ブログ記事31件
相国寺慈照院■臨済宗相国寺派■御本尊:十一面観世音菩薩■京都市上京区相国寺門前町703今出川通烏丸東入ル北側1405年に相国寺の在中中淹によって創建され、当初は大徳院と称していましたが後に足利義政の墓所(香華所)となり義政の戒名に因んで慈照院に改められました。江戸時代初期に八条宮智仁親王(桂宮初代、一時期豊臣秀吉の猶子となる、細川幽斎に和歌を学び古今伝授を受けた)と関係が深まり、桂宮家の御学問所が建てられ後に書院として下賜されました。*******************
今年も始まった『京の冬の旅』早速行ってきました。先ずは、『相国寺慈照院』続いて『本法寺』どちらも、ガイドさんが説明して下さいます。スタンプラリーも参加しました(^-^)
相国寺塔頭の慈照院へ行きました。足利義政公をお祀りしてあります。慈照院の名前はそこからのようです。桂宮の御学問所の書院である棲碧軒や、朝鮮通信使に関するものが特別公開中ですがそれらは撮影禁止です。ぶっちゃけ書物の良さはよくわかりません。朝鮮の人と話しをするのに言葉が通じないので漢詩でやりとりをしていたと教えていただきました。なるほど!宮家と関係があると思うと静謐な感じがします。お庭の立派な松陸船松というそうです。おんなじような名前の松が金閣寺にあったような…。ここは宗旦狐の伝説
書き置きの御朱印が、4種類あります。
今回は昨日行っていた第53回京の冬の旅をまずはダイジェストと私見を交えてアップしますガイドブックは200円まず行ったのは妙心寺で、塔頭で行ってないとこ多かったので行きました龍泉菴こちらは一部室内撮影OKもちろん庭園もOKです庭園は割りと地味?(^^;僕的には襖絵(撮影出来るものも)が見事だと思いました!撮影出来ないのでは等伯(複製)や、狩野探幽が見れます駐車場はもちろん妙心寺の駐車場(無料)です(o^-')b!御朱印は書き置きのみ次は麟祥院こちらも庭園は撮影OK(
京都市上京区にある京の冬の旅で公開の相国寺塔頭慈照院さんへ。慈照院さんオリジナルではありませんが、小さいサイズの御朱印帳に御朱印を一つ書かれたものも用意されていました。御朱印が4種あるので4種とも書かれて授与された方が良いのではと御希望をお願いしましたので、ひよっとしたら4種書かれた御朱印帳にされるかも???書き置き御朱印を4種頂きました。
年末最後のお約束である、二宮赤城神社での除夜の鐘。元気よくとの周りの方々の掛け声を受け、力強く鳴らして一年を終えました。その後は、行列に並びながら、初詣をし、温かい甘酒をいただき、一旦帰宅。そして、早朝より、新井町の元旦マラソン大会に伺い、参加している地域の子ども達に声援を送ってきました。地域の方々が暖かく見守るなか、元気いっぱいに走る姿に、こちらも元気をいただきました。その後は、慈照院、無量壽寺と年始参りをさせていただき、二宮赤城神社にて歳旦祭、拝賀
東福寺さま南禅寺さま永観堂さま銀閣寺(慈照院)大徳寺(瑞峯院)金閣寺(鹿苑寺)たくさんありがとうございました。
住所小石川4-11-7
ご来山いただいた皆々様!ありがとうございました(^人^)鬼ヶ島帰りの桃太郎という設定?で、鬼を退治した後は、きびだんごをお配りしたり、歌まきをしたり♪オープニングは、ホラ貝や太鼓とコラボしたり♪いつも以上に(笑)こぽらーっと(柳川の方言で「ゆっくり」「のんびり」の意味)お送りさせていただきましたとさ(*´∀`*)でもなぜか恒例の特効クラッカーは、ランチャーで!しかも第一弾は不発というズバ抜けたカッコよさ(笑)慈照院の弘法大師像を背に撮ったツーショットのお隣は…お供してくれたお戌様ならぬ
明日どぅえす!◯星祭りコンサート2018年2月3日(土)会場:荒尾大師慈照院アラオタイシジショウイン(熊本県荒尾市平山2560-19)時間:13:00-14:00料金:観覧無料2年ぶりに慈照院の本堂で、星祭りコンサートをやろうということになりまして…やります(^人^)皆々様!こぞって来てはいよ!※他のお客様のご迷惑になる行為およびイベント運営、コンサートの演出・進行を妨げる行為は固くお断りいたします。“みんなの楽しみ”を守るため、ご理解とご協力のほど何卒よろしくお願い
あけましておめでとうございます!「弥栄新春コンサート2018」にお越しいただいた皆様、元旦より格別のご厚情賜り、誠にありがとうございます!おかげ様で最高の真新しい一歩を踏み出すことができました\(ˆoˆ)/東京から駆けつけてくれた、スペシャルゲストの浜崎絵里歌ちゃん、そして過密スケジュールにも関わらず貴重なお時間を割いて、尽力してくださった桑さんにも、深く御礼申し上げます!
神社仏閣修復拝観停止前に盆地特有のジメジメした毎日から梅雨入りもカウントダウンやなぁ。ここ何年かあちこちの神社仏閣が修復に入ってて、今月7日から大徳寺塔頭の高桐院(北区)と等持院(同)=写真=が拝観停止になると聞いて…。等持院は足利尊氏が創建した足利家の菩提寺。となると霊光殿にいはる将軍の木像(5、14代を除く)が観られなくなる~。という訳で京の街に散らばる応仁の乱の跡を追ってみましょか。京の町で「先の戦争」といえば「応仁の乱や」と笑い話に例えられる、11年にわた
文京区小石川にある曹洞宗寺院慈照院にて開催された、施食会(おせがき)という行事で演奏させていただきました♪緑溢れる素敵な寺院。この日も暑い1日でしたが、時折吹く風がとても気持ち良かったです♪そんな風を感じながら、40分間、お話と共にクロマチックハーモニカの音色をお届け致しました。お集まりいただいた多くの檀家さんに喜んでいただけたようで良かったです。今回は、お寺の雰囲気に合わせゴールドの衣装で…ご住職からリクエストをいただき、お務め準備で本番を聴けなかったお坊さんの為に追加公演の様
今出川通烏丸東入にある慈照院です。相国寺の塔頭。相国寺13世・在中中滝によって創建され、大徳院と称していました。延徳2年(1490年)、室町幕府8代将軍・足利義政が没するとその菩提所となり、義政の法号・慈照院喜山道慶大禅定門から慈照院と改称されました。江戸時代初期、慈照院6世・昕叔顕啅が桂宮智忠親王と親交があったことから、慈照院は桂宮家菩提所となり、寛永9年(1632年)、桂宮智忠親王が書院・棲碧軒を寄進。昕叔顕啅は茶人・千宗旦とも親交、昕叔顕啅と千宗旦の合作として茶室・頤神室が
慈照院は相国寺門前町にある相国寺の格式の高い塔頭で、1405年頃、相国寺13世・在中中淹が創建しました。当初は大徳院と称したが、1490年、室町幕府第8代将軍・足利義政の没後、その菩提所となり、義政の法号に因んで、慈照院と改名されました。その後、江戸時代初期の慈照院第7世・昕叔顕啅(きんしゅくけんたく)は、桂離宮を造営した桂宮初代・智仁親王、2代・智忠親王と親交を深め、1629年に智仁親王が薨去した際に、慈照院は桂宮家の菩提所となり、智忠親王によって