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『戦後の先行者たち同時代追悼文集』(埴谷雄高/影書房/1984.4.28初版)私の手元にあるのは第2刷であるが、初刷のわずか1か月後の日付。予想外に売れたということか。内容は副題に端的に表れている。埴谷が見送った、戦後文学の旗手たちに対する思い出を綴ったものだ。あえて付け足すとすれば、これは埴谷が創刊にかかわり、敗戦後の日本文学の牽引役となった文芸同人誌「近代文学」のメンバーたちへのレクイエムと言える。メンバーとは次の人々だ。原民喜、梅崎春生、三島由紀夫、高橋和巳、椎名麟三、花田清輝、武
Adagioind-mollcomposedbyHikariOeI'mespeciallyfondofthis"Dminoradagio","Thenightcaprice","EminorSiciliano"and"Snow".IthinkthissecondCDhasbeenimprovedremarkablycomparingwithfirstCD.(私は、特にこのニ短調のアダージョ、夜のカプリース
時折、埴谷雄高の『死霊』を紐解く。今は文庫にもなってるよね。困った時の埴谷雄高。前半は筆が突っのめってカッコイイけど、大病したあとの後半は食い足りない。作者死亡で未完みたいになったけど、本来はもっと壮大な大長編小説を想定していた。釈迦とジャイナの対話、全肯定の釈迦が、全否定のジャイナに論争で負ける。勝ったジャイナは、砂となって消える。言葉なんて根拠がなかった。というようなお話。
■『今夜はひとりぼっちかい?日本文学盛衰史戦後文学篇』高橋源一郎講談社今夜はひとりぼっちかい?日本文学盛衰史戦後文学篇Amazon(アマゾン)2,090円「文学史そのものを小説にする「日本文学盛衰史」の次なるテーマは「戦後文学」。誰にも読まれなくなった難物を、ロックンロールやパンク、ラップにのせ、ブログやtwitter、YouTubeまで使って揉みほぐす。そんなある日、タカハシさんは「戦災」に遭う…。前作の興奮をふたたび」Amazon商品説明より
🌃訪問ありがとうございます梅崎春生は戦後文学の代表的な作家の一人です。梅崎春生「幻化」という記事です。作中の主人公・久住五郎は45歳。当時、基地で航空用アルコールのドラム缶の一つに小さな穴が空いてるのを見つけ、福という部下を含む何人かでこっそりと飲んでいたのは、飲料用アルコールではないので、発覚したら懲罰を受ける。ある夜、したたか酔った福が泳ぎたいと言いだしたので五郎は付き合って海に入ることにした。暗い海で星を仰ぎゆらゆらと海月のように漂っていると、五郎は「何ならここで
列島詩集は1955年3月の第12号が最後になります。1955年7月に戦後日本の「革命運動」の中心にあった日本共産党がいわゆる「6全協」路線を打ち出し、それまでの武装蜂起路線を放棄した年です(武装闘争の指導者であった徳田球一氏は既に1953年に死亡している)。このような時代にあって、政治と文学、社会的運動と文学についての論議も活発になっていたはず。ただ、その論議の場は「列島」においてではなく「新日本文学」。列島詩人たちの多くは「新日本文学」でおおいに論を展開していたようですが、「列島
昨日の通勤時間帯での新宿はかなり「密」でした。あれ?緊急事態宣言って終わったのだっけ?と思ってしまうほど「コロナ前的」人手でした。これは・・・、数週後にはかなりやばいんじゃないか?と思いました。“オリンピック絶対やるからとか、五輪会場には児童生徒を大量動員するから(学徒動員?)とか、ワクチン大量摂取しているから大丈夫”とかの、政府/JOCサイド/協賛企業(ここが一番問題かもしれない)の「五輪だけは別」の姿勢が、なんとなく「では私たちもそれなりに、自由勝手に動きますよ」という「街の気持
