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深大寺城を訪れた時の記録深大寺城東京都調布市にあった城築城者は不明戦国時代には、扇谷上杉氏が後北条氏への備えとして再興したしかし後北条氏は深大寺城を迂回して扇谷上杉氏の居城を攻撃したため出番はなかった後北条氏が扇谷上杉勢を北に追いやると深大寺城は不要となり、使われずにそのまま廃城になったと思われるいろいろと放置されたどんまいな城調布駅から徒歩33分バス推奨蒲田からだと電車でも自転車で1時間半くらいだったので自転車で行ったらめっちゃ疲れた扇谷上杉氏家紋「竹
昨日は、低気圧の影響で、頭痛と眩暈と眠気でブログの更新を休んでしまいました。今日は午前中はそれなりにお天気がよかったので、元気を取り戻しました。今回は、神代植物公園の水生植物園の中にある深大寺城跡の散策と御城印の写真です御城印は、春に飛鳥山公園のお土産屋さんで購入していたのでお城の跡だけを見に行ってみました。去年の秋には『スズメバチ注意!!』の張り紙で行けなかったのでリベンジです枚数が凄く多いですがどうぞお付き合いくださいね~水生植物園姫空木や花菖蒲がちょっとだけ咲いて
今日は鎌倉に行ってきました。妻と付き合い始めた初期のころに行って以来初めてで、今回は子供二人を連れて行くという何とも縁の深い日帰り旅行となりました。下の子がまだ海を見たことがないというので海を見に行くのがメインで、報国寺→由比ガ浜→タイ料理屋で食事→大仏という流れでひと時を過ごしました。報国寺由比ガ浜(我が子二人)下から見上げた大仏の胎内(穴は頭の部分)■報国寺の竹林を見たいというのは妻の希望■由比ガ浜で海を見るのは下の子のため■タイ料理はたまたま見かけたので入った
名称:松山城城郭:梯郭式平山城築城年:1399年築城主:上田友直改修者:上杉朝定、北条氏康、松平家広主要城主:上田氏、難波田氏、扇谷上杉氏、太田氏、桜井松平氏所在地:比企郡吉見町北吉見298指定文化財:国史跡切岸堀跡太鼓曲輪ササ曲輪三ノ曲輪へ三ノ曲輪二ノ曲輪本丸へ本丸兵糧倉縄張図町指定文化財「岩室観音堂」
名称:川越城別名:河越城、初雁城、霧隠城城郭:平山城遺構:本丸御殿築城年:1457年築城主:太田道真、道灌父子改修者:大道寺政繁、松平信綱、松平斉典主要城主:扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、結城松平家、他所在地:川越市郭町2-13-1指定文化財:県指定史跡、県有形文化財(本丸御殿)日本100名城中ノ門跡中ノ門堀跡富士見櫓跡田曲輪門跡本丸御殿
おはようございます、たけちです。令和5年12月16日土曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?たけちは今日はパシフィコ横浜ノースに行ってきます。そこで何があるかって?お城EXPO2023です!楽しみだなぁさて、今日は埼玉県の続100名城のひとつ杉山城について紹介します。『そして、城めぐりと坂東33所の再開』【引用:ゆるキャン△6巻】おはようございます、たけちです。令和5年12月10日日曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?たけちは昨日、ゲームマーケッ
鎌倉にある扇谷上杉管領屋敷迹碑です。扇谷上杉家は室町幕府初代将軍足利尊氏の従兄、上杉朝定の従甥で養子の上杉顕定に始まる家。尊氏が四男基氏を鎌倉に下して鎌倉公方とすると、尊氏の伯父上杉憲房の系統である山内上杉家と犬懸上杉家が鎌倉公方を補佐する関東管領に任じられます。上杉禅秀の乱で犬懸上杉家が鎌倉から一層されてからは山内上杉家が関東管領を独占、扇谷上杉家は山内上杉家に仕える家となります。永享12年(1440年)、扇谷上杉家の上杉持朝が結城合戦に副将として出陣して鎮圧。扇谷上杉家は相模守護
