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宿曜占星術師くぼのぶこです。觜宿の日Actionポイントは①緻密に、計画的に課題に取り組んでみよう②会話スキルを活かして、テキパキ処理!③美術館で芸術に触れながら五感UP☆美point☆表情筋を鍛えて、眉間のシワとさようなら~觜宿の日開運食材~觜宿の日開運食材は「キャベツ」です。キャベツに含まれるビタミンCは、便通改善ストレス緩和や免疫力アップ美肌効果の他に動脈硬化やがん予防にも最適な野菜です。生で食べるほうが栄養素を
江戸の古地図片手に日本橋を歩いた日日本銀行貨幣博物館を見学した日本銀行本店日銀本店向かい側、日本銀行金融研究所のビルの中に貨幣博物館はある。和同開珎や大判・小判の実物、貨幣に関する絵画など、日本貨幣の貴重な資料を多数展示。千両箱の重さを体験できるコーナーなどもあって楽しい。1億円の現物にも触ることが出来る(^^)ただし館内は写真NGの箇所が多く、展示品の大部分は撮影出来ません(^^)ここ日本橋は『べらぼう』の地元でもあるので、大河ドラマに協賛⁈して・・・現在『蔦屋重三郎とお金の物
恋川春町は、最期までたわけねぇとって考えたんじゃねぇかなべらぼうでさぁ春町先生べらぼんさいが過ぎまさぁ真面目すぎる春町先生は作品の責任を重く感じ、自刃を選択しますが同時に戯作者(げさくしゃ)としての本分も全うしようと豆腐の角に頭をぶつけて死ぬため桶のなかに豆腐を置いて、、なかなか緊迫した場面でしたねぇとことん突き詰めてしまうくそ真面目死してなお、世間を笑わせる男の美学
土曜日午後の再放送も見てしまいました。ということは、けっこう春町先生が好きだったんだなーと我ながら改めて。大河ドラマ「べらぼう」つたじゅうえいがのゆめばなし。大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」横浜流星主演(蔦屋重三郎役)【NHK公式】大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯。笑いと涙と謎に満ちた“痛快”エンターテインメ
【芝全交(しばぜんこう)】亀田佳明寛延三年~寛政五年(1750-1793)商家に生まれたが、幼年期に水戸徳川家に仕えた大蔵流狂言師山本藤七の養子となり山本藤太郎と名乗る。のちに芝の西久保(現・港区虎ノ門)で商店を営む傍ら、歌舞伎や遊里等の芝居に通じ黄表紙作家としてデビュー。当時、春町、喜三二、京伝らと伍して「天明寛政期」を代表する黄表紙作家と位置付けられていた。別号を司馬全交、司馬交とも表記される。📖主な著書📖✴安永九年(1780)『時花兮鶸茶曽我』画/北尾重政鶴喜刊✴天明五
2025大河ドラマべらぼう〜蔦重栄華乃夢噺第ニ十ニ回放送後の紀行は、恋川春町と小島陣屋(静岡県静岡市清水区)でした。恋川春町江戸時代中期の戯作者、浮世絵師。代表作には金々先生栄花夢紀行は恋川春町ゆかりの地本名は倉橋格駿河小島藩の年寄本役狂名は酒上不埒駿河小島藩邸があった文京区役所筆名は小石川春日町に由来小島陣屋駿河小島陣屋に来ていたようです今年5月に小島陣屋に行きました↓『小島陣屋城郭風の陣屋』GWの5月上旬、静岡県静岡市清水区にある小島陣屋に行きました。小島陣
大河ドラマ、べらぼうを毎週日曜日に楽しく観ております。さて、べらぼうでは、ここの所、新しい登場人物が後半戦に入ってから次々登場しています。戯作者や浮世絵師、狂歌師、絵師など、当時の江戸文化を築いた錚々たる顔ぶれが勢揃いしつつあります。その中で、岡山天音さん演じる恋川春町が気になっています。金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)という黄表紙を書いて人気を博した恋川春町。劇中では、ちょっと拗らせ系?な堅物ですぐ拗ねてしまったりするキャラクターに
・梁山泊:『水滸伝』での意味が転じ、「優れた人物たちが集まる場所」、「有志の集合場所」の例として使われることもある。・赤蝦夷:今でいうロシアのこと・猪牙舟(ちょきぶね):第12回「俄にわかなる『明月余情』」参照・指図:言いつけてさせること。指揮。・蟷螂の斧(とうろうのおの):カマキリが前足で斧を持ち、大きな車に立ち向かう様子を表すことわざ。これは、弱者が自分の実力をわきまえず、強者に反抗することのたとえ。無謀で身のほど知らずな行為を指す。・目の正月:美しい物、珍しい物を見て目が楽しむ
