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〈社説〉2023・2・11戸田先生生誕から123年2023年2月11日弟子の勝利が歴史を開くきょう2月11日は第2代会長・戸田城聖先生の生誕123周年。戦時中、軍部政府の弾圧による2年間の投獄を耐え抜き、妙法流布の大願に一人立った戸田先生。広布の未来を見据え、壊滅状態にあった学会を再建するために力を注いだことは何だったか。それは目の前の一人を励ますことだった。学会の原点は、戸田先生の、どこまでも一人を大切にする真剣な個人指導にある。戦後の混乱期。誰もが苦悩にあえいでいた。先
(『恩師戸田城聖先生)6今年(1995年)は、戸田先生が出獄されて五十年目の「七月三日」を迎えた。哲学も信念も崩れ去った戦後の混沌にあって、ひとり、戸田先生の胸中にのみ、人類の未来を開く赫々たる「生命の哲理」、すなわち「人間革命の法理」が輝いていた。だれもが自分のこと、目先のことで血眼になっている畜生道の世相の中で、戸田先生お一人が人々の絶対的幸福を願い、前代未聞の民衆組織をつくっていかれた。忘れ得ぬ昭和二十年七月三日、戸田
(『青春対話」より)52そうしますと、「職業を選ぶ基準」というのは何になるのでしょうか。石川啄木にこんな歌がある。「こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ」。いわゆる「天職」です。しかし、なかなか、初めからそういう天職に恵まれる人は少ない。両親をはじめ、周囲の意見と違う場合もあるでしょう。では、どうすべきか。戸田先生は、職業を選ぶ基準は「価値論」にあると言われていた。価値論というのは、戸田先生の師匠の牧口先生の哲学です。
(『青春対話』より)50一番大切なことは、そうやって「限界まで努力する」習慣を身につけることです。ある意味で、結果は大した問題ではない。高校時代の成績等は、それ自体が人生を決めるのではない。ただ、「限界まで努力する」習慣が身に着いた人は、その後、何をやっても、その習慣を発揮して、必ず頭角を現すものです。自分の天分も光らせることができる。「人間は自分の夢以上にはなれない」ともいわれる。夢は大きくていい。そのうえで、夢は夢、現実は現実
名字の言70年前の元日、池田先生が記した決意の句2023年1月1日歌人・斎藤茂吉に有名な新年の歌がある。「新しき年のはじめにおもふことひとつ心につとめて行かな」▼心に抱いた一つの思いを貫いて、この一年を進んでいこうとの意だ。新春に詠む句や歌を「新年詠」という。正月を寿ぐ歌は、現存する日本最古の歌集「万葉集」にも。凜とした元日の空気に触れて感慨や願いを抱く心情は、古今に変わらぬものだろう▼70年前の1953年1月1日、池田先生は決意の句を日記に記した。「元日や戦う途に華ぞ咲け」。翌日に男
(『新・人間革命』第3巻より編集)98〈平和の光〉9伸一は、その初陣の出発の集いで、同志にこう呼びかけた。「二月は日蓮大聖人の御生誕の月であり、また、二月十一日は、戸田先生の誕生の日であります。今日、私たちが、この信心に巡り合えたのは、大聖人様がご出現になったからであることは言うまでもありませんが、戸田先生が広宣流布に一人立たれたおかげでもあります。そして、皆さんは、それぞれ功徳を受け、幸せになられた。その報恩感謝の思いで、
(『新・人間革命』第3巻より編集)92〈平和の光〉3(つづき)ゆえに、それぞれが戸田先生を自身の師匠と決めて、喜々として広宣流布の活動に励んできたんです。同志は、決して先生の役職や立場についてきたわけではありません。もしも、戸田先生が会長をお辞めになっていても、先生は常に皆の先生であり、人生の師であったはずです」実業家は、驚いたように伸一の顔をまじまじと見つめた。「なるほど・・・」「しかし、社会はそれがわからないんで
(『新・人間革命』第3巻より編集)91〈平和の光〉2夜更けて、この実業家が、伸一の部屋を訪ねて来た。二人の話題は、戸田の思い出になっていった。「山本さん、戸田さんのすばらしいところは、学会を組織化したことではないだろうか。そうしなければ、学会はここまで発展しなかったと、私は思う。これからは、組織があるところは伸びる」伸一は言った。「一面では確かにその通りかもしれませんが、それだけではないと思います。組織ならどこにでもありま
