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真珠湾の戦艦アリゾナ撃沈を生き延びた最後の1人、ルー・コンターさん死去真珠湾の戦艦アリゾナ撃沈を生き延びた最後の1人、ルー・コンターさん死去旧日本軍がハワイの真珠湾攻撃で撃沈した米海軍艦アリゾナの乗員だったルー・コンターさんが1日、米カリフォルニア州の自宅で死去した。102歳。1177人の犠牲者を出したアリゾナ撃沈を生き延びた最後の1人だった。www.cnn.co.jp
ワシントン海軍軍縮条約後、戦艦の新規建造は禁止されました。そして、戦艦の保有トン数の比率は、米:英:日=5:5:3と決まりました。1930年のロンドン海軍軍縮条約で、米英日の戦艦の保有隻数は、米国が15隻、英国が15隻、日本が9隻になりました。日本は「比叡」の主砲数を減らし、装甲板を外して、練習戦艦としました。米国は15隻にするためにワイオミングを練習戦艦にしました。01アーカンソーBB-331912年9月17日竣工ワイオミング級戦艦2番艦305mm50口径連装
昨日、12月8日は太平洋戦争開戦日でした。日本海軍機動部隊の艦載機が、ハワイオアフ島パールハーバーに停泊中だったアメリカ海軍太平洋艦隊を攻撃し、多数の艦船を撃沈破した事から始まりました。宣戦布告が手違いにより通告遅れした事から、アメリカ側では不意打ちの攻撃だったと言われています。また、航空機より大艦巨砲主義を重視していた日本海軍において、アメリカへの最初の一撃が航空機による攻撃だったのは、何という皮肉でしょうか。ハワイオアフ島パールハーバーに停泊している記念艦の元戦艦ミズーリ
こんにちは野引香里です。ここハワイでは12月7日は真珠湾攻撃の日です。日本がパールハーバーに攻め入った日ですね。数日前、20年以上ぶりにパールハーバーを訪れました。記念館になっていていくつかの施設があるんです。こちらは戦艦ミズーリ。たまたまミズーリに着いたときに日本人のツアーのかたがたと一緒になってガイドさんがよければ一緒に、ということでとても詳しくお話をうかがうことができました。このミズーリは最後の戦艦だそうです。というのも、このあとの戦争はミサイルでの攻撃に主軸
太平洋戦争開戦の日(日本時間1941年12月8日、ハワイ時間12月7日)、日本機動部隊(空母6隻)から発艦した艦上機350機が、オアフ島真珠湾を攻撃しました。戦艦アリゾナは二列に停泊していた戦艦群の陸地側にいたので、雷撃を受けてません。しかし、水平爆撃で800キロ爆弾が火薬庫付近に命中し、誘爆により、船体が折れて沈没しました。写真1下が戦艦アリゾナです。上が戦艦ミズーリです。写真2表1船体が折れて沈没したアリゾナを跨ぐように白亜のアリゾナ記念館が建設されました。戦艦ミズーリは
東京都の私立認可保育園に勤務する保育士です新型コロナウィルスが起こる前は、この時期、ホノルルマラソンにエントリーしていました今年は、ハワイに行かれるかな?と思っていたのですが、円安と、飛行機の燃油サーチャージと物価の高騰でちょっと無理と断念しましたそして、この時期に重なるので思い出すことがありますそれは・・・日本時間の1941年12月8日は(ハワイ時間は12月7日)ハワイ州オアフ島の真珠湾を日本が攻撃した日。今年で81年だそうです。
行きたい街の写真見せて!ハワイ諸島オアフ島のホノルルは、まだ行ったことがなく、一度行きたい街です。ワイキキビーチに行きたいわけじゃありません。ホノルルマラソンに出たいわけじゃありません。真珠湾を遊覧飛行機から見たいと思ってます。太平洋戦争は、1941年12月8日に始まりました。日本時間12月8日未明(ハワイ時間、7日午前8時少し前に日本空母機350機による真珠湾奇襲攻撃が始まりました。赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の6隻の空母から発艦しました。在泊していた戦艦8隻が主たる攻撃対
