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秘伝8月号(7月14日発売)の記事の下書きも読みたいという声がありましたので、ここに3分割であげることにいました。8月号記事の内容は記者の方が、成田先生的表現を上手くマージさせ、平井稔先生から成田先生へ受け継がれた合気道がどういうものでまた結構由緒正しいものであるということも加えて書かれてましたが、まずは、私の純粋な拍子に関する下書き文章も読んでみてください。では以下から、、↓↓↓この度、雑誌「秘伝」の記事掲載の機会を得て、無元塾での現時点の総括としての表現の場として、拙くも頭の中のもの
成田新十郎先生の円の合気を読んでとても参考になった腰を円を描く様に使えば相手とぶつかることがない対打撃に対しても使えそうだ常に腰で円を描くポイントは心、気持ち投げようとすればするほど縁は乱れるよって心のあり方も大切だまだ何となくしか分からない近々体験して疑問を解消したい
平井稔先生から成田新十郎先生へと伝承された光輪洞合気道の技法合気道開祖:植芝盛平翁が認めたとあって素晴らしい内容である。翁先生が言っていたこととリンクする。しかし植芝盛平翁が言っていたことが今の合気道に現れていないこの光輪洞合気道には残っている!そんな気がしてならない。相手を倒してやろう!やんとかしてやろう!と思うと技にはならない。光輪洞合気道は球転の動きと言うがこの動きさえ意識していれば良い!と言うことになる。ここで問題なのは相
成田先生から教えていただいたここの教えをなんだかんだやってきてはや10年、ここのブログを読んで1人、、2人、数人と増えてきて、下記のような体験者の動画も上がるようになりました。つまり、大分浸透してきたなーと、実感が湧くのです。中心帰納の合気道を体験して得た合気の悟り光輪洞合気道系の成田新十郎先生のご高弟の達人、白石先生のありがたい教えを学んできたのだ・・!中心帰納は果たして本物か!?成田伝合気道のチャンネルはこちらhttps://www.youtube.com/@univunivuniv/v
当然、私一人でなんて不可能です。関わりのある皆さんの力を借りて、一歩づつ前進することを目標に、頑張って行こうと思います。そんなところ、著述家の押切さんがこんな素晴らしい動画を作られました。YouTubeにも無元塾の公式の俗に言うチャンネル的なるものも作ってもらいました。今後そちらの方に動画をどんどん上げていく予定です。現在、別に成田先生の動画を英語解説入りで頑張っている仲間のMさんもいらっしゃいますし、私が個人の名前で上げている動画もあります。少し混乱するかもしれませんが、それぞれ
僕はここ数年膝に違和感がずっとありました。その違和感は痛みを伴うタイミングもあります。当然きっかけはあるのです。いわゆる怪我であり、捻挫という類のものだったと思います。騙し騙し、膝をかばいながら、生活をして、稽古もしてました。違和感があるので、正座もしづらいのです。しかし、こうも膝の故障というものは、厄介なものなのかと思うたびに、以前、合気会で教えていただいていた先生が膝痛に悩まされていたことを思い出します。でもその先生の様子ほど痛みはなく、やはり
この言葉はいつ見ても、心をざわつかせます。人の不安につけ込んで、この言葉を操るのは、不謹慎だと分かりつつ、この言葉の表題が一番的確なのです。昨日、成田先生からの着信があり、そして留守電が、、。滅多にないことなので、何事かと、それはそれで不安な気持ちでかけ直しました。その内容は、僕が幻の道場一元塾に参加して半年ほどして、参加され、一緒に稽古をし、あーでもないこーでもないと中心帰納に関して試しあい、酒を飲み、人生の先輩としていろいろアドバイスをいただき、楽しい話を聞かせていただいた、茂
