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兵庫県丹波市の道の駅丹波おばあちゃんの里で朝を迎えました。寒くも厚くもなく、車中泊にはいい季節になりました。今回は、滝より桜メインにと思って来ただけにちょこっとやる気がいまいちな朝です。白龍雌滝日ヶ奥渓谷の駐車場兵庫県丹波市春日町多利白龍雌滝のすぐ下流の無名小滝です。白龍雌滝まさに竜のようにうねった滝でした。兵庫県丹波市春日町多利設置の鎖の助けを借りて上段へ。遊歩道に戻って石段を上がっていくと林道に出ま
お疲れさまです『イチョウの木に会いに①』お疲れさまです11月15日水曜日休暇とって銀杏の写真を撮りに行ってきました。丹波篠山では有名な大イチョウの木のあるお寺に行くのを楽しみにしていました。少し朝早…ameblo.jp『ちーたんに会いに②』お疲れさまです『イチョウの木に会いに①』お疲れさまです11月15日水曜日休暇とって銀杏の写真を撮りに行ってきました。丹波篠山では有名な大イチョウの木のあるお寺…ameblo.jp丹波竜について勉強したのちちーたんの館の玄関口で紅葉スポットのポスターを
K70が災害通行止めのため、R459経由で裏磐梯方面へとバイクを進めます。そしてやってきたのが、磐梯山の噴火によってつくられた美しい湖沼群の五色沼です。森の中に点在する色とりどりの沼は、誰をも惹きつける神秘的な魅力を持っています。散策コース「五色沼自然探勝路」には、毘沙門沼、赤沼、深泥沼、などがあります。五色沼は、道もなだらかで歩行距離も長くないため誰でも楽しめる散策コースです。この日はとても暑い日でしたが、湖畔の日陰は涼しく感じられました。湖畔を散策
会津磐梯山ウルトラマラソンの出走前日、慧日寺趾に寄った。仙台空港行きの機内で司馬遼太郎の「街道をゆく33」の”白河・会津のみち”の項を読んでて、初めて「徳一」という僧を知った。(呼び捨てもなんなんだが、以降「司馬遼太郎」「徳一(とくいつ)」「最澄」「空海」と呼ぶ)「善通寺五岳山空海トレイル」(空海関連)「比叡山回峰行のみち」「京都トレイルラン」(最澄関連)「東京多摩川ウルトラマラソン」「燃えよ剣の舞台」(司馬遼太郎・新撰組関連)と、過去youtubeに投稿した動画を思いつく
【5月3日】兵庫県丹波市にある臨済宗妙心寺派慧日寺さんへ。
二本松城🏯を見学した後、『2023年5月のGW④美しい景観、二本松城跡(福島県二本松市)』土湯温泉♨️から移動し、『2023年5月のGW③土湯温泉でリフレッシュ(福島県福島市)』山登りでひと汗かいたので、千貫森公園を後に土湯温泉♨️を目指しました。…ameblo.jpまっすぐ帰る予定でしたが時間に余裕があったので、会津若松まで行くことに雄大な景色を車から眺めていたら、道の駅ばんだいが見えてきました。入った事がなかったので、急遽立ち寄る事に。お店の入口では地元のご婦人たちがフリー
慧日寺は、丹波にある古刹です。開基は、細川頼之、頼元親子ですが、明智光秀によって一度焼かれた歴史があります。きれいな境内で、お堂の屋根が茅葺なのが美しいです。建物すべてが茅葺屋根です。ただ石仏は、どこにも見当たりません。参道の始めのところに3体ほど見かけただけ。参道の途中に八百姫髪塚があります。八百比丘尼のことで、小さい時に人魚の肉を食べた為、800才まで生きたと言われていて、美と不老不死にご利益があるそう。こちらのお堂の裏に池がありま
机に反射する紅葉が良かったです^^
