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先日、たまたま、妹のアカウントを見つけた。妹だとすぐにわかった。妹がフォローしている先はほとんどが『毒親』関連だった。妹は、親のせいで、『自分は不幸である』と言うのである。妹よ、おねえちゃんは問う。『毒親』という言葉に振り回されてはいけない。自分が不幸であることの原因を親のせいにして、それで、幸せになれたか?そんなことがありえたか?ありえると思うのか?それで、真に幸福になれた人を知っているのか?会ったことがあるのか?そんなことがあると、本当に、思ってい
妹は結婚後、実家の隣に立派な家を購入して住んでいる。長女の私と違って、次女の妹は両親からとても可愛がられていた。妹は30代で結婚するまで両親と同居していたが私が3歳の頃から家事を手伝っていたのとは対照的に、結婚するまでとうとう、一切の家事を手伝うことはなかった。否、結婚してからも手伝うことはない。唯一、妹にできた料理が『食パンを焼くこと』だった。トースターで食パンを焼き、マーガリンかバターを塗る。本当に、それしかできなかったらしい。たったの一度も、トイレ掃除
自分を大事にできない人は他者を大事にはできない。とか、自分を愛せない人は他者を愛することはできない。とか、自分を満たせていない人は他者を満たすことができない。とか言われるけど、自分を後回しにして、他者を優先することが自己犠牲で、自分を優先することが、自分を愛するということで、それが自分を大事にするということなら、私は、自分を大事にはできない。いや、できないというよりは、そのようでありたくない。それが、生まれ育った環境からくるものだとアドバイスくれる人も
妹が生まれて、女の子2人になった。男の子を望んでいた両親にとっては不都合なことだった。私は、田舎の叔母のところに養子にでることになった。はずだが……結局のところ、養子に出されることはなかった。養子に出すのをやめたと言われたわけではない。「(叔母に)金がないのに、いくもんか。」叔母にお金がないからだめ、と、父が言っていた。お金のことで問題が起きたのだろう。養子の話はそのまま流れた。だけど、養子にいこうがいくまいが、この家族のなかで、私がいらない子であることに変わ
私が4歳の時、妹が生まれた。両親は男の子を望んでいた。父は長男だったから、跡取りが欲しかったのだろう。ほどなくして、母と、田舎の叔母(母の姉、子なし)が電話で話すのを聞いた。母「○○○(私)のほうにしときや。よう動くし便利やで。役に立つで。」その後、母は、私に言った。母「おばちゃんとこの子になるか?養子に行くか?」私「おばちゃんとずっとおるん?お母ちゃんにはもう会われへんの?」母「そんなことないよ。たまには会える。おばちゃんがお母ちゃんになる。お母ちゃん
妹が生まれる前、私は3歳の頃から家事を手伝った。毎朝の玄関の掃き掃除、お風呂洗い、1kmほどの距離の市場へ一人で歩いて買い物。母の書いたメモとお金を持って。お店でメモを読もうとすると大人の人が一緒に読んでくれた。大人たちは皆、親切で優しかった。帰り道、重い荷物を持って歩いた。野菜が重かった。お陰で健康で男子にも負けない力持ちになった。母はいつも、かしわ(鶏肉)と魚、人参を欠かさずに買っていた。台所に立ってお料理を手伝った。切るだけ、剥くだけ、混ぜるだけ
年末年始、私の実家に帰省した。事前の約束どおり息子と従兄弟は遊び倒してた。日中は近所の里山が剥げた空き地でソーラー計画が頓挫したらしい仔犬の群れみたいにボールを追ったり、斜面をブルーシートで滑ったり。早朝と日暮れ後は各種ゲームの対戦。全力で遊ぶ彼らの関係がある限りは帰省すると決めている。まぁ私の実父母なのは違いないので老境の入り口、放置もできない。実父は妹1の娘がお気に入り。実母は妹2と、その子どもがお気に入り。『宿泊を暗に強要されるが部屋も寝具もない』前回、実家帰省について書き
死んだ両親が私に遺したものは、最重度知的障害の弟Aと、元愛玩子のモンスター弟Bだけだった…関わりたくない弟BからLINEが来るだけで、全身に悪寒が走り吐き気が出てくる破壊力バツグンであるニュースで各地の帰省の様子が流れるこの時期は、TVはつけない「普通」の人達が年末年始に家族で集まり仲良く過ごす様子を見るのも辛くて、SNSも見ないようにする親きょうだいと仲良く付き合いたいなんて贅沢な望みは言わないせめて、人として会話が成立する人間だったら…私が社会人になってすぐの頃の話…友達の
