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表題の件、お知らせいたします。今回、慈経をテーマにした勉強会の第5回を開催いたします。これまで参加されてなかった方でも、お気軽に。まずは、湘南ダンマサークル代表の永渕さんからのメールを訂正・追加の上、転送します。>>メールここから皆様今晩は。永渕です。5月25日(土)、本テーマでの5回目の勉強会を開催します。日時:2024年5月25日(土)9時-11時開催方式:ZOOMによるONLINE方式内容:チャンディマ長老著『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈
いつもご視聴くださり誠に有難うございます。明後日から補陀落(観音様の浄土)を目指して、四国霊場へ出かけてきます。そこで、本日は一日を通して、十三仏真言や光明真言、観音様の真言を中心にお唱えしました。そして、禅定(深い瞑想)のもと、何度も祈りを捧げさせていただきました。動画の前半部は、四無量心(慈悲喜捨)という仏様の「大いなるこころ」を観じる瞑想のときに用いる観想文を、その後に、今日特に心の中いっぱいに浮かび上がった観世音菩薩尊・千手観音尊・十一面観音尊のそれぞれの真言をお唱えしました。
聴こえますか?こちら、「凪まち通信」です。今のあなたの心の波模様、どんなでしょうか?今晩は、体調が絶不調で、何か手をつけることさえ、ためらってしまうときでも、ものすごくゆっくりと一コマずつ、小間切れにやっていって、時間や終わらせることを考えないようにして、やれたことはやれた、と受け止めることをよそ事のように淡々と見つめられるときは心の苦痛が軽減されることを知った人さんからのリクエストです。柴田淳さん🎵夜の海に立ち…🎵聴いてください。夜の海に立ち...Provid
2004山下達郎さんの1987年の楽曲。相模原市出身のバンドがカバーしたもの。「踊ろよ、フィッシュ」キンモクセイ2004「ただそれだけ」XinU2023二階堂ふみ。フォロワーさんが、カレーパンのことを書いていたので、食べたくなって買ってきた(単純な思考)。ベーコンエピは、焼きたてでビニール袋が曇ってる。二階堂ふみ。「慈悲喜捨」他人の幸福は一緒になって喜ぶ他人の不幸は一緒になって悲しんであげる他人の善い行いは賞賛し他人の悪い行いは無関心を貫きましょう(これだけで
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人のNagi/凪です。今回は、youtubeから、CMをみようさんの「世界中が感動したタイのCM3本立て」を紹介いたします。世界中が感動したタイのCM3本立て世界中のいろいろなCMをお届けします。よろしければチャンネル登録お願いします。【関連動画】・【日本語字幕】世界中が涙したタイの感動CMhttps
おはようございます今日も元気にスタートしましょう仏陀の言葉です。何かを成し遂げようとすると誤解や理解不足から必ず非難する人とが顕れます。あなたが成したいことが善なることで慈悲喜捨の心があれば、嫌われてもいつか理解してもらえます。何かを成す時は嫌われる覚悟も必要です。何かを成し遂げる時に、あなたが誰かに協力してもらわなければならない事が必ずあります。そんな時に最も注意すべき点は人に完璧を求め己の不完璧を許してしまうことです。多くの人の過ちがそこに起因し成就が不可能になり本当の嫌われものにな
おはようございます😊日曜日ですね~まずは、仏陀の言葉からです社会生活では性に合わない人たちとも付き合って行く必要があります。うまくやって行くために自制しなければならないし、相手を許すことも必要です。それを通して、われわれの心の中にあるいろいろな側面が刺激されて成長します。そして誰とでもうまく付き合えるようになります。自制したり許すことはとても大変で忍耐が必要で大変難しい事です。釈尊が説いた最善の方法が慈悲瞑想です。慈悲瞑想で四無量心(慈悲喜捨)の心を育てることで不善心である怒りや憎しみが
思考が不安に支配されて、心が何処かに行きかけて脳波が非常によくない時に、ふと、感謝と歓喜の感情がその時に脳内に一切ない事に気付く。人間の感情は、同時に二つの事は考えられない原理がある訳で、笑いながら怒れないし、哀しみながら笑えない。だから、笑いながら哀しめない訳で、哀しみに支配されていた事に気付けた。だから慈悲喜捨の瞑想が大事なのだな。慈悲喜捨の瞑想は、最近やっていなかったので、改めて実践していこう。
