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人工授精という名のカゲに隠されていた驚くべき事実次々に暴露されるショッキングな内容!――。ちょうど半世紀前の昭和51(1976)年1月、西ドイツとイギリスの合作映画人工授精(WHOSECHILDAMI?=ジェリー・オハラ監督)の新聞広告2種。とりあえずフツーの場合は「受精」だが、人工の場合は「授精」という漢字で表記することを、この広告から学んだ。豆知識。受精から出産まで人工授精のすべてを描き、映画史上、初めてその神秘のベールをはがす!――などなど、刺激的なコピーが並ぶが、こ
私が生まれる前のテレビドラマ。なんで私が知っているかというと。大学の時に、70年代ブームがあって、リバイバルでサントラが出たのを、友達から、カッコいいから聴いてみて!って薦められた。うん。カッコいい。でもそのサントラ、置き引きにかあって。泣。今は手元にない。沢たまき、緑魔子、范文雀、戸川昌子。知っている役者さんはそのくらいだけど。あ、ひし美ゆり子も出てた。一時期70年代フランス映画にハマっていた時もあって、なんだか共通するおしゃれ感。電気グルーヴが好きな傍らパーフリも好きだ
あそぼうよビアンムッシュ日高なみ/戸川昌子この楽曲は、なかにし礼が作詞・作曲した。日高なみと戸川昌子がレコーディングしているが、二人ともシャンソニエの女主人だったので、歌の内容はぴったりかもしれない。雨が降る夜は、お客がいない。一人お酒を飲んでいる男がいて、その男に「あたしの部屋であそぼうよ。」と語りかけるという色っぽい話だ。こういう洒落っ気のある歌を、演技力で歌うのは、なかなか難しい。戸川昌子などは、実際に観客の肩に手を置いて歌ったりしていた。その男性客は、きっとドキ
中村正義⏬️✨️佐賀潜像✨️⏬️1969(昭和44)年『20世紀』8月号⏫️✨️三島由紀夫像✨️⏫️1968(昭和43)年「20世紀」6月号昭和39年(1964)石原愼太郎作『一の谷物語』(日生劇場)の美術を担当映画『怪談』のための『源平海戦絵巻』展(日本橋白木屋)(國立近代美術館買上)名古屋國際ホテル会議場緞帳制作昭和40年(1965)個展(東京、大阪、名古屋)昭和41年(1966)朝日秀作美術展現代日本美術展などに出品個展、顔の
コマン・サ・バCommentçavaザ・ショーツTheShortsこの楽曲は、オランダ人のEddydeHeerが同国のポップ・ソングとして英語で書いたものだ。1983年にTheShortsという同国のグループ(若い男の子たちで構成)が歌った。レコード会社は、オランダ語にこだわり、プロデューサーのJackJerseyにオランダ語歌詞を書かせ、国内発売した。オランダの主要ラジオ局は、番組でこの歌を採り上げることはなく、海賊放送で人気が出て、その後国内のヒットチ
戸川昌子は、売れない駆け出しの時代、朝日ソノラマのオーディションに出向いた。応募者が200人もいて合格は難しく、終わってから外に出たら、平和だった街が悲惨な有様になっていた。皇居の周囲は真っ赤な火があり、車が横倒しで燃えていた。朝日新聞社の玄関には血だらけの人た倒れていた。安保闘争(60年安保)だった。この出来事は、戸川昌子のシャンソン歌手人生に少なからず影響をもたらした。それから時代は過ぎて、1968年、新谷のり子は音楽クラブ「しんくら」で唄っていた。騒乱をニュースで知って現場を見
戸川昌子は、銀巴里で歌い始めた頃、拍手もまばらで、「あの人誰?」というようなアウエー感もあり、もう諦めようかなどと弱気になっていた。そんなある日、歌い終わったら、物凄い拍手をしてくれた人がいた。それは、三島由紀夫だった。戸川昌子は気が動転して、目の前に行って深々と頭を下げたら、三島はニコニコして、「君は今はまだまだだけど、何か光るものがあるから頑張れよ。」と声を掛けてくれたそうだ。興奮して、その晩は寝付けなかったそうだ。当時一世を風靡していた売れっ子作家に褒められたことで、辛い