ご訪問いただきありがとうございます兵庫県丹波市にある慧日寺に行ってきました慧日←読めるひさは読めなかったえにちって読むんだってムズッ木々の間を通り抜けると現れた門山門をくぐると出迎えてくれる本堂横にはザ・茅葺室内に上がれさせてもらったボランティアの方が「どうぞ」って案内してくれるのボランティアの方の説明を受けたんだけどその時はそごーって思ったけど3歩あるくと忘れちゃった
思い立って、昨夜、慧日寺の紅葉を観てきました。丁度半月の日で、かつ、この時期にしては暖かく紅葉とお月様を満喫しました。真っ赤に燃えるような紅葉がライトに照らされ透けて見え、桜とはまた違う奥深さを感じたような夜の紅葉狩りとなりました。会津は今紅葉真っ只中です。県立博物館本日は、嬉しい来訪者が二組。ひとりは以前訓練校で学び、ここで働いてくれた方。すっかりいいお母さんになり幸せそうな笑顔で家族3人で帰省の
術後(人工肛門閉鎖術)1229日目の状況です。昨日は、実家で母をデイサービスに送り出して帰ってきました。お腹はなぜかまた夕方痛くなり、下痢っぽく2回出ましたなぜ2日連続。寒いからかな。良くわかりませんが、家で良かったですさて、福島の旅の続きです~良かったら読んでください🙆道の駅ばんだいで見付けたロードマップに載っていた慧日寺跡周辺に行ってきました。慧日寺は、今からおよそ千二百年前(平安時代の初め)、南都の学僧「徳一」よって開かれた寺院です。明治の初めに廃寺に至るまで一千年以上
次に慧日寺へこれもテレビで取材されていて何か行ってみたかったところ(お借りしました)今から約1200年前に「徳一」というお坊さんが理想の修行の地を求めて建立したお寺を復元したものだそうですこちらでイベントなどが開催されているのを見たことがありもっと大きい建物かと思ったのですが結構こじんまりとしていました10月22日~夜にもみじのライトアップがされるそうです次に猪苗代ハーブ園へ先日あの福島中央テレビの直川アナウンサーが妖精の羽
こんにちは。四年前の夏休み、福島県磐梯町へ家族で遊びに行きました。磐梯山夫と子どもがキャッキャとはしゃぎ回り、気がつくと夫が何らかの虫に刺されておりました。1時間ほどするとかなり腫れてきて、痛みも出てきました。ホテルで氷のうを借りて冷やしたりしましたが一向に変わりません。「大丈夫」と言うのでとりあえず近辺をぶらぶらする事にしました。ホテルから車で10分弱のところに、史跡慧日寺跡という資料館がありました。そちらへ行ってみることに。・・しかし夫の足はみるみ
【8月27日】兵庫県丹波市の臨済宗妙心寺派慧日寺さんへ。
(会津のHさん、ここからそうお呼びさせて頂きます。今回のワーク、御神業は、会津の地にひろぽんが初めて神々にごあいさつして、そこから日本仏教、神のお仕組み、明日ブログ書きますが、伊佐須美神社での御田植祭にも関わる事が、まさにぽんワーク7土を表すお仕組みとなりました。実際にかなり広い田んぼの作業される旦那様にも、お会いして、ご家族の皆様とともに、後日記しますが、ひろぽん初めて他の方のために祝詞を奏上したのですm(__)mまた、移動にはお車での移動でありこの二日間
―表紙は勝常寺の薬師如来坐像—皆さんの手もとにある、浪花屋書店の『会津の美術』からお話をしたいと思います。昭和49年の発刊ですが、その当時この本を出すというのは、大変な冒険だったはずです。発行責任者であるブックスなにわの猪俣和孝会長さんがこの会場にいらっしゃっていますが、僕はこの写真集を今も持っています。半世紀近い前のことですから、もうボロボロです。その当時はまだ僕は大学生で東京にいましたが、いつ買ったかは思い出せません。ただし、昭和45年前後に法相宗の唯識の思想が話題になった時代と