私の父は、長女の私に対して本当に感謝がない。子供の頃から言われ続けた「アホ!!ボケ!!カス!!死ね!!!」「お前じゃなくて、よその○○ちゃんがうちの子供だったらどんなにええか」どんなに私ががんばっても親のために尽くしても褒めてもらったことはありませんでした。そんな父が、現在入院中です。常時医療行為が必要になったため、もともと入居していた老人ホームから退院後は戻ることを拒絶されました。病院も長期間入院し続けることはできず病院を転々としても限界があるとのこと。父が溺愛し
今年も残すところあと数日ニュースでは、実家に帰省する家族連れ、迎えるおじいちゃんおばあちゃんの様子が映し出されるごく当たり前の「普通」の幸せな家族の様子…私はもう二十年近く?正月に実家に帰省することはなかった今年、父親も死に、本格的に私の「帰る」場所はなくなったでも、悲しいとかさみしいといった感情は一切ないむしろせいせいしたというか、ホッとした、という気持ちに近い正月に帰省しないのは「親不孝」なのだろうか?時間やお金をかけて例え帰省したとしても、歓迎されるでなく100%嫌な思いを
今日は恥ずかしながら実家の家族の話。彼らは本当に感謝をしない。私へだけでなく、誰に対しても、何に関しても。いつも、文句を言っている。愚痴を言っている。不平不満を言っている。そして、不機嫌。彼らの基準はただ、『損か得か』『役に立つか立たないか』『ラクができるかできないか』それしかない。彼らが欲しいと言うものを与えても「貰ってあげた」彼らが食べたがるものを食べさせても「食べてあげた」彼らが行きたい場所へ連れて行っても「来てやった」もちろん、彼らがお金を払う
私が幼い頃から、母はヒステリックに私に暴力を振るってきた私が成長してからは、それは精神的虐待へと移行した私を虐待のターゲットとする一方で、母は私をまるで親しい「女友達」かのように接することがあった要は変わらない私の役割が、何をしてもやり返してこないサンドバッグから、何を言っても「許される」相手になっただけだ私は十代になり好きな男の子もいたが、そんなことは母には一切気取られないように気をつけていたもちろん、私から恋愛に関する話などしない『恋愛相談なんて絶対しない』私は成長し身体が大
当時、私は高校三年生で受験生だった私の通う高校は公立だったが、親が医師や企業の重役といった裕福な家庭の生徒が多かったように思う進学校であった為、教育熱心な親が子供を通わせたがる学校だったからだろう「記念受験」というのは今もあるのだろうかある生徒が、慶応や早稲田を含めて5校も私立大学を受験するという話が聞こえてきたその生徒は、慶応や早稲田に合格するほどの学力ではない「記念受験」だ5校はさすがに多いが滑り止めにいくつも私立大学を受験する生徒や、現役合格は無理だろうから端から浪人覚悟で志
父の死後、やるべき手続きや片付けは山ほどあった気が滅入るようなことばかり…それでも前へ前へ進めなければいけないしかも、私は父の遺産は一円も受け取らない私の分は、弟Bが受け取るのだ本来であれば、弟Bが主導となって手続きをすべき話だでも私は、改めて実感した最重度知的障害児の弟Aだけでなく、弟Bの知能もかなり低いものだということを…そして、弟Bは人間性にも大きな問題を持ったままただ年を取っただけなんだなということを手続きや片付けを進める上で、いろんな人と話をする必要が出てくるしかし
私は、最重度知的障害児の弟Aのことが嫌いだった母の愛玩子であった弟Bのことも大嫌いだったそれは、もう憎しみに近い強い感情だった私達のきょうだい仲は、最悪である私は、リアルではきょうだい児の知り合いはいないだから、他の家の障害児ときょうだい児の仲がどうかは知らないでも、たまーにTVやネットで見る仲良しきょうだいふーん、て感じまあ私の根性が捻くれてんだろうけど、障害児ときょうだい児の仲が良い家庭の理由は二つだと思う一つは、経済的に恵まれていること金が全てとは言わんけど、金銭的不安