1997年出版60~70年代の短編集戸川昌子、「猟人日記」と高齢出産で話題になった人ってくらいしか知識ない(^^ゞYouTube徘徊してる時、岩井志麻子が、視聴者の質問の答えで『戸川昌子の「ウルフなんか怖くない」を読みなさい』だったので、借りてみた岩井志麻子が薦めるだけあって薄気味悪くホラーチック😱(好きだけど)あー、「べらぼう」に岩井志麻子出ていたの知ってる?唐丸が見つかった時、夜に部屋訪ねた尼さん?いい使い方する(笑)キャスティング最高!で、「
嘗て商社や銀行の外国為替部署には、タイピストという職種があった。原稿に合わせタイプライターで英文の貿易文書を打ち上げる仕事だ。そのタイピストから流行歌手になったのが、イヴェット・ジローだ。実は、同じ経歴のシャンソン歌手が日本にもいる!それは、戸川昌子だ!高校を中退した後、伊藤忠商事でタイピストをしていたのだ。そして、仕事の帰りに(1958年)、シャンンソンの殿堂、銀巴里の素人飛び入り企画で歌ったら、丸山明宏(美輪明宏)がバンマスにレギュラーに入れようと進言した。それが彼女がシャンンソン歌
戸川昌子の兄は、顎の神経が麻痺して咀嚼したり話したりすることが不自由な身体障害者で、一日中レコードを聴きながら、絵を描いていた。そのレコードがダミアのシャンソンで、「暗い日曜日」と「人の気も知らないで」だった。繰り返し聴いていたという。そもそも戦前は、シャンソンのレコード発売が数少なく、その後アジア・太平洋戦争に突入して、シャンソン(敵国の歌)のレコードが自由に買える時代ではなくなった。だから、戸川の兄がダミアの2曲しか所持していなかったとしても不思議ではない。ただ、その結果
4月26日が命日・忌日の有名人・著名人1192年(建久3年3月13日)66歳崩御(?)後白河天皇陛下第77代天皇1489年(延徳元年3月26日)25歳没(脳溢血?)足利義尚さん室町幕府9代将軍1865年26歳没(銃創)ジョン・ウィルクス・ブースさん俳優、リンカーンの暗殺者リンカーン大統領暗殺事件1951年82歳没(交通事故)アーノルト・ゾンマーフェルトさん物理学者原子物理学の開拓的研究⇒『アルノルト・ゾンマーフェルト(1868年12月5日生~1951
戸川昌子は、武勇伝に事欠かない人だが...或る日、青い部屋で、お客さんの靴に唾を吐いた客がいた。それを見て腹が立った戸川が「お客になんてことをしてくれるの。謝って頂戴。」と言ったら、「結構じゃないか、誰が謝るか。」と毒づいてそのまま帰って行った。ところが、その男は、一時間後に日本刀を持ってお礼参りに来たのだった。その場に生島治郎や五木寛之ら作家たちがいたが、余りの衝撃にひるんでしまったのだそうだ。戸川に言わせれば、「だらしないったら、なかったわよ。」となる。それで、戸川が素
嘗て「青い部屋」というシャンソニエがあった。リニューアル前の時代には、酔っぱらってベロベロになったサラリーマンがいることもあった。ある時、20代のシャンソン歌手がステージで歌っている最中に泥酔したおじさんがその女性に抱きついた。彼女は驚いて歌うのをやめて、「やめてください、やめてください」と繰り返すばかり。その時...その時、酔いつぶれていた戸川昌子がムクッと起き出して、「あんた、それで歌手やるつもり?やめちまいな。酔っ払いが抱きついてきたら、抱きしめて頬ずりしながら歌ってやれなき
このアルバムは2018年11月9日yaplog!(ヤプログ!)へ好きなアルバムその-47としてアップした記事に加筆とYouTubeを貼りました☆アーティスト戸川昌子(とがわまさこ)☆アルバム失くした愛多数の推理小説を発表した戸川昌子(1931-2016)がシャンソン歌手として発表した2作のアルバムのうち1975年に発表したファースト・アルバムで曲や出来事はラジオで耳にしたリリー・マルレーン(SIDE2の2曲目)を聴き
