ブログ記事183件
3月24日、福島県本宮市の岩角山岩角寺へ参拝です。2016年本宮ロードレース参戦後におまいりしましたが、久しぶりです。仁寿元年851年、慈覚大師によって、開基されました。布袋様がお出迎え~慈覚大師が開山した時に、この清水で身体を清めたとの事です。仁王尊像、睨みをきかせてます。撫で牛出世大黒天江戸時代、甲州の石工によって、彫刻された大黒天様がおまつりされております。岩角弁天様岩角寺の巨岩・奇岩の岩肌には、三十
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」424岩谷堂奥の院洞窟・慈覚大師御謹刻の聖観世音菩薩が以前祀られていた場所です。・中に入ると照明は無く白くもやって何が有るかわかりません。・フラッシュをたいてもはっきり写りません。・何とか撮れた写真に写っていたのは聖観世音菩薩の碑と聖観世音菩薩像です。・石造に見えます。つづく
岩舟ゴルフクラブの坂を上がって下っていく。突き当りまでくると、看板があった。腰掛石にでも寄っていくか、、、自転車を押していく。マムシ注意の看板の隣に一枚岩があった。この二畳ぐらいの岩盤で慈覚大師が座禅をしたト。オレも座ってみる。冷たい、、慈覚大師は痔を自覚しなかったのか、、、
イベント出展情報ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。#深大寺先日、深大寺さんに参拝に行きました。深大寺さんは、東京都の調布市にあります。うちからだと、2時間ぐらいかかります。はじめて行きました。深大寺さんの詳しい話は、また、別の記事で書きます。#出来事誰でも、生きていると様々なことがあります。僕自身も、先日、少し傷つく出来事がありました。出来事自体は、特別でもなくて、誰にでも起きるようなよくある出来事です。だけど、起きたことに対しての捉え方や、対
天台宗別格本山北向観世音本坊常楽寺安楽寺から歩いてすぐ常楽寺は、北向観音をお護りする本坊で別所三楽寺(安楽寺、常楽寺、長楽寺)長楽寺は焼失し、北向観音堂の参道入口に碑を残すのみです。御舟(みふね)の松樹齢350年と言われ少し離れて眺めますと宝船の形に見えてきますこの宝船で阿弥陀様が極楽浄土へとお連れします茅葺きの本堂別所温泉を開いた慈覚大師の開創と伝えられています。鎌倉時代に天台教学の拠点として多くの青年僧が学
別所温泉大師湯(たいしゆ)です。別所温泉には、ここと大湯、石湯の3つの共同湯があります。ここだけが源泉かけ流しです。大師湯は、慈覚大師ゆかりの温泉だそうです。歴史のある名湯にふさわしい立派な建物です。浴槽は小さめでシンプルです。単純硫黄泉です。浸かると、初めは少し刺激がありますが、すぐに慣れてきます。じんわりと温まってきます。肌に滑らかな泉質です。硫黄臭が鼻をくすぐります。他の2か所の循環風呂の共同湯に比べると、泉質は段違いに良いです。湯上がりの肌のしっとり感が違いま
2024年初閻魔文京区本郷の法真寺から文京区の小日向の還国寺に向かうため、丸の内線の茗荷谷駅から徒歩20分歩きます🏃🏃🏃大日坂を下っていると大日坂の案内板が有りました大日坂の名前の由来は、天台宗の妙足院の大日堂が有ったからの様です坂道の終わりくらいに大日堂が見えて来たので立ち寄る事にしました覚王山妙足院の本堂天台宗寺院の妙足院は、覚王山妙足院と号し、大日堂の別名で親しまれています寛文年間(1661〜1673年)浩善法尼が開基となり創建本尊の大日如来は、慈覚大師円仁が唐で賜った
【今日は何の日】1月14日十四日年越し【きょうの人】慈覚大師円仁一年365日、毎日が何かの日です。季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこう
