ブログ記事35件
「おそらくフォークナーの、本格的な作家としての出発点は、初期の傑作『響きと怒り』と思われる。この作品を書こうと決意したとき彼は〝ある日、自分とあらゆる出版社の宛名や出版目録との間に、ドアを閉めたかのよう〝で、〝さあ、これで書ける〝。つまり外面的な思惑や懸念に目を閉じて、ただ自分のなし得ること、なさざるを得ないことに徹底的に注力し、自己の才能と運命とをこれに賭けた。実際、このようにして書かれた作品『響きと怒り』は、フォークナー自身のみならず、近代西欧文学において、決定的な作品に他ならない」そ
前回に続いてヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」である。この表紙、案外お気に入り読み終えてみると、これまで読んだヘミングウェイの短編小説には珍しく少し読みにくいことに気付く。何故だか考えた後、「意識の流れ」「現実」「過去」「想像の世界」が交錯しているのは分かるが、敢えて曖昧に境目を付けてないように思えてくる。たとえば主人公の小説家ハリーの過去か、想像した自分の小説世界か曖昧模糊としている。そして、「雪国」のような突然の場面切換に、読者は観念世界なのか現実なのか戸惑うのだが、
みなさん、(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾おはようございました。3月4日(月曜日)でございます。今朝は、6時前に目が覚めて、見ていた夢は意識の流れ??意識の共有??水が流れて高いところから低いところへとちょろちょろ流れていくのを俯瞰している意識を感じている自分がいます。元一つの「水」という物質が寄せて集まって「水がまるで生き物のように・・集まっていく(流されて/集まって/集められて・・)目に見えない法則が働き無意識が集合無意識と合流していき強いエネルギー(潮流/想念)が思
昔の小説のカバー画は手描きのイラストなので、本当に味と温もりを感じる。こちらにおいても、先ずカバー画が先に目を惹き、その後で作品がどのようなものかに入っていった一例である。この「ワルツへの招待」という作品、先般購入記録として綴った「恋するオリヴィア」を続編とする小説である。実は一昨年に「恋するオリヴィア」を購入した後に、前日譚の存在は知っていたのであるが、一先ずそのままにしていたのであるが、最近某オークションサイトでこの表紙画を見掛け調べていくと、このような繫がりがあることが分かっ
先日、プレトニョフ指揮、東京フィルハーモニー演奏のシベリウス交響曲第2番を聴いた。この曲は、ひたすら美音でフィンランドの風景を思わせるような演奏が多いのだが、プレトニョフの解釈では意識の流れを捉えたように聴こえた。音響は、羽毛でそっと撫でるよう微弱奏から、透明で襞が重なる和音、分厚くのたくるような強奏まで、弦楽器も管楽器も表現が素晴らしかった。それらは無の境地から、微かな感情の震え、錯綜や困惑、畏れ、興奮、沈鬱、愛情、増悪、希望、歓喜といった情動の刻々と留まることのない変化を反映していた。
FUSAYOさんは秩父曼荼羅小屋を上手に活用されているお一人です。地元秩父にお住まいと云うこともありますが、自身の日常で気が付いた疑問や課題などその都度整理して連絡くださいます。「先生、お時間がとれる日ございますか?」「◯日と◯日は大丈夫ですよ」こんな感じで曼荼羅小屋や秩父市内などで学びの時間を作られております。課題や考察など中身は様々ですが、時には雑談の中にもヒントがあるものです。様々な修行や学びは日常にあるものです。そこに気が付き想像し、確認する作業は何か覚えるため
心的状態を記述する方法として、今日はたまたま意識の流れと風景映像という対照的な方法に触れた。米田の補題のように対象を理解するのは、対象とその動きを知るのと、対象と他との関わりを知るのと同じ、ということなんだろう。意識の流れは、川上未映子「夏物語」によく転換されている。ライフログを私小説に埋め込んだかのように、一人称で微細な想念の動きと膨大な会話で表現していく。例えば、「コートを着たまま誰もいない脱衣所の真ん中に立っていると、わたしは肉と皮も削げ落ちて風化した、大きな生き物のなかに取り残され
