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沖縄戦終結から79年「慰霊の日」(6/23)23日は、79年前の沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終結した日とされる「慰霊の日」です。糸満市摩文仁の平和祈念公園では、全戦没者追悼式が開かれました。軍隊と住民が混在しせい惨な地上戦となった沖縄戦では、日米双方であわせて20万人以上が亡くなったとされます。(引用終了)23日は、沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎え、戦没者を追悼し、平和への願いを新たにする一日となりました。ご冥福をお祈りいたします~「欲望という名の電車(38)」(6/
12月16日Saturday。偏食的シネマ&スイミングデー。『サロンシネマ』で、公開3週目の「ほかげ」(2023)を鑑賞。監督は「野火」の塚本晋也(脚本・撮影・編集も)。第80回ベネチア映画祭オリゾンティ部門で、最優秀アジア映画賞に輝く。出演は趣里(居酒屋で体を売る若い女)、塚尾桜雅(戦災孤児)、森山未來(片腕のない謎の男)、河野宏紀(復員兵)。終戦直後の闇市が舞台。心の傷や絶望を抱えた男女。彼らには役名がない。なぜか。じっくり考えさせられる作品だ。それは
私の父親は赤紙(召集令状が赤みを帯びてた)一枚で戦争に駆り出された。と言っても脊椎カリエスを患っていて最初の徴兵検査では不合格だった。しかし戦争末期兵員不足に陥った日本軍部は不合格だった人間も構わず根こそぎ兵員をかき集めた為病気持ちの父も召集された。当初父は国内で陸軍の輸送部隊に配属されトラックで軍需物資の輸送をやっていた。トラックと言っても木炭自動車だった。当時の日本にはガソリンが無かった。そんな木炭トラックは馬力も無くて度々止まって満足に輸送業務が
映画のネタバレを含んでおりますので、気になさる方は、これにて失礼させていただきます。(m´・ω・`)mゴメンナサイ…どうしても観たいって映画が無くて、半年、間が空きました。映画館で感染拡大という話も聞かないので、不安は無かったのですが、席の間隔を開けての指定席販売でなくなったので、隣りで咳き込む人が来ないと良いなー。。。という気分。行ってみると、そこそこ入っていましたが、前後左右は間隔が開いていてホッとした。(* ̄- ̄)ふ~。観たのは、「キ
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47年前の今日。1974年3月12日。小野田寛郎さんが日本に帰還した。戦争終結から29年後の事である。当時ですら軍人精神の権化軍国主義の亡霊と言う人も居た。事実として今終戦後に小野田さんは現地の民間人を殺害している事から殺人鬼扱いする人も居る。数年前、Twitterだったと思うが現地の遺族の方のインタビューを訳した記事を読んだ記憶がある。(検索してみたが出て来なかった。)朧気な記憶だが「猟銃を持ち(小野田さん潜伏中)何度も日本兵狩りに出た。息子の敵だからな。捕
バイオレンスの巨匠サム・ペキンパー監督が描いた戦争映画の傑作&問題作。それが"戦争のはらわた"(原題CrossofIron1977年制作)です。舞台は1943年秋のロシア・タマン半島。退却を始めたドイツ陸軍の内情を描いています。西側の映画なのにロシアを舞台にしているのが珍しいですし、ドイツ兵を描いた映画なのも珍しいです。主人公のロルフ・シュタイナー・ドイツ陸軍曹長(ジェームズ・コバーン演)。数多の勲章を獲得している歴戦の勇士です。シュタイナー隊の指揮官、鉄十字勲章(Cros
←クリック第二次世界大戦後の地雷撤去という事実を元にしたデンマーク映画。【ストーリー】第二次世界大戦で、ドイツは大西洋からの英米の侵略を防ぐために、大西洋沿岸に機雷や地雷を埋めた。2685kmに及ぶ距離に地雷の数の合計が1億個以上とも言われる海岸防衛線だ。大西洋の壁その内、デンマークには200万個以上の地雷が埋まり、その撤去をデンマークに残ったドイツの少年兵(15~18歳)にさせることにした。戦勝国が敗戦国の捕虜を奴隷のように使うことは、法律で犯罪とされたが、デンマークは戦時
何年か前に知りました市川海老蔵さんの映画に出口の無い海がありますね回天特攻基地のお話やったと記憶してますこちらは訓練基地があったそうです日出町大神の静かな漁港近くに記念公園や遺構が点在します回天神社もあります静かな静かなこの地に光がいっぱい降り注ぐこの地に戦争の狂気があったのです公園には若者達の家族に宛てた最後の言葉などが展示されてます国のため天皇のため愛しい家族のため一人で乗り込み失われたたくさんの命あのねちょっと話は変わるけど卒業式で送る側卒業
今年も開催された「平和のための戦争展」に9月8日に行ってきました。数時間では見きれないほどの展示資料の多さに圧倒されながら、印象に残ったいくつかを振り返りつつご紹介。中国での残虐行為の数々。千葉県内でも朝鮮人を虐殺。日本軍直営慰安所の設置。東京大空襲後の死体の流れる川を見ていた子どもの絵など…。冒頭の言葉は、戦地での体験を語られた方の心からの思いです。戦争の被害の事実とともに、加害の事実にも目を背けてはならないことを、教えてくれています。“自虐的”などと言う、歴史を歪めたい勢力が