お正月はいつも峠越で村檜神社、大慈寺を参拝しています。村檜神社は延喜式に載っている式内神社昔々からある古式ゆかしい神社です。大慈寺も、まぎれもなく行基菩薩の開創のお寺。あの慈覚大師も修行され、のちに天台座主になりました。片道45分ほどですが、今回は膝を少し気にして、ゆっくりと、、、峠に出て明るい陽だまりを行きます。こんな感じ。三毳山と見えにくいですがスカイツリー。高速道路も走っています。たどり着いた村檜神社誰もいませんでした。
おもちゃ博物館の後で壬生町役場へ行き、マンホールカード貰いました。壬生城の二の丸門だ。壬生の市街地に入り、壬生寺というところに行ってみた。慈覚大師円仁が生まれたところなんだという。うーん、以前に三毳山の麓にも生誕地あったなあ。そのときのブログ高平寺岩舟円仁02https://ameblo.jp/makibi/entry-12586049145.html産湯の井戸もあったよ。これも別のところでも見たことあったりする。円仁さん人気あるなあ。大師堂、慈覚大師沿線を祀っています。
「金剛輪寺」をめぐります。参道を進みます。本堂までの参道沿いには千体地蔵が並びます。参道を登り詰めると「二天門」があります。室町中期に建立。当初は2階建ての楼門だったようですが、江戸中期に一重にしたようで、国重要文化財です。ここにも七難即滅を願って奉納された大草鞋が下げられています。門の左右に「持国天」と「増長天」が祀られています。「松峯山金剛輪寺」は、奈良時代中期の天平13年(741)聖武天皇の勅願により行基によっ
岡山県浅口市の寂光院さん。紅葉に誘われてお邪魔しました。県道から外れて、最後の数100メートルは細い道でしたが、迷うようなこともなく、行けました。駐車場はこの右側と、左側にあります。寂光院は839年に慈覚大師円仁によって開かれた天台宗の寺だと浅口観光協会さんのHPに書いてあります。円仁さんって遣唐使にもなった方のようで、ものすごい歴史を感じます。庭園は回遊式になっており、浅口市の名勝に指定されています。程よく色づいています。鳥居の対角はこんな感じ。落ち着いた感じがあります。弁
ついに今年も残すところあと2ヶ月に…一月前のCOVID-19感染のせいで、あれこれ乱れたまま霜月へ突入。とにかく早くお盆の出羽国旅行の参詣記を書きあげたい…という次第で今回は秋田県にかほ市象潟町にある曹洞宗のお寺、蚶満寺さん(ウィキペディアはこちらこちらの記事もどうぞ)の参詣記。山形県鶴岡市に宿を取った〝火打石〟夫婦が何故秋田県にかほ市まで足を伸ばしたかと言いますと、実は今回の出羽国旅行、一番の目的は出羽國一の宮鳥海山大物忌神社さんをお詣りすることで
昼食後、バスに乗り、ツアー後半へむつ市恐山比叡山、高野山、恐山は日本三大霊山昨日は暴風だったが、晴天の恐山古くから「人は死ねば恐山に行く」と言い伝えられ外輪山に囲まれた霊場は、外部からは見ることのできない途絶された場所三途の川にかけられた太鼓橋を渡って霊域に入ると死後の世界のような風景が広がる恐山菩提寺の創建は862年慈覚大師円仁が夢のお告げに導かれ、諸国に教えを説いた旅の果てに、この下北の地に「恐山菩提寺」を開山したと伝えられる今日は「恐山秋詣り」イタコと呼ばれる巫女が
今回は神社とお寺の紹介です。細かく紹介する為の写真が少ないのと、それぞれ距離が近いので併せて紹介させて頂きます。まずは安久津八幡神社(あくつはちまん神社)です。山形県高畠町(たかはたまち)にあります。御祭神は、品田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)。他11柱です。国道113号線沿いにあり向かいには道の駅高畠もあります。また周辺はちょっとした公園になっています。国道側から見た写真です。右側の鳥居が入口になります。由緒は、最初から八幡宮だった訳ではなく慈覚大師円仁さんと協力者によって阿弥陀
とうとう長月も半分を過ぎてしまった…のにこの蒸し暑さは何。この三連休(16・17・18日)は、16日に府中市美術館で「インド細密画」展を鑑賞、その後夫と合流して国立市谷保に御鎮座の谷保天満宮さんを参詣。もうそれだけで力尽きた…17日の夜は『どうする家康』を視ましたが、う~ん。星空の下での石田三成との出会いは新たなBLロマンスの始まり(勘弁してくれ)…なんてことはさておき、今回の記事でやっと「陸中国で寺社めぐり」を書き上げられる。5/5、花巻市東和町北成島に
