ブログ記事27件
映画・"TaxiDriver"のテーマ曲(OST)今日は東京大空襲の日。ひと晩、それもわずか数時間で10万人が亡くなった日でございます。その空襲で戦災孤児になったセレブの従姉は、ほんの数年前までは、前日に東京のホテルに部屋を取って、弟や妹と一緒に午前中から慰霊祭に参加しておりましたが、この頃は、今日が3月10日であることも忘れる気配がうかがえます。今までずっと慰霊を続けて来たのだから、もう、思い出さなくてもいいのではなかと、平穏に余生が一日でも長いことを希望する次第でござ
☘言語化で気付きを届ける活字中毒のアジェンディスト/占い師・Tokiwa一時期、太平洋戦争について調べていたことがある。月初めに亡くなった祖父が、どんな部隊で、どんな終戦を迎えたのか。同じ部隊だったと思われるひとの戦争証言アーカイブスを見かけて親にだけど答え合わせをしたことがある。(だいたい当たってるだろうな、くらいの推測を話して、当たっていた)認知症が進行し、私たち孫世代から徐々に忘れていき、親世代も続いて忘れていった先で、どこかの炭鉱で働いていたと
3月10日【東京都平和の日】戦争証言映像30年ぶりに公開79年前の今日、東京大空襲により、軍施設では無い一般市民が標的とされ罹災家屋は約27万戸、約100万人が罹災し、一晩で10万人以上の尊い命が失われました。20世紀は戦争の世紀でしたが、21世紀を迎えた今、ウクライナ、そしてパレスチナ・ガザ地区では民間・学校・小児病院も空爆を受けており、繰り返される戦争に胸が締め付けられる想いです。東京都議会では昨年3月3日の本会議において全会一致で、「ウクライナからロシア軍の即時撤退と速やかな平和
ダイザワキュウジョウノカイダイザワは代沢ってわかるけど、キュウジョウって何?球場?休場?九畳?宮城(皇居のこと)?九条のこと。日本国憲法第九条のこと。戦争放棄の条項として学校で教えられているはずだ。しかし、最近ではキュウジョウと発音しても九条の意味でとってもらえない。***九条の会という団体が今から40年前に世田谷区在住者を中心に立ち上げられた。代沢九条の会www7b.biglobe.ne.jp憲法第九条をまもることが大切だと考
令和4年12月23日金曜日、晴れ。洗濯するのに着てる服を脱いで新しいのを用意。洗濯機に放り込んだのが新しい方だった、って経験ありませんか?やべぇ、僕だけか…家の電気を12V化する途中で連日床下に潜り込んでいるので洗物が出てしまう。このままずっと晴れててください、神さまお願い。さて。気付けば明日はクリスマス・イヴですね。イヴは「イブニング」だからイヴイヴなんて…今どき子供も言わないよね?(笑)今日は久しぶりに夜はネットサーフィン(なんかクサイな、この言葉)してました。昔からずっ
宝田明さんが3月14日にお亡くなりになったとの報道を昨夜知り悲しく寂しくなりました。宝田明さんは、現在の韓ドラ主役級な超イケメンであった若い頃からつい数年前の朝ドラ「カーネーション」の糸子を溺愛するオシャレでステキな祖父(祖母は十朱幸代さん)…と、ずっとスターであっただけでなく満州で終戦を迎えた戦争体験について雄弁に語り反戦を強く訴えていらした「国ぎわ族」でもありました。俳優宝田明氏「戦後70年語る・問う」(29)2015.8.6AkiraTakarada,Acto
硫黄島の戦いの証言。海軍特別年少兵も多く硫黄島戦で戦った。大東亜戦争前の海軍拡張計画に対応するため、海軍は従来より年少の志願兵を採用する構想を検討したが、ジュネーブ条約で満15歳以上という制限があったため、まず昭和16年7月5日、海軍大臣官房機密5921号の令達で、それまで少年水兵(昭和12年から、15~16歳を対象)として採用してきた水中測的兵、電信兵に加え、水兵、整備兵、機関兵、工作兵、看護兵、主計兵の6兵種にも拡大し、その採用年齢の下限を15歳以上とした。翌17年