慈悲喜捨を育てる。あわれみの心を考えてみる本は、スラスラ流れで読んでしまうとその時、その時の瞬間、瞬間、変っていく自分に響いてくるメッセージも違ってきます。なので、「あわれみを育てる」というキーワードで今まで読んだ本の中から、探してみました。あわれみとは「他の生命が、苦しんでいるのを見た時、自然に、苦痛が和らいであげて欲しい、と願う心のこと」「自分の苦しみと他社の苦しみをこころで直感的に結びつける」「本物のあわれみは、自分の苦しみを感じ
おはようございます穏やかな水曜日の朝です。仏陀の言葉から、始めましょう心に憎しみ、怨み、怒り、妬みなどの悪感情を持っていると表情にでてしまい鬼のような形相になってしまいます。釈尊はすべての始まりは心から始まると説かれてるように悪感情は悪果の原因となります。幸福は思いやりの心から生じるものであって、怒りや憎しみからは生じません。大切なのは、心に湧き上がってくる憎しみ、怨み、怒り、妬みなどの悪感情をなくすために慈悲瞑想で四無量心(慈悲喜捨)の思いやりの心を育むこと
おはようございます😊金曜日ですね~今日は名古屋へ向かいます。まずは、仏陀の言葉からです社会生活では性に合わない人たちとも付き合って行く必要があります。うまくやって行くために自制しなければならないし、相手を許すことも必要です。それを通して、われわれの心の中にあるいろいろな側面が刺激されて成長します。そして誰とでもうまく付き合えるようになります。自制したり許すことはとても大変で忍耐が必要で大変難しい事です。釈尊が説いた最善の方法が慈悲瞑想です。慈悲瞑想で四無量心(慈悲喜捨)の心を育てること
この身を自分だと認め思い込み、聖人聖者のように人格を向上させ、慈悲深い慈愛溢れた理想的なものにする。そのような事がお釈迦さんの悟り、解脱だと伝え、指導している人がいますが、お釈迦さんと悟り、解脱と人格を向上させる事は、そもそも関係がないのです。ただ、お釈迦さんの悟り、解脱の体現に与ると、対象なく見えちゃっているもの聞こえちゃっているもの相手やモノや環境、世界がもうすでに、もと
土曜日の朝、おはようございます今日も仏陀の言葉からスタートしましょう怨みに怨みで報いる行為は、素手で熱く焼けた鉄杭を掴み、相手に振り下ろすようなものです。相手は傷つきますが、自分の手も大火傷をしてしまいます。怨みをすててこそとは、四無量心(慈悲喜捨)に頼りなさいということです。怨みが生じた時、その相手の為に祈ってみてください怨みは愛でしか癒せません。あなたの中心は慈しみの愛です祈る時、その慈しみの愛に自分も相手も包まれます魂の鑑定とは、魂を7次元でリーディング(霊
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人のNagi/凪です。今日は、pandaheavenさんのブログ記事をリブログで紹介します。今もっている力を、慈悲の心で清らかに磨くことは、誰にでもできます。無いものを欲しがるだけでは、無いことに怒るだけでは、無いことに気づかないようにするだけでは、心は汚れるだけで、決して輝きません。pandaheave
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人のNagi/凪です。今回は、ワークショップ開催のご協力をいただいている、amin0706さんの記事をリブログで紹介いたします。記事中に、「ブータン山の教室」という映画のことが取り上げられています。私は、この映画をみた時に、知りたいことを学びとして教えてくれる先生のありがたさを、まだまだわかっ
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人のNagi/凪です。今回は、pandaheavenさんのブログ記事をリブログで紹介いたします。こちらのリブログで引用されているのは、法句経(ほっくきょう、パーリ語でダンマパダ)と言われる、仏典の中の一偈、<花の章>の五十番目の偈です。「発句経」とは、原始仏典の三蔵の一つである「経蔵」
正しい事を心の底ではきっと感じていながらも、表向きは、わざと反対の事ばかりする人がいる。そのような素直になれない人の因果はなんなのだろうか?幼少期に愛情不足で育ったのだろうか?嫌がらせをされたりしても、ほぼ嫌悪感は感じなくなってきたのだが、だけど、そういう事をされると、心はまだまだざわついてしまうから、慈悲喜捨の瞑想を改めてやりなさいという事のサインなのだろうか?
