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黒蜥蜴と言えば、原作は江戸川乱歩ですが、美輪明宏さんのライフワークとして有名ですね。私は舞台を何度も見ているのです。あの妖艶な美輪明宏さんがとても素敵ですもの。11月25日にBSで放送された映画は1968年に作られた作品です。そして、この作品になんと三島由紀夫さんが特別出演しているのです。そう、この日は三島由紀夫さんのご命日なのです。つまり「憂国忌」なのですよ。このように檄を飛ばして世を去られてから55年になります。「憂国忌」にも何度も参加させていただきました。自衛隊が覚醒す
一昨日11月25日は憂国忌。55年前のこの日に自決した作家の三島由紀夫をしのび、全国から愛読者や信奉者が集まって追悼集会を開く日だ。三島由紀夫。個人的には、決して嫌いではないけれど、さりとて決して好きでもない。その思想や信条はとりあえず横に置き、純粋に物書きとしてとらえても、だ。何と言うか、どの作品に対しても、イマイチ主人公に感情移入出来ないのだ、、、24歳の若さであの「仮面の告白」を書いた天才ぶりとか、同性でもあらわしえないような力を見せる女性心理の微妙な表現とか、「美」に対する独自の
こんばんは😊Hickeyです😊11/23は勤労感謝の日‥‥元は新嘗祭という祭日です🇯🇵祝祭日と言いますが実は今の日本は祭日が姿を消し祝日ばかりになってしまっているんだよな🫵😒祭日は君臣にとり大事な日❗️祭祀の日は速やかに祭日に戻し祭日の名称も速やかに元に戻してもらいものだね❗️日本は神の國🇯🇵日本の復活は祭祀から🇯🇵さて…前にブログを書いたのいつだ❓🤔10月4日だと😳高市早苗総理誕生前やないかい😳まだご覧になってない方は下をクリックして御覧になってください⬇️『
今日午後2時から永田町の青陵会館で、恒例の憂国忌が開催され、三島没後55年、生誕100年であり当方も行ってきた。先ず、乃木神社神職による鎮魂祭の後、前鎌倉文学館館長の富岡さんの開会の辞、そして三島由紀夫と交流のあった女優、村松英子さん、そのお嬢さんの村松えりさん等の座談形式で三島の戯曲「鹿鳴館」や「薔薇と海賊」の演出など含めた思い出話があった。【今日の憂国忌パンフレット、そして会場に設置された祭壇】そして異色だったのは、石平参院議員(維新)のスピー
今日11月25日はブログを書いている時点では、しっかりと雨が降っておりレインブーツを着用しての通勤でした。この画像は11月21日金曜日に神戸電鉄長田駅にて撮影しました。ゆっくりと雲が動いていそうな雰囲気ですね。まだまだ秋の空って雰囲気を感じられます。■今日がどういう日かというと。西暦2025年11月25日[月の]第5週第4火曜[年の]329日目残り37日旧暦10月(大)6日(先負)ユリウス通日2461004.5(日本時
今日は「憂国忌」三島由紀夫の命日だ彼は1970年11月25日自衛隊市ヶ谷駐屯地を「楯の会」メンバーと共に訪れ演説した後割腹自殺する…という衝撃的な最期を迎えたアンダンテ当時高校3年この日は避難訓練の日全校生徒が埃っぽい校庭に集まっていた中どこからともなく「三島由紀夫が割腹自殺したらしい」と伝言ゲームのように伝わってきた中には「青島幸男が…」と間違った情報も今のようにネットなど無い55年前だけれどニュースはアッという間に広がったと記憶しているそれまで「仮面の
55年前の今日の事は今でも忘れない。会社から帰宅したら家族が何かあったらしいとテレビを見ていた。アナウンサーの実況放送の声は尋常ではなかった。作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地のバルコニーで隊員の前で演説しているとの事だった。その後の放送で、演説後バルコニーから総監室に入りそこで自刃したことが分かった。三島に殉じたのは当時早稲田大学学生だった森田必勝だった。森田は三島から残るように諭されたが自分は吉田松陰先生に殉じた金子重輔の決意であると譲らず三島の後を追い自刃した、見事な最期で