つまり、方便なのです。群盲像を撫でる、、象という真理に近づくための通り道なのです。そこで現れる状態であり現象なのです。決してそれを真理だと考えてはいけません。それを目標にしていると、「弓と禅単」の阿波師範が仰るように、単なる曲芸師になってしまうのです。では、中心帰納はというと、実はこれも方便なのです。ただ、合気とのニュアンスの違いは、中心帰納するとは、どんな状況でも、自分ひとりの、自分の中だけで行う意図のことなのです。多分お
この度の、塩田剛三先生のお孫さんの塩田将大先生のYOUTUBEの動画で、中心帰納に関する最初の段階のことを、お話と、少し表現してみました。この成田伝合気道の教えはこのことだけにとどまりません。さらにこの先があるのです。その中心帰納の上位概念の”腰廻し”が存在するからです。成田先生は腰廻しと中心帰納は同じとも、おっしゃっていたのですが、それは、説明してもわからない私たちに、そのように言うしか方法がなかったのではないかと思えてならないのです。いや、間違いなくそうなのです
さ、遂になかなか前に進めらることができなかった、教授者(インストラクター)の認定の基準と、その資格該当者のリストのページをホームページに作りました。最初はやはり世の武道で一般的な級段位制を考えたのでが、形式的な儀式で期間と表面的な形を憶えるだけでは、取得者の質が落ちてしまうのと、既に武道を習っている人達が多く来られていて、改めて同じような階層システムを経ることや、純粋に中心帰納を探求、研究するというプロセスにいる集団に段階をつけることに意味がないないように感じたからです。当然、級段位制を取
結局、お盆はこのご時世のため、滋賀には帰らず、いつも通り、合気道の稽古です。お盆のタイミングなので、生徒さんが来なかったとしても、ひたすら体捌きの稽古です。中心帰納と腰回しを織り交ぜながらやるのです。それはまさに、ダイナミック瞑想そのものなのです。\(^o^)/道場へ行く途中、上石神井駅の踏切を渡る手前左手に、とある看板があります。なんとそこにはピーボくんの家族構成が書かれてます。でも、家族の名前は書かれていません。いつも見て、なんとも表現しがたい不思議な気持ちになるのです。
下の動画の説明にある「心の理論」を考えたとき、武道を習得するには、この動画の中の3歳児の感覚と、5歳児の感覚をそれはつまり、今ココに生きる(それは一瞬一瞬の訪れる微細な差異を感じている)感覚と、それだけでなく過去や未来の事柄も理解してより整合的な現在を理解し、相手の気持ちや考え方や状況をわが身に置き換えるような同一的なものを抽出できる思考を、同時並列的に走らせることを意識することがとても大切なんだと思います。この表題で言っている、「平等」という表現はイデオ
いろんな人と接点を持ち、稽古することで、触発され、刺激し合い、向上していく、とても大切なことだと思います。最近の気付きは、パリントニシティ→中心帰納→腰回し、、この流れで、意識を意識していくと、とても中心帰納と腰回しの概念の理解が進むということです。当然、そこには以前に聞いた成田先生の要所、要所の言葉の記憶が触媒となっていきます。そして化学変化が起こるのです。その結果、現象として合気が現れる時もあり、入身が現れる時もあるのです。それは、その時の状態や、相手との関係性の中で現れ方
実はここの合気道には抜刀もあるんです。あまり、やれてないのですが、、基本的には5つの型があります。さらに体捌きを組み込んで行くと様々なバリエーションが出てくると、この動画の中で成田先生もおっしゃっています。つまり体捌きがここの合気道の基本であり、それがあるからこそ母体武道たる所以なのです。そして更に、ここで大切なことは、それは、ただそういう身体遣いの為に、抜刀という種目を稽古するのであれば、そういう得物を数限りなく取り入れるだけの技の収集家になってしまうのです。そこに、中心帰納、腰
ここ最近そんなに多くはないのですが、教えに行ってらっしゃったドイツの道場の方が、動画を上げてらっしゃいますのでその動画を紹介したいと思います。今回は体捌きです。おそらく20年以上前の動画なので、成田先生も若い感じです。とは言っても、70歳くらいなんでしょうか、、この体捌きと、相対的型稽古と、乱取りというそれぞれの目的の違う稽古をしてわかること、相手との膠着状態を理解すればするほど、一人稽古としての、体捌きの意味と重要性がわかってきます。その一つは、体捌きは決して相手を想定して動いては
