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こんにちは!奈良有里子です(*´∀`)本日も『まいことゆりこのエンギモン』をお聴きくださりありがとうございました。⛩️本日のO.A曲⛩️忍/GReeeeNぼうやの夢よ/オーイシマサヨシ楽園/CAVE海よりも深く/彩恵津子美しい鰭/スピッツ66回目『慶運寺』さんをご紹介しました。⛩️アクセス⛩️JR線東神奈川駅下車東口より徒歩7分京浜急行東神奈川駅徒歩7分京急東横線反町駅徒歩10分⛩️御祭神⛩️阿弥陀如来⛩️ご利益⛩️極楽往生慶運寺は、室町時代。14
年の瀬の御朱印巡り、きのうの宗興寺から歩いて慶運寺へフランス領事館跡だそう。さすが横浜。亀が多い赤い実が映える青空本堂御朱印を頂いた社務所にも亀がたくさん。浦島…というところから?ぐぐったら浦島太郎伝説にヒットしました。いろいろ歩いてみると勉強になります。このあと横浜駅まで歩いて、途中で年賀状を買いました(←ギリギリ)そして東横線で都内に戻りました(続きます)
こんばんは暑かった横浜、日中の移動に汗をかきました。皆さん、お疲れ様です✨本日は運転免許証更新のため、最寄の警察署へ参りました。行く途中に慶運寺がありました。ここは開港時にはフランス領事館だったようです。また、浦島太郎伝説があり、竜宮城から持ち帰ってきたという浦島観音があるそうです。お寺は閉まっていました。来月は行事があるようなので、行けたら良いと思います。さて、神奈川警察署で、顔写真撮影、印紙購入等手続き。私は優良運転者なので30分の講習です。最近、運転したのは5年以上前です
2023.3.6.横浜の東神奈川駅付近にある浦島観音の慶運寺を参拝して御朱印をいただきました♪書き置きですが、華やかな感じのする綺麗な御朱印。観音堂の浦島観音は横浜市の重要文化財です。【関連記事】横浜、浦島太郎伝説の浦島観音参拝♪『横浜、浦島太郎伝説の浦島観音参拝♪』2023.3.6.横浜での用事の帰り、浦島観音のある慶運寺を参拝しました。浄土宗のお寺です。慶運寺本当に行き当たりばったりでした。亀好きの私は寺入り口で寺…ameblo.jpポチ
2023.3.6.横浜での用事の帰り、浦島観音のある慶運寺を参拝しました。浄土宗のお寺です。慶運寺本当に行き当たりばったりでした。亀好きの私は寺入り口で寺の名の下に亀の姿を発見!そして、浦島寺という通称に興味を引かれて参拝したのですが、それがなんと!横浜市重要文化財の観音さまでしたwこちらの浦島伝説はちょっと違っていて、タウンニュースに出てます♪乙姫の土産は「観音像」?慶運寺に残る浦島伝説乙姫の土産は「観音像」?慶運寺に残る浦島伝説|神奈川区|タウンニュース日本を代
夕方からのおばちゃんとの会話おばちゃん「明日の朝、市場行きたいから、朝早くてもいい?」私「いいですよ。何時がいいですか?」おばちゃん「5時半くらいかな」私「大丈夫です。お金先に払いますね」夜の会話おばちゃん「明日の朝、お寺の役があったからゆっくりでいいよ。お父さん1人で市場行くから」私「お寺ですか?」おばちゃん「行く?」私「行きたいです。」おばちゃん「いいよ」朝の会話おばちゃん「やっぱり市場行ってくるから、ゆっくり寝てればいいよ」私「いいの?市場行かれてる間に神社行って
今日の東京はムシムシジメジメやる気でないわ~と思ってたら夕方きれいな虹が東京タワーから伸びてるの右下の小さいのが東京タワーとっても大きな虹で反対側がどこまでいってるのか確認できなかったくらいいいことあるかなぁ先週土曜のSHOWチャンネルの中でフワちゃん主催の英語劇浦島太郎でしたね中島裕翔くんの英語がとっても流暢でびっくり野ブタ時代のかわいい裕翔くんの印象がまだ強く残っているのにこんなにかっこいい青年になってドキドキしちゃうわ~さて