ずっとずっとずっと更新サボってて、すみませんでしたー🙇♀️🙇♀️🙇♀️🙇♀️🙇♀️💦💦💦💦💦にも関わらずたくさんのいいねありがとうございましたー(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)😭😭😭今回ちょっと趣きを変えて書いてみます✍️この間多分今年最後だろうと思う東京遠征(笑)で、目黒の蛸薬師成就院🐙に行ってきました🙏🏻蛸薬師の詳しい説明は⬇これ【目黒区】不動前にある「たこ薬師成就院」は病を癒し、福を吸い寄せると評判のお寺不老山薬師寺成就院は
令和5年8月19日(土)今回は朝から真正極楽寺(通称は真如堂)に行くことにした。昼までに帰るかたちで。08:15頃自宅を出発する。↓京阪電車と市バス203系統を利用↓祇園四条駅⇒岡崎道バス停09:15頃真正極楽寺に到着する。真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は京都市左京区浄土寺にある天台宗の寺院で山号は鈴聲山(れいしょうざん)。本尊は阿弥陀如来で頷きの阿弥陀と呼ばれている。通称は真如堂(しんにょどう)と呼ばれている。境内にある新長谷寺は洛陽三十三所観音霊場第5番札所となっ
鎌倉巡りの続きです観音様の功徳日四万六千日長谷寺→安養院→覚園寺の次は杉本寺へ覚園寺からは歩いて行きます杉本寺に到着〜四万六千日の立て看板縁起案内板石段を上ります仁王門が見えて来ました仁王様〜苔むした石段は立入禁止🈲横の石段から上がります六地蔵と身代わり地蔵身代わり地蔵が見切れてしまった😱五輪塔群中々インパクトあります鐘楼堂本堂天台宗寺院の杉本寺は、大蔵山杉本寺と号し、鎌倉最古の寺院です天平6年(734年)聖武天皇后光明皇后の御願により、藤原房前行基
平泉で予定していた毛越寺・中尊寺・高舘は機動力のあるレンタサイクルで楽々走破。お天気もよくさほど暑くもないので、レンタル時間を延長して、孫ボーイのリストにあった達谷窟毘沙門堂まで往復することにしました。平泉駅前から水田以外何もない田舎道をひたすら走り、約20分で達谷窟毘沙門堂に着きました。達谷窟毘沙門堂は延暦20年(801年)征夷大将軍坂上田村麻呂公の創建です。一之鳥居は石造の明神鳥居ですが、ニ之鳥居と三之鳥居は厳島神社のような控柱のある木造の両部鳥居、神仏混合の神社に見られる形式です
仙台、平泉、松島を巡る二人旅で訪ねた場所からの出題です。征夷大将軍坂上田村麻呂が創建しました。ここにも慈覚大師ゆかりの辯天堂があります。この赤い橋も『仲良いカップルは渡ってはいけない』と立札にかいてありました😅岩壁に刻まれた「顔面大佛」の胸から下は明治三陸大地震が崩れ落ちました。ここは平泉にある達谷窟毘沙門堂でした。平泉駅前から自転車で約20分、毛越寺・中尊寺・高舘を巡った後、頑張って訪ねました。明日のブログでもう少し詳しくご紹介します。
法明寺脇の狭い路地裏をふと威光稲荷堂奥に深い参道水盤がいくつか・・・入口から朱塗りの鳥居、参道はまるで迷路のよう威光稲荷堂は西暦800年頃、慈覚大師がこの地を行脚していた途中雑司が谷の森で一筋の光を見つけ、そこに美しい姿の稲荷神が現れ慈覚大師はその光明が強いことから「威光稲荷大明神」としてここ雑司ヶ谷にお堂を建てて祀ったそうですもともと鬼子母神も擁する法明寺の一部でもありましたがしかし江戸時代の中期頃より始まった神仏分離の結果寺である法明寺と、神
どんどん登りー岩も多くなってきましたねーすごい絶景向かうはなのですが奥にも道が続いていて、奥の院。と書かれてあります奥の院は行かねばと、いうことで、奥へいってきまーす修行の岩場がありましたょー行ってみたーーい………転落……そうですよね…修行の場ですもの……祈りを馳せ(もちろん立ち入り禁止)少し振り返ってみました遠くになりましたねーあとで向かいまーす奥にも色々な建物があり、ここは大きなお数珠がありましたょーまわしている方の後ろから見ているだけのわたしでしたがまわすとお数珠の
