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オデッサの階段┄タンカ館さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me
【今回観た映画】戦艦ポチョムキン(1925ソビエト連邦)ターミネーター:ニュー・フェイト(2019米)バンクシー抗うものたちのアート革命(2020英)だれの椅子?(1968日)沖縄を変えた男(2016日)ベン・ハー(2016米)ラ・ジュテ(1962仏)鴨川ホルモー(2009日)ホワイトハウス狂騒曲(1992米)デッド・カーム/戦慄の航海(1989豪)戦艦ポチョムキン★★★☆☆1925ソビエト連邦。75分。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督・脚本(共同)・出演。アレクサ
セルゲイ・エイゼンシュテインさんセルゲーイ・ミハーイロヴィチ・エイゼンシュテーインロシア語:Серге́йМиха́йловичЭйзенште́йнラトビア語:SergejsEizenšteins)1898年1月10日生まれ、1948年2月11日、50歳没。ロシア帝国領リガ生まれの、ソビエト連邦の映画監督。リガ市立実科学校、ペトログラード土木専門学校建築科へと進む。1918年、赤軍に入隊し、アマチュア演劇に携わる。復員後は一時参謀本部アカデミーにて日本語を学び、
部屋に戻る途中今日は開いていた図書館で、リサイクルに出されていた本を貰い車庫のライトを土台に巣を作るツバメを見て帰宅お昼はカレーにうどんを合わせましてカレーうどん、サラダ美味しかったよ食事前に少し読書そして映画鑑賞レイモンド・カーヴァーは読んだこと無かったアメリカの作家短編が多く、詩も書かれているようです一編を公園で、もう一編を部屋で読みました割と相性良さそうです映画鑑賞はしばらく日本映画が多かったので、そろそろ外国映画に舵を取ろうと思い立ちならば気持ちをグイッと
「戦艦ポチョムキン」(英語名:BattleshipPotemkin)「戦艦ポチョムキン」全編(日本語字幕)1925年12月24日ソ連公開。ソビエト連邦制作の傑作サイレント映画。監督:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン出演:アレクサンドル・アントノーフ、グリゴリー・アレクサンドロフ、ウラジミール・バルスキーあらすじ:軍隊の度重なる敗北にともない、ロシア国内には、労働者ゼネスト、農民の暴動、従属民族の反乱が相次ぎ、革命の気運が漸く軍隊の内部にまで高まって来た一九
『戦艦ポチョムキン』Броненосец«Потёмкин»BattleshipPotemkin映画無声75分版・68分版現存白黒1925年12月24日ソビエト社会主義共和国連邦モスクワ国立ボリショイ劇場上映昭和四十二年(1967年)十月四日日本公開製作国ソビエト社会主義共和国連邦製作言語ロシア語製作会社ゴスノギ第一工場脚本セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン編集セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン脚本ニーナ・ア
スマホを持って十余年。先日初めて、スマホの画面を割った。階段を上っていたらエプロンのポケットに入れたスマホが、どういう訳だかポロリとこぼれ、回転しながら落ちていった。私は絶叫した。買い替えたばっかりなんだもの。画面保護のガラスフィルムが身代わりに割れたので、本体は無事だった。フィルムは貼った方が良い。貼ってて良かった。剥がすのが恐ろしい割れっぷりであった。新しいフィルムを貼り替えながら、昔こんな様なの見たなと思った。映画「アンタッチャブル」の乳
わたしを構成する映画3選まず張芸謀(チャン・イーモウ)監督[中国]の『あの子を探して』これはオススメ。1時間に5回泣いて6回笑えます。最後はハッピーエンドでいい気分*********************************『戦艦ポチョムキン』(セルゲイMエイゼンシュテイン監督[ソ連])というロシア革命の映画(無声映画)で“世界史上最高の名画”の上位にも選ばれている作品興味のある人はググってください。***********
『物語ウクライナの歴史』(黒川裕次、中公新書)。しっかりした内容の本である。チャラチャラは読まない方がよい(再び、失礼!)。前回、「(ウクライナは)地政学的な要所である」と書いた。「西欧世界と、ロシア(アジア)を結ぶ通路であり、地中海への玄関口ででもある(→それゆえ、ロシアの侵略が続いている。)」とも記した。地政学というのは小生不案内であるが、藤井厳喜先生の著書その他で最近少しは分かるようになった。その地政学上の要所であるが故に、西欧とロシア(とくに後者)にウクライナは翻弄さ