先日のことです。ママチャリ走らせていると、前方に緑の物体発見。急ブレーキかけて立ち止まってみると、カマキリが斧を振り上げていました。けなげに立ち向かってくる姿に、「もののあはれ」を覚えてしまって。常時携帯の杖でお尻を押して、アスファルト道脇の草むらに返してあげましたが。これがことわざでいうところの「蟷螂の斧」なんですね。さて本題に戻って伊勢原市周遊。前回は「扇谷VS山内」の古戦場、実蒔原を訪れました。そしてその裏手に位置しているのが「七沢城址」。こちらは市境
百鬼大乱Amazon(アマゾン)関東管領上杉宗家の分家の扇谷上杉家の家務(家宰)として、鎌倉公方(古河公方)との戦いに、そして上杉宗家分家の争いに、諸葛孔明のように対処した太田道灌の一生涯を描いた作品。・忠義心とは無縁に野心を恥じず、力づくで事を収めようとする卑しき輩。・家臣の不満を見過ごし開き直る主君。その主君を諫められない役立たずの重臣達。・いつしか身内で血を流しあっていた。何のための戦いなのか。誰も正義を見出せず、狼狽えるまま、やむなく刀を振るうしかない。このよ
4月27日、京王線・調布駅からバスで調布市深大寺へ。深大寺と言えば、お寺の他に深大寺そば、深大植物公園が有名。でも、他にもあるのです。深大寺城が。西へ進むと、ポツポツと深大寺そばの店が。水車もあります。バスを降りた深大寺西参道はMAPの左下の交差点MAP右下の濃い楕円形が深大寺城MAP中央に広がるのが深大寺一番上は神代植物公園の有料エリアバス停がある深大寺の入口を過ぎて、深大植物公園水生植物園の入口。この敷地内に深大寺城があります。水
(またまた、続きです)いよいよ大庭城址の登場です🏯案内板、大庭景親や扇谷上杉氏、北条早雲との関係が記されていました📋後ろの林の中に空堀跡が有りました🧐近づいてみると良く分かります🔭バラ園にやって来ました🌹シーズン外れで寂しいですね😑幾つかは頑張って咲いていました🌹大きな木にピンクの花が沢山咲いていました🌺寒椿かなぁ~❓まだ開ききっていない花が沢山有りました🌺別の所にも空堀跡が有りました🧐低木が生い茂っていてハッキリは見えませんでした🔭館跡広場に来ました👣ここは、掘立柱
(続き)エントランスの両側には、山茶花が沢山咲いていました🌺八重咲きで、日を浴びて綺麗な色をしていました🌺大芝生広場が見えて来ました🏞️分れ道を竪穴式住居跡広場の方へ向いました👣1つ目の藤棚に着きました💦正面は、大芝生広場です🏞️広い❗家族連れがピクニックをしていました🥪次に休憩広場に向いました👣ここは、2番目の藤棚が有りました💐ここは、原始・古代の集落跡が有りました🛖休憩広場も広い芝生広場でした🏞️次は、足型のモニュメントに向いました👣木立の中に足型の着いたタイルで
昨年暮に藤沢市の大庭城址公園に行って来ました🏍お天気の良い午後の一時を過ごしました👣車の駐車場とは別に駐輪場が設けられていました🏍広い芝生広場や藤棚・バラ園などと、史跡も確り残された公園で、ゆっくり散策が出来ました⛲神奈川県には350を超える城館が有ったが、昭和以降の開発でほとんどが壊された中、当時の面影が残る数少ない城址だそうだ🏯平安時代の末期、関東平氏の雄、大庭氏の本拠と伝えられるが、確かな記録が無いそうだ🤔では、散策に出掛けましょう👣住宅街の中に公園は有りました⛲案内板、結
●扇谷上杉氏の家系図(上杉の方+武田信玄)藤原清房(勧修寺清房。?~?)藤原重房(ふじわらのしげふさ)(初代上杉氏)(?~?)(1252年4月1日旧暦、宗尊親王の鎌倉下向に付き従う)(丹波国何鹿郡いかるがぐん上杉庄。京都府綾部市上杉町)数代上杉頼重(?~?)(主君・足利尊氏)上杉重顕(しげあき)上杉朝定上杉清子(側室・足利貞氏。宗家7代目)足利尊氏上杉憲房(山内上杉家。鎌倉市大字山ノ内)→上杉謙信上杉重顕(?~?)