戸川昌子さん戸川昌子(とがわまさこ)ペンネーム:戸川昌子(とがわまさこ)1931年3月23日生まれ、2016年4月26日、満85歳没。東京市生まれの推理作家、シャンソン歌手、コメンテーター。長男:NERO(シャンソン歌手)1957年頃から、東京・銀座にあった日本初のシャンソン喫茶店「銀巴里」に出演し、シャンソン歌手になる。銀巴里に出演するきっかけは、素人の飛び入り企画に戸川が参加し、アルトでシャンソンを歌っているのを美輪明宏の目に留まり、バンドマスターに
<小林久三、佐賀潜、戸川昌子>1615「皇帝のいない八月」小林久三長編権田萬治:解説講談社文庫ブルートレイン「さくら」の切符をゆずれと脅迫した男たちは何者なのか。切符譲渡を拒んだ業界紙記者の石森は、異様な不安を覚えつつブルートレインの客となった。果して異常な雰囲気を発散させる男たちがいた。彼らの狙いは?行く先は?大胆な構想と迫真の設定で世を震撼させた予見的長篇ミステリー。<ウラスジ>自衛隊のクーデター。戦
亡くなった人がこの世に蘇るのならば、話してみたい女性がいる。シャンソンの関係では、断然!戸川昌子だ。シャンソン・マガジンに「パリん子あみ」というインタビューコーナーがあるが、そこに以下のようなやりとりが遺されている。あみ:戸川さんにとってシャンソンとは?戸川:男は長続きしないけど、シャンソンは長く続いた。それでいい?なんとエスプリの効いた返しだろう!江戸っ子とパリジャンは似ているというのが私の持論で、パリジェンヌだったエディット・ピアフも同じような返しをしていたに違
深緑夏代先生を思い出す。時々深緑夏代先生を思い出すのです...深緑夏代さんは宝塚出身の日本のシャンソン歌手美輪明宏さん石井好子さんと並ぶ日本のシャンソン界のLEGEND私は深緑夏代先生のファンです。深緑夏代先生は兎に角格好良い本当に格好良かったその一言に尽きる方です。それは石井好子さん戸川昌子さんもです深緑夏代先生は格好良いだけではなく優しかった深緑夏代さんのステージが終わり楽屋に行くことを許された私が楽屋に行くと優しく接して頂いた私みたいな人間を優しく
ジャッキーが舞台に出演したときの写真らしいですが。ゲイバーとレズバーが舞台で、レズとオカマの物語みたいなことが書かれていますが、ネットで見つけた写真なので詳しい内容はわかりませんが、人気レズビアンと人気おかまが出会ってひょんなことから恋におちる、、、だそうです。ジャッキーは人気ゲイバーのママ役らしい。このような作品にでていなんてしらなかったのでびっくりしました。身長も高いし、見られることに慣れているからきっと舞台映えするしって声かけられたのでしょうか。映像残ってたらどんな舞台だったかみ
假屋崎省吾さん💐いつもお花が大好きなのが伝わっできますよね🥰カラーリングマムをカラーリングマダムと読んでしまった💦2010年1月の朝日歌壇(朝日新聞の文芸欄?)に横浜市の方の老眼を花眼と呼ぶことうれしくて聖書の小さき活字を辿るという短歌があったそうで「花眼」なんて花つながりよね🤭と思いました!でもこういうカラフルヘアなマダムっているような……なんとなく戸川昌子さんを連想しました😄推理作家でシャンソン歌手の戸川昌子さんが胃がんで死去…長男がSNSで明かす推理作家でシャンソ
暦では立夏ですが、真夏みたいな暑さですね〜。涼やかな気分になりたい、ということで藤城清治の幻想的な影絵が美しい絵本をご紹介します。「人魚姫ファンタジア」戸川昌子:文藤城清治:影絵(八月一日出版1976年12月刊)アンデルセン童話の人魚姫を現代の日本に移し替えた物語ですが、姫が海の上の世界に行けるのは18歳になったら(アンデルセンの原作では15歳)、などベースの設定も少し変えています。アンデルセンの時代から何代も経て、海を泳いでいた人魚の姫は海中展望台に来ていた青年に恋をしまし
石川五右衛門釜茹での日と、赤穂浪士討ち入りの日に挟まれた今日は、ロックンロードク1回目のリハーサル。フルバンドでやるのは丸3年ぶりだけど、やっぱりこうでなくちゃ。ロックバンドの中にロックでない異物が入っていることの異化効果こそがロックンロードクなのだと、たしかブレヒトも言っていた。2回ばかりカラオケ版をやってそのことを痛感したのだ。いやーカッコイイ。そしてバカバカしい。バカカッコいいとは正にこれ。みんな、1月21日は代々木ラボへGOだ!昨日今日で3枚の映画DVDを観た(^_^)ベルナルド・ベ