(『人間革命』第5巻より編集)74〈前三後一〉20彼はさらに、文証を引いて、大聖人の予言の偉大さを讃え、戦い抜く決意を語っていった。「この闘争力と、勇気に満ちたる青年が、学会青年の確信であります。戸田城聖先生!今、先生は、大勢の内外の敵の真っただ中にあって、法旗を高らかに掲げ、末法広宣流布の大将軍として、大号令を発しております。我ら青年は、そのお言葉を絶対に虚妄にいたしません。断じて、先生と御共に、先生のお心を心として、
(『青春対話』より)19私が戸田先生に、頭の良いのと悪いのと、どのくらいの差があるのかと、うかがったことがある。戸田先生は、そこにあった筆に墨をつけ、半紙にサッと一本の横線を書かれ、「この線の上と下くらいの差しかないよ」と、おっしゃった。皆、同じように脳を持っている。差など、ほとんどない。どのくらい「努力」をしたか。この二字によって決まる、と。今もって、その言葉が忘れられません。
(『青春対話』より)15「夢は大きいんだが、現実とのギャップが大きすぎて・・・」という人も多いかと思うんですが。それでいいんです。戸田先生が言われていた。「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどいいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは、何もできないで終わる」。もちろん、何にも努力しなかったら、夢は夢で終わってしまう。夢と現実を結ぶ橋は「努力」です。努力する人は希望がわいてくる。希望とは、努力か
有難くも、まだ、何の疑いもなく、我が師、池田先生の指導もちゃんと納得できるし、己の卑しく醜い生命を見透かされて反省しなきゃ、と耳が痛い指導もある。〝諂曲(てんごく)〟やもんな。けっこう損しとる…。己の人間境涯を、生命境涯を、どこまでも高め、奥深い人生へと導かんとする師の真心に、少しでも応えて生きたい。また、仏法者として、法華経の行者として、地涌の菩薩、創価学会仏の一員としての生き方を、これからも学び実践して今よりもっと広布に尽力できる自分に成長したい。そう思えた自分が嬉しかったし、誇らしく
(『青春対話』より)4「今の学校が、自分の行きたかった学校とは違う」ということで、落ちこんでいる人もいるのですが。それは、一面残念かもしれないけれども、「学ぶ」という本質から見るならば、また長い目で見るならば、有名校とか、無名校とかは関係ない。私も夜学です。働きながら勉強した。当時はつらかったが、今は誇りになっています。そのあと、戸田先生は、私に個人教授をしてくださった。先生が知っておられることを全部、私にそそいでくださった。「良い学校に
〈創価教育の源流〉不滅の輝き放つ三代の師弟の軌跡2022年11月16日11・18「創価学会創立記念日」特集牧口先生㊨と戸田先生。師弟一体の闘争によって、「創価教育学体系」が発刊された1930年(昭和5年)11月18日、創価学会の初代会長・牧口常三郎先生は、第2代会長・戸田城聖先生と共に『創価教育学体系』第1巻を発刊。それが、「創価学会創立記念日」の淵源である。「教育は子どもの幸福のためにある」――牧口先生が提唱した教育哲学を、戸田先生が継承し、池田大作先生は両先生の悲願であった創価教
元創価学会員の私はやっぱりね❗️と言う印象です😅創価が間違いなら?戸田先生や牧口先生も?😈ずっと考えながら、真実を知りたいと願っていました‼️全て、池田大作(旧統一)がDS組織と企てて創価の乗っ取りを現実にしたんでしょう😈だからといって、宗教団体は正しいとは、全く思いませんが❗️ではこの話が全て真実かと言うと?それは分かりません😳ただ、私は納得出来たのです❗️統一教会=創価学会だと思います😈学会員さんは、デクラスが無いと目覚めは難しいんでしょうかね😭早いデクラスを待
(『希望対話』より)56私は内気で、人前で大きな声でしゃべれません。どうしたら、積極的に話せるようになりますか。私も、どちらかといえば、内向的な少年だったと思う。もちろん友達とも遊んだが、ひとりで本を読んだり、空を行く雲や、海の風と対話することが好きでした。だから、大人になって、戸田先生の会社に入り、人と交渉する仕事をまかされた時は、本当に苦しんだ。言いにくいことを言わなければならないし、気むずかしい相手のところへ、何回も何回も足を運ばなければな
【御書本文】我釈尊の遺法をまなび仏法に肩を入れしより已来知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす(聖愚問答抄上p491)【通解】(聖人は)私は釈尊の遺法を学び、仏法を身に入れたときからこれまで、恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた。世の中には四恩がある。これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生という。【先生の指導から】思を知るのが人間の道であり、なかんずく仏法者の道である。私は今日まで、戸田先生、牧口先生に、最大にご
