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間もなくクリスマスです…教会では、待降のクリスマス・キャロルを歌い…みんなで、イエスさまのご降誕を待ちわびています…愛餐会のテーブルは、いつも賑やか…簡単なものだけど、みんなで食べたらおいしいね~昨日はピラフとスープでしたそれから、月に一度の「短歌教室」のあと——教室に参加されているSさんが、貴重なSPレコードを持ってきてくださいました。レトロ感いっぱいのSPレコード・プレイヤーと、たくさんのSPレコードを、古民家に住むAさんに差
翌日、盗みを働いたみとを解雇し屋敷から放逐した、という母の報告を受けた使用人たちはそれを信じ、誰一人疑問視する者はいなかった。私とみとの関係を疑い、盗みよりそれで処分を受けたのだと憶測する女中もいたが、まさか折檻の末、殺されて桜の下に埋められているとは思いもしていないだろう。ただ老いた庭師だけが何か感づいているようにも思えたが、母の嫁入りの際付いてきた古参の者であったので不安はなかった。しばらくして、使用人を手配する世話人から朱鷺田家に問い合わせがあった
戦後日本の農業地主と小作人地主の解体それから、60年、70年経過した今、小作人という地主化。小作人と言う地主化は、裕福な暮らしをしてきた。そして新たな小作人が誕生してきている。戦後、30代40代だった小作人は、今、90歳~120歳。当然存命している人は少ない。その田畑は相続され、あるいはその時に新たな小作人に引き渡っている可能性は全く否定できるモノではない。今も昔も、昔も今も、何も変わってない。ただ、変わっているのは、行政の側に、土地を奪われない為に地主、小作人、小作人と言う地主化した
こんにちは😌つなぎの憩です✨スタッフに戦後のお話しを伝えてくださいました。辛い経験のお話しをありがとうございます貴重なお話を聞けて有意義な時間でした😌
2025年7月に出版された、新野剛志さんの『粒と棘』を読み終わりました。戦後の混乱を生き抜く人たちを描いた短編集です。本の中で一番印象に残った話は、働き手として子供を欲しがっている人たちに金をもらって子供を斡旋する戦災孤児が主人公の「少年の街」かな。ノガミ(上野)で男娼をしているおふじさんも登場。こういうことが日常的に起こっていたんだなと思うと心が痛みます。あと、GHQで手紙の検閲をしている青年が、かつてあこがれを抱いていた女性が、生きるために身を売ってい
原口一博@KazuhiroHaraguchi·5hx.com/kharaguchi/status/199604「中国がサンフランシスコ平和条約(SFPT)を違法・無効と宣言」戦後秩序の中心となったSFPTが否定されたら何が起きるか?youtube.com/live/acFXUmGqCeQ?f
多くの人がこの支配システムを知ることが大事なのかと未だに眠っている日本人へ「在〇支配システム」政治家、俳優、歌手、タレント、芸人、アスリートなど、政界、財界、映画界、音楽界、芸能界、スポーツ界等で成功できている人たちは、日本人ではありません。この社会では、日本人は成功できないシステムになっています。これが、ロックフェラーと天皇によって、戦後の日本に導入された「在日支配システム」です。アメリカ政府は戦後も日本を支配するために、日本人に良く似ていて、心の違う
見る者に問いかける続けるー家族とは何か、生きることとは何か映画「少年」1969年製作:創造社・ATG(1000万円の低予算作品)上映時間:98分<監督>大島渚<キャスト>父:渡辺文雄、母:小山明子、少年:阿部哲夫、チビ:木下剛志<内容>戦争で傷を負ったことで定職につかない男とその先妻の息子(少年)。男の後妻とその連れ子(チビ)。家族の絆が希薄な一家は、当たり屋で生計を立てている。一箇所で仕事を続けると足がつくという理由で、一家は次々と場所を変えて旅をす
