ブログ記事1,572件
志於道道に志し拠於徳徳に拠り依於仁仁に依り游於芸芸に遊ぶ「人として正しい道を志し、それを実践する徳を有し、仁の心を大切にし、世に立つうえでの重要な芸を磨く」という意味で、儒教の基本経典である論語の中の一節です。ここでの芸とは「礼節」「音曲」「弓術」「馬術」「書道」「算術」をさし、悠々と文武両道に取り組むことの重要性を説いています。常陸国水戸藩の第九代藩主徳川斉昭はこの言葉を大変に好みました。弘道館(江戸時代末期に建てられた藩校)正席の長押には、斉昭自筆
みなさんこんばんは(*^^*)~簗元大臣の後任は武部新議員、父が有名だったからね~、まあなんとかなるでしょうか?しかしまだまだ国会は空転しそうだ~大阪総鎮守生國魂神社の行宮ですまたの名前は御旅所ですねまず違和感はこの鳥居…神明鳥居やね祭神は生國魂神社ですから一緒ですしかし…どうも違う気がする…拝殿を見ると何の変哲もない感じです生國魂神社の神紋は十六八重菊ですがこれもそうかな?狛犬さんは護国型ですだから何なの?って言われると困るんだけど護国型
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」873荒神宮参上神社・摂社・大国主社・拝殿の左側に社があります。・流れ造で良いのでしょうか摂社としては、大きな造りです。・扁額には、「大国主社」と書かれています。・御祭神は、大国主命でしょう。・国造り、縁結びの神様因幡の白うさぎを助けた神様出雲大社の御祭神です。つづく
10月3日坂東三十三観音巡り第9番都幾山慈光寺関越道までの環状線は車が多く時間がかかりました関越道も事故渋滞があり予定より時間がかかりました山道を登って駐車場へ案内図山門入口山門裏から秋海棠本堂納経・御朱印は観音堂参拝後とあるので向かいます大きな石畳が敷かれてますが私は歩き辛いです右手の住居から挨拶しながら女性が出て来て観音堂へ是非行って下さいねと言われました彼岸花般若心経堂
9月20日次に車で一時間半郡山市の高屋敷稲荷神社へ前回は2年前に参拝しました『福島の神社ー1高屋敷稲荷神社①』10月12日二年ぶりに参拝しました前回は大雨になってしまい表参道から鳥居を上れなかったのでリベンジです『福島ー17高屋敷稲荷神社①』9月19日残念ながら雨…ameblo.jp『福島の神社ー1高屋敷稲荷神社②』10月12日つづきです『福島の神社ー1高屋敷稲荷神社①』10月12日二年ぶりに参拝しました前回は大雨になってしまい表参道から鳥居を上れなかったの
山神社御祭神大山祇神(おおたまつみのかみ)【日本神話において、日本全国の山を支配する総大将の様な神様】神社の外観です。⛩️鳥居⛩️神明タイプの鳥居です。扁額逆光でちょっと見え難いです。💧手水屋💧⛩️拝殿⛩️🐵猨田彦社🐵猨田彦神社の総本社「椿大神社」から神様をお迎えしたと伝えられているそうです。山神社の敷地内にありますが、所属は平塚八幡宮であり、山神社と一緒にある神社、という関係です。平塚駅近くにあります、小さな神社です。この神社は近くにあります、平塚八幡宮の境外末
9月20日大内宿の高倉神社一の鳥居扁額裏から二の鳥居三の鳥居拝殿本殿樹齢八百年高倉の大スギ南仙院分家で御朱印いただきました
永平寺の続き〜『福井の神社仏閣☆永平寺傘松閣の絵天井の間②編』永平寺『傘松閣(さんしょうかく)』にある絵天井の間の続き〜『福井の神社仏閣☆永平寺傘松閣の絵天井の間①編』永平寺『傘松閣(さんしょうかく)』にある絵天井の間…ameblo.jpさて、傘松閣を後にして、他の建物も巡ったRieruです所々気になりました。雲堂の扁額。僧堂を横切ります。下の画像の真ん中の門は、中雀門?法堂に向かいます。歩いている時は、地図を把握しながら歩いていないのでよくわかりませんでしたが、今、例の地図
額(がく)製作例赤文字彫刻入り***神棚/神輿/結婚式場神具と装束、祭礼用品の専門店京都神具製作所https://kyoto-singu.jp/
武蔵国の狛犬めぐり神奈川編です川崎市麻生区白山神社おしゃれな扁額明治20年(1887)の狛犬さんおちびちゃんが可愛かったです💞⇓これ好き♡阿形側に2頭、吽形側に1頭、計3頭のおちびちゃん。ちび狛好きなのでにやけてしまいました💕本殿のご案内⇓本殿の内部は見ることができませんが、素晴らしい彫刻があるようです。おちびちゃんが可愛かったので満足!