宗興寺の次は吉祥山慶運寺へ。この日の最後のお参りです。慶運寺はフランス領事館として接収された歴史があります。そして浦島太郎伝説が残るお寺です。手水舎。大きな亀(^o^)御本堂。観音堂。こちらに浦島太郎が玉手箱と一緒に乙姫さまから守本尊として授かったと言われている「龍宮伝来浦島観世音像」が祀られています。ご開帳期間は終了しているので、12年後まで観音さまは拝観出来ないものと思ってたけど扉の1部が開いていて実物を拝観出来ました!(↓は観音堂前の写真です)中央が亀の上
昨日は京急子安駅を過ぎた所で、浦島町の案内板に気付き、浦島伝説をググってみました。結果、この先にある慶運寺って所に寄ってみることにしました浦島町から更に進み、神奈川新町、京急東神奈川を過ぎた栄町の手前の滝の川が第一京浜側の入口になります。振り返って向こうが第一京浜です更に第二京浜側に進んで行くと京急線です近くの公園お寺は京急線と東海道本線の間に位置します。ネットで見た亀さんです二つの線路と住宅地に囲まれた小さなお寺浦島観音堂です興味のある方はこちらをクリックしてみてね慶
さて、「ウラヨコハマ」の”ウラ”の出典の一つでもある浦島太郎ネタの内、慶運寺編のつづきでございます。さて、唐突ではありますが、この丸い物体は果たして何なのか?まず、これが今回のテーマではあるんですが…その前に、慶運寺の本堂について。お寺にも拘わらず、七面大明神のお社以外に本殿らしきものが見当たらなかった前出の蓮法寺に対し、こちらの慶運寺には浦島観世音のお堂以外にも、ちゃんと普通に本堂が存在しておりました。それが…こちら。私的には、特にこれといった特色のある
さて、「ウラヨコハマ」の”ウラ”の出典の一つでもある浦島太郎ネタの内、慶運寺編のつづきでございます。さて、前回も出てまいりました、慶運寺版「浦島太郎伝説関係資料」。文字を読める様に、いつもより大きめにUPしてみました。(by染之助染太郎)この文中にある、浦島親子塔というのが〜〜〜…はい、こちら。別の角度で。これによると、「浦島大夫(父)の廟所」と「浦島太良(太郎本人)の齢塚」というのが、この寺にはありますよ、と書いてあろうかと思いますが…この石塔以外に
さて、「ウラヨコハマ」の”ウラ”の出典の一つでもある浦島太郎ネタの内、慶運寺編のつづきでございます。まずは、前回も出てまいりました…この、亀の形を象った手水舎ですが〜〜…実はその後ろに、こんな動物供養の為の一角があり…そこには様々な動物のオブジェが。まずは、向かって左側から…犬(プードル系?)のオブジェに、うさぎのオブジェ。様々な犬種の犬たちのオブジェ。そして、さすがに「うらしま寺」だけあって、亀のオブジェも4種類。そしてそして、更に亀のオブジェ
権現山をおりて、まずは、慶運寺。別名、浦島寺とも。浦島太郎伝説は、日本各地に残っていますが、このあたりにも、浦島伝説が伝えられています。そのため、地名にも、浦島町があり、亀住町があり。この慶運寺には、浦島太郎が、竜宮城から持ち帰ったとされる観音像があります。観音堂です。中央が、観音像。右が、浦島太郎。左が、乙姫。この、浦島太郎伝説は、各地に残されていて、それぞれの物語の違いがありますが。ここは、フランス領事館の置かれていた場所。亀、です。横浜開港にともなって、各国の領事館が
人がいない時間を見計らってタイムスリップ的な気分転換浦島太郎伝説のある神奈川区「太郎が海で釣った亀=乙姫様で帰りに玉手箱と観音菩薩を授かった」というちょっと微妙に違う感じの伝説そのお宝がこのお寺に・・・開門は朝9時入っていくと立派なご本堂JR&京浜東北線と京急本線の線路に挟まれているこのお寺電車の音がひっきりなしに聞こえてきますこのご時世残念ながらご開帳も出来ないようですがのぞき穴から太郎が授かったという観音様を拝観することが出来ました