大好きな聖教新聞🗞今日の「名字の言」は岸壁の母来る日も来る日も、母は子の帰りを待ち続けた。往年の名曲「岸壁の母」のモデル・端野いせさん。戦後、東京・大森(当時)に居住しながら、1981年に、逝去するまで、出征した一人息子の生存と復員を信じ続けた。復員船が京都・舞鶴に入港すると、その港に立った「『岸壁の母』を聴くと、母の姿を思い出します」。沖縄の水納島で生まれ育った婦人。物心ついた時すでに、長兄は徴兵され、沖縄本島にいた。終戦後、母は毎日のように浜辺に行き、島に到着する船に
悪役一代・八名信夫−−空襲、プロ野球、役者と戦中・戦後を駆け抜けた壮絶半生GetNaviweb岡山での空襲体験から野球との出会い、プロ野球選手からの役者転身−−その波瀾万丈な半生、そしてこれからの生き方について語ってもらった。戦災と震災、ある女性の証言(上)火の海の仙台1人逃げまどうYahoo!ニュース夜、空襲警報のサイレンが鳴り響きました。父と母が私たち子ども4人を連れて、近くの生命保険会社のビルの地下にあった防空壕(ごう)に...地下9・3m、東京メトロ銀座駅の構内
今回は久々に別のテーマで…。この夏季休暇の間、意識して戦争関係の資料や動画を見ていました。NHKのホームページに「戦争証言アーカイブス」というものがあり、以前からブックマークしていたのですが、なかなか動画までは見れていなかったのです。HP内の動画は結構長時間のものも多く、かなり見応えがありました。戦後65年や70年の機会に撮られた動画もありましたが、「これ以上年月を経ると、直接戦争体験を聞くことは出来なくなる」という危機感が既に伝わってくるものがありました。それがいまや戦後75年。意
コロナ禍で戦後75年の記念の年は全てが吹き飛んだ…戦後40幾年と言われる時代から『8月』を見詰め続けましたが、戦争証言が年を追う毎に少なくなっていき、、直接その場に居た『一次証言』に関してはいよいよ本当に最期の機会となりましたね。ライフワークとして75年間の『広島の8.6』と『長崎の8.9』を定点観測(新聞報道での)することでこれまでのヒロシマ・ナガサキがどうであったかを研究してきました。15年前、学生時分に始めた資料収集は東京在住ながらNHK/朝日新聞から情報を沢山得る
広島の原爆投下の日ですね。8時何分だっけ、と忘れてしまい確認。8時15分でした。(数字を忘れやすい人間なのですみません。長崎は9日の11時2分)今年は戦争の体験談とかはちょっと重く感じて、あまりチェックしていません。決して軽視するわけではありませんが。昨日、歴史秘話ヒストリアで潜水艦の話はちょっと見ました。アメリカ本土やカナダのほうまで行ってたんですね。知りませんでした。平成27年の再放送?それとも再編集?(ちなみに日本軍はグアム
ここしばらく参照している生江有二著「ガダルカナルの地図」には、「戦後四十年」という表現が出てくる。本書の参考文献には、亀井宏「ガダルカナル戦記」が含まれており、その数年後の、私が若手社員だったころに発刊された。そして、この下書きを書いている2020年には、戦後75年目を迎えます。どうしたわけか、青少年のころ周囲には、空襲の被害者が大勢いたのに、とうとう戦場を踏んだ元軍人と話す機会がなかった。あるのは活字情報、わずかな写真や映像、見に行けば遺跡や遺品。でも私らより若い世代も同様に、手
2019年11月22日曇り/雨久しぶりに香南市の戦争遺跡調査へあいにくの雨でしたが、山歩きをしました。この場所は、数年前よりマークしていましたが、予想通り多くの戦争遺跡がありました。ほとんど埋まってしまった地下壕入口。本日は、あろうことかヘッドランプを忘れてしまい、スマホの明かりとカメラのフラッシュを代用します。壕の中がどうなっているのか撮影するために、上半身を入れましたが奥まで光が届きませんでした。結構深いかも…?もう少しと無理をしていると身体が下方に滑り