復活の御近所探検隊・ウラヨコハマ編いよいよ浜辺へシリーズ第二十三弾さて、今回は、いつもとはちょっと違う始まり方でございます。何故なら、今回は友人のゴジラ博士(仮称)を伴っての探検なのでありまして、つまりは、いつもの現地までも徒歩(たまにチャリンコ)、現地からも徒歩…といったひとり探検ではないので、今回は、現地へは電車での移動なわけであります。なので、いつもは撮らない最寄駅・鶴見駅構内を改めて撮ってみました。ちょこっと拡大。そこに
大阪へ出かける前の話になりますけれど、NHK『映像の世紀バタフライエフェクト』で取り上げていた映画とプロパガンダのお話はなかなか興味深いものでしたですね。ナチス・ドイツが映画をプロパガンダに使ったことはよく知られていますけれど、ナチスの宣伝相ゲッペルスに「映像の利用価値」というヒントを与えたのが、ソ連のセルゲイ・エイゼンシュテインの撮った『戦艦ポチョムキン』であったとは。ナチスといえば、反共であるはずなのに。さらには、エイゼンシュテインがこの映画で試みた「モンタージュ」と言われる手法のヒ
アメブロはしばしばこういうおせっかいをする。「○年前の今日あなたが書いた記事がこれです」と言って、わざわざ過去記事を思い出させてくれるのだ。今回引っ張り出されたのは1991年にオデッサ=オデーサを訪れたときの写真から始まる100選19番目の記事だ。掲載は4年前の今日ということだが、え?そんな最近だったけ?と意外な気がした。当社比では31年前って感覚だったんだろうなあ。オデッサは私のような者には特別な地。エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」この街から港を望
雨☔️本日はコインランドリーへ👕洋画ベスト150🎬カバーイラスト・安西水丸1位「天井桟敷の人々」(‘44)2位「第三の男」(‘49)3位「市民ケーン」(‘41)4位「風と共に去りぬ」(‘39)5位「大いなる幻影」(‘37)6位「ウエスト・サイド物語」(‘61)7位「2001年宇宙の旅」(‘68)8位「カサブランカ」(‘43)9位「駅馬車」(‘39)10位「戦艦ポチョムキン」(‘25)20代の頃、レンタルビデオ屋をハシゴしながら上記の作品を探してまわ
中年の研究ー中年をどう生きるか目次はじめに第1章ようこそ中年へ(1)中年はいつ始まり、いつ終わるのか/私が中年を意識した頃/中年の始まりは40歳前後とは限らない/35歳が中年の始まり?/25歳の娘の眼からは52歳の私は高年!/苦肉の言葉?中高年/「中年は伸縮自在な年齢」その理由/(2)中年という言葉は、いつ、どこから生まれてきたのか/“俵かつぎ”対抗リレーで壮年団が与えた感動/「中年の魅力」という言葉を耳にしたのは昭和30年代~40年
名作だと思う映画は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう七人の侍の日名作だと思う映画?好きな映画でもあるのですが以下の3本製品版のDVDを買ってしまいました********************************まず張芸謀(チャン・イーモウ)監督[中]の『あの子を探して』ですね。これはオススメ。1時間に5回泣いて6回笑えます。最後はハッピーエンドでいい気分*************
みんなの回答を見る去年の今頃は階段にハマってたのね。2020年の晩秋ぐらいから何故か階段にハマって近くの階段を探して歩いたり走ったりで登ってた。去年の今頃の前後はやはり風が強くてロードバイクはあまり乗ってなくてウォーキングと階段登りばっか今年も同じ感じだがどうもいまいち調子が悪くて体が重い少し太って本当の重くなったのもあるがなwwwところでオデッサの階段だが去年、有名な階段ということで書いてたが1年後にまさかウクライナがこんなことになるとはむろん思ってもみなかった。
ウクライナ情勢だが、最近はオデッサの名前も出てきた。オデッサというのは黒海沿岸にある港湾都市で、個人的には港湾都市というより保養地としてのイメージが強い。ちなみにウクライナ第3位の大都市だそうな。そしてオデッサという街の名前を聞くと思い出すのが、映画「戦艦ポチョムキン」(監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン)である。その「戦艦ポチョムキン」にはショスタコーヴィチの音楽が使われ(とはゆーても、いろんな「版」があるみたい(^^ゞ)、なかでも交響曲第5番「革命」は強烈な印象
今回の通信句会に投句されていた、どなかかの一句東欧にえにしはなくも◯◯◯というのがあった。日本人にとって、ウクライナは遠い存在だった。えにし・・・縁のある人は極少数だと思う。でも今回のロシアによる侵略でテレビでは毎日ウクライナ情勢が報道されている。みんなが心にかけている。私もウクライナに「えにし」はないが、わりと早い時期から俳句に読もうと思った。そこでまずGoogle先生のもとウクライナの学習。ウクライナの魅力を探る。観光地として有名な場所は?どんな植物がある?民族衣裳