『箸中ロマン古墳ウォーク』さてさて、午後の部の座談会までの時間に【茅原大墓古墳】を訪れたココロは、再び座談会会場である【ホケノ山古墳】に向かった……その前に………ちょっとお手洗いにと、当初講演会が行われる予定だった場所に向かった………その場所は、こちらだちょっとお手洗いをお借りするついでに拝見させてもらおうその場所とは…………【慶運寺(けいうんじ)】奈良県桜井市箸中1162この門をくぐり抜け、右手にあるお手洗いをお借りしたすっきりして(笑)……境内を見渡すと……美しいピン
【ホケノ山古墳】『箸中ロマン古墳ウォーク』午前の部もいよいよ最後の古墳となる〜っ墳丘からは、先程行った【堂ノ後古墳】【宮ノ前古墳】を挟み【箸墓古墳】を眺める事が出来るこちらも良い眺めだなあ【ホケノ山古墳】形式:前方後円墳築造:四世紀初めごろ箸墓古墳東方の尾根上に所在する古墳。古墳の規模は全長80mだ前方部側には周濠状遺跡がめぐり土器や木製品が出土した。後円部中央の埋葬施設は、通有の縦穴式石室ではなく、木槨を多量の川原石で覆う『石囲い木槨』であった。大和の古墳では初
2019年8月巻向ぶらり<奈良>当麻の相撲館の後は桜井の相撲神社へ行こうと巻向駅から歩いて向かった。しかし、あまりの暑さの為、目的地には着けずに帰る事になった。
平成元年11月2日参拝JR横浜、京浜東北線東神奈川駅からのお詣りめぐり東光寺にて達筆な御朱印をいただき、再び元気を取り戻しました、午前中に法要中で入れなかった、旧フランス領事館慶運寺へ再訪してみました。京浜急行線に沿って、金蔵院を通過し、更に3分ほど歩くとJR線のガードが見える通りに出ますので、すぐ右に曲がると慶運寺の山門です。慶運寺(けいうんじ)山号:吉祥山院号:芳艸院(ほうそういん)艸=そうと読みます草という字の旧字体寺号:慶運寺宗派:浄土
横浜の浦島太郎伝説の地巡り(歴史の道を歩いて慶運寺へ)の続きです。慶運寺へ再び訪れました。慶運寺神奈川宿歴史の道標寺号慶運寺うらしま寺うらしま寺とはかっては浦島丘にあったこの歩道橋の山手方面にあったたとされる観福寿寺慶應年間の大火で焼失したため浦島伝説にかかわる記念物は慶運寺に移されたそうです。それ以来慶運寺は浦島寺とも呼ばれています。寺号標浦島寺寺号標の台座には亀さん明治にはフランス領事館がありました
横浜の浦島太郎伝説の地巡り(足洗井戸、他)の続きです。今回は慶運寺です。(うらしま寺とも呼ばれています)以前も訪れているのでリブログでも載せます。場所JR東神奈川駅、京急仲木戸駅から横浜駅方面の浦島太郎伝説ゆかりの地へ行って来ました。○印慶運寺成佛寺へJR東神奈川駅からスタート旧東海道の松並木が復元されている神奈川宿歴史の道歩道車止め(矢印)は「亀」さんです。松並木を過ぎても慶運寺周辺は多くの亀さん車止めが設置されています
横浜の浦島太郎伝説の地巡り(蓮法寺)の続きです。蓮法寺他にも神奈川地区に浦島伝説ゆかりの地があることを散策新聞などで知りネットなどで場所を調べ歩いて見ました。浦島太郎が足を洗った井戸も見つかりました。井戸に記してあった浦島太郎ゆかりの遺跡と読めました井戸に記したゆかりの遺跡他に特別な案内板などはなかった。井戸は凄い~陶器のようである井戸も時代とともに手押しポンプと変わりました。ポンプ川本式子安地区は浦島伝説に相応しい昔の家並みでした。
お盆も近いことだしお寺さんに回向料を奉納してきました近いのだけど年に何回も来るところじゃないのでお参りをしっかりとやる…方丈様も代がわりしてちょっと遠くなっちゃったネ帰りに前から気になっていた蕎麦屋に入ってみた昼近くだけど開店すぐだからかイチバン客だったみたい(^。^)ちょっと古めかしく木材を使った店の作りは雰囲気を醸し出していてほかに客がいないせいか?落ち着きます…お昼のセットがあり水曜日はさらにお安いそうなので親子丼とセイロのセットを頼んでみましたま