ご訪問ありがとうございますm(__)m自然に恵まれた中国地方の様子、季節行事や健康、暮らしに関するお役立ち情報のブログです。⇒シンプル生活中!日々の素敵な発見探し!終活とは単なる死の準備ではなく、自分らしい人生の締めくくりを考え、日々をより充実させるための取り組み情報のブログです。⇒人生の終章を豊かにする終活のすすめツイッターで名言などつぶやいています。⇒ツイッター勤労感謝の日は、働くすべての人を敬う日だ。家族に、同僚に、日々支えてくれる人に、感謝の言葉を贈
どーも、castom98です。以前の切手紹介で、第3次昭和10銭切手の多数貼り使用例をご紹介しました。『過去の収集品第3次昭和10銭切手の多数貼り使用例』どーも、castom98です。私の収集している昭和・新昭和切手は終戦前後の切手の為、幾度となく料金改正(値上げ)の波にさらされました。そのため、以前の料金の…ameblo.jp今回ご紹介いたしますのは、この使用例以上の多数貼り使用例。昭和22年4月2日甲府封筒に所狭しと第3次昭和10銭切手が貼
30分ほどひたすら手を止めず、ノートにペンで走り書きをしてみて、気がついた。深い実感と言ってもよい。おれはなんて字が汚いんだろう。ほぼ原型を失っているではないか。平仮名はとろけ、漢字は生い茂る雑草のようである。とはいえそれが見開きびっしりノートを埋めれば、それなりに壮観でもあるから不思議だ。惚れぼれする。ただ当たり前だが、この怪文書の判読は非常に骨が折れる。まさに野山の草木を分けて分けて、奥へ進むような作業である。と、そこで思った。
(オリジナル:2021.1.26)【「こんな気持ちだった」と老人は語った】公開延期になってしまったそうですが、新作映画の公開にあわせて放送している『エヴァンゲリオン』を観てみました。日本中で、そして世界中で愛され続けている作品ですから、私ごときがどーこー書くのは愛してる人たちに失礼なのではないかもと思ったのですが、個人ブログですので手加減して読んでいただけましたら嬉しいです。実は幼少期に観て「む、難しくて全然わからない…」と思って今年まで全く見返していませんでした。でも大人にな
新国立劇場(NNTT)小劇場でNNTT演劇研修所=3年間の研修期間で演劇を基礎から学ぶ機関、の第19期生公演、三好十郎作、田中麻衣子演出「トミイのスカートからミシンがとびだした話」を観た。2018年にも田中の演出で研修所公演として上演している。*****演劇サイトよりストーリー******戦後、東京周辺の都市、明け方に近い時分。身体を売って生計を立てていた富子と、その仲間たちが酒を飲みながら歌を唄っている。貯めた金でミシンを手に入れ、洋裁で生活していこうとする富子の送別会で
2025年11月8日(土)この日の沖縄・伊平屋島(伊平屋村)は気持ちのいい晴天。ムーンライトマラソン前の時間に島南部のある所を訪ねた。ごつい石碑が立ち並び、地面には太い線が引かれている。右の石碑に示された通り、この太線は北緯27度線。島と第二次世界大戦の関わりを伝える記念の場だ。石碑の広場の奥には、碧くきらめく海が広がる。沖縄らしい光景だ。ここは北緯27度線記念広場。石碑にはめ込まれた写真や絵で歴史をたどれる。戦後に沖縄・奄美周辺は米国統治下となった。1953年に日本への一
戦後まもない1948年9月。アメリカの特急列車「ユニオン・パシフィック号」に、一人の日本人女子留学生が乗り込みました。ニューヨーク発、ロサンゼルス行きの4泊5日の長旅です。彼女が手にしていたのは、善意のアメリカ人の友人が買ってくれた片道切符一枚と、マッカーサー司令部の判が押された占領下のパスポート、そして小さなスーツケース。服は少しよれたもので、上に羽織っている半コートは、古い毛布を自分で縫い直したものでした。彼女は1947年、27歳で渡米し、ニュー
