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宮重作兵衛信秀の墓宮重信秀の戒名(右)亡くなったのは正保3年十一世本因坊元丈、十三世本因坊丈策の先祖である江戸時代初期の御家人、宮重作兵衛信秀の墓が、作兵衛が中興開基となった戒行寺(新宿区須賀町)の墓所にある。墓所はもともと戒行寺境内にあったが、現在では遠く離れた杉並区堀ノ内にある日蓮宗本山・妙法寺の北側にある他の寺院との共同墓地に移転している。補修を行った子孫の名に元丈の兄、作十郎の名宮重信秀が亡くなったのは正保3年(1646)であるが、墓石に刻まれた内容
戒行寺入口本堂四谷(新宿区須賀町)にある日蓮宗の寺院・戒行寺は、文禄4年(1595)に麹町で戒行庵として創草され、寛永11年(1634)に江戸城の拡張にともない現在地へ移転している。移転に尽力し中興開基となった御家人の宮重作兵衛信秀は、十一世本因坊元丈、十三世本因坊丈策の先祖にあたる人物である。長谷川平蔵の供養碑長谷川家の墓戒行寺境内には、池波正太郎原作で中村吉右衛門がドラマで演じた「鬼平犯科帳」の主人公、火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の供養碑がある。鬼
瀬戸内寂聴さんに続いて訃報です。鬼平こと中村吉右衛門さんが、死去しました。再放送を何度も見ました。うさぎと鬼平長谷川平蔵菩提寺四谷戒行寺『【日本の塔】四谷戒行寺多宝塔』戒行寺多宝塔東京都新宿区四谷日蓮宗長谷川平蔵菩提寺ameblo.jp御冥福をお祈りします。
そうだ、長谷川平蔵さんに、ご挨拶をしに行こう!🙋よろしく!…と、この日の一週間前(6/16)に思い立ったのだが、ここで日蓮宗の御首題問題が発覚(御首題帳を所持していない)なにそれ、聞いてないあるというわけで、近場で御首題帳を購入してから四谷に向かうことにして、実際無事に御首題も購入できたのだが、何故か参拝したのは一週間後のこの日(6/23)あるある【妙典山戒行寺】(令和元年6月23日参拝)戒行寺(かいぎょうじ)は、東京都新宿区にある日蓮宗の寺院。【長谷川平蔵宣以供養之碑】『長谷川様
ちょっと坂、多すぎじゃないですか?それともお寺さんが坂の上に建つことが多いのだろうか。赤坂の坂や四谷の谷などの地名上、アップダウンはしょうがないのかも。戒行寺さんに着きました。これこれ、この髭文字。御首題がいただけるかも境内に入るとすぐ右側におお、虹の後光が・・(ゴーストです。)正面に本堂でしょうか右奥にはこれ何ですか?観音堂?仏堂らしいですさて、いよいよ御首題を頂きに確か書き置きだったという記事を読んだこと
私が鬼平犯科帳に初めて出会ったのは、BSで放映されていた、「鬼平犯科帳スペシャル雨引の文五郎」。それから同シリーズを見るようになった。鬼平犯科帳は、池波正太郎の代表作だと知っていたが、鬼平役の中村吉右衛門をはじめ、勝野洋、尾美としのり、綿引勝彦、梶芽衣子、三浦浩一、蟹江敬三などピタリと役にはまっていたこともあり、ファンになった。ゲストも豪華。エンディングの、当時の風景を偲ばせる映像と、ストリング演奏ジプシー•キングスの「インスピレイション」がマッチして実に良い。FODでTV放送もみた。
BSフジ月曜夜の鬼平犯科帳を録画して見ています。作者の池波正太郎はドラマ化にあたりオリジナルの脚本を足さないことを条件にしたそうで、原作のみがドラマ化されているために話に限りがあり、ほとんどが前に見た作品です…仕方のないことですが。萬屋錦之介版と中村吉右衛門版を見比べる楽しみはありますが。鬼平は実在した長谷川宣以(のぶため)という旗本で、平蔵は通称です。ドラマにたまに出てくる「てっちゃん」は幼名の銕三郎に由来します。供養碑は東京・四谷の戒行寺にあります。その鬼平の旗本としての幕府内で