『この世の喜びよ』井戸川射子講談社2022年1月8日子育て中によく通ったというショッピングセンターで働く「あなた」はある日フードコートで少女と出会う。他2篇の短編が収められた一冊。⋆「あの子たちのことを考えると、息がしにくくなるので胸が痛む。もちろん楽しく過ごしてほしいけど、楽しくできるのはもう私ではない」-p.53「手に何も持っていないことに慣れず、私は一人で歩く時に、両手をどう振っていたんだっけと思った」-p.104⋆淡々と独白のような調子で続く語り口、読み始め
◆◇◆◇◆◇◆◇心の扉メンタルカウンセリング横浜◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆「日ごろから言葉のセンスを磨く」にほんブログ↑応援クリックお願いします。人の表情が、精神面に強い影響を与えます。たとえば、「明るい笑顔」を心掛けているだけで、その人の「気」の力が強まり、自己肯定感もアップします。すなわち、日常生活の中で「明るい笑顔」を心掛けているだけで、「自分はどんな苦難にあっても、それを乗り越えていくことができる」「辛いことがあって
楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだウィリアム・ジェームス(1842年-1910年)ウィリアム・ジェームズは、アメリカ合衆国の哲学者、心理学者である。意識の流れの理論を提唱し、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』など、アメリカ文学にも影響を与えた。パースやデューイと並ぶプラグマティストの代表として知られている。弟は小説家のヘンリー・ジェームズ。著作は哲学のみならず心理学や生理学など多岐に及んでいる。心理学の父である。日本の哲学者、西田幾多郎の「純粋経験論」に
二十歳の時、台北の大学の授業で、英文学を担当するS神父が文学作品における作法の一つ「意識の流れ」(streamofconsciousness)について解説してくれた。用いた教材はジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」と「若き日の芸術家の肖像」、それにヴァージニア・ウルフの二、三作品だった。紳士風の神父は流暢なキングズイングリッシュで説明していたが、いかんせん英語力が貧弱な私は、アクセントが強い英語にこそ聞き惚れていたが、肝心の内容は難解すぎて消化できなかった。そもそも時空を超えている潜在意
Itwasasummerofwistaria.Thetwilightwasfullofitandofthesmellofhisfather'scigarastheysatonthefrontgalleryaftersupperuntilitwouldbetimeforQuentintostart,whileinthedeepshaggylawnbelowtheverandathefireflies
小説は、読者の世界認識を揺さぶるように、マジック・リアリズムで空想世界を構築する、人知を超えるような物語を示す、限界状況で人間のあり方を問う、などイノベーションを遂げてきている。その一つに、語り手独自の世界認識を表現するという独白文学がある。読み手にとっては、自分と異なる世界観や身体感覚を味わうことで、読後は世界の見方がちょっと変わる。この独白文学の最新小説ということで、井戸川射子「ここはとても速い川」を読んでみた。児童養護施設に暮らす少年の語り口で、日常世界に起こるさざ波のような出来事と
〈生活の処方箋〉機会が来るたびに具体的に行動に出れば、人格は向上する。(ウィリアム・ジェームズ)ウィリアム・ジェームズ(WilliamJames、1842年1月11日-1910年8月26日)は、アメリカ合衆国の哲学者、心理学者である。意識の流れの理論を提唱し、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』など、アメリカ文学にも影響を与えた。パースやデューイと並ぶプラグマティストの代表として知られている。弟は小説家のヘンリー・ジェームズ[1]。著作は哲学のみな