「列島詩人」として、その中心に居続けて詩を作り続けたのは、関根弘です。「列島」は戦後日本の左翼文化運動における「党」/「前衛」の方向性を指し示すものとして登場しました。野間宏、壺井繁治、小野十三郎、木島始、安東次男、菅原克己・・・・、戦前に「転向」したり「沈黙」した文化活動家たちが「列島」に集まり、そして「前衛」たる存在をめざしました。『「列島」詩集は、「荒地詩集」が戦後の内なる叫びであるのに比べずいぶんと政治的でした。』日本の「戦後詩」を語るとき、「荒地詩集」とともに欠かせない
「列島詩集」第7号は1954(1954年年1月に発行されています(この号だけ、通し番号ではない「1月号」とされています。心機一転という気持ちがこもっている?)。7号は「詩とはなにか」の特集で、目次(下の写真)にあるように関根弘による長~い「詩とはなにか」という巻頭"論文"があり、それを受けるように「詩の言葉について」(壺井繁治、黒田三郎、岡本潤、大江満雄)があり、その特集を挟んで「風刺詩集」「農民詩集」「労働詩集」「オルグ詩集」「社会詩集」というように分類化た「列島詩人」の作品が掲載
「列島詩集」を読み続けています。正直言って、「列島詩集」は「詩の雑誌」としては、まったく面白くありません。だからか、「荒地詩集」と並び語られることが多い「戦後詩」の代表格とされるのに、Web上の情報はほとんど無く、いまでは忘れ去れつつある「列島」。そんな「列島」をブログで取り上げても、カウントはまったく上がりません。寂しい限りです。語られない、忘れられつつある大きな理由の一つは「(現在読んだときの)つまらなさ」ですが、もう一つは「列島」に参加した詩人たちが、「列島」を語らないから
大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967年)を読了しました。著者の代表作の一つで、ノーベル文学賞の受賞理由ともされる名作です。大学時代に読んだものを、長い時を経ての再読。万延元年(1860年)、四国の森の中の寒村から発生し城下町まで迫った百姓一揆の首謀者の兄を曾祖父とする、蜜三郎(=「蜜」)と鷹四(=「鷹」)の兄弟。「蜜」は親友の奇怪な自死と、脳に障害のある息子の誕生によって、妻とともに絶望の中にいる。そこに、安保闘争に敗れアメリカを放浪した「鷹」が帰国して、「蜜」と妻に四国
【砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに、人間存在の象徴的な姿を追求した書き下ろし長編。20数ヶ国語に翻訳された名作。(「BOOK」データベースより)】世界的に有名な名作ですが今回はじめて読みました。学校の教師である主人公の男は休日を利用して趣味
本日は書籍紹介をいたします。今回取り上げるのはこちら、埴谷雄高『埴谷雄高全集第三巻死靈』講談社、1998年埴谷雄高の代表作『死靈』は、戦後すぐにまず『近代文学』に発表され、その後1995年に第九章が『群像』に掲載されるまで書き継がれ、単行本もいろいろな形で出版されていますが、未定稿まで含めて第一章から最後までをまとめ、一冊にした決定版『死靈』とも言えるのが本書です。これは戦後日本文学を代表する観念的・形而上的小説であると同時に、なかなか類を見ないくらいの奇書でもあると評せ
本日は書籍紹介をいたします。今回取り上げるのはこちら、大西巨人『神聖喜劇』光文社文庫、2002年戦後日本文学の金字塔のひとつとも評される大作『神聖喜劇』も、本書が五分冊の最終巻、いよいよフィナーレを迎えることになります。銃剣の鞘のすり替え問題をめぐるゴタゴタはひとまず決着するのですが、その後も「模擬死刑」事件であったり、物語の最初から主人公・東堂太郎が意識し、確執を繰り返してきた大前田軍曹が引き起こす騒動など、さまざまな出来事に彩られつつ、東堂は新兵としての教育時代を