(Θ-Θ)ゲコゲーコ。この日は、街中でカエル🐸とカメ🐢💭に遭遇しました。💭先ずはカエル🐸の話から。街の名前は白幡だけどアクセスは、東横線・東白楽駅より徒歩約3分。東横線沿線では意外と少ないですが、スペシャルティコーヒー専門店の焙煎店です。カエル🐸のロゴが目印の珈琲豆焙煎店。@TERACOFFEEandROASTER.(テラコーヒーアンドロースター)営業時間=11:00~20:00。月曜定休。来店するのは二度目になります。[ホットコーヒーSサイズ]値段は450
古墳をいくつか巡り、お昼になったところで昼食会場へ。今回の参加者は130名ほどで、(100名の予定だったみたいですが、希望者が多くて人数を増やしたのか、ペアで参加してる方も結構いたので融通を利かせたかのかは不明ですが)昼食は各自持参でしたが、食べる場所として午後からの講演会の会場である慶運寺の境内と、近くの国津神社のお座敷を解放していただけました。国津神社は座る場所があると聞き、一目散に最後の古墳から降りて国津神社へ←旦那さまの教育のお陰で、こういう時の行動が抜け目なく出来るようになりました
2016年1月から集め始めた御朱印を順番にアップしています慶運寺神奈川県横浜市2016年5月23日(月)参拝《御朱印》スタンプの御朱印です。時間が経つにつれて滲んでしまいました。慶運寺は、通称『浦島寺』と呼ばれていて、昔話の浦島太郎伝説が伝えられているお寺です。日本各地に伝わる、浦島太郎伝説の中でも、信憑性が高いそうです!確かに、お寺の近くに、浦島町とか亀住町なんて町名もありますし、竜宮橋なんてのもあります!御朱印を頂くために庫裏に伺うと
2017年8月11日の筑前町・大刀洗町散策レポの続き。「コイがいっぱい陣屋川」と「飛龍酒造」を見た後もまた、本郷地区の散策を続けました。コイがいっぱい陣屋川・飛龍酒造のレポhttps://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42100569.htmlhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12388024492.html「飛龍酒造」さんから、西に道路を進んで行くと、右手に古そうな石碑が見えて来ます。「観世音筑後三十三」の
1858年に横浜が開港すると、諸外国の領事館が寺院に設けられました。京急の神奈川駅の近くにある本覚寺。アメリカは開港当時、幕府が用意した横浜の領事館を断り、神奈川宿にある本覚寺を領事館にするように認めさせました。アメリカ領事館跡の石碑があります。本覚寺の山門は領事館時代に白ペンキで塗られました。岩瀬忠震の石碑があります。岩瀬忠震は日米修好通商条約の締結に尽力された方です。本覚寺の本堂です。浄瀧寺は開港当時、イギリス領事館に充てられました。イギリス領事館跡の石碑と説明板。浄瀧寺の
昨日の写真の文面です。やっぱり読みにくいかなぁと。^^;浦島太郎伝説関係資料横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(1868)に焼失したため、縁起の詳細については確認できません。しかし、『江戸名所図会』『金川砂子』などの文献には縁起に関する記述がみられます。それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が20歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