【大田南畝(おおたなんぼ)】桐谷健太寛延二年~文政六年(1749-1823)牛込中御徒町で下級幕吏(御徒)大田吉左衛門正智と母・利世の子として誕生。通称・直次郎、のち七左衛門。諱は覃(ふかし)。幕臣で漢学者で歌人(江戸六歌仙の一人)の内山賀邸の門に入ったのが十四歳。のちに狂歌の一時代を築く唐衣橘洲や朱楽菅江、平秩東作などと知り合ったが、同じ頃に奇人変人のサンプルみたいな学者・平賀源内とも親交。十七歳で家督を継いで御徒として出仕。その傍ら創作活動を始め明和三年(1766)に最初の著作で
あなたの好きな言葉は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう昔はそうじゃなかったんですが、最近の母は何かにつけて「すみません」を連発します。頼まれて買い物してきたら「すみません」ご飯の支度して呼びに行くと「すみません」片付けてあげたら「すみません」母の「すみません」を聞くと滅入ってしまいます(◞‸◟)嫌なんですよ、親に「すみません」って言われるの。親に遜られると、親不孝してる気分になってしまう…そこは「ありがとう」と言ってほしいです(´・Д・)」そもそも本
【志水燕十(しみずえんじゅう)】加藤虎ノ介享保十一年~天明六年(1729-1786)本名を鈴木庄之助という幕府御家人。狂歌師名を奈蒔野馬乎人(なまけのばかひと)、清水つばくろ(ら)。また鳳城北根津隠士、裏町斎と号す。絵を鳥山石燕に学び、同じ身の上の下級幕臣・大田南畝らと交流を持ち戯作者の道に進んだとされる。住まいが根津の清水町だったことから「志水」、また師の鳥山石燕から「燕」、石燕に入門したのが十歳からだったので「十」からの戯作者名といわれている。安永九年(1779)洒落本📖『一鬼夜
今夜のべらぼうです。※喜三二は、平沢常富です。西村屋から依頼されて必死で絵を描いている男がいました。これなら、西村屋も喜ぶぜ、と言われています。蔦重は、必死で唐丸を探しています。唐丸と会えた蔦重ですが、唐丸からは、どちら様ですか?貴方を知りませんと冷たく言われた蔦重でした。蔦重は、必死になり、うちで仕事をしないか?と誘いますが、唐丸は、今の暮らしが居心地が良いと言います。喜三二が腎虚に罹患して寝込んでしまいました。医者が来ています。喜三二に青本の仕事を頼んだ蔦重ですが、そ
【唐来参和(とうらいさんな)】山口森広延享元年~文化七年(1744-1810)<生年諸説ありも📖『知足振』の没年に享年67とあるので延享元年説を取る>元某高家旗本の家臣で姓は加藤氏。天明元年(1781)頃、わけあって町人となり本所松井町の娼家(幕府非公認)・和泉屋に入婿し和泉屋源蔵と名乗る。同三年蔦屋から洒落本📖「三教色」刊行。同五年(1785)題名が回文になっている黄表紙📖『莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)』や『頼光邪魔入』を蔦屋から刊行。寛政元年(1789)、世相を揶
人は情けの下で立つ江戸時代の発明家、戯作者、文化人平賀源内人は、情けの中でより良く生きていくことができるのです。人は、他の人から思いやられ、支えられて生きているのです。私は、そのことにどれほど気づいてきたか…。どれほどお礼を言ってきたか…。今一度、自分自身を振り返ってみなければと思うことです。最近は、昔のように鯉のぼりを見なくなりました。時代とともに色々なことが良くも悪くも変わっていくのですね。少しでも良い方向に時代が移り変わっていく
【烏亭焉馬(うていえんば)/六代目柳亭左龍】寛保三年~文政五年(1743-1822)六代目柳亭左龍師匠は、当『べらぼう~』に於いて「江戸ことば指導」☝️でスタッフのお一人として入っておりやす。師匠の著作本📖『使ってみたいイキでイナセな江戸ことば』(小学館刊)☝️吾輩も持ってます。😇師匠がまさかの「江戸落語中興の祖」のお一人・烏亭焉馬(立川焉馬)師匠をお演りになるとは正に「恐れ入谷の鬼子母神びっくり下谷の広徳寺おっと有馬の水天宮」でござんす。烏亭焉馬さん、本名を中村英祝。狂歌師と