半蔵さまの墓参りのお次は日蓮宗戒行寺鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵さまの菩提寺戒行寺は文禄4年(1595年)麹町に創建され、寛永11年(1643年)にこれまた江戸城外濠新設工事に伴い現在地に移転しました(江戸には江戸城造営や大火により沢山のお寺の移転が行われないる)山門の前の道は戒行寺坂といい江戸名所にも取上げられた名所現在お墓がありませんが鬼平の父長谷川宣雄他5人の火付け盗賊改めも本堂ご本尊:十界曼荼羅多宝塔長谷川平蔵供養碑かんのんさま
9月16日月曜日の続きです。泉涌寺の山内寺院も少し巡りました。『新善光寺』《寛元元年(1243年)8月、後嵯峨天皇の御願寺として値願念西が勧進して一条大宮の地に創建された。勅命によって大工藤井為行、小工沙弥教弘らが信濃国善光寺本尊と同体の阿弥陀如来立像を鋳造して本尊とし、新善光寺と名付けられた》【お庭】《南北朝時代から室町時代に入ると庶民の崇敬を受けて寺は栄えた。しかし応仁の乱で灰燼に帰すると文明5年(1473年)に泉涌寺山内に移った。孤雲正瑞の再興により現域に落
令和元年8月24日参拝四谷須賀町におけるお詣りめぐりが続いております。須賀神社で参拝をして、再び寺町を歩きます。しばらく歩くと坂の上に辿りつきますその坂の名が、お寺の名前のついた戒行寺坂といいます。その戒行寺を訪問致しました。こちらは久しぶりの再訪ですね。戒行寺(かいぎょうじ)山号:妙典山院号:----寺号:戒行寺宗派:日蓮宗ご本尊:十界曼荼羅、久遠の釈迦牟尼仏文禄四年(1595年)日養上人により開山山門の左御題目石塔右はお寺の表札山
2018年5月上旬GWの市ヶ谷・四ッ谷散策の続き。四谷怪談お岩さま縁の「陽運寺」を参拝した後は、歩いて来た路地を引き返し、四ッ谷散策を続けました。陽運寺(於岩稲荷)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12490745117.html「陽運寺」から、歩いて来た道を引き返し、「本性寺」や「闇坂(くらやみざか)」の前を通り過ぎ、東の方向に進むと、左手に「勝興寺」お寺が見えて来ます。境内を進むと、お地蔵様でしょうか、石仏がいらっ
戒行寺多宝塔東京都新宿区四谷日蓮宗長谷川平蔵菩提寺
ずっと新宿区の四谷界隈を巡り歩いているのでまたもや新宿区の坂めぐりの記録です一連の四谷シリーズの④がまだ終わっていませんが(このページも四谷だけど)書いてる方もなんだかワケわかんなくなってきているような?いないような?気もしますがそれ以前に行った11/7分の記録です゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚2017/11/7同日①(→☆)からの続きです①では・新
闇坂を上がると近所のおばちゃん達が井戸端会議していたあら可愛いわねーとしばしおばちゃん達のアイドルになるリョー...でもおばちゃんには興味なさげでツレない左に行けば自転車が置いてある新左門遊園だけど右へ坂道下る西応寺さん枝垂れ桜がステキ少し寄り道しちゃたわ本日の1番の桜でした戒行寺坂ここも寺のチカラか?西応寺永心寺常福寺と坂道にあるのに坂道下って常福寺わかば湯以前来た時見逃してしまったからまだ開業していてくれたのが