【起稿2025年11月25日記事】日付が変わりました🗓今日東京は、天気が崩れ昼間小雨が降りそうな予報です☁🌂さて皆さん、今日は「憂国忌」です😨「憂国忌」は昭和期(戦後)の著名作家で、国粋主義的活動家であった三島由紀夫の忌日です。三島由紀夫(1925年-1970年)※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。三島由紀夫は、文学界においては、近代批判と古代賛歌を支柱とし「日本の伝統への回帰」を提唱した「日本浪漫派」に属し、代表作は小説「
三島由紀夫の衝撃の自決から今日で55年となった、彼の自刃に就いては無数の論評がある、1958年3月号の雑誌「婦人公論」に三島は『心中論』という一文を寄せている。其処には自決の一つの理由になっていると思われる箇所がある。【山中湖村にある三島由紀夫文学館】三島由紀夫は、敢えて放言として曰く『若い同士の心中はいいもので、太宰治などの中年者の心中の不潔さはない。自殺でも心中でも若いうちに限るので、それが美男美女なら一層結構なのである。同じ腹切りでも
UNIQLO公式アプリandroid版iOS版山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!ようやくたどり着いたあこがれの年金生活夢見た悠々自適ゆうゆうじてきの年金生活は、なぜか幽遊自虐ゆうゆうじぎゃくの耐乏生活にに様さま変わりそんな自虐生活の中で気づき考察したアレコレを勝手気ままに綴つづっております!こちらからどうぞ昭和45(1970)年11月25日、作家・三島由紀夫氏が市ヶ谷の自衛隊で自決しました。その日を
先週来、在阪の大バカ、薛剣・中国総領事のことを当ブログでも取り上げているのでこの辺で、スカッ!と気分転換する為、私淑する三島由紀夫のことを書きます。『舐めたらいかんぜよ』(正に、中国総領事に言うべき言葉だが)は宮尾登美子原作の映画「鬼龍院花子の生涯」(1982)での夏目雅子の名セリフだが、その監督の五社英雄は他にも「三匹の侍」「極道の妻たち」等制作している。1969年、五社が三島由紀夫に映画「人斬り」(石原裕次郎主演)の出演依頼をした。その理由は、五社曰く『
永遠の三島由紀夫Amazon(アマゾン)執行草舟著「永遠の三島由紀夫」を読みました。著者は実業家で、著述家で歌人と三足の草鞋を履く方です。毎度毎度レビューが長くなってしまうので、今回は章ごとにまとめて行けるようにしたいと思います。それでも序章と終章を含めて十になりますけど。憂国忌のセミナーで著者の講演を聞いたことがありますが、残念ながら本書を読むまでは著者の三島由紀夫の関係をよく知りませんでした。著者は16歳の時、三島由紀夫に初めて出会いました。その時、三島由紀夫は41
俳子歳時記冬<ゆ~ゆき>憂国忌(冬・行事・初冬)軍国の士への挽歌ぞ憂国忌憂国忌入り玉小さき銀の鈴由紀夫忌や男美学のちと悲し憂国忌なに憂ふるか知れぬまま憂国に死して御恩の小春晴憂国の情に溺るる憂国忌憂国忌身捨つるほどの国あるや軍国の少年の哀憂国忌雪(1)(冬・天文・晩冬)天と地のあはひ遥かに冬木立北海道・十勝黒一点雪の大樹は骸めきいづこにも
越乃寒梅を飲んで寝る寝る前にテキストを入力
Amazonプライム・ビデオ三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実ゲスト:平野啓一郎氏テーマ:三島由紀夫(2023年7月21日放送・前半無料パート)ゲスト:平野啓一郎、出演:島田雅彦・白井聡、司会:ジョー横溝本【LIVE】第54回三島由紀夫氏追悼の集い『憂国忌』[R6/11/25]人間は自分の為に生きて自分の為に死ぬほど強くはないのであります【三島
ブログ訪問ありがとうございます。錯綜する情報の中で、見極める為にと思いながら、また自身が見極める為にと思い、最近は特にアメリカ、トランプ大統領周辺の情報を上げています。今回は三島由紀夫生誕百年の集いについてブログ致しました。ご覧下さいませ。三島由紀夫生誕百年の集い記憶から消えることのない衝撃的事件だった三島事件。その事件より100周年を迎えた今年2025年。生誕百年の集いが本日開かれています。三島由紀夫は1925年生まれ。今年2025年は生誕して百年に当る。1970年(昭和45年)自決