今年は日米開戦80年ということで、各放送局も取り上げていたが、NHK特集は市井の人々の日記を集めAIで書かれた言葉を集計するという番組でした。開戦時まで人々の気持ちがどのように変わっていくかとても興味をひきました。日中戦争が始まっていても、フラダンスを楽しんだり洋食を楽しんだり、街にはカタカナ言葉が氾濫していて、幼子を抱いた若い母親は「ママですよ!」と、開戦前年でもそんな雰囲気だったとはそして三国同盟を結んだドイツの快進撃あたりから雰囲気が変わってきた。一般の人でもアメリカと戦っても
真珠と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、日本海軍空母機動部隊による真珠湾攻撃です。日本時間1941年12月8日、ハワイ諸島オアフ島の北230浬で、6隻の空母から第一次攻撃隊183機が発艦しました。次いで第二次攻撃隊167機が発艦しました。真珠湾に在泊中の戦艦8隻ほかに大小の損害を与え、オアフの航空機の大半を撃破しました。しかし、米空母2隻は不在でした。また、海軍工廠や450万バーレルと言われた石油タンク群を攻撃せずに機動部隊は日本本土に引き上げました。1945年9月2日、全権大使重光葵は
6月19日の出来事1333年(元弘3年/正慶2年5月7日)倒幕に転じた足利高氏らの攻撃により六波羅探題が陥落。1419年応永の外寇。李氏朝鮮軍が対馬に上陸。1816年セブン・オークスの戦い。カナダで、毛皮交易をめぐり交易会社2社が戦闘。1821年ギリシャ独立戦争:ドラガシャニの戦い。フィリキ・エテリアがオスマン帝国に破れ壊滅。1846年公式な記録に残る史上初の野球の試合がニュージャージー州ホーボーケンのエリシアン球場で行われる。1846
今日は雨だし昼過ぎから歯医者で神経殺し、、、よって作業はちょいとだけ後部マストの電飾スイッチを右舷クレーン下に設置。クレーンブーム下は危ないのでクレーン設置前に!後から何かで隠すか同色塗装します。iPhone撮影ではかなり濃いめの汚しに写りますな、、、クレーンブームが艦尾に向いてますが、本来航行時は全て前を向いてます、、、資料ではこれもあと一歩で完成ですが、、、色々とパーツが置き配されてるようなんで気分はあっち!
『いしぶみ・広島二中一年生全滅の記録』から始まる終わらない物語■前回のアリゾナ記念館訪問の続きです。大理石の壁面に刻まれた1102名の戦死者の名前、名前、名前。実をいうと、私はほとんど正視できませんでした。責められているような気がしたのです。いつもは陽気ムードの欧米の観光客も、墓所である記念館ばかりはおとなしく、しかも案内人は海兵隊員ときています。なんとも言いようのない気分に陥らざるをえなかったパールハーバーでした。で、今回のブログはほとんど連想ゲームの様相になっ
『いしぶみ・広島二中一年生全滅の記録』その後の話■昨日、読んでは泣き、打っては泣きながら仕上げたブログ。まったく、なんてことよ。こんな話知らなかったよ…と、アップしたあとぼんやりしていたら、電話が鳴った。知人だった。「もしもし、あのね~。今お宅の前に来ているのよ~(笑)」ええっ、そんな、突然すぎる!でも、ちょうど野菜が切れていて菜園に行こうとは思っていた。「あ、菜園でお話しましょう。歩いて2分。すぐそこよ。春菊が盛りなのよ。持って帰って」というと「わあ、うれしい
30年ぶりのハワイで唯一行こうと思っていたのが「真珠湾」でした。1941年12月7日(日本時間では8日)の「リメンバーパールハーバー」の真珠湾です。5:50にツアーバス乗り場で集合です。まだ真っ暗です。いくつかのホテルを回ってツアー客をピックアップして真珠湾に向かいました。高速道路を飛ばして約40分、やっと夜も明けた頃に真珠湾に到着です。真珠湾はアメリカの軍事施設ですので、それなりのチェックがあります。沖縄と一緒で、普段はリゾートと思っていても本来の機能は軍事基地なのがハワイです
22歳モデルが東大の講義で学んだ真珠湾攻撃、そして太平洋戦争現代ビジネス戦争に関する学習だけでも、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争……など、様々な歴史を学んできたと思います。しかし、そんな歴史の...真珠湾攻撃映画にも登場した練習機加西で展示へ神戸新聞第2次世界大戦中の米軍や、戦後に海上自衛隊などで練習機として使われた「SNJ」(別名T-6)を、兵庫県加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡近くで展示する..豪遊、倒産、麻薬密売…伝説の車「デロリアン」