何やら『べらぼう~』の公式インスタや公式Xで「さらば源内」の文字が躍っているので、とうとう安永八年(1779)の回がやって来たのかと☝️この安永八年は将軍世子の家基が二月二十四日に薨逝して、年の暮れ十二月には源内が黄泉の世界に旅立った年☝️源内役を演じた俳優さんは数有れど、今回の安田顕さんが一番!らしかったのかもって思っている。例のCXの『(私見~なんちゃって)大奥』で、いけ好かねぇサイテーの田沼意次を演じた安田顕さんだけど、今回の源内役はすごく、よござんした。【平賀源内(ひらがげん
大河ドラマの影響で平賀源内さんに興味がわくわくな私です。平賀源内さんは、江戸中期の科学者、戯作者、浄瑠璃作者です。歴史の教科書で、エレキテルを発明したことやうなぎの宣伝のために丑の日の鰻を広めたことは知っていましたが。浄瑠璃やその他の作家でもあったんですね。この方とにかくずば抜けて頭がよかったのは確か。多趣味で多才。実際本草学・蘭学・物産学・国学にも長けていました。名前もねー色々あるんですよ。(^^♪↓
【山東京伝(さんとうきょうでん)】/古川雄大宝暦十一年~文化十三年(1761-1816)江戸は深川の質屋の子として誕生。本名・岩瀬醒(いわせさむる)、通称を伝蔵。安永三年頃、14歳で浮世絵師・北尾重政に弟子入りし北尾政演(きたおまさのぶ)と名乗る。同七年(1778)黄表紙📖『開帳利益札遊合(かいちょうりやくのめくりあい)』で戯作者デビュー。蔦重を初期から支えてきた北尾重政の弟子という事で、蔦屋の仕事には比較的早い時期から関わってきた。同九年(1780)、蔦重が初めて黄表紙を刊行した📖『夜野
【朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)】享保二十年~文化五年(1735-1813)出羽久保田藩佐竹家の江戸留守居役・平澤常房の養子となり平澤常富(つねまさ)を名乗る。若い頃から俳句に親しみ、藩主佐竹義和の近習となり遊興を覚える。その経験を生かし、安永二年(1773)、金錦佐恵流(きんぎんさえる)の名で吉原の指南書📖『当世風俗通』を出版、通俗作家として江戸文壇デビュー。その後蔦重のもとで、洒落本や黄表紙を多数発表。江戸生まれの武家らしく教養と洒脱さを感じ知られる作風で人気を博した。天
【恋川春町(こいかわはるまち)】/岡山天音延享元年~寛政元年(1744-1789)狂歌師名を酒上不埒(さけのうえのふらち)。自分の酒癖🍶の悪さを自嘲してこの名前を付けたんでござんしょか...シャレ(お江戸風に云うと「地口」)で🤔🙄😊江戸時代中期の戯作者で、主に「恋川春町」という戯作者名の黄表紙作者として高名☝️主な著書📖に『鸚鵡返文武二道』(おうむがえしぶんぶのふたみち)👆写真は国立国会図書館蔵『金々先生榮花夢』(きんきんせんせいえいがのゆめ)他にも...『化物大江山』(
大河ドラマ「べらぼう」の出演者、尾美としのりさんが話題になってるね。オープニングに名前はあるけど、ドコで出てるのかわからないって。オイラも見てると忘れちゃうけど、終わってからそぉいや名前あったよな…ってね。調べると、お蕎麦屋さんのお客さんでいたりとか、ただ主人公の前を通り過ぎたりとか…。言われてもわからんて…。メインどころをまた雑に使うね…。平沢常富さんよ?朋誠堂喜三二さんよ?当時一番の戯作者よ?これから思いっきり物語に関わってくる方よ?一話以外はず~っと出てるみたいだけど、セリフは
世界に誇れるエンタメ・プロデューサー、粋で鯔背な蔦屋重三郎の一代記。貸本屋だけではなく地本問屋の株を買って自ら版元として吉原・江戸の町で勝負に打って出るのだ!大田南畝、恋川春町、朋誠堂喜三二、山東京伝、曲亭馬琴、喜多川歌麿、東洲斎写楽たちと過ごした太くて輝いた人生。名うての戯作者や絵師たちとのやり取りから、蔦重は毎日が忙しくともさぞかし生き生きとして楽しかったろうと思うよ。<目次>序章吉原、燃える第一章ここから、始める第二章版元に、なる第三章荒波を、渡