本日は書籍紹介をいたします。前回の続きで今回はこちら、大西巨人『神聖喜劇第二巻』光文社文庫、2002年戦後文学の最高傑作のひとつとも称される巨編『神聖喜劇』、本書は文庫本五分冊の第二巻となります。補充兵として召集を受け、対馬で教育を受けることになった主人公・東堂太郎の内務班生活も、いよいよ佳境に入っていくことになります。軍隊独特の奇妙な思考法や言葉遣い、そこで出会われる同輩の新兵や上官たちに対する東堂の思弁的な観察は相変わらずで、軍隊的なものの実態について微に入り細に入り論理
宮本正人の「ゆめネットみえ通信」「差別と抑圧に対して芸術は武器になりうるか」への応答はじめまして、三重県松阪市に住んでいる宮本正人と言います。私は、1979年から今日に至るまで、人権運動と何らかの形で関わってきましたが、この「ゆめネットみえ通信」の「ゆめネットみえ」というのは、1996年11月に松阪市で私たちが立ち上げた人権NPOの名前です。(なお、私の詳しい「歩み」については、宮本正人『未来へつなぐ解放運動絶望から再生への〈光芒のきざし〉』明石書店に書いています。)さて、二年ほど前
「トカトントン」の主人公「私」は某作家に手紙を書く。「私」は終戦のときに自決を決意した直後、金槌で釘を打つ「トカトントン」という音を聞き我に返り、生きて帰郷を果たす。けれども、それ以後、「私」が何かを確信したり、決意すると必ず「トカトントン」が聞こえてきて、途端に何もかも馬鹿らしくなってしまうという。「私」はこの身動きできない状況から脱する術を尊敬する某作家に求めるのである。「トカトントン」という音によって「ミリタリズムの幻影」から目を覚まし、辛くも帰郷することができた「私」にとって、
さて、帰宅してしまう前に、書いてしまわなくちゃ。⭐芥正彦さんVS三島由紀夫さん冒頭に続く時代を語る様々を見ながら、その時に十歳だった自分を思いました。ニュースの意味は遠かった。そして、この論争にも、そのとき何歳だったのか、そのとき何を経験したのかを重ねている自分がおりました。映画から台詞をうろ覚えに引用はまことに非礼なのですが、芥正彦さんが三島由紀夫さんとの共通項として〝敵〟を上げておられました。〝曖昧で猥褻な日本〟ああ、と思いました。それを幾つかの戦後
開戦、そして敗戦。印象的と言いますより、昭和にあった転換点としましてはもっとも大きいものと思います。そして、学生運動とその最後あさま山荘事件。これは印象に残っております。合わせて三島由紀夫自決。次の転換点のように思います。それもございまして、この自粛期間で拝見できず残念に思っていますのは、映画「東大全共闘VS三島由紀夫五十年目の真実」でございます。戦後の一面がそこに見える気がしております。三島由紀夫、作品は女子高時代に新潮文庫でコンプリートしました。少年愛全盛期
「るろうに剣心展」2021年に延期、新型コロナ影響でニコニコニュース【女子旅プレス=2020/04/10】10日、漫画『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』(著:和月伸宏)初の大規模作品展「25周年記念るろうに剣心展」が、新型コロナ...疫病の退散願い境内に「茅の輪」特別に設置京都八坂神社NHKNEWSWEB夏以外の季節に設けられたのはコレラが流行した明治時代以来、143年ぶりです。続きを読む.疫病の退散を願う大きな輪「茅の輪」は、かやを束ねて作られた...明
そろそろ秋の夜長なのかしら。もう、かなかなゼミの声も聞こえない。代わりにいつの間にか、鈴虫の声を聞く夜半と相成りました。「敗北を抱きしめて」読んでいるが、読んでも読んでも、まだ終わらない。膨大なデータ、膨大な事実、敗北が浮かび上がらせる人間の姿、、ティーンエイジャーの頃に読んだ戦後文学を、もう一度、しかと読みたくなった。特に坂口安吾の「堕落論」なんというか、、時事性を捉えている目が、しっかりしてるというか、逃げてないというか、、(ごめんね、太宰治.。ハンサムだし、わかりやす