真珠湾にあるアリゾナ記念館は、真珠湾攻撃で爆沈した戦艦アリゾナをまたぐように建てられました。また、戦艦ミズーリが記念艦として保存されています。1945年9月2日、東京湾に停泊するミズーリの艦上で、日本側全権大使重光葵が降伏文書に調印しました。日本では8月15日を終戦の日としていますが、国際的には9月2日が第二次世界大戦の終結の日とされています。オアフ島の真珠湾に行けば、開戦の日に撃沈されたアリゾナと、降伏文書に調印したミズーリの両方を見ることができます。また、軽飛行機からオアフ島、真
パールハーバーに到着です。まずは受付で予約の確認。事前予約は午後1時でしたが、運良く30分後の枠に空きがあったので予約変更。日本語オーディオガイドを借りて、まずは映画を観ます。映画は真珠湾攻撃と戦艦アリゾナについてのドキュメンタリーですが、日本をただ責める内容ではなく、真珠湾攻撃に至る経緯を淡々と説明し、戦艦アリゾナの悲劇に触れるものでした。この地で両国の歴史を振り返ると、ヒロシマ・ナガサキでも感じることですが、多くの人の許しと努力によって、二つの国の友好関係が築かれているのを実感します。
ラグーンドライブでの撮影会を終え、次の見学場所へやって来ました。マイクロバスで走ること15分ほどで到着したのは・・・パールハーバービジターセンターです!日本人には馴染み深いこの場所は、オアフ島における有名観光スポットのひとつになっています。入場すると、まずは日本語の音声ガイドをレンタルして、その後しばらく自由行動になりました。キレイに整備された公園ですね。あの橋は後で渡ります。向こうに見える施設へも
真珠湾攻撃がなされたパール・ハーバーを見てきました【日帰りハワイ番外編】10/1-101
ハワイ5日目はパールハーバー見学ツアーに参加しました。これまでで一番集合時間が早く、なんと5:30にヒルトングランドアイランダー集合です。本当に早い。でもこれには訳がありまして、見学の最初に船に乗って沈没した戦艦を見学するというのがあるのですが、定員があるため、早い便をゲットして待ち時間を少なくするためにちょっとでも早く行って初便をゲットするためと説明がありました。今回同じツアーに参加したのは9名。全て時間までに集合されており、ガイドさんから”今日のお客様は優秀です”とのお褒めの言葉
ハワイに来て日本が第2次大戦で戦術的に大成功!戦略的に大敗北の原因になったパールハーバーに行かないとね朝の早くから真珠湾観光案内所に行きましたパールハーバービジターセンターAM7:40に着くとまだ駐車場も空いています米軍基地の一部のようであらゆるバックが持ち入り禁止で全面禁煙です荷物置場が右手の方にあります外で預けて必要が有れば中にも窓口があります荷物置場荷物置場は荷物一つに$3です二つのチケットインフォメーションがあり右
私たちは“仮想現実の世界”に生きている!4)『歴史は勝者が作る』今も生きている歴史の中の“ウソ”⑰それでは、アメリカが創作した“壮大な虚構の歴史”の中のいくつかの重要な問題点、即ち重要な“ウソ(虚構)”について見ておきたいと思います。第一に、真珠湾攻撃についてです。これが、日本による宣戦布告なき“卑怯な騙し討ち”とされ、その“卑劣さ”を、ルーズベルト大統領が最大限に利用して「真珠湾を忘れるな(RememberPearlHarbor!)」の掛け声とともに、戦争反対であった大多
昨日からハワイ入りをしている友達今日のハワイから届いたお便りは生徒さまではなくお友達です2回目のハワイということでオアフ島でのおすすめの観光を聞かれたのでいくつかピックアップ彼女も私も歴女なので1番に訪れてほしいとお願いしておいた場所がアリゾナ記念館早速到着と同時に訪れてくれたようです先月23日に沖縄慰霊の日で平和の詩が読み上げられていましたね。戦艦アリゾナも第二次世界大戦時1941年12月8日の真珠湾攻撃で沈んだ、戦艦アリゾナの真上に建てられた慰霊施設です。戦艦内には今で