大峯山龍泉寺⏬✨️古い方の龍泉寺案内図✨️⏬⏬✨️新しい方の龍泉寺案内図✨️⏬️⏬️✨️修験門✨️⏬️⏬️✨️ここが気になり3年越しの調査近くないから気になっても見に行けない✨️⏬️⏬️✨️大正天皇行在所✨️⏬️⏬️✨️事務所、庫裡、玄関✨️⏬️⏬️✨️扁額✨️⏬️⏬️✨️玄関を詳しく✨️⏬️⏬️✨️うーん✨️⏬️⏬️✨️鐘楼堂✨️⏬️写真は、記憶を留めて置くもの写真を見ればいつでも龍泉寺に行けるまぁ~写真整理は、重要古い方の龍泉寺境内案内図は興味深い…
9月19日茨城大子町日輪寺から福島県須賀川市の神炊館神社へ二年前に参拝しました『福島の神社ー1神炊館神社(おたきやじんじゃ)①』10月11日福島県須賀川市の神炊館神社へ鳥居と社号碑扁額神橋を渡ります狛犬灯籠が並ぶ参道左手の市原正一の歌碑市原多代の句碑藤井晋流の句碑…ameblo.jp『福島の神社ー1神炊館神社(おたきやじんじゃ)②』10月11日つづきです『福島の神社ー1神炊館神社(おたきやじんじゃ)①』10月11日福島県須賀川市の神炊館神
念願叶って、初矢合観音万病に効く「泉の水」と、先祖代々民家に祀られて来たユニークさで有名な観音様山門?を過ぎると、真正面に「泉の水」井戸からポンプで汲み上げるようです手水鉢民家の一角にあるお堂?ちゃんと扁額も掛かってました十一面観音さまが祀られてますこんな感じの建物です個人情報もあるので全景は撮りませんでした散歩道もあるようで、国分寺とその支院の安楽寺に行ってみたいけど、ここでタイムオーバー…またの機会のお楽しみ稲沢市矢合町三島前2664
今日もまた雨です。東京は34日連続で雨だそうですいい加減、晴れてくださいなぁ~寒くなったり、急に暑くなったり気温も安定しません。今回は、2月の大國魂神社へ参拝と御朱印をいただいた写真です妙光院から更に坂道を上がり、歩いて5分位の場所にあります。御朱印巡り前には何度も行っていたけど、御朱印巡りを始めてからは行ってなかったのでずーっと行きたいなと思っていたんです。大國魂神社西鳥居と狛犬さん真っ白でとっても素敵正面からではなく、端っこから神社の中に入るルートでした。
9月19日坂東三十三観音巡りで日輪寺へ向かいました茨城最高峰の八溝山(標高1,022m)八合目です案内板がありました鳥居八溝嶺神社の扁額鳥居をくぐって橋を渡りました右手に祠がありました道祖神でしょうか下は三猿鯛をかかえてるので恵比須様でしょう大黒様でしょうか祠扁額竜虎神七福神の石八溝山道の石柱鳥居裏から山道を登ります後から知ったのですが私は↑が八溝嶺神社だと思ってました
飯盛山ハイキングの続きです二つ目の野球グランド大阪桐蔭も大阪産業大学の系列だったんですねかなり来ましたが楠公寺が現れないので引き返しました飯盛城跡の堅堀の札がかかっていまいが何だかよく分かりませんセンニンソウガガイモ道を間違えて1キロほど余計に歩きましたが楠公寺に到着8月終盤だともう遅いのかここまで一度もタマムシは見かけていません扁額は山号の飯盛山です赤い帽子と前掛けを付けたお地蔵さんが並んでいましたお地蔵さん横の石段の上に八大龍王と白龍大明
【日向山宝城坊…歴代天皇の帰依深く勅願寺として1300年の歴史を伝える高野山真言宗の古刹、中世以降は薬師如来の霊場で「日本三薬師」のひとつ】【神奈川県・伊勢原市】奈良時代の元正天皇御代の霊亀二年(716)、奈良の僧・行基菩薩により開創されたと伝える。開創以来、歴代天皇の帰依深く勅願寺としての時代を経て、鎌倉時代になると源頼朝・北条政子夫妻や三代将軍源実朝夫人といった将軍家の信仰を集めた。江戸時代末期までは日向山霊山寺と称し、子院12坊を擁する大寺院で、「日向薬師」の名で親しまれているが、正式