秋吉敏子さん、戦争証言映画が完成!「読売新聞」2019年8月9日31面に、こんな意味深なタイトルの記事が掲載されていました!満州奪われたピアノ秋吉敏子さん引き揚げ苦難映像に戦争で全部なくなった非常に気になるタイトルに、心動かされた、私、おごっそうがでちゃった!これは、日頃、私の記事を御愛読されていらっしゃる、皆様にも!是非とも、紹介したい!そんな気持ちになりました。(なお、文中で朱書したところは、私が重要だと感じたところです。世界的ジャズピアニスト秋吉敏子さん(89)=米国
「証言記録・兵士たちの戦争」というシリーズ本がNHK出版から出版されている。NHK「戦争証言」プロジェクトなるものが編集したもの。自分が確認出来ているのは、No.1~No.7まで。amazonで、新品本が一冊約2,400円で、BOX入り全巻が15,000円強で販売されていることが分かりました。そんなに安くは無いです。●備考[証言記録兵士たちの戦争]フィリピン絶望の市街戦~マニラ海軍防衛隊~の番組約43分当ブログでご紹介していたNHK番組が、こ
NHK戦争証言アーカイブスhttps://t.co/rVb7WPacgXイ・ウンシクさん「警防団に応募するために来たと言うと、これは日本への徴用だと告げられました。そのままそこで捕まって、ケソンから汽車でプサンへ行き日本に渡りました」—外教(@yuantianlaoshi)October30,2018
終戦直後の満州ではソ連軍の侵攻と支那人の襲撃や強盗により日本人開拓団は凄惨な状況となった。防衛大学校1期生には多くの満州からの引揚者がいたが、「軍隊が無くなったとたん日本人は中国人やソ連軍に襲われた、軍隊ないことがどれだけ心細く不安なことか少年であった身でも思い知った」と言っていたのを思い出す。満州での終戦直後の証言は軍隊、日本国民を守る武力組織が無くなったらどうなるか如実に物語る話である。満蒙開拓移民は、1931年(昭和6年)の満州事変以降、1945年(昭和20年
終戦直後の満州ではソ連軍の侵攻と支那人の襲撃や強盗により日本人開拓団は凄惨な状況となった。防衛大学校1期生には多くの満州からの引揚者がいたが、「軍隊が無くなったとたん日本人は中国人やソ連軍に襲われた、軍隊ないことがどれだけ心細く不安なことか少年であった身でも思い知った」と言っていたのを思い出す。満州での終戦直後の証言は軍隊、日本国民を守る武力組織が無くなったらどうなるか如実に物語る話である。満蒙開拓移民は、1931年(昭和6年)の満州事変以降、1945年(昭和2
戦争体験者はもう90代前後の世代となりもう語り継ぐ証言者は僅かな人達だけとなっている。動画では学徒出陣で陸軍特別操縦見習士官となり特攻隊要員となった方と、海軍予科練習生から回天特攻隊員となった方の貴重な証言である。学徒出陣(旧字体:學徒出陣)とは、第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけで
戦争体験者はもう90代前後の世代となりもう語り継ぐ証言者は僅かな人達だけとなっている。動画では学徒出陣で陸軍特別操縦見習士官となり特攻隊要員となった方と、海軍予科練習生から回天特攻隊員となった方の貴重な証言である。学徒出陣(旧字体:學徒出陣)とは、第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だ
この記事は2016年8月19日のものですコンさんたちの手記をひとりでも多くの方に届けたいと考え、アメンバー限定保存から公開にして再度アップしました→ピグライフへパソコンが壊れちゃって、しばらくインを休んでたコンさんちょうどタイミングあってお話できましたノリもよくって、おしゃべりも楽しくって大好きなのですリアルコンさんは本年申年84歳のダンディ愛犬Kちゃんと暮らしてらっしゃいます先日のお誕生日にピグ友でケーキをギフトしたら「家内が亡くなって誕生