以前、ヴァージニア・ウルフはやっぱり怖いなあと思ったのですが、これは楽しかった!『「ヴァーニジア・ウルフ短編集」ヴァ―ジニア・ウルフなんて・・・怖かった』先日、ゾラの「制作」を読み終わったのですが、ゾラらしいどんよりとした後味の名作でした。印象主義絵画がお好きな方は、特におすすめ。で、バルザックもゾラもデ…ameblo.jp私は犬派なので、前知識なく「ワンちゃんの話かぁ、面白そう」と思って購入して読み始めたら・・・・違いました。私はまったく存じ上げなかった、実在の詩人エリ
ノリでアメブロ新しく作ったけど何を書けばいいかわからない。るりちゃかわいい。ただの意識の流れ…うふふ。
デイヴィッド・マークソンの実験的長編小説『ウィトゲンシュタインの愛人』を読了しました。「小説」と紹介しましたが、小説と呼べるのかどうかも疑問です。一人称の(「私」の記憶が辿る)テクストの断片が行きつ戻りつして、決して物語のような体裁を作ることはありません。浮遊するテクストの断片の中で、読者もまた浮遊するのです。マークソンは、日本ではほとんど知られていないアメリカの作家です。1927年に生まれて2010年に亡くなりました。若い頃は、コロンビア大学で文学を教えていました。娯楽的な作品ば
先日、ゾラの「制作」を読み終わったのですが、ゾラらしいどんよりとした後味の名作でした。印象主義絵画がお好きな方は、特におすすめ。で、バルザックもゾラもディドロの絵画論に影響されて作品を書いたとのことだったので、ジャン・スタロバンスキーのディドロ論を買って読み始め、今、頭の中がごちゃごちゃです・・・・。で、頭をすっきりさせようと、合間に読んだのが本書。逆効果でした。かえって頭が忙しくなってしまった・・・・この短編集はちくま文庫オリジナルです。「ダロ
みなさん、おはようございました。ヾ(´ω`=´ω`)ノ☂7月25日(土曜日)今朝は雨です。僕とこ近畿地方。昨夜から2度も3度も豪雨情報が更新され、せっかく水が澄んできたドブ川もまた、今日は水位を上げ川底のドブ(沈殿した汚れ)をさらって、速い流れに乗って、ゴミも一緒に浮かび上がったり、沈んだりしていきながら押し流されていくのが見えます。病気(脳出血)を発症して、7年があっという間に過ぎて行き・・(´・ω・`)?原因と結果の法則を知り、「善因善果」と「悪
<文学青年、必読の書>[海外の小説]Vol.49.「ロリータ」ウラジーミル・ナボコフ長編大久保康雄:訳河出書房新社ロリータ。わが生命のともしび。わが肉のほむら。わが罪。わが魂。ロ、リー、タ。舌の先が口蓋を三歩すすんで、三歩目に軽く歯にあたる。ロ。リー。タ。この変態性丸出しの出だしはいかがなものでしょうか。『R』と『L』の発音の練習にぴったり。上あごの襞がくすぐったくなる。まだ『ロリコン
ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』の[第2部」[第14章]~[第15章]を読了したので内容紹介します。丸谷才一訳の文庫本の第3巻に当たります。古典的文体、文体の歴史的変遷、長い演劇的描写、現実と幻覚が渾然一体となった表現などで、この部分は難解を極めます。しかし、あらゆる言葉の実験を厭わないジョイス文学の醍醐味を(日本語訳とはいえ)味わえる部分でもあります。[第2部][第14章「太陽神の牛」]午後10時。病院。主人公ブルームは、妻モリーの友人ミセス・ピュアフォイ(多産な
ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』の[第2部]の[第9章]~[第13章]を読了したので、内容紹介します。ちょうど丸谷才一訳の文庫本の第2巻に相当する部分です。主人公ブルームやスティーブンらの影が薄れてしまうほど、個性的な数多くの面々が登場して、小説は複雑性を増してきます。また、ジョイスお得意のダジャレなど言葉遊びや比喩、言葉の音楽的表現なども増えてきて、実験的(前衛的)小説であることを、読者は認識せざるをえなくなります。しかし、中心的な、主人公ブルームの妻モリーへの(浮気の)疑惑
ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』の[第2部][第4章]~[第8章]の内容を紹介します。[第8章]でちょうど丸谷才一訳の第1巻が終わります。いよいよ、主人公のユダヤ人ブルームが登場します。妻モリーとのやや疎遠な関係が、ブルームの生活のあちこちに影響を及ぼし、ブルームの思索や妄想にも影を落とします。ブルームは、自分の息子が幼くして死んだのは自分の性的問題のせいだと思い込み、そのせいで、妻モリーとも疎遠になっています。教師で詩人のスティーブンとブルームは新聞社で出会います。[第
