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最新有料配信記事日本の政商の歴史(緊縮財政を推進し続けたい人たちの軌跡)~完結編~こんにちは!nfalaboのMCまーさんこと松本虎上(まつもとまさる)です。前回配信の後編記事では、大正期から昭和恐慌までの我が国の政商の流れを、ざっと俯瞰しました。前回配信記事:https://fofoomii.com最新動画よろしければ、↓のどちらでもポチっとお願いします。にほんブログ村にほんブログ
我が國は、二六八二年に及ぶ、世界随一の歴史を持つ國家だ。一万年以上前から續く、世界最古の文明たる縄文文明を土臺として、おそらくいわゆる弥生時代の始まりとともに間もなく、神武天皇の東征を經て肇國となり、現在に至る國家である。しかるに、現在、少なからぬ人が、あたかも今の日本が第二次世界大戰後に生まれたかのような、あるいは、戰後新しい別の國として誕生したかのように錯覚しているかのようにも見える。これは、サヨクやパヨクといった輩ばかりでなく、ネトウヨもともかく、保守、右派を自称する人々さえも、だ。
本年の「八月」は、例年とは違う。元総理大臣の安倍晋三さんが「戦場の兵士のように斃れた」事件があったからだけではない、歴史の大河のようなうねりが、吾に、例年とは違うと思わせたのだ。それは、「米國及び英國に對する宣戦の詔書(昭和十六年十二月八日)の「事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり」を拝読したとき、次ぎに、終戦時の侍従長であった海軍大将藤田尚徳の「回想」に書かれている、昭和二十年四月五日の小磯内閣総辞職を受けて江戸時代生まれ
京都事務所カッキーです。京都では「五山の送り火」が3年ぶりに本来の姿で行われました。ここ2年は、新型コロナの感染対策で規模を縮小して実施されていましたが、今年は全面点火となり、少しずつですが、日常が戻りつつあります。さて本日は、週刊西田が配信されております。ズバッと答える「一問一答」では、『戦後体制(レジーム)の真実。我々は今もなお占領体制の中にいる。本当に大切な日本の姿とは何か?』「戦後体制(レジーム)の真実。GHQの占領政策は前期と後期があり、我々は今もなお占領政策の中にいる。
2019年5月27日トランプ大統領と安倍晋三首相(当時)2019年1月22日ロシア訪問の時の写真中国共産党を危険視し、「中国切り」を始めた米国はワシントンのシンクタンク戦略国際問題研究所の「報告書」で、親中派のドンを幹事長に、工作員のような人物を首相秘書官に置くことを名指しで批判する内容のことを日本政府向けに7月23日に発表し、安倍氏はその方々を排除出来ず、2020年9月に退陣なさっています。突然辞任なさった安倍元総理は明らかに道半でご無念だったと察します。
”Yahoo!ニュース”記事”立花孝志氏「報ステ」退席、音声フェードアウト大越氏「発言は認められません」”より。”NHK党の立花孝志党首が16日夜、生出演していたテレビ朝日系「報道ステーション」を途中で退席した。この日は各党党首が出演して討論。安全保障問題についてそれぞれが意見を述べていた。立花氏は別のスタジオからリモートの形で出演し「本日、お昼過ぎ、テレビ朝日のプロデューサーの方からお手紙をちょうだいしました」と切り出し、「テーマから逸脱する発言は控えていただくよう、お願いいた
戰後日本は、いまだに續いている。昭和二十年からとすると、丸七十年以上續いているのだ。おおむね三世代にもわたり、昭和、平成、令和と、三時代にもわたっている。長い日本の歴史の中では、大した長さではない、という意見もあるかもしれない。確かに、江戸時代の二百六十年余をはじめ、一つの政體が續いた期間としては、もっと長いものも、國史上ではある。しかし、今の戰後體制、長く續いて良いものでないことは、確かだ。本來、ポツダム宣言を受け入れて、軍隊を無条件降伏させることなど、やってはならぬことだった。軍隊
自國は、自國民からなる軍隊を中心に、自國民にて守る。これは、古今東西、獨立國たるものの基本、大原則だ。我が國も、肇國以來、最初は神武天皇直卒の軍が、その後は、天皇を中心に豪簇の軍が、律令制度が確立してからは、防人が、鎌倉時代頃からは、征夷大将軍や執權もしくは太閤といった棟梁に率いられた武士が、明治以降は、大日本帝國陸海軍が、中心となって、國を守ってきた。しかるに、今に至る戰後日本は、由々しき事態となっている。外国すなわち夷たるアメリカの軍隊が、日本に駐留し、守っていることになっているの