ロシア・東欧における帝政ロシアを内部から崩壊させるという極秘のたった一人の諜報謀略活動を展開して大日本帝国に勝利をもたらし、今なお護国の鬼となって第七代台湾総督のまま台湾に眠る陸軍大将・男爵明石元二郎閣下に深く敬意を表して令和四年三月三十日西村眞悟我が国の歴史を振り返れば、日本を救う世界史的事件が、筑紫の国福岡において二度起こっている。その第一は、博多に押し寄せた蒙古軍との戦いである。即ち、弘安四年(一二八一年)、ユーラシア大陸全域を支配するに至ったモンゴル帝国・元の
ヘッダー画像のチューリップですがその後こんな風になっています。あとから出た脇芽がひょろひょろと伸びて2本の茎が交錯しています。これからどうなるのかしら?連日のウクライナ情勢にわたしの想いも交錯しています。これからどうなるのかしら?ポーランドなどに避難するウクライナ人々の通過点や滞在地となっている西部の町リビウ。リビウ(ウクライナ西部)の町の広場の石畳の上に並べられた、109台のベビーカー。からっぽ
クリミアは映画「戦艦ポチョムキン」の舞台。1925年作、エイゼンシュテイン監督の代表作で、かつ、映画の歴史にも残る傑作。1905年、ロシア・黒海、クリミア半島のオデッサ。戦艦ポチョムキンで、水兵の反乱が起きた。それは、自分たちが食べる肉に虫が湧くほど痛んでいたから。その事件はそれで終わらず、反乱に同調する市民が集結。それに軍隊が発砲、有名な「オデッサの階段」の場面に。そして、共産主義社会を賛美するような終わり方。その階段の場面。この動画は以前の物なので、
大仏師・山高龍雲謹造老木黒奇楠水月観音像敦煌莫高窟魂が宿った水月観音像樹脂化年齢約300年時代鑑定書付き(奇楠・伽羅)303Amazon(アマゾン)68,400,000円牛肉ブロックサーロイン仙台牛特選A5ブロック肉1kg国産黒毛和牛ステーキ鉄板焼きお取り寄せグルメ冷凍クール便お届けAmazon(アマゾン)16,000円キエフ大公国の全盛時代に建設され、政治文化の中心的役割を果たしてきた「聖ソフィア大聖堂」に足を運んだ。高さ76メートルの鐘楼からは、
↑↑↑ご存知、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の映画「戦艦ポチョムキン」。階段から転がる乳母車のシーン、映画「アンタッチャブル」の駅の階段のシーンはこれをぱくったものですが、アメリカ映画は、必ず乳母車の赤ちゃんを助けるものでございますが、ソ連が作ると、映像はそれっきりですわね。この映画をとってもいい映画だと褒める方がおられます。確かに、すごい映像でございます。でもね、ソ連の国家予算を導入すりゃ、何でもないことでございますわ。エイゼンシュテインの才能は、私のロシア
三浦秘書「不在」の二週目。寂しさは、ここまで、だ。青山繁晴@aoyamashigeharu難行苦行でしたが・・・収録しました|青山繁晴の道すがらエッセイ/OntheRoadhttps://t.co/Hh0Z8MLmCP2022年03月01日17:06青山繁晴@aoyamashigeharuウクライナ3本と、中国1本です|青山繁晴の道すがらエッセイ/OntheRoadhttps://t.co/tasv047gcV2022年03月01日17:48青山繁晴@aoyama
OdessaUkraineウクライナ・オデッサにある階段。PotemkinStairsポチョムキンの階段戦艦ポチョムキンの映画によって有名になったためにポチョムキンの階段と呼ばれる時代もあった。PrimorskyStairsプリモルスキーの階段プリモルスキーの階段というのが公式名称ですが、ポチョムキンやオデッサの階段という名称でもウクライナ人はわかります。SergeiEisensteinセルゲイ・エイゼンシュテイン1898.1
ウクライナ軍予想以上の抵抗、南部戦線では攻勢に出て空港奪い返したとの報道もあった。ウクライナの海運、オデッサは黒海への玄関です。ロシアはこの港を攻めてくるでしょうが、簡単には陥落は無いと思う。2015年7月どっぽはオデッサに行きました。オデッサの市街地は高台の上です。港へは約200段の階段を下ります。高台から見たオデッサ港オデッサの階段で有名です。戦艦ポチョムキンという映画で乳母車がこの階段を転げ落ちるシーンがありそれ以来この名前が付けられました。
戦争が始まっちゃったんで思い出した。この映画を100選に入れないって法はないよな。忘れてたんだ。きみに贈る映画100選No.120暁の七人1975UK+USAプーチンは、ウクライナを占領する気はないと言ってる。そりゃそうだろ。ソ連はポーランドやチェコをまるっと征服したりはしなかった。親ソ政権=ありていに言えば傀儡政権さえ樹立できればそれでいい。今回プーチンが欲しいのはそこまでだ。そもそも本格的に戦争をする気なんかない。それが分かっている
今まで述べた国以外の映画について見てみよう。欧米以外の国の映画はほとんど上映されなかった。商業的に成功しないからだろう。外国映画祭で受賞したような作品がたまに掛かった。あらゆる動画が見られるネット時代の現在と比べると信じられないくらいである。映画大国インドの作品もなければ、数々の名作を生みだしたイランの作品もなかった。中国も同じで、当時毛沢東思想の共産主義国家ゆえ、映画が輸出されることがなかった。例外作品はイデオロギーの宣伝が全面に出ていた。アフリカ、中南米、オセアニアの国々の