幣立神宮⛩️〒861-3905熊本県上益城郡山都町大野712幣立神宮の専用駐車場が、なかなか分かりずらくて、何度も道を往復してしまいましたが、ようやく辿り着きました本当は、イレギュラーな参拝になりそうになったものだからその理由とは・・朝早く出発したものだから、急にお腹かが痛くなってしまい、御手洗を探してましたコンビニや公衆トイレもなく、幣立神宮にも行きたいという葛藤の中で、もし御手洗がなければ、参拝はやめようと考えましたお腹を抑え、ギリギリ我慢をこらえながら階段
8月27日つづきです『二川伏見稲荷①』8月27日ホテルハーヴェスト浜名湖からうなぎパイファクトリーブラックサンダーワクザクファクトリーと工場見学して豊橋市へ戻って二川伏見稲荷へ一の鳥居案内…ameblo.jp拝殿拝殿左側からお山へ行けます行けるトコまで行ってみます奥が本殿です駐車場の奥の御山巡拝の入り口から昇った鳥居御石宮司社雄健霊子命神社印章神社更に上へと続いてます上るのも下るのも今
旧東海道と東海通が交わるそんな場所で見つけた千年八幡神社創建:1837年(天保8年)社号標の文字がなんともイイ感じだ鳥文字?鵜なのか?鷺なのか?時々八幡神社の文字が鳩を図案化した扁額を見かけるけれどコレは鶴岡八幡宮の扁額(鎌倉)ココの社号標が一番カッコイイと思う✩この文字にした由来が知りたいな✩✩
こんばんは🤗本日よリハビリウオーキングは小鯖八幡宮(正式名鰐鳴八幡宮)で行いましたよヽ(=´▽`=)ノ💞💞こちらは何度も参拝しているのでこちらを参照して下さいねヽ(=´▽`=)ノ💞💞💞https://ameblo.jp/it1035656/entry-12770290325.html『山口市小鯖小鯖八幡宮(参道編①)』おはようございます(*--)(*__)ペコリようやく一ノ鳥居です(v^-゜)♪立派なですね~(*´∀`*)扁額も(///∇///)建立時期は………………ame
8月27日ホテルハーヴェスト浜名湖からうなぎパイファクトリーブラックサンダーワクザクファクトリーと工場見学して豊橋市へ戻って二川伏見稲荷へ一の鳥居案内図参道左手にお山巡拝路への鳥居手水舎二の鳥居二の鳥居脇の鳥居石段を登ります拝殿扁額振り返ると授与所で御朱印いただきました御朱印待ってる間に↓のお守りが急に欲しくなりました小物入れいただきました拝殿脇からお山へ行ける
網走神社のFacebookで発表がありました。昭和26年に建立された木造の鳥居が、倒壊の恐れがあるために9月末に解体するということです。北海道新聞によると鳥居の一部が9月中旬に落下したということで、再建は年明け以降になりそうとのことでした。網走は遠いこともありなかなかお参りできませんが、これまで2回お参りしました。直近では昨年です。木製の趣のある鳥居で、扁額には神社名ではなく、有馬良橘海軍大将の書による「北海鎮護」と刻まれているのが特徴です。おそらく鳥居が新しくなっても、この扁額はそのまま
(令和8年9月9日参詣)この日は増毛町にある三國本家で昼食を食べるために向かいました。その途中、増毛町内の小さな神社をお参りしながら向かいました。最初に向かったのは男山八幡神社です。GoogleMapの案内に従って走ると、白い鳥居の前に出ました。こちらが男山八幡神社です。鳥居をくぐり石段を上った先には拝殿がありました。こちらの拝殿には男山八幡宮と記された扁額がかかっていました。しかしながら、石段の下にある石段工事の記録を記した碑には「男山八幡神社階段工事一式」との工事名が記載されてい