皆さんは、ミッドウェー海戦をご存じですか?ご存じない方はコチラで復習^^”ミッドウェー海戦の時から日本の上層部がやっていることは本質的に何も変わっていないのです何を言いたいのか?といいますと多くの人は太平洋戦争で日本は負けてそれまであった戦前の仕組みやシステムが解体されて、戦後にゼロから新しく復興した!と勘違いしています。実際は、現在も戦前の仕組みや体制が残されているのです。例えばマスメディア、上層部、教育制度、土地制度など戦後も解体されず刷
“差別”に持ち込むのも、DSのやり方。事実を隠すため。であるから、事実を知っておくのがよい。
戰後日本における、惡しき風潮のひとつに、歴史・經過の軽視がある。これは、戰後日本の、ほとんどあらゆる方面にはびこっている害惡ではなかろうか。例えば、日本國人の仕事たる、醫療においても、少なからぬ医療従事者が、患者の、現在における状態は詳しくきちんとみていても、生活歴を含む、經過をみないがために、全く的外れなことをしてしまったりすることがある。一時期流行った抗鬱藥の亂用もその一つであるし、當ブログにて繰り返し述べている、ベンゾジアゼピン受容體作動藥による依存症發症も、未來を見ようとしないがために
武漢肺炎の”感染者増”が、喧しく言われる中、東京都が、ようやく、「夜の街」對策に乗り出したようだ。今週からは、保健所職員も警察に同行し、風營法等の現行法を總動員して、對策を強化するという、適切な處置である・・・と言いたいところながら、あまりに遅すぎた。今回の”感染者増”における問題が、「夜の街」關係によるところが大であることは、六月から言われてきたことだ。當ブログでも、繰り返し述べてきたように、その時すぐ、今囘行われるような「夜の街」對策を始めていたならば、今回の”感染者増”は、数的にも低
祝皇紀2680年!令和維新の歌(戦後レジーム脱却の歌)歌詞(ルビつき)1.大和心(やまとごころ)を振(ふ)り起(おこ)し占領体制(せんりょうたいせい)打(う)ち払(はら)ひ亡(ほろ)びの道(みち)を正(ただ)さんと草莽崛起(そうもうくっき)の機(とき)至(いた)る2.人権(じんけん)叫(さけ)んで自己(エゴ)煽(あお)り奴隷(どれい)の平和(へいわ)礼賛(らいさん)し真(まこと)の自由(じゆう)を失(うしな)はん正邪回天(せいじゃかいてん)秋(とき)
現在の医療に使われている”病名””診断名””傷病名”、この扱いは、まあ、酷いものである。今、三つの名称を述べたが、そもそも、この三つの間の区別、関係、こういったことが、そもそも無視されていたり、テキトーに都合よく使われたり、ということもある。例えば、精神化領域においては、大昔の我が國においては、癲、狂、癇という三つの病名にほぼ分けられてきた時代が長かった。明治以降、西洋醫學が入ってきても、正統に発展して来たドイツ精神醫學に従い、精神病は、外因性、内因性、心因性、の、三つの精神病に分けられ、
戦後体制からの脱却とは実に壮大な歴史の回復であり戦後の日本を自己否定する壮挙である。決して容易ではない。しかしこのままでは日本が滅びる。必ず、為さねばならない。(西村眞悟氏)以下、「戦争犯罪国はアメリカだった」ヘンリー・ストークス著より(↑クリックすると書店のHPが開きます。ご関心のある方はご購入ください(^∀^)/)↓こちらの画像は、ハート出版さんのTwitterよりお借りしました。
今日から三連休も。雨なのか昨日の朝、我がボロマンションの建つ寺の境内で、確かに狸を見ました。やはり、居た。狸は私に見られると、まだ遠いのに、さっさと踵を返して隠れてしまった。そこへ向かうと、狸と同じ毛並みの猫が。う〜ん。さっき、あんなに遠くから逃げたのに、ここに堂々と居る訳は無いし、ややこしいな。境内に住み着く猫は、いつも堂々として、絶対に視線を外したりしない。狸が化けたのなら、大したもんだが。いや、まあ、狸は居る。気になって
落合莞爾氏が書いた「平成日本の幕末現象」という本があります。平成になったばかりの頃に書かれた本です。わたしはこの本を読んでいる途中ですが、複雑な感情が湧いてきています。1941年生まれの筆者が、戦後と共に生きてきたにもかかわらず、平成が始まった頃に、日米関係や国際情勢を的確に捉え、日本の対米従属体制を述べ、地名をとってきた幕府名になぞらえて戦後日本を幕府にたとえて「横田幕府」と述べている点に、彼の卓越した情報や情勢分析力といった眼力が表れているように思います。戦後日本人は、1952年4月