なんらかの宗教をしている人は、現代どのくらいの割合かわかりませんが、たとえ無宗教だという人でも何か自分の中で信用に足る考え方を据えて、生きているのではないかと思うのです。成田先生は下記動画の中で、ここの合気道の本質は"考え方"なのだと仰っています。それは対立をしないで、無抵抗で、かといって、やられない様にすることもそれは対立と同義であるというところまで徹底的に突き詰めて無対立の状態を作るという"考え方"。格好良くいうとマインドセット。泥臭くいうと、念念念願すること。身体的に対立する状
ここ無元塾をはじめたころ、最初に来られた方の中にいらっしゃった方達の中で、この5年もの間ずっと来られてきた生徒さんがいらっしゃいます。その方がこの4月に九州に戻られるということで、このことを聞いた年末にはいろいろ考えていたのですが、このコロナの現状に、みんなで見送るとこも出来ませんでした。当時、始めたばかりで、これからどう展開していくことになるかもわからない状況のこの道場に、キャシャで線の細い若者は、あまたある合気道の道場の中で、どうやってここに行き着いたのか、そしてどのくらい
理屈が同じかどうかは、わかりません。なぜなら、それを習ったことがないからです。10数年前に1年半習った時はこのようなことはやっていませんでした。その証拠に右側の当時インストラクターだったアンディーさんはやり方がわからない様子です。少なくとも、中心帰納のことが分かれば、同じようなことはできるようになるでしょう。もし全くミカエルさんと同じ質でしなければならないと思い込んでいると、より混乱して迷宮入りしていくと思います。人によって、怒りや優しさの質が違うように、中心帰納の質も違うのです。
先に形をを頭に描いて、その形の通り、相手をコントロールするという考え方の稽古は、側面的な稽古であって、それだけを続けているのは不完全です。同じ型稽古でも、途中途中に現れる相手の反応、その反応によって現れる自分の反射を自覚出来るように、自分の内部感覚を研ぎます稽古を付け加えると、完成度は高まります。勘違いしている人は、相手の抵抗など、攻撃パターンに対して、対応する技を付け加えていきます。それだと、相手によって現れる無限のパターンの後付けの処理をしていくということになるので、間に合わなくなって
先日の日曜日の新陰流活人会の神田明神での奉納演武はいろいろと勉強になりました。型の中の動きや拍子の中に、ここの合気道の中心帰納や腰回しとの親和性も感じました。それにしても、よく百単位の型を開発し、またそれを覚えるなんて、すごいなと思いました。面倒くさがり屋の僕は、ここの体捌きの8個が限界です。(^O^)あとは中心帰納と腰回しでなんとかつなげていく、、ていう感じです。是非とも、そのたくさんの型の中に、中心帰納と腰回しを意識的に組み入れたとき、質感がどうなっていく
また、押切さんからお題をいただきました。"腰でとる"とよく言葉にしているので、それについて、リクエストがありました。\(^o^)/この言葉は、成田先生の本や極意書に書かれていることばではありません。でも、どういうわけか稽古のなかで、よく、口に出してしまう言葉なのです。きっと、一元塾で習っていたときに、無意識に浸透した言葉であり、身体遣いなのだと思います。成田先生は、おそらくこの言葉はあまり使われていなかったような気がします。でも、同じ状態を作られて
2回目の大阪での講習会の開催日時が決定しました。2月23日(土)です。今回の講習会は第1回や東京とは少し趣向を変えて、理の時間を座学として織り交ぜようと考えています。ご了承お願いいたします。講習会in大阪さて、この一年、毎月の講習会を中心に、いろいろ内容を組み立てて、初めての方も、常連の方も何らかの理解が得られるようにと試行してきました。やってみて、そして続けてみて、わかったことことがいくつかあります。それは、自分の状態、状況