知人の娘さんが、音大に合格したと聞いた詳しいことは知らないが、やはりかなりお金はかかるらしい知人は「大変よー」と言いながらも、娘さんの小さい頃からの夢を応援する為に頑張ると笑った羨ましいなと思った、その娘さんが夢を応援してくれる親がいることに理解し、味方になり、子供にお金の心配をさせない親がいることに安心して自らの夢に向かって邁進できる娘さんに私は子供の頃から、母から「うちにはお金はない」と聞かされてきた私がモノをねだったりしないようにそう言っていたのかもしれないが、まあ実際裕福
慢性的な睡眠不足で、いつも頭に靄がかかっているような状態だった高校生時代の私その頃の記憶はあまりない『蜘蛛の糸』高校生であった当時、私は短い睡眠時間を余儀なくされていた『私は搾取子』随分久しぶりの投稿になってしまいましたが、続きを書きたいと思います私が高校生の頃の話に…ameblo.jpでも、嫌なトラブルが二つあったことは覚えている一つは、変質者に後をつけられたこと高校からの帰り道、私はいつもは同じ方向の友達と一緒に自転車で帰っていたしかし、たまたま何かの理由で一人で帰宅すること
高校生であった当時、私は短い睡眠時間を余儀なくされていた『私は搾取子』随分久しぶりの投稿になってしまいましたが、続きを書きたいと思います私が高校生の頃の話になります性格の悪いY伯母の手紙によって、私は毎晩の食器洗いもすることにな…ameblo.jp当然ながら、私は極端な睡眠不足に陥っていった朝、起床時間になっても私の意識はぼんやりしたままで身体はだるく重かったそして登校時間になる頃には、今度はプレッシャーから来る強い腹痛が始まった『進学校のプレッシャー』◯◯高校に入学した私は、中学
随分久しぶりの投稿になってしまいましたが、続きを書きたいと思います私が高校生の頃の話になります性格の悪いY伯母の手紙によって、私は毎晩の食器洗いもすることになった『性悪姉妹』当時、私は地元の進学校◯◯高校に通う高校生だったそして、それをよく思わない人物がいたY伯母(母の姉)である母は、三姉妹の一番下だった伯母達も同じ市内に住んでい…ameblo.jp「食器洗い」と聞くと大した作業でもないように思われるかもしれないしかし家族7人分の食器ともなると大量だったそして私の母は、だらしない人
愛玩子と搾取子の扱いが人生の明暗を分けた話https://youtube.com/shorts/svLB1m7xFz4?si=7rTk_A3T-Da2ltpq-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtube.com実話がモデルになっている。妹は祖母の介護を両親から押し付けられたヤングケアラー、兄は両親からは甘やかし放題、成績が良かったから、と大学まで進学させた。妹に
私は妹が苦手だ。愛玩子と搾取子という対照的な私達。妹は何の責任も問われず背負わされず、家の中で自由な発言権があり、母は頭が上がらないといった感じ。まるで言いなりのようだ。子供の頃から見てきた風景だけど猛烈に腹が立った。私には遠慮なしに振る舞う母が妹には何も言えずヘコヘコしている。ご機嫌を伺う。それを目の当たりにして、私へのコレまでの当たりの強さに怒りが湧いた。家の中で絶対的優位な妹と真逆の位置にいる私。イライラ、イライラが募る。「どうしてあんな我儘に育ったんだろう」放置してモンスター化させた
当時、私は地元の進学校◯◯高校に通う高校生だったそして、それをよく思わない人物がいたY伯母(母の姉)である母は、三姉妹の一番下だった伯母達も同じ市内に住んでいたので時たま会うこともあったが、仲が良いという感じはなかったどちらかというと、お互い張り合いライバル意識を持つ関係性に見えた特に長姉であるこのY伯母は、自分の妹達に支配的に振る舞う人だったそして、それは妹(母)の子である私に対してもそうだった私はY伯母から可愛がってもらった記憶も特になく、懐いてもいなかったし慕う気持ちももち
◯◯高校に入学した私は、中学校の時と同じ運動部に入部したでも、この◯◯高校は文武両道という考えはなかった大学合格率を上げるために少しでも学習時間を確保させたい教師達は、部活動にいい顔はしていなかったそれでも私が部活動をしたのは、少しでも家にいる時間を少なくする為だったしかし、試験期間中は部活動も休みになる私は公立図書館に自習室があることを知り、遠回りではあったが放課後はそこに行き勉強することにした最重度知的障害児が奇声をあげ続け暴れる自宅では、勉強に集中することはできなかった進学校