10/22~23鎌倉巡り続き足利尊氏の五輪塔のある長寿寺の後は隣の亀ケ谷切通を通って山之内から扇ケ谷へ車は通れませんがバイクは通れます。反対側からロードバイクの人が登ってくるのを見て心の中でご苦労様ですとつぶやいてました💦亀ケ谷切通を下って向かったのは相馬師常の墓神奈川県鎌倉市扇が谷2丁目9千葉常胤の次男で相馬氏の祖相馬次郎師常の墓です。個人宅の敷地のようですがここだけ見れるようになっています続いては扇谷上杉管領屋敷跡神奈川県鎌倉市扇が谷2-4-3管領上杉家の
【問題】伊勢宗瑞(北条早雲)が見たという、扇谷・山内両上杉氏を倒すことを暗示した夢とは、次のうちどれか?【選択肢】扇の内側の山の紋様が雲に変わった9人の奉行が寒冷地に左遷された伊勢海老が江戸湾で大量発生した2本の大きな杉を鼠が食い倒した【正解】2本の大きな杉を鼠が食い倒した【解説】『北条記』等によると、宗瑞は、鼠が2本の大杉の根をかじって倒し、その鼠が虎になった、という夢を見た。宗瑞はこれを、扇谷・山内両上杉氏を子年生まれの宗瑞が倒す運命だと喧伝したという。
ブログタイトル通りなのですが、少し前にYOUTUBEで見つけた歴史動画のことです。とても分かり易くて、少しクスッとする場面も織り交ぜながら合戦に至る経緯や状況、その後どうなっていったかが分かる動画を沢山あげておられました。桶狭間の戦いや本能寺の変のように有名なものもありますが、中でも私が気に入っているのは、最近あげておられる動画です。それは、伊勢新九郎(北条早雲)が関東に来てからの活躍が描かれているものです。室町中期から戦国時代初期の関東の情勢が良く分かります。動画は1時間くらいあ
中井町鴨沢から雑色地区にかけて所在する鴨沢要害は中村川沿いの東西に延びる丘陵に築かれています城直下を通る雑色トンネルの北側に「←鴨沢城」という標識があるので表示に従い細い道を進みます城の近くまで車で行けなくもありませんが軽四駆以外の車以外はオススメできません中村川沿いの鴨沢城石碑がある辺りに車を止めて徒歩で訪れるのが良いかもしれません遺溝ですが丘陵尾根の西側に大堀切が、山頂を中心に複数の平場が存在しますしかし、主郭と思われる山頂の大きな平場は不整形で自然地形に近いです主郭東
【問題】扇谷上杉氏は、対立する北条(伊勢)氏綱のことを、次のうち何と呼んだか?【選択肢】他国の凶徒無頼の京儀門前の雑兵稀代の仏敵【正解】他国の凶徒【解説】扇谷上杉朝興は、関東において勢力を拡大する他国出身の伊勢氏を「他国の凶徒」と呼び、その排斥を試みた。一方、氏綱も鎌倉幕府の執権と同じ北条氏に改姓してこれに対抗した。
【問題】扇谷上杉氏家臣・難波田正直(憲重)の法名は次のうちどれか?【選択肢】覚慶全宗善銀紹春【正解】善銀【解説】難波田正直(憲重)は扇谷上杉氏の家臣で、難波田善銀の名でよく知られる。北条氏の侵攻により劣勢に立たされる主家・扇谷上杉氏を最後まで支えた。
前回、撮影カメラの機材トラブルは、カメラの制御プログラムを工場出荷時の状態にリロードして、何事もなくトラブルを解消しました。撮影テストも万全にしたので、これで安心です。それでは、歴史探訪シリーズの続きになります!お楽しみ頂けたら良いと思います!場所は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある英勝寺浄土宗の寺院です。英勝寺の創建は英勝院尼ですが、太田道灌公は英勝院尼の祖先となり、この場所は太田道灌公が鎌倉に居住していた頃の邸宅跡でもあります。ちなみに、英勝院尼
七沢温泉から長閑な街道を進み20分。大雄山最乗寺を開いた了庵慧明が営んだ庵を起源とする寺院があります。◆広沢寺◆*読みは"コウタクジ"山あいの寺院らしい清らかな雰囲気。石段を振り返る。翼を広げた白鳥の様な屋根が美しい。御本堂<由緒>曹洞宗太冨山廣澤禅寺創建:応永10年(1403)御本尊:釈迦牟尼仏開基:了庵慧明了庵慧明が営んだ露白庵を起源としていて、寺院となった後は扇谷上杉氏の庇護を受けます。上杉(扇谷)定正の菩提寺でもあ