こんばんは目が覚めちゃった(笑)ただいま4時今日は父と母とパールハーバーに行ってきました。たまたま今現在使われてる戦艦が港に来てたみたいluckyday。だけど、やっぱりゾッとする…アリゾナメモリアルにもお邪魔して、その下に眠っている戦艦アリゾナも間近で見られました。日本軍の攻撃を受けたアリゾナ。その後は、降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリへ。この写真の後、涙のお話聞きました。暢気に笑てる…そして、昔からしたかった、このタイプの前にならえ。出来た朝の5時30分起き
こんにちは♬ハワイに来たら行きたかった【パールハーバー】色々と考えさせられた場所でした。戦艦アリゾナが沈んでいるU.S.SARIZONAMEMORIAL国旗記念館の中です。この日はかなり混んでいて船でここに来るまでに2時間待ちました(時間予約制)何十年も前なのに未だに船の油が。10時前に行ったのに取れたのはこの時間でした。日本人は少なくほとんど欧米人だったかな。説明も全て英語です。この船でパールハーバーへ向かいました。広島へも行きましたが、やはり国が違えば全
日本軍の奇襲で沈められた戦艦アリゾナの上に作られた追悼施設。パールハーバーの展示施設を見ると「だから強い軍隊が必要なのです!」的な意味合いが強いと感じました。意外にも日本の時代背景と事情説明まであって、山本五十六に至っては「奇襲作戦立案者だが、米国留学経験があり、彼自身は開戦反対派だった。彼の戦術が艦隊戦から航空戦力の時代に入ったことを教えてくれた」みたいな説明がありました。長岡花火がワイキキやパールハーバーで披露されるのは山本五十六が長岡出身だから。
1941年12月7日は真珠湾攻撃が行われた日です。パールハーバー・ビジター・センターです。入場時はカメラ、財布などポケットに入れてバックは持ち込めません。アリゾナ記念館です。白い建造物の下に真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナ号を見ることができます。戦艦ミズーリです。大砲は3砲を備えたものが3台あり、排出量は53000トン。1砲撃つと砲筒が1.2m下がるという威力です。当時は2700人のマリーンが働いていたという事です。近年になって1500人という事でしたが、そ
「錫婚」の記念にと、この度、ハワイに行ってきました。ハワイはさぞ暑いだろうと予想していたのですが、吹く風は実にさわやかで、思いのほか涼しかったです。涼しいにも関わらず、屋内はガンガンに冷房が効いているため、「暑い」という言葉よりも、「寒い~」「寒い~」と連発していたように思います。特に思い出深かった地は「パールハーバー」です。軍事施設のため、ポケットに入るものしか持っていけません。なので、必要最低限のお金とスマホ、ティッシュとリップクリームをポケットに入れて。バスもセキュ
朝ごはんにグリッシーニとサワークリームショートブレッド〜朝からザ・バスでお出かけでーす。運転手さんおてて振ってくれました〜(^_^)/~~~ハワイに来たなら一度は行かなきゃっっバス停降りてすぐのところにあるので有難や〜中へ入るには4ドル払ってお荷物預けます。アリゾナ記念館へは無料のボートで行きます。まだ早い時間だったので、1時間待ちでした。日本語のガイドをお借りして〜$7.5しばしお勉強です。後ほどボートでここへ向
パールハーバーに来ました。ハワイにあることは知っていても場所までは詳しく知りませんでした。ワイキキから、そんなにはなれておらず20~30分くらいの場所でした。少しだけ、Sさんからの説明を受ける。アリゾナ記念館(アリゾナきねんかん、英語:USSArizonaMemorial)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある慰霊施設。1941年12月7日(ハワイ時間)に発生した大日本帝国海軍による真珠湾攻撃で、乗組員1177名のうち1102名が死亡し撃沈された戦艦アリゾナ及びその乗組員を