(『人間革命』第5巻より編集)11〈烈日〉11二月十一日ー戸田の満五十一歳の誕生日であった。戸田は、この日午後、西神田の事務所の二階で、最高幹部たちに、「御義口伝」の講義をしていた。その講義は信解品(しんげほん)の「第六世尊大恩の事」の段に入った。彼は、異様なまでの熱烈さを持って、御本尊の大恩を語っていった。そして、宣言でもするように、講義をこう結んだのである。「諸君は、あるいは信じないかもしれない。しかし、ぼくは、”仏法、必ず
【御書本文】僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり(椎地四郎殿御書p1448)【通解】僧も俗も尼も女も、一句でも他人に語る人は如来の使いである。【先生の指導から】戸田先生も、「折伏する人は大聖人のお使いである」と最大に敬っておられた。折伏に励む人を「大聖人のお使い」として、最大に尊敬し、讃えていく―それが学会である。また戸田先生は、「折伏の功徳」について、こう語っておられた。「その生命には大聖人の生命が脈々とうってきて、いいしれない偉大な生命力が涌出すると
(『希望対話』より)48戸田先生は「科学が二百年ぐらい発達したら、御本尊のすごさがわかるだろう」と言われていた。だから、勤行・唱題は、人類の「最先端」の行動なんです。一番文化的で、一番合理的で、一番科学的な「最先端の人」なんです。ともかく、わかりやすく言えば、御本尊は「大宇宙と自分とが交流する装置」と言ってよいと思う。”たとえ”でいうと、御本尊が、宇宙につながる「電話」で、「ダイヤル」することが勤行・唱題とも言えるでしょうか。お題目をあげるのは、「
(『希望対話』より)47それが御本尊ですね。そうです。戸田先生は、御本尊様を「もったいないことだが、”幸福製造機”にたとえられる」と言われた。生命力を強くして、幸福になるために、日蓮大聖人は御本尊を”発明”してくださった。その”使用法”の基本が勤行・唱題なんです。すごいことなんですね!すごすぎて、わからない。簡単すぎて、わからない。「題目をあげる」という、そんな簡単な修業で、どうして宇宙大の力を、自分の生命から引き出していけるのかー
【北海道】「心がすがすがしく、広々とする」――池田先生の長編詩を日本一早い紅葉とともに2022年10月7日本年は、池田先生が長編詩「愛する北海天地」を発表してから40周年の佳節。電子版では、日本一早い旭岳の紅葉をはじめ、北海道の四季の写真を、詩の全文と池田先生の北海道への言葉とともに掲載する。色づく旭岳の木々(2022年9月)大雪山連峰の主峰・旭岳(標高2291メートル)と高山植物のチングルマ(2022年9月)◇愛する北海天地◇私は北海道の天地に行くと
【御書本文】心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候(弥三郎殿御返事p1450)【通解】心ある人々は、(大聖人が大難を一身に受けていることは)「私たちのためである」と思うべきである。もし「恩」を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか。それもしないどころか、反対に、(大恩ある大聖人に)怨をなそうなど
(『希望対話』より)19自分の「生きる意気込み」で決まる。もちろん、良き環境も大事だが、根本は自分の心の強さで決まる。これが、きょう一番、覚えてほしいことです。学校だけではない。なんでもそうです。「受け身」になったら、どんな自由な世界であっても「不自由」な自分になる。逆に「攻め」の姿勢になれば、どんな不自由な環境であっても「自由」を味わえる。本当の自由とは、仏法で言えば「境涯」です。この世で一番、不自由な牢獄のなかでも、境涯の広い人は「自由」を味わ
9・8「原水爆禁止宣言」65周年写真特集平和の心を未来へ2022年9月8日核兵器のない世界を共に!――恩師・戸田先生の平和の心を発信してきた戸田平和記念館の前で、誓いの一歩を踏み出す神奈川の少年少女部員と青年たち(横浜市内で)核兵器を人類の生存の権利をおびやかす魔性と断じ、戸田先生が青年への遺訓の第一とした「原水爆禁止宣言」。池田先生は、恩師の叫びをわが誓いとし、平和の道を開き続けてきました。池田先生が世界に発信する「SGIの日」記念提言は今年で40回を数えました。また、学