雑談から始めます。もう十年くらい前だったか、日経か何かの新聞に塩野七生さんが寄稿した文章の中に、戦力とは軍備と戦意からなるという趣旨の表現があって、印象に残っている。戦意(ひと)と軍備(もの)とが同等に出てくる。ビジネスの分野でも良く使われるようになって、ご存じの方も多いだろうけれど、軍事学に「ランチェスターの法則」というのがある。専門家ではありませぬが、簡単にいうと、昔ながらの侍やら騎士やらの戦いにおいては、戦果・被害は実力差に比例する。これが第一法則。個人の格闘技の世界です。
【5月1日発行の『北近畿経済新聞』に我々の活動を取り上げて頂きました!】昨年8月の「神戸新聞社」様、今年3月の「読売新聞社」様に引き続き、5月1日に発行された「北近畿経済新聞社」様に弊社会長・與田治郎右衛門(襲名前:純次)の戦争証言/経営理念と、孫の與田祐太朗/晃弘の証言記録発信活動を取り上げた記事を掲載して頂きました。また大和ハウス工業株式会社様の会報誌『にふょん』(2017年5月号)にも会長が登場!北近畿経済新聞社様、大和ハウス工業株式会社様、この度は素敵な機会を頂きまして有難
3月19日(日)発行の「読売新聞」に祖父の戦争体験談を撮影し発信する私と弟の活動を取り上げて頂きました(但馬欄)。『祖父と戦争後世へ動画、豊岡出身の兄弟撮影』読売新聞社様、この度は素敵な機会を頂きまして有難う御座いました。http://sp.yomiuri.co.jp/…/hy…/news/20170318-OYTNT50063.html…小野高等学校放送部の皆様、“NHK杯全国高校放送コンテスト”でのご健闘をお祈り申し上げます!近年、“東洋経済新報社”様、“致知出版社”様、“神
【明日3月19日(日)の「読売新聞」に掲載されます】今月16日、“NHK杯全国高校放送コンテスト”6回も優勝に輝いたことがある「小野高等学校」の放送部の生徒さん達が、弊社会長・與田純次(12代目與田治郎右衛門)の戦争証言、孫の與田祐太朗/與田晃弘の戦争証言保存発信活動を取材するため、弊社までお越しになりました。また同時に「読売新聞社」様もお越しになり、当日の様子を取材して頂きました。“会長の戦争証言”、“孫達の戦争証言保存発信活動”、“小野高校放送部の取材(NHK杯全国高校放送コンテス
【“東洋経済新報社”×戦争体験語り部、與田純次(91歳)】致知出版社様に引き続き、今月上旬、大手出版社「東洋経済新報社」様が、祖父・純次(12代目與田治郎右衛門)の戦争体験の取材にお越しになりました。詳細は追って報告致しますが、今年度中に東洋経済新報様から発売(予定)の“とある書籍”に祖父純次の戦争証言が掲載されます。東洋経済新報社様、この度は素晴らしい機会となりました。東京から遠路遥々お越し頂きまして有難う御座いました。有難いことに昨年から各方面のメディアから
2017年1月1日(日)発行の月刊誌『致知』2月号(致知出版社)に、弊社会長、與田純次(12代目與田治郎右衛門)、91歳のインタビュー記事が掲載されました。與田純次談「大日本帝国上海大使館勤務から大日本帝国陸軍工兵隊入隊、ソ連軍との戦闘・命懸けの蛸壺攻撃作戦、20日間に及ぶ密林でのサバイバル生活、3年間のシベリア抑留、帰国後、起業してからの苦労話(それを乗り越えることが出来た心の持ちよう)etcをお話しさせて頂きました。ご一読頂けますと幸いで御座います。」“致知出版社”様、この
元大日本帝国陸軍満州独立国境守備隊(砲兵)、橋本三男さん(92歳)宅を訪問。橋本さんの戦時中の体験談を拝聴致しました。橋本さんと祖父純次(91歳)(大日本帝国陸軍満洲独立工兵隊)は終戦後、日本軍捕虜として極寒のシベリアの地へ。【続きを読む】https://www.facebook.com/junnji.yoda/posts/1064882560306182#高齢者#歴史#日本史#近代史#戦争証言#再会#感動#親友#90代#生涯現役