福島県会津若松市~すらら導入校~個別指導学習塾Let's講師の矢部です。入塾して一か月の中学生Hちゃん。これまで学校の単元テストは6割取れるか取れないかぐらいでした。ところが先日の単元テストでは50点満点中41点取れたそうですとても嬉しそうに報告してくれました❤後日お家の方からも喜びの声を聞かせていただきました☘️Hちゃん、数学が面白くなってきたそうです!「苦手」「嫌い」という気持ちが「出来た!」「面白い!」に変わってきて、問題へ挑む姿勢も随分と積極的になりました。塾
いらっしゃいませ〜♪月夜です無事、ちろもんこさんが飛躍した日⬇『私が行きたかったのは〜♪』こんにちはちろもんこです。6/11AM6:51東京発博多行きのぞみ7号ここまで来たもうちょっともうちょっといらっしゃいここでいきなり前々回のブログでの…ameblo.jpこの2人が行って来たのは〜︎💕︎左側がizumoさん、右側があたち慧日寺跡で開催されていました✨瑠璃光の絆✨詳しくは、izumoさんのブログを見て〜(´艸`*)︎💕︎⬇⬇私が気になり、綺麗だと思うのは…
こんにちはizumoです♪夕べ訪れた場所での子供たちによる巫女舞い磐梯町慧日寺(えにちじ)跡の金堂や山門などの境内を灯籠でライトアップの「瑠璃光の絆」と称した「月待ちの灯り」本来なら1000個の灯籠を並べるそうで夕べは天候の心配もあり灯籠の数が減らされたようです天候も優れず月灯りは現れてはくれませんでしたがそれでも十分綺麗です♡金堂の手前の山門の左右に添えられてた南の増長天西の広目天灯籠の切り絵模様がそれぞれとっても素敵でした♪、光と影が作り
1000年の時を超え再建が進む🌿磐梯町史跡慧日寺跡平安時代に徳一菩薩によって創建された会津仏教文化発祥の地です🌸乗丹坊の木ざし桜🌸金堂の裏手にたたずむエドヒガンザクラの古木長い年月を超えて訪れる人を魅了し続けています4月20日満開〜🌸おおざっぱな位置福島県耶麻郡磐梯町大字磐梯字本寺八幡4614-5外磐梯山慧日寺資料館📞0242-73-3000🚗駐車場磐梯山慧日寺資料館50台慧日寺金堂前数台のスペース有り木ざし桜を見るには入場料が必要です(
精巧で重厚―。権藤種盛のよろいかぶと展示-47NEWS47NEWS精巧で重厚―。宮崎市の県総合博物館で、戦国時代末期に宮崎城城主を務めた権藤種盛のよろいかぶとの模造品が展示され、子どもから熱視線を浴びている=...【レビュー】「兵馬俑と古代中国」兵馬俑の変遷はいかに?副葬品が語る古代中国の文化や風俗と...美術展ナビ春秋戦国時代の秦でも、秦滅亡後の漢王朝でも、俑はそれほど大きなサイズでは作られませんでした。本展では、そんな兵馬俑の変遷を3章構成で辿ることができます...
慧日寺にて伽藍中庭を🤳中庭のもじみがテーブルにリフレクション手水鉢に浮かぶ散りもみじ🍁石龕寺にて参道の敷きもみじ雨が降っていたこともあって石龕寺さんの散りもみじは艶々キラキラしとったな✨高源寺にて多宝塔石段がレッドカーペットを敷いたみたいに真っ赤っけ余談で…傘を干そうと広げたらくっついてたもみじ🍁いいお土産になりました今回はあんまりいいショットがなくて以上ですお寺めぐりはいつぶりになるか過去ブログ見たらちょうど2年ぶりやった。どおりで撮る腕
冷たい雨の降るさく日、もみじ🍁めぐりにでかけました。(ホクトは娘っちがお世話してくれた)今回は3カ寺をお参りすでに落葉してるお寺さんもありましたがひさーーしぶり(いつぶりだろ)のお寺めぐりで日ごろたまった垢を落としてきた慧日寺〈えにちじ〉住所:兵庫県丹波市山南町太田茅葺屋根の本堂寺宝の仏殿天井龍の絵石龕寺〈せきがんじ〉住所:兵庫県丹波市山南町岩屋毘沙門堂(本堂)左は薬師堂ちょうどこの頃が一番のざざ降りもみじが見頃やったのに雨でね⤵️雨の紅葉狩りもそれ