8月7日、山科の護国寺で信行会を開催しました最初はいつものように私の法話思いやりについてお話しました仏教に『四無量心』という大事な教えがあります慈・悲・喜・捨の四つの心のことです。人に優しく、悲しみを共有し一緒に喜び、見返りの心を捨てるなんだか、今の時代に一番必要な心だと感じますちなみにそれがよく分かる詩があります。これは、長野県の僧侶が作成したらしいのですが、よくできていて学校のトイレや公共のスペースに
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人の凪/Nagiです。今回は、峠三吉氏の詩集『にんげんをかえせ』(新日本出版社)の中からの一篇の詩を引用して紹介いたします。微笑あのときあなたは微笑したあの朝以来敵も味方も空襲も火もかかわりを失いあれほど欲した砂糖も米ももう用がなく人々のひしめく郡の
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人の凪/Nagiです。今回は、pandaheavenさんのブログ記事、「いま一番怖いことはおばあちゃんがいなくなってしまうことです」をリブログで紹介します。自分の決めた生き方や、大切にしていること、ゆずれない何か、があるのなら、やり抜く、と自分に誓って、最後までやり続けるだけ。このブロ
朝から暑いので、かなえ滝の画像ですおはようございますいかがお目覚めですか?私は3時にカエルに起こされました寝苦しい日々が続きます皆様、ご自愛くださいね〜仏陀の言葉です忘れてはいけないことがあります。嫌われる勇気とは、慈悲喜捨の思いやりの心が裏打ちされていることが大切です。慈悲喜捨の思いやりの心は善因であり、いつの日か必ず善果となります。自分を隠し作っている人の現実は、マヤカシなのです仮の自分でなにをしても、その世界は仮です。なんの善も生み出せません本当の自分で現実を
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちたかの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~の主催/世話人のNagi/凪です。今回は、🐢ラ・メール~海からのプラスチックレポート~さん🐢のブログ記事をリブログで紹介いたします。知ることによって、私のつくる世界は変わっていきます。知ることで回避できる、減らせる苦しみがあります。苦しみが減らせると知った人は、できることをはじめます。~わたしの悩み苦しみが
自分の気になる事には細かすぎるほど繊細だが、家族の事には中々気付かないし、気付けない。自分はわかっているが、お前たちは道理がわかっていないと無意識に決めつけている傲慢さが観えてきた。馴れ合いの環境を作り出しているのは、紛れもない自分なのだ。これは、100%自因自果だという原理原則を受け入れられないと、観えてこない。だが、唯我独尊の感覚がしっかり根付かないうちに、傲慢さの裏側にある卑屈の心のままで、100%自因自果を受け入れてしまうと、心が壊れてしまう。と、いう
おはようございます6月6日の朝です梅雨時期、また☔の朝です仏陀の言葉から始めましょう心に憎しみ、怨み、怒り、妬みなどの悪感情を持っていると表情にでてしまい鬼のような形相になってしまいます。釈尊は「すべての始まりは心から始まる」と説かれてるように悪感情は悪果の原因となります。幸福は思いやりの心から生じるものであって、怒りや憎しみからは生じません。大切なのは、心に湧き上がってくる憎しみ、怨み、怒り、妬みなどの悪感情をなくすために慈悲瞑想で四無量心(慈悲喜捨)の思
両方ともに、2500年前の、お釈迦様の言葉です。慈悲喜捨の慈は慈しむ(いつくしむ)、という意味でございます。かわいがり、大事にする事です。慈悲喜捨の悲は、人の悲しみに共感することです。慈悲喜捨の喜は、共に喜ぶことです。慈悲喜捨の捨は、すてる、という意味でございます。何を捨てるかというと、優しさを捨てる、という意味でございます。例えば、杖で歩いている人に、肩を貸してあげれば、
慈悲喜捨そんな心持で過ごしたいね。
『腸内環境が幸せな自分を見失なう原因か?』腸内環境が悪いと、誰からも羨ましがられる環境を手にしているのに、「自分は不幸」というネガティブな状態から抜け出せなくなるのです。実は心の不満足は、腸に問題が…ameblo.jp何かを成し遂げようとすると誤解や理解不足から必ず非難する人とが顕れます。あなたが成したいことが善なることで慈悲喜捨の心があれば、嫌われてもいつか理解してもらえます。何かを成す時は嫌われる覚悟も必要です。ここまでFacebookより引用人に嫌われることを恐れず、自分
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人のNagi/凪です。今回は、🐼pandaheavenさん🐼のブログ記事をリブログで紹介いたします。私たちは、今生の自分の死を想像するときには、死にいたっていないので、死を経験していません。知らないこと、知らないものには、恐怖がつきものです。一切を知ることが不可能なら、一切を恐怖しないということも不可能。無明
慈悲喜捨の念仏三昧をしていると、過去の後悔も、未来の不安も、悪気なく受けてきたエゴも、自分に向き合いきれない弱さも、全てが洗い流せる感覚がでて阿弥陀仏や親鸞さん、お釈迦様に救って頂ける、という心がプロテクトされる感覚がはじめて生まれ、有り難くて有り難くて、涙が止まらなくなった。あぁおれ大丈夫かも、生きていけるかも、という、根拠はないがそんな感覚が一瞬芽生えた。だが、その感覚もすぐ消えていなくなったが、念仏三昧を仕事三昧に変えて、自分の仕事と行動で、周り