あっ!浅間(せんげん)神社だ〈長崎県西海市崎戸町〉↑鳥居は人造石というのかコンクリートなのかとにかく人工の素材です。こちらは長崎県の西海市。(わたしの住む長崎市で浅間を冠する神社に行ったことがありません。長崎市には浅間神社そのものが無いのでは)↑鳥居横の社号標の裏には崎戸町礦業所指定高(商?)の刻字。↑うねってる木🌳🌳↑手水舎↑手水舎の奥の灯籠の刻字。享和元年(左写真)三年◯◯◯…(右写真)↑その灯籠の奥には閉まったお社がありましたが、何かわかりませんでした。残念↑旧
冨吉建速神社に隣接する龍照院尾張三十三観音霊場の第十三番札所となります木曽義仲と巴御前に所縁のある寺院でもある弘法大師さまの像鐘楼文化財の立て札も立ってます町指定有形文化財の木造大日如来坐像のあるお堂巴御前が寄贈した大日如来様が黒いのは、蟹江合戦の時に広範囲に境内が焼け、煤けてしまったそうです本堂年期の入った扁額御朱印海部郡蟹江町大字須成字門屋敷上1364
現地調査に来た現場の直ぐ近くだったので訪れてみました尾張三十三観音霊場の第27番札所となります立派な山門と、山号の扁額手水舎扁額付きの鐘楼一際目立つ蔵王殿金的中って札が掛かってるので、宝くじとかのご利益が有るのかも?本堂寺務所で御朱印を頂いてる時に、本堂のサイドショット納経帳へ御朱印を頂きました瀬戸市城屋敷町34
さあ、狛犬さん待たせたね。今日は出番ですよ前回、市内の東を訪ね府中町「多家神社」、安芸区「尾崎神社」をご紹介しました。2社共に歴史と由緒のある神社で、狛犬さんにも特徴があり、色々と勉強にもなりました。同じ日に安芸区でもう一社巡ってますので今日はその神社をご紹介。帰り道の神社を探して、事前の勉強無しの行き当たりばっ旅岩瀧神社安芸区船越4丁目ナビで教えられる住宅団地の中、結構狭くて厳しい急坂を上り詰めると一の鳥居。扁額は「岩瀧神社」。ここも知らなかったけれど、大きな
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります西条市立小松中学校から国道11号を東へ行き、西条市小松南川交差点(手前に『香園寺』の案内表示があります)を右(南)に曲がり、右側に『香園寺』の案内表示がある三叉路を右手前(南西。道幅少し狭くなります)に曲がると一番奥に香園寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇香園寺『香園寺公式サイト』『四国八十八ヵ所霊場公式サイト』『Wikipe
お久しぶりです。この猛暑に加えて自然災害が続いていますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。9/30まで、沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)で、首里城正殿の玉座の間に掲げられる予定の「中山世土(琉球は中山王が代々治めてゆく国である)」の扁額が展示されています。平成の復元の際は文字の背景が朱塗りだったが、さらなる調査で明らかになった古文献の記載に従って黄色に変更されました。縁の装飾です。最新の調査に基づき、装飾の技法はもちろん扁額自体の寸法も平成の復元時とは変更されています。(参考:平成