰めの甘い言葉でもありません。そこには、持たないことで自由になる道が語られています。執着が苦しみを生み、手放すことで心は静まる。今日は、お釈迦(しゃか)様の言葉を通して、「離れることで得られる安らぎ」に耳を
2月の行事・2日(月):午前8時~市内托鉢・8日(日):午前7時~ZENかふぇ・10日(火):午前8時半~おかげさま清掃・15日(日):涅槃会(お釈迦様のご命日)・26日(木):午前8時半~おかげさま清掃※今月のZENかふぇは、第2日曜日です!
WordPressでブログ書いてます☆彡↓↓リンク先↓↓寒行托鉢religiousmendicancyinwinterausterities(2026.01.30)寒行托鉢-religiousmendicancyinwinterausterities(2026.01.30)1月30日、毎年この日は。。。(雨天だと1月31に)寒行托鉢religiousmendica…mshira1973.wordpress.com白川君の独り言βno
おはようございます🌞一昨日は何もしたくない病気に取り憑かれましてボンヤリ1日を過ごしましたたまにはソンナ事も有ってもいい(≧∇≦)bと思いましたたまたま夜のご近所界隈を歩いて居りますと或るお宅の玄関先に入られました興味深くちょっと様子を見させて貰いましたら、、、托鉢修行の姿どのお宅でもは行かれません
何年か前にブログに載せた話なんですけど、ふと頭に浮かんだのでご紹介です。牛を49頭飼っている牧場主がいます。その牧場主は50頭したいと思っています。牛を1頭を飼って畑を耕す農家の友達がいます。49頭の牧場主は50頭にするために、友達の牛を手に入れるために友達の農家に嘘をついて手に入れようとします。その嘘を聞いた友達は49頭の牧場主の友達が救われるならと1頭しかいない牛を友達に譲ってしまいます。49頭の友達は目標の50頭になりました。さて皆さん、0頭になった農夫と50頭になった牧場主、
お坊さんになる前に徒然草を読んでは出家に憧れ、雨月物語巻頭の「白峯」を読んでは行脚僧を志した。だから本当にお坊さんになれて、四国八十八か所を托鉢行脚し、四国の札所である白峯寺を参拝中に、以前のご住職のご好意で境内の茶所に一夜の宿を与えて頂いた時は本当に嬉しかった。ほう、お若いのに雨月を読んでるの?崇徳上皇が西行に向かって「円位!円位!」と法名を呼び掛け、その後に「相模!相模!」と大天狗を呼びつけるところが素晴らしかろう?と仰って下さったものだ。久しぶりに雨月物語をぱらぱ
他県からお遍路に四国へとやってくる人は後を絶ちません村人から100円を恵まれて意味が分からないと言うお遍路さんかつて昭和30年以降にバスツアーとして団体旅行ブームがありお遍路ツアーもバス会社の企画として隆盛を極めたのです今でも「公認先達」と言う人がいて本来ならそういう人にレクチャーを受けながら修行の作法や意義を学んだのです今は個人でにわか遍路がほとんどで予備知識もなくスマホ片手に「道」を探すのです集団で托鉢の真似事をする「へんどこじき」が時々出現