今回の「今日の一曲!」は、group_inouの「CRISIS」(2012)です。3rdアルバム『DAY』収録曲。DAYAmazon(アマゾン)770〜6,681円本曲については過去にこの記事の中でも少しだけ語ったことがあって、「終始酔っ払いの譫言みたいな不安定なメロディ・フロウとキラキラしたバックトラックとのギャップがツボ」との寸評を載せていました。これは勿論僕の言葉で綴った感想ですが、今般のレビューに際して『bounce』に掲載されていたインタビューをネット上で読んだとこ
ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』を読み始めました。とりあえず、短い[第1部]を読了しましたので、内容紹介します。とはいえ、要約的なものを読んでも『ユリシーズ』の魅力はあまり伝わりません。百科全書的な引用や比喩に満ちあふれた文章で、その魅力は要約では伝えられないからです。何しろ、現在のスタンダードな丸谷才一訳の場合、本文の3分の1ぐらいの分量の膨大な訳注が付属しています。訳注も一緒に読まないとこの小説の醍醐味は味わえないとも言われます。しかし、柳瀬尚紀は新訳で訳注を付けずに翻訳す
ジェイムズ・ジョイスの意味不明な長編小説『フィネガンズ・ウェイク』の第Ⅲ・Ⅳ巻(合本)を読了しました。相変わらず、意味不明、支離滅裂な表現が充満していますが、いい加減、この辺に辿り着くと、支離滅裂ぶりにも慣れてきます。自分なりの意味づけができるようにもなりますが、それを困難にするかのように、ジョイスの魔手は無意味化の手を緩めません。第Ⅲ巻第1章は、これまでのジョイスの文章よりも、少しばかり分かりやすくなっています。もちろん、意味不明な造語、言葉遊び、隠喩、換喩のオンパレードで、哲学
ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』第Ⅰ巻を読了しました。「読了」などと偉そうに言っていますが、普通に「読む」という行為を行えたとはさらさら言えません。意味不明な言葉の海で難破して漂流していたのが実情です。何が書いてあるのか、さっぱり分かりませんでした。『フィネガンズ・ウェイク』は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの最後の作品であり、1939年に全Ⅳ巻で刊行されました。アイルランドの首都ダブリンを舞台にした小説で、英語が中心ながら、様々な言語そしてジョイス語とも呼
哲学者ドゥルーズのめぼしい書籍をほぼ読破しました。そこで、今度は、文学のキチガイに挑戦しようと思います。長編小説で、頭が狂いそうになるものとしては、今まで、トマス・ピンチョンの『重力の虹』とか夢野久作の『ドグラ・マグラ』といったものを読んできましたが、今回は、ついに、禁断の書に挑戦します。ジェイムズ・ジョイスです。私の英語力では、ジョイスの原書(英語版)を読むのは無理です。そこで、翻訳を読むのですが、これが一筋縄ではいきません。ジョイスが英語や様々な言語(あるいは造語)でやって
皆さまこんばんは!るりのわ蚕与音改めまして✳︎星のおと✳︎いちこです。先月末よりお休みをしておりました創作活動ですが導きの蟲とコウモリ「では、そろそろ始めましょう」で書かせて頂いたように再起動のサインがやって参りましたので再び、こちらでも作品の紹介をさせて頂こうと思います。ブログ名が「るりのわ」⇨「星のおと」に変更しましたのでこれまで「石廻り」だったシリーズ名も変更し「星めぐり」になりました*また、毎週末にブログアップしておりましたが今後は
皆さまこんばんは!るりのわ蚕与音改めまして✳︎星のおと✳︎いちこです。先日の記事意識を拡大して世界を見つめる「グローバル社会の終わり」意識を拡大して世界を見つめる2「文化的な生活」の続きです*宜しければご覧くださいませ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそこで、これからの私たちはどのような心で生きてゆくことが大切か?どのようなことに気づけば良いのか?先日の記事「呪いを解く方法」呪いの時代を変えるためには、、で