『大いなる幻影』(1962)は戸川昌子さんが最初に書いた小説であり江戸川乱歩賞受賞作です。戸川昌子さんは私にとっては時たまテレビで見かける熟女タレント・コメンテーターでした。たぶん彼女のことを覚えている多くの人にとってはそうだと思います。肩書は推理作家とシャンソン歌手ですがシャンソン歌っているところも見たことないし・・・・『大いなる幻影』はかねてから面白いと評判でしたが彼女が書いた推理小説ってどんなものだろうと懐疑的であまり期
こんにちわ☀️今日もいい天気☀️1週間の始まりです😊昨日は、パリ祭🇫🇷稽古。これまでは、東京2日出演組だけでしたが、昨日は、ゲスト以外の皆様との全体、初顔合わせ、フィナーレの歌稽古〜振り付けなど。久々に、他のご出演者の皆様とお会いしました。中には、ほぼ1年ぶりにお会いする方も😊お互いにご挨拶して、まるで同窓会のように、ワイワイと華やいで、賑やかヽ(´▽`)/ついつい話しが弾んで、「皆さん、お静かに〜」と何度も言われるほど(笑)毎年フィナーレで、出演者全員で歌う「歌
salut僕のブログ『アデュー・ロマンティーク』へ、ようこそ。前回から書き始めた『音楽で巡るロマンティークの旅』【フランス編】の第2回目。前回の記事を書いていて思ったのは、何となく大雑把な時系列でフランス音楽を紹介する形になってしまっているということ。ほんとは時代の流れに関係なく自由気ままに、ランダムに書いた方が面白いんだけど、書きたいことが多過ぎて整理をするのが難しいので。まぁ、こういう書き方もある程度、仕方がないと思っている。そのような流れで。前回の続き。古き良きシャンソン
<志賀直哉、エラリー・クイーン、戸川昌子>994「和解」志賀直哉長編安岡章太郎:解説新潮文庫主人公順吉は父の京都来遊に面会を拒絶し、長女の誕生とその死をめぐって父の処置を憎んだ。しかし、次女に祖母の名をかりて命名したころから、父への気持も少しずつほぐれ、祖母や義母の不断の好意も身にしみ、ついに父と快い和解をとげた……。肉体関係からくる免れがたい複雑な感情の葛藤に、人間性に徹する洞察力をもって対処し、簡頸端的な手法によって描写し
早川書房での編集者時代を振り返った生島治郎の自伝的小説『浪漫疾風録』は、興味深いエピソード満載の読み物となっている。なかには、「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」で新人コンテストを開催したとき、当時、門弟三千人と言われる文壇の大御所だった佐藤春夫に銓衡委員を依頼した際のエピソードもある(佐藤以外の銓衡委員の二人は福永武彦と辛口の文芸評論家の大井広介だったという)。そして、早川書房に育ててもらった恩はそれなりに返したと感じた越路玄一郎(=生島治郎)は、社長に辞意を伝え、作家
故・戸川昌子さん/(女性)作家であり歌手である戸川昌子さん(2016年に惜しまれながら世を去られました)による『霊も運も測定できる大波動・大波動Ⅱ』の発刊時に寄せられた紹介文です。「どうしてですかね」「う~ん、なぜでしょうね」。天波・棟方両氏の会話は、いつもこんなふうです。もっと偉そうに、もったいぶって波動の話をすれば、世の中の人は逆に有り難がるのに、とも思うのですが、そこがお二人のいいところ。そもそもこの本でお書きになっているように、どんな優れた科学者も今のところ波動を説明することはで
12月29日は『シャンソンの日』😄《解説》1990(平成2)年のこの日、東京銀座にあった日本初のシャンソン喫茶店・銀巴里が閉店しました。1951(昭和26)年に開店し、日本におけるシャンソンの殿堂として、三島由紀夫、吉行淳之介、五木寛之、野坂昭如など多くの作家が通い、金子由香利、戸川昌子、美輪明宏などが歌いました。銀座7丁目の跡地には石碑が立っています。シャンソンとはフランス語で『歌』の意味です。またシャンソン喫茶は、ただ音楽を聞いて喫茶を楽しむだけの店ではなく、店内にはピア