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五十女こけ(いそめこけ)@映画、読書、古典、評論@isoisodo名人と謳われる能面師の河内大掾家重は元は鞍作りの職人で興味を引かれた太閤が転身の動機を尋ねます。河内に浮かぶのはその太閤が能を舞い終わった後に楽屋で外した面に一礼した姿、それを見て天下の太閤をお辞儀させられる!まあそうとは口にでき…https://t.co/rpSQh535gr2022年07月06日07:58五十女こけ(いそめこけ)@映画、読書、古典、評論@isoisodo戦国時代、村は自治によって戦乱に蹂躙
菅浦の集落背後に奥琵琶湖パークウェイ沿いの3000本と言われる桜並木が続く。西浅井町月出の集落が眼下にみえます。月出までは道路が通じていますが、湖岸沿いに葛籠尾崎の先端へは行けなさそうです。もう少し塩津の話を続けます。塩津港遺跡の発掘調査は平成18年度(2006)から行われました。塩津港が文献史料で現れるのは、天平宝字8年(764)の藤原仲麻呂の乱にかかる『続日本紀』の記事が初めてですが、港自体の存在はもちろんもっと古く遡ります。この時の発掘では、神社の遺構と大量の「起請
自由を尊重し、お互いに平等の立場から公共的討議を重ねて社会を治める。この民主主義は、古代ギリシアやローマ、近代西欧諸国の専売特許ではない。中世インド、イスラム世界などでもこうした民主主義は機能していて、当時、ドグマチックな西欧から思想家がイスラム世界に逃れて地位を得た位だ。日本でも、こうした公共的討議の歴史は長い。仏教の集会(しゅうえ)がそのモデルだ。寺院の全僧侶が出席を義務付けられ、寺院の統治などを合議で決定した。聖徳太子の十七条の憲法にも、第一条でも上位者は和やかに、下位者は睦まじ
昨日は2月以来初めてJRの駅に立ち寄りました。列車には乗らずにドクターイエローの写真撮影でした。豊橋駅でわずかばかりの停車。土曜日でもありチビッ子がいっぱいでした。さて今日の話題は、奥びわ湖ドライブの最終稿です奥びわ湖パークウェイより対岸を望む。前回の記事で奥びわ湖の海津大崎の様子をお伝えしました。『奥びわ湖海津大崎から竹生島眺望』GoToトラベルキャンペーンでびわ湖大津プリンスホテルに泊まった後、そのまま家に帰る気がしなかったので北びわ湖に出かけました。海津大
原則1回の問題数は2問。アトランダムに出題する。センター試験前日まで、できるかぎり連日出題する。問49鎌倉時代の地方社会のようすについて述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊畿内や西日本一帯では麦を裏作とする二毛作が普及していった。➋寺社の門前に行商人があらわれ、生産された物資を売買する定期市も開かれた。➌農民たちの自治的な結合が進んで、畿内各地に惣村が形成された。➍畿内周辺では新興武士たちが荘園領主の支配に対抗し、悪党と呼
七栗村誕生秘話に迫る津の前川さんが冊子出版中日新聞特に苦労したのが、明治初期の立村に至るまでの経過の整理だった。県の行政文書を調べたり、庄屋に伝わる古文書を読み解いたりしながら、複雑な沿革を...仙洞御所改修に7億円=宮内庁概算要求時事通信宮内庁は29日、2020年度予算の概算要求を発表した。皇位継承関連では、上皇ご夫妻が住まれる仙洞御所(現・赤坂御所)の改修に7億1000万円を計上。地層のページに刻印された奇妙奇天烈な生物たち。「カンブリアン・モンスター」とは?ten
戦国期の念慶寺は、寺院の構えは持っておらず、速水庄の念仏道場(惣道場)でした。その道場元を務めていたのが地頭代官であった速水庄治郎(開基の釋正善の父)です。湖北の道場がどのような建物だったのか、その詳細は定かではありません。木之本町赤尾には、戦国期からほぼ百年隔てた1713年(江戸期)に建立された道場形式の茅葺き本堂(西徳寺=重要文化財)が残っているのですが、これほど立派な建物ではなかったと思います。▲惣村の道場の構えが残る真宗大谷派西徳寺合掌造りで知られる白川郷五箇山には、
と言ってもお節料理の食材や年末の大掃除用具ではありません。えへへ年末年始用のお酒の買い出しでした🙇年末用の【豊盃しぼりたて生限定品】→これは今晩から飲んじゃう予定。除夜の鐘迄チビりチビりやります。正月まで多分残せる…と思う❔❔お正月用はコレにしました❗広島のお酒【龍勢初しぼり無濾過生原酒】日本酒専門店で龍勢は幾つか飲みましたがなかなか旨かったのでチョイス地方には、まだまだ知らない名酒がありますし、今年飲んだお酒も旨い(好み)のが沢山ありました。奈良萬
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究58(問34)」で確認してください。問34正解は➍。➊「現存する10世紀の戸籍によると、戸内の人口の9割程度が男性となっていて」の部分が誤り。律令制下においては、調・庸の負担を減らすために戸籍上で戸内の女性を増やすなど、偽った記載が横行した(偽籍)。➋「守護権限の急速な拡大」が生じたのは、南北朝時代を中心とする時期。➌「寄合……の決定にしたがって村が運営され、また地下検断……」、これらはすべて室町時代の惣村に関する説明。
*問題は、「一橋大論述新研究2(95-Ⅰ問題)」で確認してください。解説「中世における農民の識字能力の発達について」説明せよ、という問題なのだが、正解への道はそれほど平坦ではない。設問の意味するところを読み抜くことが必要である。まず、設問の「この点をふまえ」の部分に注目する。そこには、「室町時代以前の民衆にとって教育を受ける機会は少なく、自らの意思を文章で表現することはほとんどなかった」とある。一方、問1での考察からもわかるように、江戸時代になると庶民教育は広範に普及
こんにちは、karinatatsuoです。時代は前後しますが、歴史の理解を深めるため学んでいきましょう。まず、「惣領制の解体と国人一揆」についてお話していきます。それでは、はじめます。<惣領制の解体>13世紀後半室町時代になると、惣領制(復習はこちら)が解体していきます。鎌倉幕府の支配体制をサポートした惣領制でしたが、土地が散らばっていたり、小さくなってしまうことを防ぐため、惣領は、分け与えていた分割相続から、嫡子(チャクシ)だけに相続する単独相続を行うようになります。すると、こ