訪問ありがとうございます先日、月食が有りましたが皆さんご覧になりましたか?「月」の淡い優しい輝きが好きな私はもちろん見ました月の輝きって癒しです慧日寺で「花梨」を貰いました。道の駅でも花梨が売っていたので買いました。めちゃくちゃ香りがいいですね❣️そして、綺麗に洗ってジャムにしました出来立ては少し酸味が尖ってますがそれでも美味しい❣️ヨーグルトにかけて食べたいなぁ〜
訪問ありがとうございます今日は久しぶりに日曜日にパート休み。なので、旦那様と早朝から紅葉狩りに丹波の慧日寺に行って来ました紅葉は先週がピークだったとか。それでも、まだ綺麗でした迫力のある龍がいました。建物は古く趣があります茅葺きの本堂は珍しく、維持は大変そうです。最近、イライラモード気味。改めて生かれてる事。感謝忘れたら駄目だなぁ〜と思いました。お地蔵様に笑顔に癒されてました❣️素敵な御朱印も頂きました❣️義父さんのお昼の準備があるので早々に帰宅につきましたとさぁ〜
2020再びの会津その138/13(木)つづき当初、磐梯山のトレッキングをもくろんでいたから、どこかに資料はないかと、「道の駅ばんだい」へ。道はどんどん高度を上げ、瞬くうちに街は眼下に。すると森林公園の看板が現れた。よし、これはテン場に格好と思いつつ路地へ入るが、建設中の工場があるばかりで、公園らしきものは影も形もない。さては、公園を売りに出したか、残念。「道の駅ばんだい」では、テレビで徳一についての解説アニメが流されていた。最澄や空海と論争した南都仏教の相手が徳一、という。な
帰り道に少し寄り道抹茶が一番好きな本堂のある本当に味がある寺院さんです丹波紅葉めぐりの九ヶ寺の一つで丹波もみじ九ヶ寺があります慧日寺石龕寺小新屋観音高山寺達身寺円通寺高源寺岩瀧寺白毫寺そして丹波市観光100選寺院神社部門選定や紅葉の名所部門に選ばれていますさて参りましょうか臨済宗妙心寺派の中本山禅寺萬松山慧日寺【ばんしょうざんえにちじ】御本尊様は釈迦如来様文殊菩薩様普賢菩薩様の釈迦三尊像を祀られています開山1375年創
前回の大伴氏と繋がる久米氏の系図|久米の子の部屋(ameblo.jp)で、美努王の外祖父である可能性がある大伴長徳について、少し触れました。大伴長徳が本当に美努王の外祖父であるならば、橘諸兄は大伴氏の血を引くことになりますが、『福井県史』通史編1原始・古代(fukui.lg.jp)によると、「墾田法の画期となる墾田永年私財法は、聖武天皇のもとで橘諸兄が左大臣として政権を担当していた時期に発布されたが、橘諸兄政権のもとで越前国司となった者には、大伴駿河麻呂・大伴池主・大
『慧日寺』は会津仏教文化をつくった…というのが現在のキャッチフレーズっぽいけど…『慧日寺』境内にある『乗丹坊(じょうたんぼう)墓塔』、その説明を読むと私は別の印象を受ける。私的には「兵(つわもの→非常に強い兵士)たちの夢の跡」。乗丹坊-Wikipedia→乗丹坊(じょうたんぼう、生年不詳-1182年)は、平安時代末期の僧。陸奥国会津慧日寺の衆徒頭の地位にあった。「城丹坊」と記載されている史料もあり、越後城氏の一族という説もある。平安時代末期の慧日寺は「寺僧300、僧兵数千」とも
なんとなく…気になる。この石碑、やっぱり気になる。お日様のスポットライトを浴びているかのような石碑、読めないけど可愛い文字を、読めないなりに眺めていました。6年後の2021年。文字の読み方が分かりました。「如蔵尼(にょぞうに)」です。「忠花尼」ではありません。そっか「如蔵尼」かぁ~。「尼」しか読めなかったよ。立派な墓石ってことは、この地域の歴史上、とても重要な女性だったってことかな?尼僧になるってことは、たぶん人生波乱万丈っぽいよね?立看板の説明によると…「如蔵尼」は平将