新年から、ふと合気道の型稽古の技で人を殺すことが出来るのか想像してみました。しかし、無いのです。殺せる技がないのです。よくよく考えると、ほとんど制圧する技なのです。決して誰か人を殺したいということではありません。^^もちろん、人を殺したこともありません。\(^o^)/武道の発祥は人を殺めることから来ると教わっています。戦いのかなで効率の良いやり取りをパターン化し、拡張、収斂させていくことで、また創始者の考え方が反映されて、様々な武術、武道が生まれたんだと思います。受け継ぎ、携
僕が合気道を始めたのは、以前書いたことがあるのですが、当時、和光市駅前に道場があった合気会の和光支部です。和光支部の先生は、川路先生という方で、それはいろいろ同様の方はいらっしゃるとは思うのですが、まさに、合気道に人生をささげているような先生なのです。そういう意味で、僕はこの先生の合気道に対する姿勢にとても影響をうけていいるのは間違いありません。川路先生は、思想的には故佐々木将人先生からの流れではあるのですが、合気道に強さを求める側面もあり、パワーと
もし、僕が合気会のまま、あの当時のままのペースで順調に稽古を続けていたら、5段くらいなのでしょうか、、もしかしたら先生の機嫌を損ねて、4段のままかもしれません。5段以降は先生の推薦?お許し?のもといただくこととなるので、4段までのように一定の期間と日数で取得資格がもらえるわけではありません。かといって、それに相応しい実力がなければ審査は通らないという言い方もできます、、が、まー、厳密に基準を数値化されているわけでもありません。では、3段をいただいてから、合気会の稽古をほと
大いなる既知と未知を求めてこのブログを書かれている無元塾に来られている生徒さんは、ここの合気道を通して、深く思考を巡らしていることがよくわかります。いつも読んで、ハッとさせられます。この生徒さんだけでなく、皆さんそれぞれ表現が違うのですが、成田先生の本を読んで、成田先生から習った教えをお伝えして、みんなでやっている稽古の中での雰囲気で、それぞれが掴んだ、それぞれの解釈を元に、それぞれの個性の中で試行錯誤する。そしてシェアする。とてもいい環境だと思います。世界の中で、もっ
今、この場で出来ることだけをやる。過去や、将来に関することを憂いて考えていても、思考が働いでいる分、身体が動かない。なので、自分の姿勢が崩れない自分の領分の中で、その瞬間やれることをするということ。何も、人に合わす必要はなく、自分の拍子で、その一瞬、一瞬を最大限にする。それでも、なにかに巻き込まれて、身動きが取れなくなるのは、それは環境のせいではなく、自分の中に、巻き込まれる対象があるということだと自分に言い聞かせる。そし
FBにアップして、約3日が経つのに、大分勢いは無くなったものの未だにコメントが最初の動画には入り続けています。英語でスラング的な表現や、微妙な表現なんかがあり、賛同派なのか、否定派なのかよく分からないコメントもあるので、英語ペラペラの合気道仲間のTさんに協力してもらいました。そうすると、大まか、3割が賛同派、7割が否定派だという感じだそうです。これはヤリガイがあるなと思いました。\(^o^)/そして、それはここの合気道が広まる余地があるということです。そして、僕がその状況にあって、今
この動画をメンバーが24000人以上いるFBのグループに投稿したらどうなるか試しに放り込んで見ました。想像していた以上に反応があって、少し驚きました。短時間に結構なコメントが集まり、その内容を見ると、とても面白い。ヤラセだという人から、氣のことを語りとても評価してくれる人まで様々です。おそらくメンバーが、海外の人の割合が高いのか、反応を示したのはほぼ外国人合気道家。日本人でコメントいただいたのは興隆会の上田先生のみでした。成田先生の動画は、意外に合気道家に見られていないのでは?見た