私は、地元の進学校◯◯高校に入学した私が◯◯高校に入学してから、母はますます調子づいた娘である私の成績が良いといっても、成績表を他人に見せて歩ける訳ではないでも娘が◯◯高校に通っていると言えば、地元では間違いなく「あら、娘さん優秀なのね」とわかる私の高校名は、母がわかりやすく自慢できるツールになった◯◯高校に入学すると、また私は同級生達と自分が大きく違うことを知った今はさすがにないだろうが、当時は在校生徒の名簿が配布された名簿には住所電話番号だけでなく、父母兄姉の卒年まで明記されて
当時、私は進学校を目指す中学三年生だった親戚達が集まり酒が入ると、叔父達は私の両親に褒め言葉半分からかい半分で言った「布都子は優秀だな、『鳶が鷹を生んだ』とは正にこのことだ!」父も母も苦笑いのような、何とも言えないような表情を浮かべていた父は地元の中くらいのレベルの高校を出た高卒で、母は底辺と呼ばれる高校卒だった小学校高学年になっても相変わらず授業についていけず、成績は後ろから数えた方が早い弟Bこの父と母の子供なら、弟Bのレベルである方が周囲はしっくりくるのだ一方、私は◯◯塾に通う
トー横キッズ?とか明らかに家出少女のような子達を見ると心がギュッと疼くこの子達の家庭環境は、どんなだったのだろう?他に居場所はなかったの?何から逃げてきたの?私が中学三年生になり高校受験の年を迎えても、相変わらず私の家庭環境は最悪だった最重度知的障害児の弟Aは特別支援学校の中等部に入ったが、相変わらず家にいる間はずっと奇声をあげ飛び跳ね続けていた弟Aは痩せていたが背は伸び大きくなった分、その破壊力は増していたそして、奇声をあげるだけでなく何故か常にTVの音量を最大にした何度音量を
裕福な家庭でもなかったのに、何故か母は大量の食料品を買い込む人だったそれも、菓子パンやスナック菓子や甘いお菓子やカップ麺や炭酸飲料…本来そこまで必要でないものを毎日大量に買ってきた料理が下手な母が、何か誤魔化すように間食となるようなものばかり買ってきた弟Bは、それらをむさぼり食う肥満児だった私もおいしくない母の料理よりもそれらの間食の方がおいしいと思っていたでも、中学校の部活動で毎日激しいトレーニングをしていた私が肥ることはなかった『きょうだい児部活に入る』中学生の子供がいる友達
こんばんは💖みゆです✨いつもいいねやフォローをありがとうございます☺️私は長年両親の愚痴聞き役をやっていました。でも最近は聞くとお腹が痛くなるということが起きていました…。身体がサインを送ってくれていたんです。両親双方の愚痴を聞いて、1人でずっと我慢して、ストレスが溜まり爆発。そして私が悪者になる……もうやめようって思ったんです。これまで無意識のうちに、自分の人生よりも親を優先してしまっていました。今の現実を見たときに、自分を後回しにした結果が見事に出ているし、助けな
母は焦っていた「健常児」として育てている弟Bは、小学校高学年になってもしっかりするどころか学年が上がるにつれてますます授業についていけなくなっていた母は苛立っていた布都子(私)は、何の苦労もせずに(←母にはそう見えている)学年上位の成績を取ってくる同じきょうだいの弟Bちゃんだってやればできるはずなのに!と『中学校自己肯定感が上がる』私は小学生の頃くらいから、周囲には「頭の良い子」と認識されていたと思う自分自身でも、勉強は好きだと思っていた『小学校自分の能力に気づく』小学校で学年
前回のブログ記事で、「愛玩子と搾取子を作り出すのは、母親にとってその状況が心地良いからだ」という意味合いのことを書いた『愛玩子と搾取子』*もちろん私見です愛玩子と搾取子の発生起因は、多くがその母親だと思うこれは女親が悪いということではなく、育児の中心がどうしても母親になることが多くその子供達と…ameblo.jp自分で書いときながらハッとしたそうか、そういうことか…と腑に落ちた例えば、赤ちゃんはミルクを飲みオムツもきれいで適温の室内にいたらご機嫌だろうでも、赤ちゃんは空腹だったりオム