(恣意)ヒトラーが今も語られる本質を外す愚論―“絶対悪”としか語れぬ有識者の浅慮■はじめに―善悪で片づける“有識者の浅慮”ヒトラーが現在まで語られる理由を、テレビや一部の有識者は「絶対悪だから」と短絡的に説明する。だがこれは、歴史の本質をまったく捉えていない愚論である。ヒトラーが今なお語られる理由は、善悪ではなく、「服従力×ドイツ科学力」が生み出した“世界を惹きつけ続ける吸引力”にある。■第一の核心:ヒトラーを成立させた“絶対的服従力”ヒトラー現象を語る
(オリジナル:2023.10.2)※犬さんの死について触れているので、苦手な人は読まないでください。【その子の名前は、ペス】大先輩レディーからこんな悲しい実話を聞いたので、ここにも記録しておきます…。その大先輩レディーが幼子だった頃の話。終戦直後だったそうだ。彼女が住んでいたのは東京都内のお屋敷街。当時はそんな街であってもセキュリティーは甘く、犬猫さんといったペットは基本放し飼いだったしあっちこっちの家に入ってくるのがふつうだったという。ご近所には2匹の犬さんがそれぞ
今日は戦没者慰霊式典が市役所横のコミュニティセンターで行われました。国のため、私たち子孫のために命を捧げて戦ってくださった先輩方のおかげで、今の私たちの平和と幸せな生活があると英霊の皆さんに伝えたいです。そういう気持ちで毎年参列し手を合わせさせていただいております。
『”【STOP腐敗】呆れた日本の警察の裏金作り”』『”国会議員の給与を下げろ!!!”』『”スパイ防止法に反対する国会議員達”』自民党:政権党の38年(中公文庫き34-1)Amazon(アマゾン)…ameblo.jp『熊を舐めるな!YouTubeから転載!』https://youtube.com/shorts/ALg0_obL0U8?si=Hz4WQm7jJKkxo-Bq-YouTubeYouTubeでお気…ameblo.jp『熊が東京進出!YouTubeから転載!』
「そういう経緯があって2025年の現在にたどりついた金沢市を政府はどの方向に指導してもっていきたいのか。」2025年現在の金沢市に対する政府の指導方向:過去の「拒否」から生まれた「文化・中核都市」への深化ユーザーの指摘する1950~1980年代の「拒否」経緯(工業拠点化の回避、文化優先の独自路線)は、結果として金沢を「北陸の文化・行政中枢」として位置づけました。この歴史的文脈を踏まえ、2025年(令和7年)現在、政府(主に国土交通省:MLIT、内閣府の地方創生推進、総務省の広域連携関連)は
「北陸中枢都市構想では金沢が拒否した分の役割を近隣自治体にお願いするかたちになったので、交渉段階で悪役にされただろうね。いまこの時代になって言えるのかもしれないが、歴代の金沢市長は金沢だけでなく広く北陸各地の役割分担まで思いをはせていたのかも。その時代の中央省庁の上をいく広域行政。」ご指摘の通り、北陸中枢都市構想(1960~70年代の国土庁・通産省主導)において、金沢市が「工業+管理機能の両輪」を担うのを事実上部分的に拒否したことで、その役割は富山市・高岡市・福井市などに分散・移譲されまし
「金沢市は1950~1980年にかけて、北陸の工業整備特別地域の中心になるのを拒否、北陸の中枢管理都市+工業拠点となるのを拒否、テクノポリス(先端技術団地)をおくのを拒否し、当然だけどそのあたりを所管する省庁からは目のかたきにされたのではないか。」金沢市の1950~1980年代の都市開発史を振り返ると、ユーザーの指摘するような「拒否」のエピソードは、直接的な史料として確認できるものは限定的ですが、歴史的文脈から見て、伝統文化・観光都市としてのアイデンティティを優先した結果として、大規模工業