新保祐司氏6月28日、神奈川近代文学館で映画「戦艦大和」を観(み)た。昭和28年6月に公開された作品である。原作は、吉田満の『戦艦大和ノ最期』で、この上映会は、吉田満没後40年を記念して行われた。≪映画「戦艦大和」のラストで≫かねて、『戦艦大和ノ最期』を戦後文学の傑作と考えているので、必ず行こうと思っていた。この名作が、映画化されたことがあるのは知っていたが、まだ観たことはなかったからである。特に、ラストシーンに「海ゆかば」が流れるということを聞いた記憶があって、それを確認したかった
2017年08月11日(金)テアトル新宿映画「海辺の生と死」展示フォトリポート主演:満島ひかり×原作:島尾ミホ「海辺の生と死」島尾敏雄「島の果て」ほか昭和20年夏、二人は小さな南の島で出会った―。戦後文学史に残る伝説的夫婦の愛の実話を完全映画化!―ついていけないでしょうかたとえこの身がこわれても取り乱したりいたしません―http://www.umibeno
∂ぼくの伯父さん長谷川四郎物語ぼくの伯父さん長谷川四郎物語[福島紀幸]4,752円楽天∂デルス・ウザーラの翻訳者としか知らない長谷川四朗ですが、兄の長谷川濬訳によるバイコフの「偉大なる王」も読んでいたので興味を持ち読了した。本人の記述を切り貼りして構成され、注釈も近くにあり、読み易い。巻末には人名索引もある。思わず全集もその後に刊行された数冊も買い求めた。戦前戦後終戦直後の作家の作品が忘れ去れるのがとても惜しく思う。∂内容紹介戦争を敗者と勝者の両面
「今夜はひとりぼっちかい?日本文学盛衰史戦後文学編」(著)高橋源一郎筆者・高橋源一郎の大傑作、明治の文豪をモデル描いた「日本文学盛衰史」の戦後文学編。前作は基本は小説でしたが今作は小説的な箇所は殆どなく、論評と言うかエッセイと言うか論文と言った感じです。取り上げてる作家は井上光春から、野間宏、内田裕也、武田泰淳、奥泉光、角田光代、島田雅彦、平野啓一郎、入江悠、石坂洋次郎など。「戦後文学」というくくりはちょっと大きすぎた印象。明治なら日本文学の黎明期だか
戦前の文学を扱った日本文学盛衰史を読み、青年団、平田オリザの演劇を観た・・・ということで、源ちゃんへの興味はまだまだ続いていてこれも読まにゃあなるまい・・・と8月に出てばかりの新刊を図書館でゲット。戦前篇は多少、わかった感もあった。戦後篇はねえ、なかなかに難しい。もう文学なんて存在しないんじゃないのかっていう源ちゃんの憂いだろうか。後半、2011年の3.11以後の『タカハシさん「戦災」に遭う』は、なかなかに読み応えがある。
73年前の夏、ポツダム会談・宣言され受諾終戦に向けて長い日々が続いたという8月15日の終戦玉音放送に至るまでに多くの重大な決断がなされた、9日に最高戦争指導会議の御前会議が開催されたという本土決戦を主張する陸軍大臣と対立したようだが、ポツダム宣言受諾を主張した外務大臣案を採択したという14日の御前会議でこの戦争を終結することを最終決定した、『日本のいちばん長い日』となるまんがでなければ読む機会はなかったかも知れない終戦直後の昭和文学代表作品戦後文学の坂口安吾『白痴』という作
相方さん投稿。いつもありがとうね🐾こんにちは🍀雑多な雑貨とごはんおおきな木🌳今週の予定です📝8月8日(水)〜10(金)は。15時〜21時(20時30分ラストオーダー)8月11日(祝・土)は。夜おおきな木🌳DAYちょこっと居酒屋🏮🍻です^-^17時〜23時ごろまで〜♪どうぞ、お気軽にお立ち寄りくださいね(*´꒳`*)8月は平和をつよく想う日が続きますね。先日、山口県、祝島の帰り道で。広島に、少し行かせていただきました。広島。私は、初めてで。原爆ドームをはじ
こんばんは単修試験が迫っています勉強できるのは、あと3日間になりました今回は1科目受験です受ける科目は…メディア試験「日本文芸特講・現代(戦後文学から日本を考える)」で学んだ作品から選択して論じます何を選ぶか…大江健三郎「人間の羊」と、村上春樹「沈黙」のどちらにするか迷いましたが、「人間の羊」にしようと思います。戦後の被占領の日本で、日本人が外国兵から受けた暴力、その暴力を傍観していた日本人…その後の傍観者による執拗な言葉の暴力…作者の描写が細かくて、とても不気味です現