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名前のとおり、ここは浦島寺。一応慶運寺とも言います。ちょいと出し惜しみして、引き伸ばしました。(笑)でも、ついミーハーにも浦島伝説ゆかりの寺ということで、浦島寺という名前の方を覚えちゃいます。手水舎もカメさんです。ちょっとペイントでの角度の直し方がいまいちなので、斜めで失礼します。^^;ガイドパネル慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、「東国紀行」の天文14年(1544)3月3日の条に「ほどなくかな川につきたり、此所へも
おはようございます江戸散歩です旧東海道歩き、浦島町までやってきました暑いです浦島町ここ神奈川には、浦島太郎伝説があります竜宮城から戻ったとされる神奈川には、太郎が足を洗ったという足洗川などがあります第1京浜沿いには池袋大勝軒の暖簾分けした支店があります大勝軒入った事無いんですね機会があったら行ってみたいですビルの敷
横浜の街をぶらりと歩いていると慶運寺(浦島寺)近く川沿いのこのおうち駐車スペースの関係なんでしょうねぎりぎりのところに板を置いて川に出っ張りを作る感じでした。見ているだけでひやひやものですよねそのお宅の反対側を見てみると川床の上に家が突き出ています。川床って個人のものとは考えられないですからこの物件については横浜市あるいは県とか国とかが空中権に使用をみとめているんでしょうかね!?珍風景が横浜にはいろいろあるのかもしれませんね今度また探してみようそれではま
昨日に引き続き、旧東海道の神奈川宿散策のことを書きます。今日は、「慶運寺(浦島寺)」をご紹介します。JRの線路と京急の線路の間に位置し、電車の音で騒がしいところにあります。このお寺は、二つのことで有名です。まず、一つ目は開港の頃、フランスの領事館として供用されていたこと。ここで、「ボンジュール」とか、「ウイ」とか、「サバ」といった会話が飛び交っていたのですね…幕末の頃に…。もう一つは、この寺は浦島寺とも呼ばれています。浦島太郎が竜宮城より持ち帰っ
駅からハイキング東神奈川「東海道五十三次神奈川宿」を歩きました。東神奈川駅、初めて降りる駅です。生きない道を間違えて、時間を無駄にしてしまいましたがどうにか最初の能満寺に到着。このコース2月26日までなのでもう少し後で歩いたほうが花がきれいかも。本陣跡は看板だけでした。大綱金比羅神社には洞穴のようなところに弁財天がいました。坂本竜馬の妻「おりょう」が働いていたことがある田中家。上台橋からのながめ。昔はここまで海だったらしい。駅ハイのコースではなかっ
いつもブログご覧いただきまして、ありがとうございます2016/11/26この日は、SNSで山歩きをしているメンバーを誘っての横濱旧東海道の神奈川宿あたりをあるくツアーです女性3人と一緒に東神奈川界隈のみどころを巡ってきました歩いたコースは東神奈川駅→仲木戸駅→金蔵院→寺熊野神社→成佛寺→神奈川署→台場公園、台場遺跡→綿花橋→横浜市場→JR高島線踏切→ガトー横浜店→神奈川公園→州崎大神→宮前商店街→青木橋→本覚寺→神奈川駅→幸ヶ谷公園→権現山下→宗興寺→浄瀧寺→慶
いつもブログご覧いただきまして、ありがとうございます2016/10/23日曜日、午後からお出かけいたしました11月に予定している横濱旧東海道の神奈川宿界隈の旧跡などを巡るツアーの下見に行ってきましたちょっと迷走気味なYAMAPのルートはこちらhttps://yamap.co.jp/activity/map/544991東神奈川を出発です駅構内には、開業当時の駅の写真がありました東神奈川はJRの駅100m程離れた京急の駅は仲木戸と
なんだか長くなってきたので…一気に載せてみることに。長〜い長〜い…第34番札所本尾山朱雀院種間寺高知に入ってから海沿いのお寺が多い気がいたします。「6世紀のころ敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは
パフレット中から慶雲寺を選んで散策浦島太郎伝説が横浜にあると聞いて早速訪れてみました浄土宗慶運寺本堂本堂の扁額「光照殿」慶運寺門前にある神奈川宿歴史の道プレート歴史の道のによる慶運寺の説明室町時代に開かれたと記されています。浦島丘にあった観福寿寺が大火で焼失し浦島伝説にかかわる記念物がこの寺にもたらされましたそれ以来慶運寺は「浦島寺」とも呼ばれています。門前石碑「浦島観音
前回に引き続き、かながわ検定横浜ライセンス予習復習企画の神奈川宿周辺その2です。前回は、京浜急行の神奈川駅からほど近い本覚寺と浄龍寺を回りましたが、今回はそこから、京浜急行の仲木戸駅、神奈川新町駅へと移動して行きます。今回は問題が2問あります・・・問1、開港期、バラ夫人、ブラウン、ヘボンなどの宣教師の宿舎に充てられていた寺は?①慶運寺②成仏寺③浄滝寺④本覚寺問2、次の4つの寺はいずれも横浜市内にある。このうち、「浦島太郎伝説」と関係のある寺は?①宗興寺②総持
東神奈川駅~浦島太郎・慶運寺~東神奈川駅~神奈川台場・慶運寺~東神奈川駅は1908年(明治41年)9月に開業しました。現在は東海道本線所属の駅とされていますが、元は横浜鉄道が横浜線の開通に合わせて国鉄との接続駅として設置した駅です。横浜線が現在の位置で東海道本線と接続しなければ誕生しなかった駅かもしれません。手元の東神奈川駅の駅スタンプを確認すると2種類ありました。以前は「神奈川台場」を描いたスタンプだったのですが、つい先日押印したところ「浦島太郎」のスタンプに代わっ
小さな漁村だった横浜を開国したことで神奈川宿周辺も大きく様変わりを始めます。まずアメリカ、イギリス、フランス、オランダといった国々のために神奈川宿の寺院が領事館として接収されていきます。アメリカは幕府が用意した領事館を断り、横浜港や神奈川宿を見下ろすことができる本覚寺を領事館として接収しました。この本覚寺については駐日公使であったタウンゼント・ハリス自らが決めたそうです。長く仏の教えを守ってきたお寺にとって、異人に領事館として差し出すこと自体、迷惑甚だしかったため、わざわざ屋根を抜いて「
[2014/10/11(土):曇り時々晴れ][カメラ:Konicaminoltaα7Digital+SonyDT16-80mm/F3.5-4.5]引き続き、旧東海道の神奈川宿です。高札場次に到着したのは、復元された高札場です。実際の位置は、もう少し第一京浜よりの警察署近くにあったらしいです。成佛寺(外国宣教師宿舎跡)次にやって来たのは、すぐ近くの成佛寺です。こちらは、外国宣教師の宿舎跡でもありました。ヘボン式ローマ字でお馴染みのヘボン医師も、こちら