四谷散歩前編四谷散歩中編続きまーすお岩稲荷を通過後、先刻の左門町交差点の道に出たら左折立派なお寺を発見!法輪山勝興寺東京都新宿区須賀町8宗派:曹洞宗創建:天正10年・寛永11年に現在地に再建残念ながらこちらも人の気配なく、手を合わせて退散です更に少し進むとこちらが有名な戒行寺坂写真では分かりにくいのですが、急勾配です。下りはベビーカーや自転車だととても怖くて上りは精神的・体力的に怖いです笑坂の途中にある戒行
新宿に用事があって、都心に出向きました。時間があったので、少し足を延ばして四ツ谷に行ってみました四ツ谷は、昔からお寺の街だったようで、お寺が多くあります。戒行寺に行ってみました。妙典山日蓮宗戒行寺1595年戒行庵として起立。後に、戒行寺に。江戸期には、身延山末頭5寺の一つとして繁栄されたようです。中に入ると、向かって右手に長谷川平蔵の供養塔が…実際は、ここにはいらっしゃらないようです。本堂戒行寺観音像戒行寺に向かうには坂が鬼平犯科帳長谷川平蔵は、見た事が
戒行寺歴代住職の供養塔山本勘助の孫と伝えられる10世、円正院日貞上人の名も見られます。杉並区堀ノ内にある、四谷(新宿区須賀町)の戒行寺の墓所に、歴代住職の供養塔があります。戒行寺は文禄4年(1595)に玉泉院日養上人を開山として麹町に戒行庵として創草されます。江戸城の拡張にともない現在地へ移転したのは寛永11年(1634)の事で、この時に戒行寺となりました。戒行寺は甲斐の武田家とのつながりが強く、武田家臣の大木氏と三枝氏の子孫が葬られています。また、戒行寺10世、円
「鬼平犯科帳」の主人公、火付盗賊改・長谷川平蔵の供養碑がある事で知られる四谷(新宿区須賀町)の戒行寺は、文禄4年(1595)に麹町で戒行庵として創建されます。その後、御家人・宮重作兵衛信秀(重次)が中興開基となり現在地へ移転。「戒行寺」となります。宮重家は家康の祖父である松平清康の代から仕える直参で、宮重信秀は当時、御天守番を勤めていたそうです。たまたま戒行庵の隣に住んでいたため檀家となり、四谷移転に向けて奔走しています。戒行寺の墓所は現在、杉並区堀の内の共同墓地に移転して
戒行寺の本堂長谷川平蔵の供養碑(戒行寺境内)長谷川家の墓(戒行寺境内)堀之内の墓所にある無縁墓の塚池波正太郎原作の小説「鬼平犯科帳」の主人公、火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の供養碑が四谷(新宿区須賀町)の戒行寺にあります。テレビドラマも大ヒットし、平蔵を中村吉右衛門が演じています。長谷川平蔵は実在の人物で、本名は長谷川平蔵宣以(のぶため)。延享2年(1745)に400石の旗本、長谷川宣雄の嫡男として生まれます。父の宣雄は火付盗賊改を経て安永元年(1772)に
戒行寺は、新宿区四谷須賀町。戒行寺坂の上にある日蓮宗の寺院で、山号は妙典山です。池波正太郎の「鬼平犯科帳」の主人公長谷川平蔵の菩薩寺として有名なお寺です文禄4年(1595)に麹町に戒行庵として創建その後、現在地に移転しています。江戸時代には、身延山末頭5ケ寺の一つとして繁栄し、塔頭数ケ院を擁していたそうです。境内には、長谷川平蔵の供養碑があります長谷川平蔵の菩薩寺でしたが、現在お墓はどこかに移されたとのことです。長谷川平蔵の供養碑火付盗賊改、長谷川平蔵と言えばドラマ
《葵小僧=あおいこぞう》葵小僧は、生年不詳-寛政3年5月3日(1791年6月4日)江戸時代の盗賊で、別名は、武骨な《大松五郎=だいまつごろう》【寛政3年(1791年)の頃、徳川家の家紋である葵の御紋をつけた提灯を掲げて商家に押込強盗を行ったそうです❗其れも最悪なのは、押込先の婦女を必ず強姦するという悪辣な手口だったので御座います❗火付盗賊改方の長谷川宣以(のぶため通称は平蔵)により板橋で捕らえられたそうです。長谷川平蔵は、東京都新宿区須賀町の戒行寺に供養碑があり、戒名は「海雲院殿