今の東京の基礎を創ったのは間違いなく家康ですが、意外にも太田道灌の人気があったりします。道灌が江戸城築城を始めたのが康正2年(1456)で、より早くはあるのですが……。道灌は岩槻城や河越城も築城しており、それぞれ廃藩置県の時に、”埼玉県””入間県”の県庁所在地になりました。先が見える人ではありました(自らの死期は別として)。此の像は、前の(有楽町の)都庁にあった像に似ています。太田道灌は”扇谷上杉氏の家宰”で、劣勢だった扇谷上杉氏を山内上杉氏並みに成長させました。もと山
鎌倉散策記事⑤。前回の続き【扇ガ谷(おうぎ-が-やつ)エリア】の後編になりますということで、再び化粧坂を下って扇ガ谷に。JR横須賀線のガード下をくぐります。そして、程なくしてこの御堂があります。こちらは岩船地蔵堂(いわふね-じぞう-どう)ですこの地蔵堂は頼朝の長女である大姫(おおひめ)の墓所と伝えられ、堂内には大姫の守り本尊とされる木造の地蔵立像が本尊として祀られているそうです。大姫・・・この方は鎌倉屈指の悲劇のヒロインとも言われる方で、その悲劇をかいつまんでお
【間接中継転載】徒然名夢子日々此々と過ごしけるに東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き其処においても何処においても心楽しからむことのみを願い生きることは我の本心にほかならずブログトップ記事一覧画像一覧南総里見八犬伝二…アニメの音楽足利氏とは何者なのか2足利氏祖・源義康2019-06-1823:02:55テーマ:歴史最初に、足利氏祖である源義康について調べてみる。義康は父源義国
お昼ごろに記事を書きたしましたので、再UP今回から日本100名城の川越城紹介です。今日はその歴史です。室町時代室町幕府より関東の押さえとしておかれた鎌倉公方足利氏は京都からの独立を望みます。鎌倉公方の補佐役でありながらも、中央を支持する関東管領上杉氏との内部対立が生じ、1454年に鎌倉公方が関東管領を殺害したので、関東を戦乱の世とした享徳の乱が勃発します。鎌倉公方はこの乱で衰退し、公方は渡良瀬川の対岸にある下総国古河に拠点を構え(古河公方)、中央の支持を得た上杉
おはようございます北関東城巡りの一日目は宇都宮城→壬生城→佐野城→足利氏館→館林城っ終了し館林駅から東武特急に乗り浅草へ東京で一泊して始発で出来たら深大寺城→八王子城→小田原城と計画していたのだけど。深大寺城は植物園の中にあり9時30分にならないと入れないのだ。早くも計画崩れ。情報が甘い自分。深大寺城【深大寺城】築城12世紀末狛江氏廃城1537年城郭連郭式平城天守閣なし標高46m比高10m深大寺城の創築は武蔵七党の狛江氏が築城とされたと伝
青松寺曹洞宗青松寺山号:萬年山宗派:曹洞宗寺格:単立寺院曹洞宗江戸三箇寺本尊:釈迦牟尼仏創建年:文明8年(1476年)開山:雲崗舜徳禅師開基:太田道灌公正式名:萬年山青松寺所在地:東京都港区愛宕2-4-7東京都港区愛宕にある曹洞宗系単立寺院。万年山と号し、曹洞宗関府六か寺の一、曹洞宗江戸三か寺(他は高輪の泉岳寺、橋場の総泉寺)の一に数えられた。1476年(文明8)太田道灌が雲崗舜徳を開山として貝塚
◯古寺門前町に残る城跡八王子で宿泊して調布まで京王線で向かいます。通常ならバスで行くのですが、ある事情により、時間に余裕があるため、少し散歩がてら徒歩で向かうことにします。駅から北口をまっすぐ北上します。それにしても狭い道だ。中央自動車道の高架を越えてフェンスに囲われた空間、これが深大寺城があった場所です。深大寺参道さて、本来ならすぐにでも城跡散策に入りたかったのですがまだ時間があるので、さきに深大寺の方へ参ります。深大寺は奈良時代から続くと言われる関東では由緒ある古