憂国忌での西村幸祐氏の講演に感動をする。三島由紀夫氏の市ヶ谷での決起は日本民族への諫死であった。日本人は天皇陛下に恋闕をしている。それなのに、陛下は一君万民の思想によって国民と連帯できない。日本は天皇国であるべきだ。我々は天皇の御存在を死守をすべきである。佐伯啓思は、「滅びへ向けた自己犠牲を失った戦後」という論考を著している。あの大東亞戦争からわれわれが記憶すべきなのは特攻に示された滅びに向けた自己犠牲の精神である。戦後の米国従属の平和主義の中で、その精神が忘れ去られてしまった。米の庇
三島由紀夫の文化概念としての天皇は、〈菊と刀〉を包括した日本文化全体の「時間的連続性と空間的連続性の座標軸」(中心)であり、「国と民族の非分離の象徴」である。〈みやび〉の文化は、危機や非常時には「テロリズムの形態」さえ取る。三島由紀夫は日本浪曼派だな。保田与重郎は三島由紀夫の着目と感受力について、「人類滅亡の危機感にまで至るような、人間の業に対する思考及び態度」と言い、「さらにその察知の能力、それは宿命的な恐ろしさである」と捉えている。歴史上に際立つ里程標として、三島事件は今後も折に
三島由紀夫氏の命日=憂国忌は昨日だった。今年も寿ぐ・・・もとい、追悼しようとしてはいるのだが、ブログを書くには取り急ぎ、任侠道に触れねばならない。システム的にそーゆうことになる。任侠道から三島さん。迂遠であるから長文を余儀なくされる。脳内で論旨はできてはおりますが、とにかく書くのがめんどくさい。今日が雨降りなのをいいことに、サクッと雨の唄でお茶を濁します。ーーー全部カヴァーで。◆TheCommitments.ーICan'tStandTheRain(オ
令和6年11月25日(月)『歿後54年「憂国忌」』本日11月25日は、「憂国忌」(世に言う三島事件の日)であり、三島由紀夫氏、森田必勝氏の御命日であります。54年前の今日、三島由紀夫氏は自身の主催する「楯の会」メンバー4人と共に東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部において、総監を人質にとり本館前に自衛官約1000人を集合させ自衛官らに対し蹶起を呼び掛ける演説を行いました。その後、総監室で楯の会・学生長であった森田必勝氏と共に自刃を遂げられました。ここに三島由紀夫・森田必勝両氏
憂国忌痛そうに見えぬ殉教図憂国忌わたくしの腹に贄の印潮鳴りの国はからつぽ三島の忌UFO来る三島忌の空がある三島忌やうつくしい星に行こう明日またしても某サークルの今週の指令は、「三島忌、で俳句を作れ!」。ううう難題。幼児にもあの事件は衝撃でした。難しい人、の印象が強いけれど、『美しい星』『夏子の冒険』『三島由紀夫レター教室』などエンタメな作品も。若い頃、星新一と能登半島にUFOを探しに行ったと言うエピソードが好きです。「ここじゃない、どこか」に行きたかった人なんだな、きっと。絶筆『豊穣
本日は54回目の憂国忌だったと、夜になって知りました。それで1~2週間前から三島さんのことが頭に浮かんできていたのかもしれません。三島さんが市ヶ谷で割腹自殺を遂げた時、私はまだ11歳でしたが、子供心に大変なことが起きたという認識はありました。ですが、それ以上のことを知ろうとする年齢ではありませんでしたし、今のように簡単に検索して情報を得られる時代ではなかったので。。。何年か前から三島さんのことを知りたいと思うようになりました。ただ、彼の本は文体が難しすぎて、今の私の頭では読み進
『散るを厭う世にも人にも先駆けて散るこそ花と吹く小夜嵐』『益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐えし今日の初霜』(三島由紀夫辞世の句)合掌+今日11月25日は、三島由紀夫が自刃してから54年目となるが、彼が何故自刃したのかに就いては内外共に数多の論評がある。1958年3月号の
今日11月25日は,三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした日です。1970年の出来事ですが,その日は水曜日。正午に三島はバルコニーに立ち,演説を始めます。集まった自衛隊員からは,罵声と野次が浴びせられました。演説は約10分間。状況に絶望したのか,総監室に戻り,割腹自殺。1970年は,三島の衝撃的な自決のほかにも,天地を揺るがすような事件が発生しています。3月31日に起きた,赤軍派学生による日航「よど号」ハイジャック事件です。犯人たちは,その飛行機で北朝鮮に渡り