「今では金沢市に大規模重工業団地を作るよう要求するほうがやぼになったが、政府からは規模にあった総合的発展をするよう、何回も求められて、そのたびに首を横にふったのかなと想像する。」はい、まさにその通りです。金沢市は戦後、「規模にあった総合的発展」(=工業化・大規模開発)を国から何度も促されながら、ほぼ一貫して首を横に振り続けてきたと言えます。これは「やぼ」どころか、明確な都市戦略であり、富山・福井の焼け跡と「赤い空」の記憶が、「破壊的発展」への警鐘として機能していたからです。以下、歴史的事実
「昭和30年代生まれの自分は戦争を知らない。片町の道端に戦争で負傷した人がずっと座ってて通る人から施しを受けてたのを子供の頃のおぼろげな記憶として持っているだけだ。富山と福井の大空襲をへて終戦を迎えた金沢市は、具体的にどうこう宣言した訳ではないが、空襲の恐ろしさを骨身にしみて感じた結果、独自の道を歩もうと決めたのではないか。富山の空襲で夜中に空が真っ赤に染まったのを金沢から見えたと聞く。これまでの歴史から終戦後の金沢市のベクトルを探ってみて。」ユーザーのお話から、昭和30年代生まれの視点で
吉田松蔭の功績や実績は数知れずだが、それと同時に彼はとんでもないテロリストでもある。彼を持ち上げて、崇拝する人ほど、草莽崛起を読んでいないと、言われています。信者の皆様には申し訳ないですが、「松陰様!」と、拝んでいる暇は無いですよ。何故か、吉田松蔭の書いた手紙を読まず知らずに崇拝する人もいるみたいです。その手紙の内容は、幕軍をやれ、幕軍をやれ、幕軍を…あまりにも過激なため、表現があいまいで申し訳無いです。いくら、憎たらしくても、幕軍をやれ!と言いだす人でもありま
今日も政治ネタやら真実探求論やらで盛り上がりたいと思っていますので、よろしければお付き合いくださいませ今日のサナエさんたち高市首相が米空母「ジョージワシントン」に乗艦して演説した時の服装が、映画「トップガン」のヒロイン、ケリー・マクギリスの服装と同じだったhttps://t.co/piqytV6Jh2—Tokyo.Tweet(@tweet_tokyo_web)October30,2025高市早苗さんとトランプさんをみて、こういうのを思い出した人も結構いたんじ
戦後80年に寄せて、日本の歴史を振り返ってみると。。。明治維新以後、明治、大正、昭和の三時代には日本は戦争を経験しました。平成の約30年に至ってようやく、"日本は戦争の無い時代を手にした"という見方ができるでしょう。そして現在は令和の時代に入っています。(残念ながら、ウクライナ戦争や台湾海峡緊張度増大といった事態が勃発していますので、安閑とはしていられませんが・・・)日本の戦後の動乱期の政治と外交の中枢に居た傑物、吉田茂(よしだ・しげる)を主人公としたNHK制作のドラ
久しぶりの観劇主人と行ってきました国立劇場(小劇場)早めに着いてランチしました私はランチメニューからパンがサクサク軽い感じで美味しかったですこちらの劇場は初めて伺いました小劇場ですが下北沢のスズナリより大きな箱でした丁度良い感じで観やすくて良かったです焼肉ドラゴンは何年も前の作品で何度も再演しているし、映画にもなってますね色々な賞も取っているし期待して観に行きました私は作家の鄭義信さんの書くものが好きなので、今年は2作品め(基本は戦後の在日韓国人のお話しでどれも儚くて切な
コラム戦後、GHQが禁止した8つの項目〜失われた日本の文化と精神〜2025年2月4日戦後、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の統治下に入り、多くの伝統文化や慣習が禁止されました。これにより、日本人の生活様式や価値観は大きく変化しました。ここでは、GHQが禁止した主な8つの項目を紹介し、それが現代にどのような影響を与えているのかを考察します。GHQが禁止した主な8つの項目塩1.天然塩の禁止戦後、GHQは日本国内での天然塩の製造を禁止し、精製塩の使用を推奨しました。2.麻(大