4月28日『調布市神社仏閣ー3深大寺ー2』4月28日『調布市神社仏閣ー2深大寺ー1』4月28日『調布市神社仏閣ー1青渭神社』4月28日この日はブロ友のユキさんと調布へ行って来ました私は調布市初…ameblo.jpつづきです深沙堂絶対秘仏の深沙大王が祀られています延命観音昭和41年秋田県象潟港工事の際海底の大石を引き上げたところ慈覚大師自刻の延命観音が刻まれてあり縁あって深大寺に奉安されました恵比寿尊と大黒天
瑞巌寺(ずいがんじ)は臨済宗妙心寺派の寺で、承和5年(838年)慈覚大師円仁の開基。北条時頼が再興して天台宗を臨済宗に改宗し、その後伊達政宗が本堂・庫裏・御成門などを造営し寺号を瑞巌円福寺としました。本堂と庫裏は国宝です。日本三景の一つの松島にあります。↓御成門です。右に「明治天皇松島行在所」と石碑が立っています。↓総門。本瓦葺きの薬医門で、両袖に太鼓塀が備わっています。↓門をくぐった一直線の参道両側には杉の巨木が並んでいます。東北大震災の津波でかなりの数が失われたそうです。↓延命地蔵さ
4月1日〜30日まで武相卯歳観音霊場が12年ぶりに御開扉なので、発願し霊場巡り致しました4月5日1日目は空き時間が4時間程しか無かったので、午後から1番札所から田園都市線界隈を札打ち田園都市線でつきみ野駅から1番札所の観音寺へ〜やっぱり発願寺と結願寺だけは順番を守りたい…武相卯歳観音霊場1番の石碑と寺号標山門左側に観音像手水舎赤い幟を見ると、ほっこりします回向柱と本堂高野山真言宗寺院の観音寺は、鶴間山東照院観音寺と号します創建年代は不詳ですが、厨子が天文13年(154
山寺が通称、創建は貞観2年、慈覚大師が開いた天台宗の御山宝珠山立石寺その9年後の貞観11年に貞観地震が発生。立石寺本堂根本中堂前立石寺は、縁切り効果もあり病気や災いとの縁を切ってもらいたい。根本中堂に安置されているご本尊薬師如来古来から災厄を取り除いたり、疾病を治癒してくれる仏様。奥の院までの1015段を登り成就できるといいな。招福布袋尊治してもらいたい場所が多すぎて・・・と思ってる時点で、煩悩多すぎ。こけし塚芭蕉像と弟子の曾良。閑さや巌にしみ入る蝉の声
🌷🔸「シェアラブ玉手匣ワークショップvol.8」in京都三日目🔸レポート🌸WS、3日目。🌸まずは、秋の紅葉の名所京都市街の北東“皇城の表鬼門”を守る“赤山禅院”へ。🌸ご本尊様は、人の寿命と福禄を司る「泰山府君(たいざんふくん)」神。またの名を「赤山大明神」と。唐に渡った慈覚大師円仁和尚が唐滞在中に泰山府君をお祭りした赤山の”法華院”に大変お世話になっていました。帰国後、その恩に報いようとの慈覚大師の遺言
恵那市山岡町馬場にある厄除け観音といわれる飯高観音山萬勝寺にいきました。ここは国道19号線の瑞浪市市原の交差点で、県道20号線に入って瑞浪市陶町大川で、国道363号線に入り明智町経由で山岡町いくと、飯高観音入口の道しるべがありますので、ここを入っていきます。この萬勝寺は約1200年前の平安初期に比叡山延暦寺の慈覚大師(円仁)を開祖として創建されたと伝えられています。当時は天台宗で飯高山萬昌寺と称されていました。中世は大いに栄えたが、戦国時代末期の戦乱により武田氏の兵火にかかり、惜しくも全
【話材】昨日02/25のつぶやき慈覚大師円仁入唐八家の一人経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。本日も、複数のブログで、つぶやき済です。https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/14b55f8817b63861a995c08af5ac4de9■【きょうの人】0226徳川吉宗の享保の改革