様々な本などを読んでいて最近思うのはそろそろ時代が変わるということは、きっと本当なんだということこれを書いているのは4月1日午前3時前くらいで、新元号は未だ発表されていません。日本の元号が変わることは僕にとっては大して重要なことではなくて、自分には関係ないなんて思っていましたが、考えてみれば天皇の生前退位という異例の事態が起こること、そして既に前の話となりましたが前教皇ヨーゼフ・ラッツィンガーも生前退位したこと、やはり時代が変わることを世界は既に認識していたのですね。僕は完全に遅
きょう閣議決定→国会へ提出体罰の()一律禁止は、否!()「児童福祉法」(児福法)と「児童虐待の防止等に関する法律()」(防児虐法)の「改正」案が19日(本日)、()閣議決定の上で国会へ提出。()子供に対する親や児童福祉施設関()係者の体罰を一律に禁ずる旨(むね)が柱。()千葉県野田市に於(お)ける小学4年女子児童の死()(1月24日。父は翌日、傷害容疑で逮捕され其(そ)の後…3月18日に4回目の逮捕)を受けての措置。()()体罰の「一律禁止」と云(い)う当該諸法の改
佳羅研への招待<携帯版>きょう閣議決定→国会へ提出体罰の一律禁止は、否!()「児童福祉法」(児福法)と「児童虐待の防止等に関する法律()」(防児虐法)の「改正」案が19日(本日)、()閣議決定の上で国会へ提出。()子供に対する親や児童福祉施設関()係者の体罰を一律に禁ずる旨(むね)が柱。()千葉県野田市に於(お)ける小学4年女子児童の死()(1月24日。父は翌日、傷害容疑で逮捕され其(そ)の後…3月18日に4回目の逮捕)を受けての措置。()()体罰の「
昭和天皇はかなり先見の明をもっておられた方で終戦の前にすでに次は米ソ冷戦の時代になると予測し、いち早くアメリカ側陣営につくことを決めていた。日本国憲法も原案はたしかにGHQが作成したものだが、昭和天皇は新憲法の平和的姿勢を気に入り伊勢神宮にこの憲法を守られよと祈願されている。それはご自身が軍部の台頭に悩まされ、遂に世界大戦となってしまった苦い経験があったからであろう。また、戦後の保守政権が続いたにも関わらず土下座外交とまで言われた近隣諸国に対する低姿勢な外交方
最近、昭和天皇を調べていて、ある事実に気づいた。それは日本の昭和の戦後体制というのは昭和天皇の意向が強く反映されているという事実だ。一般的には新憲法により天皇は戦後その政治的権限を失い、象徴としての存在になったとされている。しかし、昭和の戦後体制はあきらかに昭和天皇の意向が働いているとしか思えない。昭和の戦後体制とは、平和憲法、日米同盟、土下座外交とまで揶揄された謝罪的平和外交である。昭和天皇はすでに終戦前から次の世界は米ソの二極対立になるだろうと予想さ
「ニューリーダー」2018年3月号より。ーーーー第二次大戦の後に成立した国際連合の本質は米ソ両極体制であった。創設の目的は、端的に言えば、西洋帝国主義から解放されたアジア諸国の安定的発展を軌道に乗せることである。この体制を支えるために考案されたのが日本国憲法の第九条で、米ソ両極体制を保障するために、日本はいずれの側にも軍事加担しないことを宣言したのである。~一部省略~ところが、東西対立が一層激化するなかで、国連体制によって干戈を交えることのできない米ソ両極は代理戦争体制に入ったのである
>>ブログランキングで政治記事チェックor応援クリック戦後レジームのWiki的定義とりあえず考察する前に、例によってWikiから戦後レジームを引いてみたいと思います。戦後レジーム(せんごレジーム)とは戦後(第二次世界大戦後)に確立された世界秩序の体制(ヤルタなど)や制度の事を指す[1]。「レジーム(Regime)」は「体制・政治体制」などの意味で、フランス革命以前の旧体制を意味したアンシャン・レジームなどの用例が存在し、政権交代などにより体制転換が行われることを「レジーム・チェンジ」と呼
https://youtu.be/NYipiMiEcdM我那覇真子「おおきなわ」#14戦後体制には屈しない!オール沖縄・反基地・法廷闘争・中国スパイ
「戦後体制の超克」なる人物のブログから引用した後、次のようなコメントで結んでいる。《第二次世界大戦では日本はアジアの植民地解放の為に戦いました。日本は負けたと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?今、世界に植民地は有りません。戦争の目的は果たされたと思います。》名目上の「独立」のもと、米帝やスターリニスト国家資本主義体制の重圧に苦しめられているアジアの労働する諸個人のことなど、この連中の眼中にはないのである。チベット、東トルキスタンなども、連中にとっては、自分たち
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