皆様、こんにちは。本日は新しい年、初めての皮膚科受診(>_<)明日は七草がゆの日だし、一粒万倍日ですからね。預金口座を開くにはもってこいのお日和だけど、病院通いにはまったくもってふさわしくないかもしれない。ということで、明日の受診を繰り上げました。さて、昨夜は新年度の大河ドラマの放映が始まりましたね~。私は再放送視聴派なので、観てはいないんですが、、、今年も出来れば観たいなとは思っています。江戸時
京伝鼻は、江戸の戯作者・山東京伝の作品の登場人物の特徴的な鼻。だんごっ鼻。京伝の代表作「江戸生艶気蒲焼(えどうまれうわきのかばやき)」。文も絵も、ともに京伝が書いている。。京伝は、この作品の軽佻浮薄な主人公・艶二郎の鼻をだんごっ鼻で描いている。京伝自身は細面で鼻筋が通った様相だったらしいが、自身の作品の中にこのだんごっ鼻の人物を多用した。このため、こうした形の鼻を京伝鼻というようになったという。なお、「江戸生艶気蒲焼(えどうまれうわきのかばやき)」は、「江戸前鰻の蒲焼(
今回も大河ドラマを意識した本となりました↓文庫稀代の本屋蔦屋重三郎(草思社文庫ま1-4)Amazon(アマゾン)吉原で生まれたとされる蔦重こと蔦屋重三郎。彼が目指したのは気軽に読める戯作や浮世絵を扱う「地本問屋」で最初に手掛けたのが吉原細見という所謂、ガイドブックのようなもの。吉原の存在の是非はありますが彼の境遇もあって吉原の女性達は単なる商売道具ではなくある意味、思慕を感じる存在となっていて”女郎”ではなく大切な意味を込めて”上臈”と呼んで
朝井まかて『秘密の花園』読了。自立するほど分厚い本で、古文・漢文混じりのような文体、馴染みのない漢字や語句はかながふっていないと読めないけれど、初出でかなをふると以降は無いので、音でなく字面で認識するしかない。これは読了するのだろうかと思ったほど難しい。曲亭馬琴というのは馴染みがなくて、中学校の文学史では滝沢馬琴と習ったと思う。放蕩の果てに戯作に己の道を見つけるも武士の誇りを捨てず、町家に婿養子に入っても滝沢の姓を名乗り、お家再興に生涯尽力する。その生き様、戯作者としての書き様は凄
死に臨んで、和歌を詠むことを辞世の句という。江戸時代、戯作者と呼ばれる人たちは、小粋な辞世の句を残している。筆者も辞世の句でも残して、この世とおさらばしたいが、そんな才覚もないので、何首かかこの偉人の辞世の句を紹介する。「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」大田南畝「善もせず悪も作らず死ぬる身は地蔵笑はず閻魔叱らず」式亭三馬「この世をばどりゃぉいとまにせん香の煙と共に灰左様なら」十返舎一九「執着の心や娑婆にのこるらんよしのの
ウクライナとロシアの現状、反応などに関して、色々と思うところ、書きたいことはたくさんありますが、ここは戯作者ブログとして触れないでおきましょう。「今こそ蜂起せよ、赤軍の末裔達」という願いのみを北西の地に送ります。芥川賞作家の方々の処女作を読んでおります。これを読み終えたら、そろそろ野矢茂樹先生のご高著を拝読して感想をメールしないと。
#stayhomeを漢字で書くと、#江戸時代の#戯作者っぽくなるので、いろいろ肉付けしてみた。#化政文化の頃だから、#十辺舎一九とか、#式亭三馬とか、あの辺りの人物という設定。巣亭放無(すていほうむ)安永6?(1781)〜文政4?(1821)江戸時代の戯作者。日向国諸県郡志和池郷の出。本名・谷垣次郎左衛門。生活に困窮し、「家から放り投げるものも無い」ことへの自虐から「巣亭放無」を名乗る。弟子の巣亭日阿が書いた「枕餅嘆花見(まくらもちなげきのはなみ)」が当時の幕府の逆鱗に触れ
山東京伝は江戸時代を代表する人気作家の一人で、「江戸生艶気蒲焼」や「通言総籬」と言った洒落本や黄表紙を生み出した売れっ子であった。ただ現在とは違い、この時代においては売れっ子作家と言えど大して儲からなかった。そもそも原稿料が安かったし、当時の技術では本を大量に刷ることが出来なかったからである。そこで、京伝は副業を持っていた(と言うより作家が副業だったのかもしれないが)。彼は京橋の木戸際(現在の中央区銀座一丁目)に「京伝店」と言うきせるや紙煙草を売る店を開いた。ちょうどこの時代は錦などで作